リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

リュートのテクニックはなぜ必要なのか(2)

2023年06月30日 19時08分38秒 | 音楽系
著名な演奏家のマスタークラスに参加したら「目」を凝らすのではなく「耳」を凝らすものです。技術もさることながら音楽性を彼らから学ぶのが一番重要なことです。

テクニックに関することは詳しいとおっしゃる方の演奏を聴いてみますと肝心のメロディラインがプツプツきれているとか、バスと上声部のバランスがまったく取れていないといったことがよくあります。あるいはよたりまくっている場合なんかも。

テクニック的なことに苦労する人が多い中、最初から右手も左手もとてもよく動くので自信たっぷりの人もいます。でも多く場合指が速く動いているだけで、声部はつながらず音そのものも出ていないという演奏が多いです。こういう人は自分は上手いと思っているだけにちょっと始末が悪い。

You Tubeにこんなのがありました。
何という曲でしょう

手は確かによく動いていましたのでテクニックには自信があるのかも知れませんが・・・

ある程度のテクニカルなことをとりあえず身に着けたら次は自分の演奏をしっかりと聴きながら弾けるようにすることがとても重要です。まずはひとつひとつの音がしっかりとつながりレガートになっているかどうかを目標とすべきです。こういうことをしているとせっかく身に着けた指の形がくずれてしまったらどうするの?と心配する向きもあるでしょう。

それは心配する必要はありません。まず音がきちんとつながって弾けること(音楽的に演奏する第一歩です)が最優先。仮にテクニック的なことを全く教わらず足の指で弾いていても音楽的に弾けていれば取り合えずオーケーです。でも足の指ではどうしてもうまく行かないことが分かってきますから今度は手の指で弾いてみようということになりそのほうがずっとうまく弾けるということが分かってきます。

リュートのテクニックはなぜ必要なのか(1)

2023年06月29日 13時39分46秒 | 音楽系
リュートを弾いているからには少しでも上手くなりたいと思うのは当然で、皆さん技術的な探求に余念がありません。ルネサンス・リュートならいかにフィゲタを弾くか、バロック・リュートならいかにバス弦を弾く親指を使うかなんかがテーマになるでしょう。これはプロもアマも同じ。私の師匠も絶えず技術的なことは探求されていて、レッスンのときフォームが微妙に異なる昔の写真を見せると「これは昔の弾き方だ」なんて仰ることもありました。

ただここではプロとアマは分けて考え、論点をアマの場合のみに絞ってみましょう。レッスンをしていると「フィゲタはどのように指を使ったらいいのですか」とか「バロックのバス弦を弾くテクニックを教えてください」などとよく尋ねられます。ひととおり説明して実演なんかもしてみせるのですが、これだけで掴み切れるのなら誰も苦労しません。

すぐにできないのは当然なのですが、それだからこそ、そういったテクニックの習得にのみ血道をあげる人が大勢います。著名な演奏家のマスタークラスに参加し少しでフィゲタの技術を「盗もう」と目をこらしたり、仲間とテクニック論に熱中したり・・・それはそれで無駄ではないかもしれませんが。

ではそういったテクニックが何のために必要なのかを考えたことがあるでしょうか。

略奪品返還

2023年06月28日 15時40分54秒 | 日々のこと
最近欧米で略出す美術品を返還する動きが出てきているようです。かつての欧米列強が植民地支配していた地域から美術品なんかも持ってきて、著名博物館に展示しているのを本来の場所に返還するという動きです。

アメリカのスミソニアン博物館もそういう動きを見せている博物館のひとつですが、航空ファンとしては同博物館に所蔵されている数々の日本機(スクラップも多数あるらしいです)も日本に返してくれるということなんでしょうか。

アメリカとかイギリスにある日本の大戦機は日本が戦争に負けたので持っていってしまったものです。こういうのを鹵獲(ろかく)というらしいですが、当然ながら敗戦国日本にはごくわずかしか残っていません。本来は日本の富で製造したのですから返してくれ、といってもいいような感じもします。

