ことしはベートヴェンの生誕250年にあたる年で、本当ならあちこちでその手の催しやらコンサートが開かれていたはずです。調べてみるといくつかはベートーヴェン祭りみたいなコンサートはありましたが、私的には全然盛り上がらない感じがしています。今年は暮れの第九の洪水も全くなくなるかも知れません。
この生誕何年とか没後何年とかで盛り上げるのは、供給側(ミュージシャンやプロモーター)がしかけるわけで、音楽愛好家にとっては生誕250年だろうが251年だろうが特に意味はないでしょう。演奏する側から言っても同じです。
コロナウィルスがそういったあまり意味のないことで盛り上げようとしている人たちをあざ笑っているのでしょうか。今年はバッハ、ヴァイスの没後270年ですが、これは誰も言っている人はいませんでした。同じ10刻みでも70ではちょっと問題があるのかも知れません。やはり50単位または100単位でないといけないようです。
この生誕キャンペーンに対して没後キャンペーンもあります。こういったキャンペーンは元々英語で言う anniversary から来ていると思われるので、生没どちらでもあるわけです。
英語の anniversay という言葉には良かったことに対する記念日だけではなくて、災害などの不幸なできごとに対しても使うことばなので、日本で言う記念日というのとは若干ニュアンスのずれがあると思います。日本語では記念ということばは「記念祝賀会」「記念品」「記念切手」のように思い出に残るいい内容のものごとに使われることの方が多いようです。
「阪神淡路大震災20周年記念」でぐぐってみますと、「記念」とつくイベントは少ないように感じます。これが「伊勢湾台風60周年記念」だとそれより多い感じがします。時間が経つと生々しさが薄れ、「記念」できるようになるのでしょうか。まぁ「阪神淡路大震災10周年記念事業」というのもありましたが。
さて作曲家の anniversary 来年は盛り上がるのでしょうか。アルビノーニが生誕350年、サン=サーンスが没後ジャスト100年、テレマン生誕340年、これはいけるのかな?実は今年がヴァイス生誕333年、気が付きませんでしたがまだ少し残っています。大して意味のないことで盛り上がっている社会の方が平和でいい世の中ですよね。
この生誕何年とか没後何年とかで盛り上げるのは、供給側(ミュージシャンやプロモーター)がしかけるわけで、音楽愛好家にとっては生誕250年だろうが251年だろうが特に意味はないでしょう。演奏する側から言っても同じです。
コロナウィルスがそういったあまり意味のないことで盛り上げようとしている人たちをあざ笑っているのでしょうか。今年はバッハ、ヴァイスの没後270年ですが、これは誰も言っている人はいませんでした。同じ10刻みでも70ではちょっと問題があるのかも知れません。やはり50単位または100単位でないといけないようです。
この生誕キャンペーンに対して没後キャンペーンもあります。こういったキャンペーンは元々英語で言う anniversary から来ていると思われるので、生没どちらでもあるわけです。
英語の anniversay という言葉には良かったことに対する記念日だけではなくて、災害などの不幸なできごとに対しても使うことばなので、日本で言う記念日というのとは若干ニュアンスのずれがあると思います。日本語では記念ということばは「記念祝賀会」「記念品」「記念切手」のように思い出に残るいい内容のものごとに使われることの方が多いようです。
「阪神淡路大震災20周年記念」でぐぐってみますと、「記念」とつくイベントは少ないように感じます。これが「伊勢湾台風60周年記念」だとそれより多い感じがします。時間が経つと生々しさが薄れ、「記念」できるようになるのでしょうか。まぁ「阪神淡路大震災10周年記念事業」というのもありましたが。
さて作曲家の anniversary 来年は盛り上がるのでしょうか。アルビノーニが生誕350年、サン=サーンスが没後ジャスト100年、テレマン生誕340年、これはいけるのかな?実は今年がヴァイス生誕333年、気が付きませんでしたがまだ少し残っています。大して意味のないことで盛り上がっている社会の方が平和でいい世の中ですよね。