リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

天覧演奏会

2006年05月31日 11時51分29秒 | 音楽系
両陛下が古楽器コンサートを鑑賞されたそうです。(2006年05月28日浜離宮朝日ホール)asahi.comの配信ニュースを引用しますと、:

--------------引用始め

 天皇、皇后両陛下は28日夜、東京・築地の浜離宮朝日ホールで開かれた「マラン・マレ生誕350年記念特別演奏会」を鑑賞した。

 マラン・マレは、ルイ14世時代のフランス王宮で、脚で挟んで弓で弾く弦楽器ビオルの名手として活躍した音楽家。

 平尾雅子さんらのビオルやアーチリュート、チェンバロなどの古楽器によってベルサイユの宮廷音楽を再現した室内楽の演奏に、両陛下は真剣に耳を傾けていた。

--------------引用終わり

古楽器での天覧演奏会ってひょっとしてはじめて?なくなられた方ですが、チェンバロの鍋島元子さんという方は確か貴族出身の方らしかったので、皇族が来られる演奏会をされたことがあったかも知れません。
でもヴィオラ・ダ・ガンバってまだそんなに一般的じゃない楽器だと思うし(ガンバ=サッカーというのが普通ですから(笑))、マラン・マレと言って知る人ぞ知るくらいの存在でしょうから、両陛下が来られたというのは画期的で古楽の世界には大変喜ばしいことです。でもどうやって来て頂けるようになったのかな?誰か東宮につてでも?

実は前日の27日に同会場で「アマ、プロによるマラン・マレ全曲マラソン演奏会」というのに通奏低音を頼まれていたんですが、予定がかぶっていたので、断ってしまいました。天覧コンサートが翌日あることがわかっていて、もう少し前に依頼されていたら、絶対こっちの方にしていたかも。(笑)もっとも28日のチケットは取れなかったかもしれませんが。

マラン・マレは今までにも映画になったり(「めぐり逢う朝」)していますし、古楽の音楽家としては結構脚光を浴びています。それに古楽器としてチェンバロに次ぐ(ひょっとしてチェンバロより多い?)豊かなアマチュア層を抱えています。ここらあたりがたびたび取り上げられる理由でしょうね。

個人的には(なんせリュートびいきですから)リュートの方が絵になるとは思うんですけど、(実際ヨーロッパの絵のテーマになっているのはリュートがダントツです)やっぱり商売になりにくい・・・のかなぁ。例えば、ガリレオ・ガリレイの生涯をリュートを軸にして描く、なんてイケル感じがしますが。ガリレオのお父さんは有名なリュート奏者だし、弟のミケランジェロも著名リュート奏者。ガリレオもミケランジェロに負けず劣らずリュートが上手かったと言われています。レオナルド・ダ・ヴィンチの次はガリレオ・ガリレイ、ガリレオ・コードってのは?うーん、典型的二番煎じの感は否めません。(笑)

宝庫?

2006年05月29日 23時10分13秒 | 音楽系
今日は資料探しに名古屋音楽大学の図書館に行って来ました。というのは、以前ソプラノのKさんから、ここにいろいろなマイクロフィルムがあると聞いていたからです。

大体場所は知っていましたが、一応確認するために、名古屋音大のサイトにアクセス、ついでに図書館にもアクセス。HPには図書館長の許可が必要で、さらに紹介状もいるらしい。なんとものものしい。(笑)確認のために電話してみました。

「もしもし、リュートの中川ですけど、図書館で資料を探したいんですが」
「あ、はいはい、カクカクシカジカで、先生がお探しのものはどういった・・・」

なんか妙に愛想がいいですねぇ。ひょっとしてもう顔が割れているのかも。私の顔は覚えられやすいみたいなんで、損みたいな得みたいな。図書館員の方の話では紹介状のことは何もおっしゃらなかったので、いらないみたいです。3時頃に到着するということを告げてさっそく家を飛び出しました。

名古屋駅に到着後地下鉄に乗り換えて、中村公園駅で下車。そこからは、大体道筋は分かっているつもりなので、歩くことに。で、地上に出ると、アリャリャリャーなんか全然記憶していた景色と違う!

