昨日のほんのたった一日がいかに貴重な、割と空気の綺麗だった一日だったことか。
一番向こうの連山の冠雪までくっきり見えていたのが、一夜明けたら霞んでしまいました。
三重県まで走って行ったのですが県境辺りは杉の木の群生林だらけでもう悲鳴を上げそうなくらい
真っ赤になっていて、これがしばらく続くのかと気分が凹みました。
まだ鼻水が垂れることはありませんがムズムズして、時々クシャミが続きます。
昼の時間を挟んで近畿から東海へ高濃度のPM2.5が通過していき
これは午後3時の様子。 午後9時頃には
色の濃い部分は減ったもののまだずっと漂っています。
花粉はと言うと、奈良の記録は見えませんが大阪は非常に多いになっています。
九州から中国地方は雨と共に春一番の大荒れだったようで、半日遅れで明日は近畿?と恐ろしい。
予報では今日の午後にも近畿地方もということだったのが、少し遅れてくるようです。
春一番と言うと立春から春分の間に、その年に初めて吹く南寄り(東南東から西南西)の強い風を
言うのはもうだいたいの方はご存知でしょうね。
いまでは気象用語となっているがでも本来は、この言葉の発祥の地は壱岐であることは知られていません。
1859年(安政6)にこの壱岐の地元の漁師が大勢遭難したことから春一番と呼んで注意を促すのが
本来の語源なのです。
昭和62年、郷ノ浦港入口の元居公園に、船の帆をイメージした「春一番の塔」が建てられました。
海と共生する壱岐の人々に自然の怖さを忘れないようにとの思いを込められてのことでした。
暗い話になってしまいましたのでちょっと気分を変えて ・・・
道端の一角で見つけました。
たぶんシャガだと思うのですが、他の木につく花は遅れ気味で咲き出しているのに、これはちょっと
早すぎるような気がします。
普通は3月末頃に咲き出すと思うのですけどね。
てこの花を見ていて勝手ながら先日のテレビ劇場の数学博士・岡潔さんの言葉を思い浮かべました。
「スミレはただスミレのように咲けばよいのであってそのことが春の野にどのような影響があろうと
なかろうとスミレのあずかり知らないことだ」
「数学なんかをして人類にどういう利益があるのだ」と問う人に対しての答えでしたね。
ただ一生懸命スミレとして咲いているのであって、綺麗だの可愛いだの人によっては
邪魔だの言おうがスミレにとっては全く感知しないで咲いているものだ。
春の野に咲くスミレは、ただ スミレらしく咲いているだけでいい。
咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、
それはスミレのあずかり知らないことだ。
咲いているのといないのとではおのずから違うというだけのことである。
春の野のすみれは、ただ すみれのやうに咲けばよい。