リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

外国語の日本語表記(2)

2019年09月30日 12時53分52秒 | 日々のこと
ところが、外国語の日本語表記を人工的に替えてしまった事例も実はあるようです。韓国の政治の話題でワイドショーなんかは持ちきりです。韓国の人の名前は漢字で表記できますが、その読み方は韓国の大統領でいうと全斗煥大統領までは「ゼントカン」大統領と日本語の音読みでした。ところが全斗煥大統領の後半くらいからチョンドハン大統領になり以降ずっと韓国語の読み方をベースにしています。

どうしてそうなったのでしょうかねぇ。聞きかじりでは、なんとかという韓国人の牧師さんがご自分の名前の読み方について訴えを起こして勝訴し、それがきっかけでマスコミはこぞって韓国人・朝鮮人の名前の感じそれまでの読み音読みから原語に近い発音に替えたそうです。全斗煥大統領は1980年~1988年の在任でしたが、ちょうど慰安婦問題が起こってきた頃です。あの吉田清治証言がこの前後、そしてそれを朝日新聞が取り上げたのが80年代前半です。

日教組組合員が大勢を占める学校で、君が代・日の丸排斥の動きが出て来たのもちょうどこのころ。私が小中学生時代は毎週の朝礼では国旗掲揚、卒業式では君が代を歌い日の丸が式場に掲げられていました。(私の母校は日教組組合員が大勢を占める学校でした)

靖国神社参拝がよその国から問題視されたのが1985年の中曽根首相のとき。70年代中頃から歴代首相は参拝していましたが、何も言われなかったそうです。(ウィキペディア)

なんかもうやって並べてみると、単に読み方が変わったことだけでなく、今近隣諸国と今も問題になって諸事項がこの次期を発端としておきていることがわかります。なんか日本の中に工作員がいて活動しているみたい・・・

私が小さいときのテレビのニュース(まだテレビを買ったばかりの頃でした)リ・ラインというのをよく耳にしました。李承晩ラインですね。北朝鮮の首席はキンニッセイ、韓国にはボクセイキ大統領がいました。中国人の読み方は今でもトウショウヘイ、シューキンペイですが、最近のいくつかの新聞では、なぜか中国語由来のデンシャオピン、シージンピンとルビが振ってあります。

自分の国の言語では、外国語の固有名詞はその国の言語的習慣によるものが普通で、日本でもそれこそ建国以来1980年前後まではそうでした。フランスの首都Parisは英語ではsの字を発音しますし、rも英語式です。スイスではバーゼルでもフランスではバールです。よそからとやかく言われる筋合いはありません。

「平」という字は日本語ではヘイ、ヒョウ、タイら、ですが、ここへピンとピョンが加わって最近では5種類もあります。このピンとピョンは減らしたいところです。

北京はペキン、今の発音ではベイジンらしいですが、南京はナンキン、でも重慶はジュウケイ、慶安はケイアンで不統一です。韓国の首都はソウルですが、北朝鮮は平壌ヘイジョウと子供の頃は言っていました。日本と関係が特に深い土地は現地語読みですが他の都市は感じの音読みという感じですが、長い時間をかけて自然に定着していったみたいです。
前エントリーのビルヂング、カンツリー、カントリー、クリスマスツリーみたいに自然に時間をかけて定着してき、あとで見るとちょっと統一感がないなというくらいがちょうどいいのだと思います。何かウラに大きな力を感じさせるような動きはよくありません。

外国語の日本語表記(1)

2019年09月28日 11時47分15秒 | 日々のこと
伊勢湾台風から60年が経過しましたが、名古屋市も大変な被害を受けました。その被害からの復興を込めて建築されたのが、名古屋駅前の大名古屋ビルヂングだそうです。

2016年に建て替えられましたが、看板はオリジナルと同じ大名古屋「ビルヂング」のままです。当時はまだ英語の [di] とか [ti] の発音を日本語でどう表記するかは揺れていたのだと思います。英語の building の[di]音に一番近い感じの日本語音は何か、と考えて見いだされたのが「ヂ」でした。ですので、ビルヂング。PTA も「ピーチーエー」と言っていました。

