昨日より1度低かっただけですが昨日の暑さを過ごしただけに、今日は少し楽でした。
湿度もほんの少し低めで、昨日よりも山の景色がハッキリ見えていたのが楽だったのかも?
あたたかいコメントを頂いて、今日からは気持ち新たに綴ろうかと思ったのですが、写真も無く
ちょうど初七日でもあるので、もう1日話題を続けます。
21日の朝に亡くなってすぐに手配したもののその日の通夜にできなかったのは、斎場が満杯で
火葬の手配が出来なかったのが一番の理由でした。
病院から実家を経由して葬儀会館に安置されたのですが、葬儀会館では参列者数百人のお葬式が
執り行われ、テレビ局のカメラや報道陣がドッと来ていてビックリしました。
聴いてみると先日の大阪北部地震で犠牲者となられた『みまわり隊』のお年寄りの葬儀でした。
そう思えばPTAと書かれた立て看板などもありました。
ついその地震発生時まではお元気で通学路の見守りに出かけられていたのですから、お気の毒
としか言いようがありませんね。
別の葬儀場でしたがプールのブロック塀の下敷きになって亡くなった9歳の女の子も同じ日の
お葬式でしたね。
私の父が亡くなってから11年になりますが、斎場の対応がかなり変わっていることに驚き
ました。
当時までは24年前の母の時も骨壺が小さいのと中か大のどちらかで2つありました。
大阪ではそれが通常で小さい方には喉仏を、もう一つにはその他の遺骨を納め、喉仏は
菩提寺などの納骨堂に納め、もう一方を墓地や寺院にという方式でした。
今は大中小の骨壺のいずれか一つだけと言うのが常識になっていて、どうしてもという場合
役所に申請して火葬証明書を2通発行してもらわないといけないそうです。
斎場の炉は20基も並んでいて、納棺してから骨拾いまで冷却時間も入れて2時間。
両親の時は炉に入って点火される音が『ボッ!!』と聞こえて、悲しみがまたこみ上げて
来ましたが、今は何の音も聞こえないようになっていました。
焼香は1回、斎場での「最後のお別れ」のご対面も無し! 非常に事務的でした。
高齢化社会になって、そうでもしないとドンドン運び込まれる遺体に対処できないというのが
本音なのでしょうね。
今日の喪主の義弟は役所などの手続きに走り回る日となり、姉である妻は地元で印鑑証明の
手続きの後、実家の近所の老人会やお世話になった方々への挨拶などに出かけていました。
私は仕事に就いていましたけれどね。
実家は老人二人の生活で、義父は老人ホームに入っていて義弟一家も一時間ほど離れた所で
生活しているので、今週中に遺品整理などもおおかた済ませて四十九日を待たずに引き上げて
自分たちの家で新仏を祀るそうです。
核家族化している現代では、そういう家庭が多いのでしょうね。
ウチなんて長男は江戸だし・・・ どうするんだろ? ま、死んだら分からないか。
そんなことを書いて〆ようと思っていたら
老人ホームの義父が吐血したと連絡が入りました。 大丈夫だとは思いますが。