卒業後40ウン年になる中学校の同窓会を開くことになりました。開催は3月ですが、幹事会(一応幹事です)で中学校の校歌を締めに高らかに歌おうではないか、ということになりました。ところが、その歌をそこにいた幹事の誰も覚えていないのです。(笑)
私も冒頭から半分くらいはメロディを覚えていますが、途中からは桑名市歌にどうしてもつながって行ってしまうのです。小学校や高校そして自分が勤務していた学校の校歌は大概覚えているのに、何度も歌ったことがあるはずの中学校の校歌(吹奏楽部員だったので伴奏もしたことがあります)が半分しか覚えていないとはどうしたことでしょうか。
校歌は本当にいろんな人が作曲しています。四日市のYM高等学校の校歌は何と武満徹作曲ですし、もともと校歌として作られた長崎県の某高等学校の愛唱歌はユーミン作曲、私の出身高等学校は信時潔作曲(戦前の有名な作曲家です)、市内のT中学校は米山正夫作曲(ヤン坊マー坊天気予報の歌とか365歩のマーチの作曲家です)です。シロウト作曲家から超一流の大作曲家まで千差万別です。私の出身中学校の校歌はまぁそのへんによくあるようなごく普通の校歌ですが、ひときわ愛着があるのも事実です。
幹事会ではおまえが伴奏のカラオケを作れということになりましたので、早速出身中学校に電話をいたしました。電話に出たのは教頭先生。
「もしもし昭和○○年度卒業の中川と申しますが、実は・・・・で、校歌の楽譜を送って頂きたいのですが・・・」
「ひょっとして校歌が変わっているかもしれませんねぇ」
実は私の出身中学校は、校舎が古くなって少し離れて別の場所に新しい校舎を建てたのです。教頭先生は、そのときに校歌も変えてしまったかもとおっしゃってるわけです。
「えーっとこんな歌ですか?すーずーかのーみねをー・・・・・(と少し歌う)」
「うーむ、たぶんそんなんかも知れませんねぇ。私も今年転勤してきたばかりなので・・・」
えー、今年度転勤といってももう10ヶ月以上も経ってるのに!よっぽど印象が薄い曲なんですねぇ。ちょっと曲が哀れになってきました。
「でも最初の歌詞はそれですよね。だったら多分同じです。お世話をおかけしますが、よろしく送付の程を・・・」
ということでファックスで送ってもらいました。早速確認しましたら、なるほど、思い出しました。(笑)でも2小節だけ自分のよみがえった記憶と異なる部分があります。歌詞のリフレインにあたる部分の動機が違うのです。うーん、私が頭の中で勝手に変えてしまったのかも知れません。。まぁあまり大したことはないですけど、少し気にはなるので事情に詳しい知り合いの先生に尋ねてみたいと思います。
写真は桑名の六華苑でのコンサート。六華苑は、二代目諸戸清六の邸宅として大正2年(1913年)に完成したものを桑名市が譲り受けたものです。設計は鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルで、洋館と和式の建物が直結している大変めずらしい造りです。洋館のロビーで、このようなコンサートを年2、3回行っています。ことしも5月頃に行う予定です。
私も冒頭から半分くらいはメロディを覚えていますが、途中からは桑名市歌にどうしてもつながって行ってしまうのです。小学校や高校そして自分が勤務していた学校の校歌は大概覚えているのに、何度も歌ったことがあるはずの中学校の校歌(吹奏楽部員だったので伴奏もしたことがあります)が半分しか覚えていないとはどうしたことでしょうか。
校歌は本当にいろんな人が作曲しています。四日市のYM高等学校の校歌は何と武満徹作曲ですし、もともと校歌として作られた長崎県の某高等学校の愛唱歌はユーミン作曲、私の出身高等学校は信時潔作曲(戦前の有名な作曲家です)、市内のT中学校は米山正夫作曲(ヤン坊マー坊天気予報の歌とか365歩のマーチの作曲家です)です。シロウト作曲家から超一流の大作曲家まで千差万別です。私の出身中学校の校歌はまぁそのへんによくあるようなごく普通の校歌ですが、ひときわ愛着があるのも事実です。
幹事会ではおまえが伴奏のカラオケを作れということになりましたので、早速出身中学校に電話をいたしました。電話に出たのは教頭先生。
「もしもし昭和○○年度卒業の中川と申しますが、実は・・・・で、校歌の楽譜を送って頂きたいのですが・・・」
「ひょっとして校歌が変わっているかもしれませんねぇ」
実は私の出身中学校は、校舎が古くなって少し離れて別の場所に新しい校舎を建てたのです。教頭先生は、そのときに校歌も変えてしまったかもとおっしゃってるわけです。
「えーっとこんな歌ですか?すーずーかのーみねをー・・・・・(と少し歌う)」
「うーむ、たぶんそんなんかも知れませんねぇ。私も今年転勤してきたばかりなので・・・」
えー、今年度転勤といってももう10ヶ月以上も経ってるのに!よっぽど印象が薄い曲なんですねぇ。ちょっと曲が哀れになってきました。
「でも最初の歌詞はそれですよね。だったら多分同じです。お世話をおかけしますが、よろしく送付の程を・・・」
ということでファックスで送ってもらいました。早速確認しましたら、なるほど、思い出しました。(笑)でも2小節だけ自分のよみがえった記憶と異なる部分があります。歌詞のリフレインにあたる部分の動機が違うのです。うーん、私が頭の中で勝手に変えてしまったのかも知れません。。まぁあまり大したことはないですけど、少し気にはなるので事情に詳しい知り合いの先生に尋ねてみたいと思います。
写真は桑名の六華苑でのコンサート。六華苑は、二代目諸戸清六の邸宅として大正2年(1913年)に完成したものを桑名市が譲り受けたものです。設計は鹿鳴館を設計したジョサイア・コンドルで、洋館と和式の建物が直結している大変めずらしい造りです。洋館のロビーで、このようなコンサートを年2、3回行っています。ことしも5月頃に行う予定です。