多分ネイティブの英語を聞いて一番近い音を表す文字を選んだのでしょう。実際、ディとヂとでどちらが[di]
に近いかというとヂの方です。英語の[d][t]の子音の発音は、破裂を伴った息の音である気息音が特徴です。これは日本語にないものですが、ヂとかツは英語ほどは強くないですが、気息音の一種です。

ですから、昔はゴルフ場を○○カンツリー倶楽部なんて言っていました。クリスマスツリーもそうですね。ところがカンツリー倶楽部はカントリークラブになりましたが、なぜかクリスマストリーにはなっていません。不思議な話です。

四日市市の国道23号線を走っていると「ヂンダ倉庫」と書かれた大きな建物が見えます。その倉庫の社長は多分仁田さんか陣田さんなのでしょう。ふつうにカタカナで書くと「ジンダ倉庫」ですが、看板として見ると濁点が見落とされるかも知れず、そうなるとシンダ=死んだ!?となるので「ヂンダ」にしたのでしょう。一種の験担ぎみたいなものかも知れません。同じ「ヂ」でも大名古屋ビルヂングとは異なる由来なのでしょう。

昨日某ギター専門誌をパラパラめくっていましたら、コンサートの宣伝で、○○ドゥエットの夕べというのがありました。多くはデュエットと書く方が多いようですが少し混乱があるのかも。ドイツの文豪Götheも昔はゴエテとかギョエテとか色んな書き方があったようで、「ギョエテとはオレのことかとゲーテいい」という狂歌もあったとか。

外国語の音をどうカタカナやひらがなで表記するのはとても悩ましい問題です。テレマンとかフォンタナなんかはアクセントに伴って伸びる音があるので、本当はテーレマン、フォンターナの方が近いです。ホルボーンとかメルボルンもホルボン、メルボンの方が原音に近いです。でももう既に定着しているので、テーレマン作曲のソナタなんとかなんていうと少しペダンティックな臭いが鼻につきます。

まぁこういうのは結果的に不統一感があっても、自然と定着したものを使うのが一番いいようです。不統一になってしまった結果を見て、これって変だよねー、でもまぁいいかってところが一番平和でしょう。


griffe = stop = gripe?

2019年09月27日 23時03分19秒 | 音楽系
R. ダウランドのA VARIETIE OF LUTE-lessons に出てくることばで、リュートとは直接関係のなさそうなもので分からないものがありました。

ざっと読んだときには、oyle of Tartar がよく分かりませんでした。Tatarといのはワインの瓶や樽の底にたまる結晶状の物質ですが、それのoyle=oil油とは?

何軒かのワイナリーに電話して聞いてみても、それを使って指先がすべすべになるようなものではないという返事でした。でもOEDにはあっさりと答えが出ていて、無事解決。(6ページの注)(笑)

もう一つわからないことばは、griffe です。いえ、それ自体は、押弦とか押弦の型といういう意味です。本文にもそう書いてあります。(8ページ)でもなぜそういうかの確証を得たいのです。

griffe をOEDで調べて見ますと、

A claw-shaped ornament carved at the angle of the square base of a column
円柱の根元の四角い礎石の角に彫られた爪状の装飾

とあります。ぐぐってみましたら、こんなような図は見つかりました。



多分は虫類みたいなものの位置に爪状の装飾があるんでしょうけど、それがリュートの左手が弦を押さえる型みたいのものはありせんでした。OEDに図版を付けていてくれたら解決したでしょうけど。どっかでそういうの見たことある方はいらっしゃいませんか?