街の看板をたよりに歩き始めるも、どうも反対方向に歩いていたらしく、また引き返し、大鳥居の前まで到着。そこからどうも道筋がよくわからないので、名音大の図書館に電話して、道を教えてもらいました。ふと交差点の向こうを見ると、中村公園駅の案内がありました。そこでやっと気がついたのですが、どうも降りた駅は中村公園駅ではなく、中村日赤駅のようでした。(笑)そういやこのあたりの駅名ってみんな中村ナントカって名前ですよね。名字ばかりみていたので勘違いしていました。

無事名古屋音大図書館に到着、すごい立派な建物になっていたのに驚きました。図書館は建物の三階、三階の図書館エリアにはIDカードがないと入れないので、インターホンで呼び出して係の方に来て頂いて、中に入りました。

閲覧希望を伝えるとまず、会費みたいなものを払って、IDカードを作る必要がある由、2000円払って1年間有効のカードを作ってもらえました。図書館の方にマイクロフィルムの閲覧希望を伝えました。

「ここは、デンハーグのヘメーンテ・ムゼウムのものが結構入っているんですね。あと大英図書館のものと」
「ええ、よくご存じですね」
なんてちょっとほめられてしまいました。(笑)

詳しいカタログを見せてもらいましたが、結構いけるものが沢山ありました。図書館の担当の方の話では、閲覧希望者は何と私がはじめてとのこと。おー、栄えある一番乗り!でも何年もだれも閲覧しないとはもったいないですが、まぁ、ここには古楽科もないし、ひょっとして音楽史の先生もいらっしゃらないのかも知れません。でも何のためにこんなに沢山いれたのだろ?ま、いいか、あるわけだから。

時間も限られているので、大英図書館蔵のイタリアン・カンタータを収めた写本のマイクロフィルムを見せて頂くことに。マイクロフィルムリーダーとミノルタ製のプリンタがあるところに連れて行ってもらって閲覧をして必要なものはプリントアウトすることにしましたが、担当の方は今まで使う人がほとんどいないので操作方法がよく分からない感じでした。仕方ないので自分でフィルムを装填して、あちこちいじってみているうちにめでたくプリントアウトもきちんとできるようになりました。(マニュアルを置いていってもらったので助かりました)それからえんえん4時間あまりかけてすべてみました。ふー、くたびれた。ビアンカ・ローザの編成で出来そうな曲とか、モダンエディションで持っているもののオリジナルなどを40枚あまりをコピーしてきました。ギターが使われているカンタータや、アーチリュートが指定されているものもあり、なかなか興味深かったです。

帰りは、ずっと座っていて何か運動不足みたいな感じだったので、名古屋音大から名古屋駅まで歩いて帰りましたが、遠かったです。(笑)

土曜、日曜は・・・

2006年05月29日 12時33分27秒 | 音楽系
この土曜、日曜は、ちょっとばたばたしていました。
土曜日は、バロックのアンサンブル「ビアンカ・ローザ」初演奏でした。といっても有料コンサートでなく、名古屋バロック音楽協会の例会に出演です。

メンバーは、リコーダーがNさん、N君、ソプラノがKさん、ヴィオラ・ダ・ガンバがIさんそしてアーチリュートが私の5人です。N君は高校生3年生で、大学受験を控えていますが、余裕のよっちゃん(笑)で、参加していました。ただ、彼は名古屋地方から離れたところの大学に進学希望なので、今回が最初で最後になるかも知れません。

このアンサンブルの一番の特徴はみんな近所に住んでいるということです。ソプラノのKさん以外は桑名市内在住です。それも合併前の旧市内です。Kさんは名古屋在住ですが、高速道路のすぐ近くにお住まいで30分もあれば桑名に来ることができます。

実はみなさんとは結構前からの知り合いで、そのころは桑名には住んではいませんでした。しばらくしてNさんが桑名に引っ越し、つぎにIさんが岩手県からなんと桑名に引っ越し、Kさんは結婚されて名古屋の中でも桑名行きの高速道路のすぐ近くに引っ越し(その逆、お住まいの近くに高速道路が開通したのかも知れません。(笑))、N君と私は桑名生まれですが、気が付いたら、柔軟なアンサンブルができるメンバーがすぐ身近な場所にそろっていました。

ヨーロッパで古楽がさかんなバーゼルみたいな街ならいざ知らず、日本の地方都市(残念ながらあまり文化的でない・・・)でこれだけ揃うのって結構めずらしいんじゃないかと思いますね。メンバーはコンクール常勝、海外留学経験あり、CD出したというレベルの人ですから。でも行政関係の人たちにはなかなかわかってもらえず苦戦中です。(本音をいうともう少し経歴なんか見たらオッと思ってくれる人が担当していてほしいんですけどねぇ)ってぐちっていても仕方ありませんですから、いろんなところにかけあってみるつもりです。町内ではなかなか評判でしたから。