ただいざ返してもらったとしてもどこにそれらを保管しておくかが大問題。以前アメリカの大戦機コレクターから飛行可能な陸軍4式戦闘疾風を日本に返還してもらったことがありました。1973年のことです。航空自衛隊入間基地でデモフライトもしたそうです。でも飛行可能状態を維持できる機関が存在せず飛行不可の状態に陥り、現在は知覧特攻平和記念館に展示されています。

こんなことになるくらいなら返してもらわなかった方がよかったのかも。スミソニアンにある機体とかイギリスのコスフォードやヘンドンにある機体(陸軍百式司令部偵察機、五式戦闘機)なども彼の地で丁寧に保管、整備されています。本当は日本に返してもらって然るべき機関によって然るべきステイタスでもって保管展示してほしいところですが、残念ながら現在でもそれは難しいようです。

キーボード文化とDX

2023年06月27日 16時56分29秒 | 日々のこと
自治会DXは現時点では絶望的で、今の老齢層があっちに行ったあとの、今の40歳代の人たちが自治会の中心になる頃までは無理かも知れません。実際今の小学校では出欠なんかはメールで学校とやりとりするのがごく普通になっていますし、ある年齢層以下では極く普通にDXは進んでいると思います。

なぜ現時点での老齢層にこのようにDXが浸透していないかという根底に、日本にはQWERTYキーボードを使う文化がなかったというのがあるような気がします。

アメリカに住んでいる娘の義母(私より少し上の年代です)はずっと以前からPCを使っていろんなことをしています。タイプライターの伝統があるアルファベット文字圏の人たちは、コンピューターが出現しても今まで使っていたタイプライターと同じ配列のキーボードを使うわけですから、使い始めのときの敷居はぐっと低かったはずです。

日本では、そもそもコンピュータなんてよくわからないものを使うために、アルファベットがデタラメに並んでいるように見えるキーボードを使わなければいけないのですから、抵抗感というか拒否感というのは半端ではなかったはずです。でもこれは文化の違いとしてわかっていた事実なので、30年くらい前に、(今の老齢層がまだ40歳代のころです)国を挙げて取り組んでいたら充分間に合ったのではないかとも思えます。

もっともその頃は和文タイプライターは別としても、親指シフト、JISのかな入力などいろんな方式が林立していて、今多分一番定着しているローマ字入力はそのうちのひとつに過ぎませんでした。そもそも小学校4年生で学ぶはずのローマ字で日本語を表記するというのがあまり定着していなかった感じもします。それに当時はワープロ専用機という「閉じた」機器が広まっていて私から見たらある意味絶望的でありました。

PCとワープロアプリを使ってローマ字変換で日本語を打つのが一番楽で将来性もある、って当時誰かが言って主導していればよかったのですが、なかなかそうも行かなかったのが現実でした。教育と文化の壁に押しつぶされたということかも知れません。

自治会DX

2023年06月26日 20時53分36秒 | 日々のこと
町内の懇親会場の料亭から連絡があり、送迎バスの配車時刻を少し遅らせてほしいとのことでした。何でも大口の客が入ってしまったので、送迎が間に合わなくなったとのことでした。

町内の皆さんに集合時刻の変更連絡をしないといけないのですが、若い人の連絡だとLINEに2、3行書けば終わりますがここは老人世帯ばかりの町内会、昔ながらの回覧です。印刷物に時刻変更の旨を書いてバインダーにはさみそれを各家庭に順番に回すわけです。まぁこのDXの時代にねぇ、とは思いますがそれしか方法がありません。

先日自治会連合の会合があり出席しましたが、会合の終わり頃に質問要望コーナーがありましたので、回覧文書をPDFにしオンラインで届ける形を提案してみました。自治会連合などの連絡事項は紙に印刷されそれを大きな封筒に入れてヒマそうなおじいさんがわざわざ届けてくれます。中には郵送のものもあります。大きな封筒は使い道がないのでその都度捨てていますがなんかもったいない感じがします。郵送代も馬鹿になりません。私の提案で届けてくれるおじいさんの生きがいを奪うのはちょっと気がひけますが・・・