昔と今(2)

2019年09月25日 23時27分44秒 | 日々のこと
60年くらい前と今の比較のつづきです。

話は変わって今度は災害の話。今年の今のところは当地では台風の被害はありませんが、伊勢湾台風では大きな被害が出ました。それと同じくらいの台風が襲って来たら、多分昔より被害が大きくなるのではないでしょうか。当時もかなり長期間停電していましたが、電気冷蔵庫はないし、テレビはまだ少なく、主な電気製品は電灯とラジオくらいだったでしょうか。もちろんスマホもPCもありません。エアコンもありません。夏はカヤを吊って窓は全開で寝ていました。

当時多くの家は、基礎がセメントで張られていませんでした。土のままでしたので、床下浸水程度だったら家屋に浸水した水が引いたらとりあえず終わり。大半の道路も舗装されていなかったので、道にしみこんだり泥が上に重なったりで、今よりは後始末が楽だったはず。自動車は普及していなかったので、浸水した水に油分が混じることは少なかったでしょう。ただ糞尿はそうとう混じっていたはずで、感染症のリスクはかなりあったと思います。

街の生活はどうでしょうか。現代は車で何でも売っているスーパーにお買い物ができるのでとっても便利、かも知れませんが、昔はウチに魚屋さんが今日のお薦めを伝えに来て、注文すれば持ってきてくれました。支払いも現金は不要。カード払いではもちろんなく、「つけ」です。八百屋さんも同じことをしていました。朝7時頃には、赤須賀(桑名の漁師町)の子供が「し~じみ~ど~ぉですか~」なんて歌いながら自転車に乗ってしじみを売りにきました。とれたて新鮮しじみで朝の味噌汁です。ウチから半径200メートル以内で生活に必要なものをほとんど買うことができました。自転車屋さん、ラジオ屋さんもありましたよ。

今は食料品を買おうと思うと、約800メートルさきのア○タまで行かなくてはなりません。車だとすぐですが、歩くとなると800メートルというのは微妙に遠いです。運動にはいいかも知れませんが。

こうやって比較してみると、エレクトロニクスやITの発達を享受している現代社会はとても便利な反面、電気に一極依存しているのでそれが供給されなくなるとえらいことになります。昔はないならないでそれなりに便利になるように考えられていたし、一極依存しているものがなかったのでその分だけは強いということですね。


バロック音楽の旅13第1回講座

2019年09月23日 13時44分22秒 | 音楽系
バロック音楽の旅13第1回講座が終了致しました。

この講座は桑名市教育会との共催で、くわな市民大学「市民企画講座」認定講座です。早いもので今年で13年目を迎えます。最初はレクチャー中心でしたが、コンサートの充実を図り今では全国各地から有能な演奏家を招いてコンサートを行っています。



年間6回ある講座のうち、第1回目と第2回目はレクチャー、その第1回でした。いつものようにパワポで説明文、写真、音源を提示しながら進めていきました。ここ10何年か前からプロジェクタの扱いはとても楽になり、HDMIケーブル一本で画像も音声も接続できるのでありがたいものです。D-sub(VGA)とRCAピンケーブルでプロジェクタとアンプにそれぞれつないでいた頃に比べると雲泥の差です。それとパソコンのコントロール(=パワポのコントロール)は、無線接続のマウス、これも昔に比べると大進歩。以前ナントカ学会の発表で、某大学の某先生は20mくらいの長さのVGAケーブルを使ってらっしゃいました。聞けば自前だそうで、相当高価だと伺いました。ちょっとした笑い話になりそうな話です。

でも便利になった現代でも、一旦どこかが故障するとなかなか大変。昨日はプロジェクタの画像が突然消えてしまうというアクシデントにみまわれました。プレゼンの最中でなかったのが不幸中の幸いでしたが、開演の1分前になっても復旧できませんでした。

ホールの係の方に復旧をまかせて、とりあえずパワポの画像なしで進めることにしました。レクチャーはパワポのプレゼンを前提に組み立てられているので、なかなか大変です。しばらくは音源なしのプレゼンが続くのでなんとかなると思っていましたが、途中から音楽の例示が出てきます。さすがにクチ三味線では無理なので、どうやって乗り切ろうかと考えながらやっていましら、復旧したと係の方から声をかけていただいたので一安心。上の写真は、ちょうど復旧したところです。