で、そのデビュー戦はまずまずと言ったところです。ちょっと危ないところはあったけど、特に問題なくできました。はじめてにしては上々でしょう。

翌日曜日は私の教室の発表会、「Klassenstunde2006」です。Klassenstundeはドイツ語ですが、日本語ではクラスの時間というような意味でしょう。ホピーのクラスではKlassenstundeというのがレッスン以外に月2、3回あり、そこでは公開レッスン、コンサート前のリハーサル、ミニリサイタル、他の地域から講師を招いて講演会(ロバート・バルトやナイジェル・ノースも来ました。結構すごい面子でしょ?)などが行われていました。私の教室の発表会も、単に順番に演奏していくだけではなく、公開レッスン的なものもおりまぜてみようと思い、同じような形を取るKlassenstundeという名前を付けました。

去年から習い始めた方はまだ人前で弾いた経験がないという人もいらっしゃいました。すごく緊張されている様子がありありと見え、こっちまでドキドキ(笑)。
でもステージ経験が豊富なKさんやYさんはさすがでした。非常に音楽的な演奏を聴かせてくれました。

人前で弾くのは慣れないとなかなか上手くいかないものですが、他の人と自分の音楽を共有できる喜びは何にも代え難いものです。生徒の皆さんはこれからも腕を磨いてまた来年より豊かな表現の喜びを分かち合いましょう。また来年の5月頃また同じような感じで行う予定ですので、このブログをご覧の皆様もぜひ一度覗いてやってください。

よく雨が・・・

2006年05月26日 22時22分38秒 | 日々のこと
相変わらずよく雨がふりますねぇ。今やっているテレビの天気予報でも明日は雨だと言っています。まるで5月が梅雨になってみたい。九州の方では、梅雨入り宣言が出たそうな。ということはこちら(東海地方)はまだ梅雨に入っていないわけです。雨がずっとふっているだけでは梅雨にはならないようです。

個人的には、梅雨のころってすごく緑が映えて美しいので好きなんです。陽光が他の時期より明るいのもその原因かもしれません。でもその好きな季節であっても、楽器を担いで歩くのはあまり好きではありません。以前使っていた楽器ケースは、木に紙を貼った古いタイプのもので、雨にあたったあとそこを拭くと上に貼ってある黒い紙がぼろぼろと取れてきました。いいかげんみすぼらしくなってきたので、ほとんど全てのケースを超軽量のラソーマケースに替えました。

このケースはビニール張りなので、雨は大丈夫ですが、ただ唯一の問題はチャックの部分です。長時間雨にあたるとそこから少し水が入る恐れがあります。実際はほとんど問題はないと思いますが、スイス在住のリュート奏者今村泰典さんはその点を随分気にしていて、買うのを躊躇していました。でも結局彼はラソーマケースを買っちゃいましたけどね。(笑)

最近電車で出かけることが多いんですが、それと比例して楽器が雨に濡れる率が高くなっています。楽器を持って出かけるときに限って雨が降るんですよね。(笑)

楽器に雨があたってもビニールからしみ入ることはないんですが、雨に濡れているのはなんかいやですから、いつも雨の時は手ぬぐいを持っていきます。明日は名古屋バロック協会の例会で演奏するんですが、天気予報は雨。車で行こうかどうしようかと迷っていたら、一緒に演奏するIさんが乗せていってあげるっておっしゃってくれたので、お言葉に甘えることに。

明日はコンサートではないんですが、最近組んだグループ(ビアンカ・ローザって名です)の初演奏です。11月に何回かこのメンバーでコンサートをする予定ですがまずは前哨戦といったところです。

サンフラゥア

2006年05月24日 23時11分04秒 | ローカルネタ
ウチから国道一号線沿いに1キロくらい南にいくと国道258線との交差点があります。その交差点のところに「サンフラゥア」という名前の床屋さんがあります。ふつうなら「サンフラワー」とでも書くところですが、えらく正確というか三重母音を意識した感じの表記です。

前から気にはなっていたので、なんで「サンフラワー」じゃないんですか、って一度直接聞いてみたいんですが、なかなかそこの床屋さんまで行く機会がありませんです。もともと床屋さんに行くこと自体あまり好きでないし・・・(笑)