提案しているときに、司会をしている人たちの反応が、コイツ何を言っとるのか?と言うような表情でした。また会場からは「ピーディーエフって何やろ?」という小声が聞こえてきました。詳しく説明しようかと思いましたが、これはもうアカンと思い、一通り話をして提案を終わりました。

このラストワンマイルのDXはなかなか大変です。よっぽど「あんたら(私も同世代ですが)がこんなんやでいつまで経っても日本のDXは進まんのや!!」と啖呵を切ってやろうかと思いましたが止めました。

リサイタルの曲目

2023年06月25日 11時27分50秒 | 音楽系
来年の3月17日(日)にリサイタルを予定していますが、曲目についてはまだ少し迷いがあります。当初は、「音楽の父と母」というタイトルで何回もコンサートをしてきた影響があってか、バッハとヘンデルで固めようかとおもっていましたが、やはりヴァイスも入れないと、と考え始めると「音楽の父と母」ではなくなってしまいます。まぁ別にそれにこだわらなくてもいいのですけどね。

ヴァイスを入れるとすると、まだリサイタルでは弾いていない曲が何曲かあって、ソナタ39番ハ長調とか42番イ短調あたりがギャラントな感じもありいかにも後期の大作という感じでいいかも。

となってくるともう一人別の作曲家を入れた方がいいかもしれません。前回のリサイタルはガロ、ムートンからコハウトのコンチェルトまで演奏する網羅型でしたが今回はドイツのものに絞っていきたいと思っています。となるとロイスナー、ビットナー、ロジー伯あたりか。でもちょっと小粒な感じもします。フローベルガーとかブックステフーデのアレンジの方がいいかも知れません。

バッハも何で行こうかしら?997は新しいアーチリュートが完成したらアーチリュートで是非演奏したいので、次回にとっておきましょう。難物の996は私の場合一音上げてシャープ3つの嬰ヘ短調で演奏しますので、それ以外の曲が限定されます。これももう少し後ですね。チェロ組曲は全曲リサイタルで取り上げたので、今度はヴァイオリンの方です。

1001と1002は部分的にリサイタルで取り上げましたので、1003-1006ですが、気持ち的には1003のイ短調ソナタに傾いています。この曲は結構自然な形で演奏できます。

あと、遅刻してくるお客様と演奏側としては指ならしも兼ねて短い曲を冒頭に弾くようにしています。いきなりソナタ39番では遅刻した方は前半は聴けなくなってしまいます。この「つかみ」もさらに兼ねた曲は何にしましょうか。

もうぼちぼち確定して仕上げていかないといけませんですね。

ペーター・クロートン

2023年06月24日 14時26分56秒 | 音楽系
ペーター・クロートンというリュート奏者は多分あまりご存じではないとは思いますが、バーゼル・スコラ・カントルムでリュートを教えている先生です。私が在籍していた頃は、ホプキンソン・スミスとペーター・クロートンがルネサンスとバロックのリュートなどを教えていました。あと中世リュートのクロウフォード・ヤング、客員でアントニー・ルーリーもいました。

ペーターは日本ではあまり知られていないかも知れませんが、沢山の業績を残しているひとです。彼はルネサンス・リュートは人差し指を伸ばして弾くフィゲタを使います。ホプキンソン・スミスの生徒の中でそういう弾き方の人もいました。(彼は今はスコラで教えているようです)

彼のバロック・リュート演奏です。

この演奏では、ヒストリカルな右手弾弦位置が興味深いです。

たまたまこの演奏クリップのコメントに楽器と弦のスペックが出ていました。楽器はマイケル・ロー(2017);まだ新しい楽器ですね。完成まで長く待っていたのかも知れません。弦は1-3: Aquila nylgut; 4-5 & octaves: Savarez KF; 6-11 basses: Aquila CDとありました。このスキームは私のものと同じです。(別に示し合わせた訳ではありませんが)