実はリハーサルのときにも一度画像が落ちて、その時はすぐに復旧できたのですが、2度あることは3度あるというデンで行くと、かなり可能性はありそうだと終わりまでヒヤヒヤでしたが、なんとか最後まで無事でした。

次回もプレゼンをしますが、そのときにはなんとかしておいてほしいものだと思います。次回は10月20日(日)13時、於くわなメディアライブ、第2回からの参加も可能です。桑名市市民以外の方で参加できます。

名古屋ギターコンクール

2019年09月22日 11時07分52秒 | 音楽系
第27回名古屋ギターコンクールを聴きに行って来ました。会場はヤマハホール、以前は電気文化会館で開催されていたのですが、2年程前から会場がここに変わりました。

このギターコンクールは3回程審査員をさせてもらったことがあります。もう6,7年前のことでしょうか。それ以降あまり聴いていないので、今回久しぶりに聴くのが楽しみでした。

このコンクールは中部日本ギター協会が主催しているのですが、担当の役員の方々もずいぶん変わられて若返った感じです。一人目から順に自分なりに採点していきました。コンクールの結果は私の採点と概ね同じ方向で、順当な結果だったと思います。

一位はイタリア出身のフラヴィオ・ナッティでした。彼の演奏は確かな技術と音楽性を併せ持つ高いレベルのものでした。彼は友人のダミアーニと一緒に来ていて、打ち上げでいろいろお話をしている中、ダミアーニが何と桑名に住んでいるとのこと。


左がダミアーニ、右がフラヴィオ

桑名のどこかと尋ねると、諸戸邸の近くとのこと。1年程まえから桑名に住んでいるそうです。更にいろいろ話を聞いていると、お二人とも私の友人のロザーリオ・コンテ(バーゼルで一緒に勉強していた人です)をとてもよく知っているなど共通の知人、話題が多くてお話がとても盛り上がりました。

ダミアーニは桑名市の広報で、六華苑のコンサート(10月27日、横浜在住のオーボエの大山有里子さんとご一緒させていただきます)でリュートを演奏する人がいるのを知ったが、桑名にリュートを弾く人がいるんだ、なんて思っていたそうです。

その目の前に本人がいるのでとても驚いていました。しかし奇遇ですねぇ。世間は狭いものです。帰りは、フラヴィオの優勝賞品(とても沢山もらったので、ひとりで持ちきれません)を車に積んでダミアーニを桑名まで乗せていきました。途中高速道路が事故で入ることができませんでしたので、のんびり下道を通っていきました。

彼のマンションまで荷物を運ぶのを手伝いました。彼の住まいは階段から右に曲がり、2つ目の部屋でしたが、自宅に戻ってからわかったのですが、同じフロアの1つ目の部屋に実は家内がお花をときどき習いにいってます。ウーム、これはなかなかない縁ですねぇ。そうそうフラヴィオは写真家なので、近いうちにプロフィル用の写真を撮ってもらおうかと思っています。


やっと涼しくなりました

2019年09月20日 11時46分44秒 | 日々のこと
今朝9時過ぎ、居間の気温が25度でした。道理で涼しかったはずです。この涼しさ、いつ頃以来か調べて見ましたら、なんと6月17日以来です。

6月17日以降今に至るまで朝の気温は1度たりとも25度を下回ったことはありませんでしたので、約三ヶ月ぶりなんですね。6月17日以前も、25度を上回って30度を超えたり(5月26日のリサイタルの日は真夏の暑さでした!)になったり、反対にぐっと涼しくなったりという時期が一ヶ月くらいはありました。これからしばらくは何回か少し暑い日があったり、涼しくなったりを繰り返して本格的な秋を迎えます。

昨年だったか一昨年だったか、異様に残暑が厳しく、というか夏が長く続いたという感じでしたが、ある日ぐっと涼しくなり、一気に晩秋か初冬といった方がいいような季候になったときがありました。それに比べると今年は典型的な季節の変化が感じられます。

