リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

箱作り

2024年04月30日 23時05分05秒 | 音楽系

アッティオルバートの輸送中にちょっとした事故で楽器に傷がついてしまったので、スウェーデンに送り返しました。こちらから送るときにはなるべく頑丈な箱に入れなければと思い、木の箱を自作してそれに入れて送りました。

箱作りは思っていたよりいろんな面で大変でした。まず作ったのが、骨組みを最上部、最下部、途中に一箇所つくり外殻を3mmのベニアで張ったものでした。でも作って行くうちにどうもベニアの強度が足らないみたいでしたので、骨組みを全ての面に作ることにしました。しかしこれでもまだ強度不足。仕方がないのでもう一枚3mmのベニアを重ねることにしました。

さすがにここまですると強度は万全です。中に楽器を入れプチプチで詰めた箱を郵便局に持っていきました。ところが骨組みに使っている木に問題があることがわかりました。というのは検疫の関係で生の木は使えないということらしいのです。農水省植物防疫所と全植検恊名古屋事務所に確認しましたら、使える木は熱処理をしてあるベニア、集成材などでなければならず、生の木を使う場合はしかるべきところで熱処理をしてもらいその証明をつけなければならないとのことでした。

いやぁこれは全く知りませんでした。作った箱を分解して外殻のベニア2枚をそのまま使おうと思ったのですが、実は木組みやベニアの貼り合わせに超強力両面テープを使い更にビスどめをしたので、ビスは外せますが超強力両面テープで貼った部分はきれいに剥がせず分解は不可でした。結局もうひとつ作ることになり、今度は骨組みには集成材を使い、外殻は5.5mmのベニア1枚を使いました。

この箱作りに要した期間は何と約1ヶ月!もちろん他にしなくてはいけないことがあるので毎日この作業していた訳ではありませんが、作業自体に不慣れで、材料の知識もなく、おまけに輸出する際の検疫の知識もないのでこれだけの期間を要してしまいました。新しい箱を作るときに5mmのベニアで図面を書いたのですが、DIYの店に行くと5mmのベニアは存在せず5.5mmしかないとのこと。これでまた図面を少し書き直したり、運の悪いことに木材をカットするお兄さんが間違えて331mmに切らなくてはいけないのを301mmで切ってしまったのでまたDIYのお店に行ってカットしなおしてもらったり、何かとハプニング続きでした。でもさすがに慣れてきて、今回送付に使った箱を作るのは半日もかかりませんでした。

今なら送付用の頑丈な箱をすぐに作ることができます。


ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(14)

2024年04月29日 22時22分34秒 | 音楽系

さてモスクワ写本の筆記者ティモフェイ・ビエログラドスキですが、ベルリン在住中の1737年にヴァイスの弟子入りを許可され翌年にはヴァイスを仰ぎ奉る弟子のひとりとなっていました。ヴァイスがベルリンにやってきたとき、彼はベルリンの宮廷楽団のリュート奏者であったエルンスト・ゴットリープ・バロンにも会いました。後にバロンがドレスデンに行ったとき彼はヴァイスからテオルボを頂きました。

その後彼は役職を終えロシアの宮廷に戻りましたが、そこには長く留まらず1740年にドレスデンに戻り※ブリュール伯ハインリッヒに仕えました。そこで彼はヴィルツオーゾとして名を馳せ、指導者としても人気でした。


※解説にはビエログラドスキがドレスデンに住んでいたとは書かれていないのでここで「ドレスデンに戻り」というのはよくわかりません。でもヴァイスについていたのならベルリンよりドレスデンですね。なお注には1738年にはドレスデンに住んでいた、という説が紹介されています。

以上ル・ルート・ドレ出版の現代版の解説を少し補足しつつ訳しました。ちょっとこの解説、文脈が混乱していますが・・・このモスクワ写本の筆者についてまだ解説はあと少し続きます。


久石譲作品を編曲するには

2024年04月28日 14時22分15秒 | 音楽系

宮崎アニメの音楽で知られている久石譲とその所属事務所が、久石譲作品を勝手に利用したり編曲したりする著作権侵害等に対する声明を発表しました。

実はアメリカに住んでいる孫のチェロ教室のためにアレンジを頼まれたとき、編曲の許諾をどう取ったらいいのか調べてみたことがありました。楽曲(楽譜)を使用するときはそれらの多くを管理している日本著作権協会に連絡して一定の使用料を支払うことになっています。

