次回のリサイタルの日が決定いたしました。2013年2月16日(土)です。会場は電気文化会館ザ・コンサートホールです。前回も前々回もここで行いました。ここは席数が400席弱でちょっとリュートには広すぎる感じがしないでもないですが、響きはとてもいいしまぁ慣れたところでもあるし・・・ホントは200席程度のホールがあるといいのですが、残念ながら名古屋にはないんですねぇ。岐阜のクララ・ザールがちょうどいい大きさですが、なかなか岐阜でリサイタルというのは難しそうです。もしオーガナイズしていただける方がいらっしゃれば、岐阜でも開催してもいいんですが。
今回のリサイタルのテーマは「バロックと現代」です。バッハ、ヴァイス作品と現代のシェドル、久保摩耶子の作品を演奏する予定です。前々回の現代の作品を演奏しましたが、そのときはいろんな時代のいろんなスタイルの作品を演奏した中での現代作品ですが、今回はバロックと現代を対比させてそこにリュートの姿を浮かび上がらせてみたい(何のことかよくわからない?)と考えています。久保摩耶子はベルリン在住の作曲家で、これは委嘱作品なのでまだ曲はできていません。どんな曲ができてくるのかとても楽しみですが、完成がリサイタルの直前という事態にはならないことを祈っています。(笑)

絵はフェルメールの「窓辺でリュートを弾く女」(部分)です。「リュートを調弦する女」とも言われているようですが、実はこの女性、左手のペグは4~5コースあたりの弦のペグですが右手の指先で触れている弦は明らかに9コースかそれ以下のバスレンジの弦です。つまり右手で触れている弦を調弦しようとするならば、リュートの正面から見て、左列にあるペグを動かさないと調弦できません。そうなると左手の位置は全くことなってきます。あるいは、左手が触れているペグに巻いてある弦を調弦しようとするならば、右手はもう少し下方になければなりません。要するにこの女性は演奏も調弦もしていないということです。調弦をしようとしていたら、窓辺にふと気になること、たとえば外からカレシの声がして、ふと調弦を止めて窓辺を見た瞬間という感じです。実は絵には下方にヴィオラ・ダ・ガンバが床に置いてあります。これも意味ありげです。「フェルメール全点踏破の旅」という本には、「・・・女性は、リュートを弾きながら窓の外を見て、何かに思いを馳せている。・・・」とありますが、少なくともこの絵の時点では、彼女は演奏も調弦もしていません。ほんの数秒前は調弦をしていたんですが、外の気配に意識が楽器から窓の外へと移ったその瞬間を描いたものだと考えられます。
今回のリサイタルのテーマは「バロックと現代」です。バッハ、ヴァイス作品と現代のシェドル、久保摩耶子の作品を演奏する予定です。前々回の現代の作品を演奏しましたが、そのときはいろんな時代のいろんなスタイルの作品を演奏した中での現代作品ですが、今回はバロックと現代を対比させてそこにリュートの姿を浮かび上がらせてみたい(何のことかよくわからない?)と考えています。久保摩耶子はベルリン在住の作曲家で、これは委嘱作品なのでまだ曲はできていません。どんな曲ができてくるのかとても楽しみですが、完成がリサイタルの直前という事態にはならないことを祈っています。(笑)

絵はフェルメールの「窓辺でリュートを弾く女」(部分)です。「リュートを調弦する女」とも言われているようですが、実はこの女性、左手のペグは4~5コースあたりの弦のペグですが右手の指先で触れている弦は明らかに9コースかそれ以下のバスレンジの弦です。つまり右手で触れている弦を調弦しようとするならば、リュートの正面から見て、左列にあるペグを動かさないと調弦できません。そうなると左手の位置は全くことなってきます。あるいは、左手が触れているペグに巻いてある弦を調弦しようとするならば、右手はもう少し下方になければなりません。要するにこの女性は演奏も調弦もしていないということです。調弦をしようとしていたら、窓辺にふと気になること、たとえば外からカレシの声がして、ふと調弦を止めて窓辺を見た瞬間という感じです。実は絵には下方にヴィオラ・ダ・ガンバが床に置いてあります。これも意味ありげです。「フェルメール全点踏破の旅」という本には、「・・・女性は、リュートを弾きながら窓の外を見て、何かに思いを馳せている。・・・」とありますが、少なくともこの絵の時点では、彼女は演奏も調弦もしていません。ほんの数秒前は調弦をしていたんですが、外の気配に意識が楽器から窓の外へと移ったその瞬間を描いたものだと考えられます。