来週の9月26日は、伊勢湾台風が当地を襲って60年目にあたります。私はときどき城南干拓地の海側にある温泉に行くことがあるのですが、そのあたりは桑名市内でも特に大きな被害を受けたところです。その温泉のすぐそばに伊勢湾台風殉難者の慰霊碑があります。10年くらい前までは、創設当時と変わらないくらいきれいな純白の碑がそこにあり、新しいお花も備えられていました。ところがいつごろからか、草は生え放題になり純白の碑も剥げ落ちきており、お花もないようになりました。管理されている方が高齢になられて手が回らなくなったのでしょうか。月日が経ってしまったということを思い知らされます。

これから10月初めくらいまでは台風のシーズンです。巨大台風が襲ってこないよう祈るばかりです。今台風17号が様子をうかがっていますが、とりあえず今度の日曜日9月22日、バロック音楽の旅13講座第1回の日は直接の襲来はなさそうです。

昔と今(1)

2019年09月18日 14時19分57秒 | 日々のこと
現在ロバート・ダウランドのVarietie of lute-lessons の理論編翻訳に取り組んでいますが、底本にしているのが、ショット社からファクシミリとして出版されているものです。この翻訳シリーズの最初の方にも書きましたが、10代の終わり頃ササヤ書店で購入したものです。

当時ファクシミリはほとんど出版されておらず、貴重な一冊だったわけです。では他はどうしたかというと、直接博物館や図書館に手紙を出して、マイクロフィルムコピーを購入していました。

一番始めに照会したのは大英博物館(途中から楽譜の管理は大英図書館に移管)でした。住所がわからないので、(今ならググればすぐわかりますが)なんと宛先は、British Museum England だけでした。これで普通に届きました。それ以降は向こうから送ってくるものに住所が書かれているので、それを宛先に書きました。

大英博物館には、リュート関係の所蔵目録を送ってもらい、それを見てマイクロフィルムコピー注文していました。

あとふたつ当時でもできる方法がありました。ひとつは学術的な曲集を買ってその巻末に書かれているソースリストに従って注文する方法。もうひとつは、リュート関連の歴史的楽譜資料一覧である、エルンスト・ポールマン著の「リュート・テオルボ・キタローネ」を見て、当該楽譜が所蔵されている図書館なり博物館に照会するという方法。

これで現在使っている楽譜の8割くらいは集め、現在も使っています。これをやったのが20代の始めですから、そのときに実に一生分に近い楽譜を集めたわけです。(笑)

もう50年近い前ですが、意外と何でも手に入ったでしょ?手に入るか入らないかという点で言えば、ネット時代の今とそう変わりません。場合によっては今の方が面倒くさいときもあります。最近大英図書館のサイトを見てアカウントを作ったんですが、なかなか面倒くさかったです。昔の、「British Museum England」の方がはるかに簡単です。

でも楽譜をPDFでいただける昨今は、昔に比べると驚異的ともいえる程便利かつ経済的になりました。これは大進歩です。

今ならPDFの楽譜をクラウドに上げて、iPadで読めばあっという間に閲覧できますが、昔は、マイクロフィルムから現像して、水洗いして、乾燥して、製本してという過程が必要でした。閲覧だけでしたらマイクロフィルムリーダーでできましたが、大学の図書館レベルのところにしかそれはありませんでした。あとものすごくお金があれば、ゼロックスコピーという手はありましたが、一般庶民ができることではありませんでした。

オランダの貴族の流れをくむリュート奏者は、ゴーディエのマイクロフィルムをゼロックスコピーでロール状にしてあるものを持っていましたが、それを見せてもらったときに少し目眩がしたものでした。

ガット or not? (4)

2019年09月16日 14時45分25秒 | 音楽系
さて、色んな素材があるリュート弦、どんな弦を張ればいいのでしょうか。いくつかパターンをご紹介したいと思います。