そこで、考えてみたんですが、実はflowerの三重母音をすごく強調される方がいたのを覚えています。その方は私が中学校3年生の時に英語を教えて頂いたS先生です。先生の授業は大変厳しく、かつコワモテでいらしたので、当時のワルどもは先生の影が見えただけで震え上がっていました。

先生の授業の仕方はきわめてシンプルで、机の列順に教科書に関する質問(ほとんど全て英語です)をして行く方式です。ただし一人あたりの制限時間は1,2秒、2回りくらい答えることができずパスしてしまうと、教室の後ろで授業中ずっと立っていなくてはならないという掟がありました。そしてあまりにいいかげんだと目をつけられ、即廊下へ。(笑)同級生の中には1年間英語の授業は座って勉強したことがなかったという人もいました。今ならあちこちから苦情が来そうな方式ですが、けなげにもそのころの中学校3年生は必死でくいついていたものでした。

その先生の授業で、

「flowerは、フラワーと日本語的な発音で言うものが多いが、実は三重母音なんであーる」

とおっしゃっていたのを今でも覚えています。

先生が私が通っていた中学校に転勤されたのが、私が中学校3年生のときでしたが、その前はM中学校にいらっしゃいました。その「サンフラゥア」の床屋さんはM中学校の校区なんですね。で、推測するに、その床屋さんのご主人、実は中学校時代にS先生にしっかりとflowerの発音をたたき込まれて、ついには店の名前にしてしまった、って。でも意外にそうかもしれません。一度聞いてみたいもんです。

S先生は7年程前の同窓会でお会いしましたが、ずいぶんお痩せになられ、往年のコワモテの影は見られませんでした。それでももう50前になっているというのに、当時のワルどもは昔と同じように震えていました。(笑)私は中学校3年生における超スパルタ英語で鍛えていただいたお陰で英語だけは得意になり、長じて英語が生活を支え、ひいてはバーゼルの留学生活も語学上の不便は全くなくすごすことができました。その意味ではS先生は大恩人と言えます。

またもやムクドリが

2006年05月23日 22時18分35秒 | ローカルネタ
桑名市の駅前にサンファーレがオープンしてはや、・・・・何ヶ月だったっけ?まだ2ヶ月はたっていないと思いますが、くすんだ色合いで無機的な構成のビルは駅から見ているともう何年もそこにたっているような。(笑)建物がマンションと駐車場ビルなのであまり個性的でも飽きが来るし使いにくいでしょうけど、1階2階くらいもうちょっとなんとかならなかったかなという気もします。

先日夜遅く桑名駅に戻って来ましたら、なんかギャーギャー鳥の鳴き声。今年もやってきました。以前私がスズメと間違えていたムクドリです。サンファーレ前の木は去年の秋に枝を大幅に払ったんですが、半年経つと結構葉が生い茂ってきています。で、今年もまたムクドリの木になるんでしょうか。

今年は、サンファーレが出来て、以前よりは人通りは多くなりそうなので、ムクドリはよりつかないかもしれませんが、どうなるんでしょう。去年までみたいにムクドリが寄りついたら、サンファーレの商店街は相当影響を受けるかも。逆に先に人がたくさん寄りつくムクドリは退散!要するに人が先かムクドリが先かという勝負になるかも。一旦ムクドリに占領されてしまったら、以降ずっとムクドリの天下ですから、必死でがんばらんといけません。

でもそもそも駅前の木にムクドリが大量に群れ出したのも、ムクドリがかつていた場所にいることができなくなったかららしいので、サンファーレの人通りが増えて、そこからムクドリいなくなったとしてもまた別の所に群れ始めるのでしょう。それとも都市環境に適応して個体数が逆に増えているとなると・・・どうしたらいいんでしょうね。いずれにしても人間が環境を勝手に変えてしまったというのが原因であるのは間違いないです。ま、しばらくは様子見ですね。(笑)

シベリウス

2006年05月22日 21時13分01秒 | 音楽系
シベリウス4の案内がヤマハから届きました。シベリウスというのは、いうなれば楽譜のワープロソフトです。リュートタブラチュア用にはジャンゴという専用のものを使っていますが、五線譜はシベリウスを使っています。古楽器と言えどもITの恩恵にたっぷりあずかっているわけです。(笑)

シベリウスを買ったのは3年くらい前ですが、その時はバージョン2でした。スイス在住のリュート奏者今村泰典さんもシベリウスを使っていますが、彼は英語版のバージョン3を使っていました。楽譜清書ソフトにはもうひとつ有名なフィナーレというのがあります。日本ではフィナーレを使っている人の方が多いようですが、ヨーロッパで見聞きした範囲(要するにバーゼル近辺だけですが(笑))ではシベリウスを使っていた人ばっかりでした。

実は私はフィナーレも持ってるんですが、操作の感じはシベリウスの方が直感的な感じですね。聞いた話では、バッハのカンタータのスコアとパート譜を1週間もかけずに一人で制作する人がいるらしいです。オリジナルの手書き譜を見て、きちんと間違えずに現代譜にしあげるのならすごい話だけど、ホンマかしら?