私の場合はほとんどそういう必要のない楽曲ばかり演奏していますが、1回だけ伊福部昭のファンタジアを演奏したときは著作物使用料を支払いました。

ということがあったので日本著作権協会に連絡しましたら、当協会は楽曲(楽譜、音源等)の管理をしているだけで、編曲の許可を出すところではないと言われました。編曲の許可を出すのは作曲者あるいは所属事務所がある場合は所属事務所であると言われました。

調べてみましたらそれがわからないのです。久石譲に個人的なつながりがないのでコンタクトは取れないし所属事務所もわかりません。今回の声明で所属事務所はワンダーシティとわかりましたが、ネットで調べてみてもこの事務所にアクセスできませんでした。いったいどうしたらいいのでしょうかねぇ。


ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(13)

2024年04月27日 18時12分47秒 | 音楽系

トルバンを演奏できるということは、バロック・リュートやテオルボはすぐ弾けるでしょうし、彼は多分上手に弾けたのでヴァイスもすぐに弟子にしてくれたということでしょう。

You Tubeにビデオクリップがありました。

調弦は1コース~6コースがレシソレシソ、あとバス弦は音階で8コース分、計14コースで、さらに1コースの下に半音階の弦が1オクターブ分(12本)です。

昔のドイツテオルボがウクライナに伝わりローカライズされ、時代を経て少しモダナイズされてはいるものの、かなり古い時代の要素を残して現代に伝わっているのは驚きです。

なお連載(12)で出て来ましたバンドーラというイギリスのルネサンス時代のものとは異なります。また現代のウクライナのバンドーラは完全にモダナイズされた楽器でリュートの面影は全くありません。ややこしいですね。(笑)昔のバンドーラは今のトルバンという名でほぼ伝えられていて、バンドーラ自体はモダナイズされていった?といことでしょうか。この辺の事情はよくわかりませんが、ますますややこしい。


桑名六華苑春のコンサート

2024年04月26日 11時38分10秒 | 音楽系

5月24日(土)14時から桑名六華苑で「バロック音楽の散歩道」と題したコンサートを開催します。

六華苑は桑名市にある重要文化財で、桑名の豪商諸戸氏がジョサイア・コンドルに設計を依頼して建築した洋風建築+和風建築群と庭園です。ジョサイア・コンドルは鹿鳴館を設計したことで有名ですが、地方に残っているものはこの六華苑が唯一のものだそうです。実はこの場所は、江戸時代は豪商山田彦左衛門のお屋敷で明治維新、戊辰戦争を経てオーナーが諸戸氏に変わったのですが、庭園は山田氏の庭園を受け継いだものです。

六華苑ホームページ

この六華苑でのコンサートは担当させてもらってもう10数年になりますが、毎年春と秋の2回開催しています。今回はヴァイオリンの磯部真弓さんをお迎えして、ディヴィジョン・ヴァイオリンより何曲かとヴェラチーニ、ヴァイスなどの作品を演奏します。入場は無料ですが、六華苑の入苑料が必要です。


ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(12)

2024年04月25日 15時24分57秒 | 音楽系

この写本について「この紙の分析は、この手稿本はロシアで作られ、それは少なくとS.L.ヴァイスの死後15年後である」と解説にはあります。

ヴァイスの死後15年は1765年です。ヘンデルはもう亡くなっていますし、1767年没のテレマンも相当衰えていたころです。一方モーツァルトはすでに9歳で天才の評判はとどろいていたころです。ハイドンは30代半ばで油が乗りきっていた頃です。

モスクワ写本の筆記者は、コーカサス地方出身のティモフェイ・ビエログラドスキで1710年頃の生まれです。音楽愛好家でもある彼は1733年ロシア帝国の大使としてドレスデンに赴任。1737年にはベルリンに居住。ヴァイスに会い弟子にしてもらったときは、彼はバンドーラというトルバンの様な楽器を演奏していました。

(以上モスクワ写本現代版の解説を参考にしました)

トルバンというのはウクライナの民族楽器でリュートとツィターを併せ持った楽器です。ネットで調べてみましたらこんな楽器です。

これってツィター部分を除くとほぼドイツテオルボですね。


緑のトンネル

2024年04月24日 18時32分56秒 | 日々のこと

ミューズのレッスンの帰りに少し違う道を通ってみました。いつもですと国道19号線を南下して鶴舞公園の五叉路まで行き、そこから金山・熱田神宮を経て名古屋市の南部に出て国道23号線に入ります。これが下道では交通渋滞も少なく最も早くウチまで行けるルートです。