パターン1:ガット系
1~5コース→プレーンガット
6~13コース→バス弦にピストイ、トレブル弦にプレーンガット
{コメント}全部このパターンで揃えると10万くらいかかる。ピストイの性能があと一歩。


パターン2:合成樹脂+ガット系
パターン1のバス弦にピストイ弦の替わりにローデドナイルガットを使う。
{コメント}パターン1よりは遙かに安価。(ピストイ弦が高価)ローデドナイルガット弦はバス弦用だが、4.5kg以上のテンションにしないこと。3kg弱かそれ以下で使う。ただ1年くらいたって切れることもたまにあるので、1年くらいで弦は交換した方がよい。


パターン3:合成樹脂系
1~5コース→ナイルガット
6~13コース→バス弦にローデドナイルガット、トレブルはナイルガット
{コメント}1コースのナイルガットはあまり細いものを使うと切れやすいので、1コースだけナイロンにするとよい。


パターン4:合成樹脂系
パターン3の4~13コースのナイルガットの替わりにフロロカーボンを使う。
{コメント}パターン3より少し明るい音。太いナイルガット弦の温度感受性の問題を解消。


パターン5:合成樹脂系
1~2コース→ナイロン
3~5コース→ナイルガット
6~13コース→金属巻き弦とナイルガットの組み合わせ


ざっくりこんなところですか。ややこしいですねぇ・・・それぞれのパターンもまだヴァリエーションが考えられるし。

パターン1~5の順で音は明るくなります。ちなみに私はパターン4です。パターン4までのバスは音の減衰時間が短いですが、パターン5はバスが金属巻き線なので、他のパターンの3倍近く減衰時間が長くなります。バロックリュートの時代のバスは、今の巻き弦はまだ使われていないので、メイスのいうピストイなどといったガット系の弦です。バロック・リュートのバス弦の減衰時間が長すぎると音が濁ります。消音すればいいですけど技術的難易度は上がります。かといってガット系やローデドナイルガットのバスは全然消音しなくてもよいというわけではありません。多少は必要ですけど、金属巻き弦に比べたらぐっと減ります。

ガット系でお薦めはパターン2、合成樹脂系でお薦めはパターン3、より安定性を求めるなら4です。現状の弦の性能、経済性などを考慮するとこんなところだと思います。

ここまでは(って長々と書きましたが)実は弦の素材の話です。素材的なパターンが決まったら、次に各コースをどのくらいの張力で張るのかというのがとても重要です。ここからの方がむしろ重要かも知れません。はい、あくまでもリュートは面倒くさいのです。

今後も弦の新しい素材や製法には目が離せません。合成樹脂系では、数年前にクレハから太い(最大直径2ミリくらい)フロロカーボン釣り糸がでました。釣り糸にしては非常に沢山のゲージが出ていますので、リュートとかハープに使うことができます。また3年近く前にアキラ社から低音域用のローデドナイルガット弦が登場しました。ガットでは、既述のように6,7年前に耐久度の高い牛のガットが出て来ました。歴史的には馬やロバのガットもあったようです。そのうちどこかの貴族の蔵から大量に昔の弦が発見されて、バス系のガット弦の製法が格段に飛躍するかも知れないし、今までにない化学組成の弦が現れるかもしれません。いずれにせよ鉄板の弦選択が出てくるのはまだ何年も先だと思います。

ガット or not? (3)

2019年09月14日 18時20分22秒 | 音楽系
さてリュート界では次のような信仰をお持ちの方がここ何年かで登場しています。少数だとはいえ、他のジャンルのアマチュアにはない傾向だと言えます。

信仰例:

リュートはガット弦を張ってこそリュートと言える。合成樹脂弦を張るのは邪道だ。ガット弦の深い音、これは到底合成樹脂弦では達成しえない。(とおっしゃる割には高音弦はケバケバのまま使用しているので、音はボコボコ、バス弦は音はあまり出ずボッソンボッソンの音、音程も悪い、でもこういうのこそがリュートなんだと信じ込んでいる)そして信仰が深すぎるあまり、ナイロン弦を使っている某演奏家のCDをガット弦を使っていると信じ込んで人に宣伝したり、場合によっては、合成樹脂弦を使っている人を見下したりする。合成樹脂弦の選択の可能性に関しては全く聞く耳を持たない。

