リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

お茶

2005年02月28日 04時38分26秒 | 日記
一昨日スイス在住のリュート奏者、今村さんから電話がありました。
「日曜日、時間あいてます?」
「え、何で?」
「この日フライブルクにいるんやけど、帰りに寄らしてもろたらあかんやろか?」
「はい、はい、もちろんどうぞ」
ということで、夕方ころは彼が来る心づもりをしていました。(心づもりだけで、特に何もしませんけどね(笑))
なんでも彼の新しい録音の「ベータバージョン」に対する意見が欲しいみたいで、それを一緒に家で聴くというわけです。
で、夕方になったら、電話があって、
「ごめん、もうちょっとかかりそうで、夜の7時半ころになりそうです」
「ほい、ほい」
7時半過ぎになったら、
「ちょっと編集作業がトラブって、今フライブルクを出るとこ。30分くらいでそっちに着きます」
「ほーい」
ということで、結局8時過ぎに彼は家に到着。まずは、おいしいお茶でも入れて、早速「ベータバージョン」を聴きはじめました。新しいアルバムはまだ発売の日は決まっていないそうですけど、オール・ヴァイスのアルバムです。その録音についていろいろ彼は聞いてきましが、言うだけなのは楽でいいですね。話は新録音のことや他のリュート奏者の演奏との比較やら、ちょこっと横道にもそれたりして、お茶だけで3時間半以上にも及びました。彼が帰ったのが12時前。あ、そういや一緒に食べようと思って切っておいたオレンジを出すのを忘れてました。(笑)

アレンジ

2005年02月27日 04時36分43秒 | 日記
ホピーのレッスンの方は、ヴァイスが一応終わり、今バッハの作品(BWV1002)を見てもらっています。原曲は無伴奏ヴァイオリンのための作品なので、当然リュートのための編曲が必要です。なんか最近編曲ばかりしてます。(笑)レッスンは音楽的なこととともにアレンジに関する議論もしています。ホピーはこの曲を録音していますが、彼と同じようなアレンジするのは自主性がないです。(笑)結果的に彼とはかなり異なったアプローチをしています。無伴奏チェロの曲を編曲をするときもそうですけど、私はできるだけ、バッハが書いたラインをくずさず、少しだけリュート味にするって感じのスタンスです。
ホピーの編曲も見せてもらいました。なかなか弾きやすく出来ていて、まねしようかなという気になりかけましたが、思いとどまりました。1002番の原曲はロ短調ですが、彼は、原調版、ハ短調版も作っていて、結局イ短調に落ち着いたようです。その鉛筆で書いたイ短調版の草稿の一番最後に、「1985年ケルンに向かう列車にて」とありました。なんか感動的でしたね。

ジョスカン(続き)

2005年02月26日 01時55分42秒 | 日記
ボブの部屋に行ったら、めずらしく彼の方が先に来ていました。いつもは私の方が少し早く部屋に入っていることが多いんですけどね。休み明け最初のレッスンですので、しばらくは四方山話。話しついでに、マクロフィルムをプリントしてくれるところを場所を聞いておきました。こういうのって、みんなあまりしないみたいで、情報を知っている人は少ないです。彼によると専門の店もあるらしいけど、値段が高く、大学の図書館がいいということでその場所を教えてもらいました。でも自分でやって、1枚1フラン、うーんこれでも充分高いけどなぁ。
で、例のジョスカンですけど、例の編曲困難箇所は、彼自身は結構まともに取り組んだらしく、まったくごまかしなしのガチンコ編曲をやっていました。やっぱりそうか・・・オクターブあげて弾けるようにする可能性なども議論しましたが、結局また別の調に移調(ボブは原調でやってました)し直すことにしました。途中からアグニエスツカ(ポーランド人の歌手)に入ってもらって、ドイツの15世紀の作品の演奏を見てもらいました。この頃の声楽作品のリュート伴奏を作るのもボブのレッスンの課題の一つです。彼女にはいつも無理を言って来てもらってます。

ジョスカン

2005年02月25日 02時22分28秒 | 日記
ジョスカンのファンタジア、リュートソロ用になおしてみたんですけど、難しいですね。始めは原曲と同じ調でやってみたんですけど、最低音を見てみたら、5コースまでしかいらないことが分かったので、4度下の調に急遽変更。ジャンゴというソフトで書いているので、そのままコンピュータの方で移調して・・・とも思ったんですが、どうせポジションの問題なんかが出てくるから、書き直した方が早いんじゃないかと考えて、せっかく10小節くらいなおしたのをボツにしてやり直し。
で、一応作ったんですけど、この前までやっていたタンデルナーケンという曲よりは易しく弾ける感じです。でもどうしても弾けない部分が2カ所、うち1カ所は鍵盤でも完全には難しいですね。というのは、同じ音域で3つのパートが動きまくるところですから。このあたりを同リュート的に処理するか(ようするにどうごまかすかと言うことですが・・・)は明日からのレッスンでのボブとの議論で見えてくるでしょう、多分。

なぜか・・・

2005年02月24日 04時44分42秒 | 日記
スコラに行くときは大体最短ルートを通るときが多いです。。このルートは交通量の多い道の歩道を通るのでイマイチですけど、急いでいるときに背に腹はかえられません。いろんなルートが開拓(笑)されていまして、完全平坦路コースなんかもあります。バーゼルは結構坂道が多いんですよね。時間に少しゆとりがある時は駅を抜けてまっすぐ行き、エリザベーテン通りを通って繁華街を抜けてスコラに行きます。先日もこのルート通ってスコラに行きました。バーフュサ広場をかすめて、ゆるい上り坂を歩いていてスコラまであと2,3分というところでふと気が付きました。道の左側は10メートルくらいの壁面になっていてそこに蔦が生えているんですが、青い葉があるんですね。何回か冬になってからも何回かこの道を通りましたが、ぼーっと歩いていたせいか気がつきませんでした。確か去年の今頃は葉が全ておちていて、やっぱり冬だな、早く春よこいこい、なんて思ってたことを覚えています。今年は異変でバーゼルの全ての蔦が全て葉がついているのでは、と思い、帰りは「最短ルート」を通ってみました。ここにも一カ所蔦に覆われた壁があります。すると何とここは葉が全て落ちて春を待っています。うーん、どうしてだろ。蔦の品種が違うか、それともなんかの異変の前触れか。(笑)