日本版のシベリウスはヤマハの都合で結局バージョン3は飛ばされて4が出ることになりました。オリジナル版だと4はとっくに出ていたんですけど、まぁ結局ヤマハの開発スタッフが少なすぎるということなんでしょうね。フィナーレの方は英語版に合わせて日本語版もバージョンアップされてくるのに、シベリウスはひと商売し損なってますね。

バージョンアップの方法は葉書に必要なことを書いて送る方式ですが、私はカードで落としてほしいので、カードの番号も書きました。バージョンアップ案内の封筒を見ますと、プライバシー保護用のシールが入っていまして、これを葉書に張って送るわけです。クレジットカードの番号丸出しの葉書では、えらいことになりかねませんから、当然と言えば当然ですが、貼ってみてびっくり。

シールの裏が黒くなってないもんですから、スケスケ。(笑)ちょっとライトや御天道様にかざすだけで丸見えです。これは危険ですねぇ。セキュリティのため結局そのバージョンアップ希望連絡用の葉書を二つ折りにして封筒に入れて送りました。ヤマハさーん、そこんとこもうちょっとしっかり考えてねー。


モノにこだわる男のカタログ

2006年05月19日 17時57分33秒 | 日々のこと
1976年、ジョージ・オーウェルの1984年までまだ8年も未来があった年です。この年は私がはじめてヨーロッパに行った年でもあるんですが、先日ある楽譜を取ろうとして、そのすぐ隣に「モノにこだわる男のカタログ」というのがありました。1976年7月1日発行、今は無きあの平凡パンチの別冊です。

表紙のコピー:
「今年の夏はゼッタイにバックパッキングをはじめるぞ。クライミングはヨセミテ風にラクジャでセメたてるのだ。いや、ジョギング・シューズでテコテコ走るのがやっぱりいい。ラジカセでロクハンを振るボリュームで聴くのだったちょいと捨て難いのだ。もっといっぱいあるな。自転車のツーリングもやりたいな。バードウォッチングを兼ねて野鳥の生態写真もいいものだよ。--------なんて考えているキミたちに贈るメンカタ2号。新しいライフスタイルを生きるためにこの本を大いに役立てていただきたい。」

いやー健全ですねー、健康的ですねー。フィットネスやらサプリメントやら整形やらの話は出てくる余地が全くありません。(笑)

早速手にとってページをぱらぱらとめくると、まるで76年の缶詰。笑っちゃったのは、男性のモデルさん。かっこよくキメているはずなんですが、今見るとどっかのヤクザかちんぴらみたいな感じ。というか、そっちの業界の人がかたくなに70年代を守っているだけなのかも知れませんが。

基本的に男性用なので女性のモデルはあまり登場していませんが、それでも2,3ありました。フジフィルムの宣伝の女性なんか古きよき昭和時代という感じの女性モデルですが、76年と言えば証は51年です。古きよき昭和というのは30年代始めころですよね。50年代でももうすでに歴史を感じさせるのには驚きました。

この本は男のギアを扱っているので、ファッション、靴、スポーツ用品、バイク、車、オーディオ、カメラなど、オトコが好みそうなありとあらゆるモノがカタログアップされています。車やバイクなんか旧車オンパレード。パソコンなどデジタルギアはまだ登場していません。すでに見かけなくなって久しいラジカセなんかこの本のなかではカッコいいアイテムのひとつです。そうそうレコードプレイヤーもしっかりと載っています。

でも今とあまり変わっていないモノもあります。例えば、酒のボトル、オーディオアンプ、楽器なんかです。ギターはやっぱりギターのまんま。高級オーディオアンプなんか、少し古さがあってかえってカッコいいです。