私は1-3にはガムート社のナイロンを使ったりオクターブにはナイルガットを使っていますが、基本的には同じ方向のスキームです。なおSavarez KFはカーボン弦です。11コースやバスライダー13コースだと現在入手できるバス用のガット弦では音が前に出てきません。バス弦にアキラのCD弦を使うのは現実解でしょう。

横断歩道

2023年06月23日 17時56分33秒 | 日々のこと
先日信号のない横断歩道に人がいるのに止まらなかったドライバーが摘発されたそうです。反則金が9000円で2点減点だったそうです。

最近ウチの近くの道路では以前よりは横断歩道で止まってくれる車が増えたような感じがします。自分で運転しているときはできるだけ注意して止まろうと思うのですが、ときどき判断に困るときがあります。

ひとつは渡りたいのかどうでないのかが分からないとき。せっかく止まったはいいですが実は単に立っていただけというときもありました。

それから上下2車線の道のときは対向車の動きも気になります。こちらが止まって歩行者が横断歩道を渡し始めたのはいいですが、対向車線が止まってくれないときもあります。もし事故にでもなったら、私が止まらなければ事故にならなかった・・・なんてことも。

車と歩行者がまだ信頼関係ができていないところに問題があるように思えます。スイスでは100%と言っていいくらい横断歩道のところで車は止まってくれます。私が留学しているときは止まってくれなかった車は一台もなかったです。

日本の場合は歩行者は車をまだ充分信用していないので、横断したいという意思を表しにくいのかも知れないし、そもそも車は怖いのでできるだけ道路から離れようとする。車からみるとそれは渡りたいのかそうでないのかはっきりしないようにも見えます。

最近やっとこのルールが守られる方向に動いているようなので、さらに一歩進んで車は確実に止まる、ということが歩行者に浸透するように車の方がまず100%確実に止まるようにすることが重要だと思います。

内山永久寺を訪ねて(下)

2023年06月22日 12時20分59秒 | 日々のこと
神奈川県小田原市に江之浦測候所という施設があります。ここは実際の測候所ではなく、杉本博司さんというアーチストのアイデアで作られた施設です。この施設、どういうものであるのかということを説明するのはなかなか難しいのですが、昔からの文物があったり、現代アートがあったり、神社もあります。日本・世界・宇宙の悠久の歴史を感じさせるところで、杉本ワールド全開といったところです。

ここになんと内山永久寺にあった十三重の石塔があります。杉本さんが奈良市内の石屋さんのところに放置してあったものを譲り受け組み立てたものだそうです。なんとほとんど欠損がなくきちんとした塔にになったというのは驚きです。


神奈川県小田原市江之浦測候所にて

本来は内山永久寺にあったもので、廃仏毀釈にあってさえいなければ今も同寺境内にあったはずのものです。

杉本さんというアーチストによって見いだされ、場所こそ異なりますが見事再現されている姿は奇跡としか思えません。

内山永久寺を訪ねて(中)

2023年06月21日 19時31分52秒 | 日々のこと
跡地に行くには車通りから脇道にそれて行かなくてはならないのですが、それが見つからず現場を何度もいったりきたりしてやっとたどり着きました。

永久寺の施設で残されているのは庭園の池だけで、そのそばにはかつて訪れた松尾芭蕉の俳句を刻んだ句碑がありました。



うち山やとざましらずの花ざかり   宗房

解説板によると、



今、内山永久寺に参拝してみると、見事なまでに満開の桜でうめつくされている。
土地の人々はこの桜の花盛りをよく知っているのであろうが、外様(よその土地の人々)は知るよしもない。

という意味のようです。宗房というのは芭蕉の若い頃の号だそうです。



今は田んぼと畑になってしまい、池のみが残されていますが、このあたりを発掘調査すればいろいろ出てくるのではないでしょうか。池のほとりにたたずみこの辺に山門があって大きな伽藍があって、と適当に想像しながらいますと、どこかから坊さんの読経が聞こえてくるような感じがしました。