リュートとの出会い (3)

2005年02月23日 09時28分24秒 | 随想
 高校に入ってからは音楽への関心が両極に広がりはじめたようで、かたや現代音楽、かたや古楽(その当時はまだ「古楽」ということばも概念も存在していなかったが)という、それは当時の高校生としては風変わりな音楽的嗜好だった。武満徹のミュージックコンクレートをFMラジオで初めて聴き驚いたのもそのころだったし、ラジオの八幡製鉄コンサートで黛敏郎の新作「舞楽」や「Bunraku」に心をときめかせたのもそのころだ。しかしなぜか徐々に古い音楽の方に徐々に舵をとり始めていったのは、私の家にピアノがなかったことと関係あるような気もするがはっきりはわからない。

リュートとの出会い (2)

2005年02月22日 04時46分58秒 | 随想
 その当時はいわゆるギターブームの頃で、クラシック・ギターを勉強する環境としては悪くなかったと思う。玉石混淆であったにせよ、地方の小都市の楽器屋でも、楽器はもちろんのこといろんな楽譜やレコードが手に入った。確かギター専門誌「現代ギター」が創刊されたのもその頃だったと思う。ギターのレパートリーにはリュート曲の編曲が結構あり、私はそれらに関心を持つようになった。ただ、いきなりリュートの音楽にのめり込んだのかというと別にそんなわけではなく、なんとなくよさそうなものがある、といった程度の認識だったように思う。それよりギター始めたばかりの私は上手くなりたいという気持ちが強く、カルカッシギター教本の曲を練習したりいろんな楽譜を買い集めてつまみ食いよろしく弾いていたものだ。

今夜は・・・

2005年02月21日 00時07分55秒 | 日記
今日のおかずはキムチ鍋。桃屋のキムチ鍋の元が偶然発見されたので、急遽いつものスープから変更です。確か去年の夏に娘が来たときに持ってきたものだと思うんですけど、全部食べたと思いこんでいたんですね。キムチということで、偶然昨日買った大根を少し多めに入れてっと。白菜を昨日買っておけばよかったですね。白菜はこっちではChinakohl(直訳すると中国キャベツ)といいますが、キャベツとは全然違いますよね。一般のドイツ語ではキャベツはKohlのようですが、スーパーで探してみてキャベツに見えるものは、Weisskabisと書いてあります。で、Kohlはなんか白菜がでかくなった感じの野菜です。ややこしいですね。
で、鍋に戻りますが、桃屋のキムチ鍋を慎重に鍋に入れていきまして、味見です。一瓶で2回くらいはキムチ鍋ができると思っていたんですが、どうも水くさい感じです。ラベルの「作り方」をよく読んでみると、結局一瓶まるごと使わなくてはいけないようで、一気に惜しげもなく全量投入。
今弱火で煮た立ているところです。部屋中がキムチのにおいでむせかえるようで。(笑)リュートもキムチ風味になったりして。もうそろそろです。それでは。

きれいさっぱり

2005年02月20日 05時37分07秒 | 日記
街を歩いてみましたら、あのFasnachtのときの喧噪はもうどっかに行ってしまって、いつもの街に戻っていました。でも道をよく見てみると、あのとき道を覆い尽くしていた紙吹雪がところどころアスファルトにへばりついています。今年は雨や雪が降っていたので特に道にくっつきやすかったのかな。掃除の人も大変だったんでしょうね。公園の芝の上にも建物の隅いたるところにまだ祭りの跡が見られます。そういや今日部屋のカーペットを見たら紙吹雪が3枚へばりついていました。服についたものが落ちたんでしょう。たぶんバーゼルの家という家には必ず何枚かは落ちているんでしょうね。まだ祭りの余韻が感じられて「あとの祭り」というのもいいものです。

アーチャウ

2005年02月19日 03時26分49秒 | 日記
アーチャウというのは家の近所にあるアジア食材の店です。正しくは亜洲兄弟貿易公司といいます。ここではおもに東南アジア系のものがいろいろ手に入ります。日本のものも少し売っていて、こっち系のスーパーで買うより安くておいしいですね。こっちでの主食は米ですが、アーチャウで買うタイ産のジャスミン・ライスを食べてます。これを圧力釜で炊くと日本の秋田こまちかおまけの芳香美味ですよ。昔、米が不作でタイ米を混ぜて売っていて、あれでタイ米はまずいとかインディカ米はまずいというふうに信じ切ってしまったですけど、あの緊急輸入したタイ米はひょっとしたら、タイ米の中でもそんなに上等のものじゃなかったかもしれませんね。さらにそれを日本産の古米とまぜたとしたら、それはまずいに決まってますよね。
あと、アーチャウでは冷凍エビとかいろんな乾物とかスープのベースがあり、いまや我が家(ってひとりですけど)の食卓には欠かせない存在ですね。商売はもうかっているみたいで、最近道の向かい側の新しくできたテナントにお店を引っ越しました。売り場の面積が3倍くらいになったんですが、種類はあまり増えていない、つまり在庫過剰なんじゃないかなって感じはするんですけど、彼らのことだからきっと上手くやっていくんでしょう。