多分この30年間、猛烈に日本の世の中が変化したんでしょうね。あまり変化がないように見えるものの方が実は正常な変化のような気がします。モノはこうやってカタログに凝縮されて変化を実感できますが、当然人の心とか、社会環境もモノと同じかそれ以上に変化している部分もあるはずです。この本をよく眺めて世の中を勘違いしないように心しないといけませんです、はい。

平均律のアレンジ

2006年05月18日 23時01分43秒 | 音楽系
ホピーから手紙が届きました。

来日したとき、彼を乗せた車の中で平均律ばかり聴きまくっていまして、話題はもっぱらそればかりでした。さすがに2日目の夜は飽きてきて某ギタリストのCDを聴いてましたが(笑)

「ホピー、平均律第二巻の中で、リュートがオリジナルだというプレリュードがあるらしいよ。ナントカという音楽学者の話だけど。確か7番だったかな。実際に楽譜見てみると、とてもリュートものとは思えなかったけどね。(笑)」

「ほー、それは聞いたことがなかったね。それじゃないけど、たいぶ前、自分でプレリュードをリュート用に編曲したことがあるよ。えーっと、何番だったけなぁ。第一巻だったけど・・・ね、CDを第一巻に替えてくれる?」

ということで、それまで聴いていた第二巻を第一巻に替えたら、ホピーは片っ端から自分の編曲した曲を探し始めました。

しばらくして、やっと探しました。第一巻22番変ロ短調のプレリュードです。そのとき、彼はその自分の編曲譜を送ると約束しました。その約束したタブラチュアが、美しいスイスの田園風景の絵はがきとともに同封されていました。

このプレリュードは4声ですが、リュートで4声は実際技術的にめちゃくちゃ厳しいものです。タブラチュアを見ると、当然のことですが4声になっています。うーん、こんなの弾けるのかなと思って弾いてみましたが、譜面から受ける印象よりはずっと弾きやすい感じです。もちろんオリジナルのまんまでは絶対に弾けないので、まず変ロ短調をハ短調に移調、そしていくつかの音を上手にリュートで弾けるように処理しています。

こういう処理ってやってみるとわかるんですが、すごく大変なんですよね。一つ動かすとバランスが崩れて他も動かさざるを得なくなり、しまいに収拾がつかなくなってしまいます。ホピーはものすごく考えてやったんだろうなぁ、って思いながら終わりまで弾いてみました。

もとよりホピーの処理も上手なもんですが、なによりバッハの書法のすばらしさを実感しました。おみごとの一言です。リュート曲だとバッハの曲であっても基本的には2声ですので(もうちょっと声部があるのもあるけど)、22番のように4声が濃密に動く曲はないんですよね。そのすばらしく美しい4声のポリフォニーをリュートで弾けるなんて、やっぱりいろいろやってみるもんですね。ホピーにはしっかりお礼を言っておかなくちゃ。

ポン菓子

2006年05月17日 22時37分43秒 | 日々のこと
少し前のタモリ倶楽部で、ポン菓子作り機のことをやっていました。私が子供の頃、あまり頻繁ではなかったですが、ポン菓子作り機を携えたおじさんがやってきて、私たちは自分の家から米を持っていって、それでポン菓子を作ってもらいました。いくらだったかなぁ、値段はもう覚えていませんが。私の所では、「パッカン」(桑名語ですので、例によって語尾にアクセントです。ただし「ん」にはつかないので、「カ」を高く言います)と呼んでましたね。ポン菓子と言っても懐かしさは感じませんが、パッカンというと、家の前のあそこに来ていたことがあるなぁ、なんて懐かしさがぐぐっとこみ上げて来ます。(笑)

そのパッカンですが、昨日の日経新聞にポン菓子製造機を開発された方の記事が載っていました。その方は吉村利子さんとおっしゃる方で、戦時中代用教員をされてたころ、ドイツ製の穀類膨張機のことを知ったそうです。それを自分で作ろうと、図書館で文献を探し、ついには鉄が沢山ある九州の八幡に単身行ったそうです。

苦労して、1946年に第1号機を作り量産し、特許も取ったそうです。なるほど、その機械が今から50年近く前に家の近くに来ていたわけですね。現在ではその方の息子さんたちがポン菓子機の販売を受け継いでいるそうです。タモリ倶楽部でポン菓子機製造会社の方が出てらっしゃいましたが、その方が吉村さんの息子さんというわけですね。

奇しくも同じ時期に、2つのメディアで取り上げられたポン菓子製造器。昭和20年、30年代がもう歴史になりつつあるということでしょうか。