確かにトレブルガット弦の音はすばらしいです。この点にかんしては異論はありません。温かみ、深みがありふくよかでタッチに対するレスポンスも合成樹脂弦よりよろしい。でもまずその前に、まずはきちんときれいなタッチで弾けるようにしたいものです。合成樹脂弦も種類と楽器とのマッチングと弾き方によってはかなりいい音は出せ捨てがたいものです。

さて、本シリーズの冒頭にも書きましたように、弦の「戦国時代」を迎えているリュート界では、プロはどんな弦を使っているのでしょうか。名前は伏せて知っている限り書いてみましょう。

Aプロ:ここ40年くらい変わらずピラミッド製巻き弦とナイロンの組み合わせ。低音の巻き弦による音のにごりは驚異的な技術によりカバーしている。最近楽器によってはフロロカーボンを多用している。

Bプロ:以前バス弦にギンプ弦を使って、ヴァイスを録音。楽器は古い時代のものを修復したもの。でも満足していなかったのか、次のヴァイスのCDでは現代製の楽器に金属巻き弦とナイロン弦を張った楽器を使用。そしてその次のまたヴァイスのCDでは、古い時代の修復楽器とガット弦、ただしバス弦は金属巻き弦にある種のワックスを塗って音が超丸くなるようにしたものを使用。

Cプロ:昔のバロックリュート奏者と同じようにブリッジの近くで弾くべきだと考えていて、そうするといい音がなるような楽器を製作家に作らせたいと語っているが、実際は合成樹脂弦と金属巻き弦を使っている。

Dプロ:合成樹脂弦、金属巻き弦を使ってバッハなどの録音が沢山あるが、近年はフロロカーボンをバス弦に使い、最近ではそれをローデドナイルガットに替えてコンサートをしている。

Eプロ:今も昔も合成樹脂弦と金属巻き弦を使う。コンアートツアーが多いので、これしか選択肢はないとおっしゃる。ただ近隣で行うコンサートではガット弦を使うこともありFプロによくアドヴァイスをもらうとか。

Fプロ:30年くらい前までは右手の爪を使い合成樹脂弦と金属巻き弦を使っていたが、修復楽器入手後はガット弦に変更。バス弦は最初はギンプ弦を使っていたが、「それは失敗だった」(本人談)ので現在はピストイ弦を使う。コンサートでもガット弦を使う。

Gプロ:レッスンなどではガット弦を薦めるが、テオルボなどで通奏低音をするときは合成樹脂弦のお世話になる。ある意味ガット弦の難しさをよく知っている。

Hプロ:理系の才能もある人だが、最近の録音ではガット弦を使ってバッハを録音している。

Iプロ:バスにフロロカーボン弦を張ったドイツテオルボでCDを録音、それ以前は合成樹脂弦、金属巻き弦でライブをしている。


といったところでしょうか。なかなか多彩です。合成樹脂弦もナイロン、ナイルガット、フロロカーボン、ローデドナイルガットがあり、同じナイロンでもデュポン社と東レ社とは音が異なります。40年近く前に細いフロロカーボンを高音弦用に使い出したのが多様化の走りだと思います。

ガット弦も中高音用は実用的になったとはいえ、1コース用に関してあと一歩の実用性がほしいところです。バス弦に関してはまだまだトマス・メイスが言っているような弦には届いてはいないと思います。合成樹脂弦もとても多彩です。それぞれ実際に試して一番気に入ったのを選ぶのが一番いいでしょうけど、なかなかそうも行かないかもしれません。決定打はまだないという認識の元で、いくつか代表的なパターン(バロック・リュートの場合)を示してみますので、自分の好みに合わせて選んでみるといいかもしれません。

次回最終回に続く