今日は途中広小路葵交差点から右折して広小路に入ってみました。こちらのルートだと多分倍くらい時間がかかってしまうのですが、食事やお茶ができるところが道路沿線に多いというメリットがあります。最短時間ルート沿線もお店はあるのですが駐車出来ないところが多いのです。

新栄から広小路を西進しました。久しぶりにこのあたりを走ったのですが、街路樹が大きく育っているのに驚きました。葉が空を覆うくらいになっていてまるでトンネルです。ただ残念なのは信号交差点の10mくらいでそのトンネルが切れてしまうのですがそれを過ぎるとまたトンネルが続きます。さすがに栄の久屋大通の大交差点では眼前に空が広がります。あいにく今日は雨模様。信号で止まってふと左を見ると、昨日前面オープンした新中日ビルが目に入りました。しゃれたカフェには大勢の人が入っていました。

広小路をさらに西進、名古屋駅の南側を過ぎて右折して南の方に向かいます。途中から東名阪高速道路の真下を通る道に入り、弥富の五之三という変わった名前の交差点を左折して南進です。そのすぐの所に中国人が経営しているいわゆる町中華があるのでそこでお昼です。ここはとても安いのにボリュームがあり味もいいです。麻婆+台湾味噌ラーメンのラーメンをいただきました。ご飯と小鉢がついて800円です。ここから国道1号線に出て帰宅しました。やはり倍近く時間がかかってしまいましたが、新しくなって広小路界隈の景色を見たしまあいいでしょう。でも次回は最短時間ルートです。


ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(11)

2024年04月23日 20時49分55秒 | 音楽系

モスクワ写本の現代版がパリのル・ルート・ドレから出版されています。2015年の出版です。この出版社はギターやヴィウェラ音楽、マンドリン音楽、さらには現代音楽や子供向けの楽譜も出しています。リュートとテオルボ関連の編集総括はミゲル・イスラエルが担当しています。彼は私がバーゼルで学んでいたときに一緒に勉強していた人で、バーゼルで学業を終えてパリに移り沢山のいい録音を残しているのはご存じの方も多いのではないでしょうか。彼が担当しているので、このモスクワ写本の現代版は充分信頼していいと思います。

その解説には、「現在モスクワにあるミハイル・イヴァノヴィッチ博物館の音楽図書館が所蔵している」とあります。1976年出版の全音版には中央音楽文化博物館が所有しているとあります。当時館長だったアレクセーヴァ女史からコピーをいただきミヒャエル・シェーファー氏からも助言をもらったともあります。

なにせ1976年当時はソ連だったし、その後ソ連が崩壊しどういう経緯で現在の所蔵場所に行ったのかは定かではありません。これら現代版の出版にもすでに何か歴史の流れを感じさせます。


ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(10)

2024年04月22日 14時45分10秒 | 音楽系

ソナタ95番ト短調の構成は、Andante, Courante, Gigue, Paisane, Polonaiseの5曲です。全体的にとてもギャラントな香りが濃厚です。ヴァイスの写本にはときどき作曲年が書かれている楽曲があります。例えば1717年にプラハで作曲と書かれているソナタ1番ヘ長調(ロンドン写本)のスタイルとはかなり異なっています。

このスタイルの差はどこから来ているのでしょう。まず考えられるのはヴァイスがまわりの作曲スタイルの変化(ギャラント指向)に合わせて作風を変えていったということが考えられます。もうひとつは、実はシルヴィウスではなく一族のもう少し若い世代(例えばジギスムント)が作った作品であるということも考えられます。

先に紹介した51番も随所にギャラントの香りがしますし、ソナタ形式の萌芽も見られると書きました。定量的な根拠を提示するのは難しくあくまでも主観ですが、51番の楽曲はまだ1717年とか1719年などのように作曲年が書かれている楽曲との連続性が感じられます。しかし95番の、例えば Andanteや Courante なんかはちょっと「手」が違う感じがします。でもまぁS.L.Weiss作ということで番号がついているので、それはそれで議論の末の番号着けだったとは思いますが。


ヴァイスのソナタ25番、51番、95番(9)

2024年04月21日 15時47分58秒 | 音楽系

ソナタ95番ト短調はいわゆるモスクワ写本に所収されています。このモスクワ本、実はかなり前に日本でファクシミリ版が出版されています。

全音楽譜出版社が1976年に出版した「モスクワ本によるS.L.ヴァイス リュート曲集」です。編者は作曲家の真鍋理一郎です。真鍋は今ではあまり知られていないかも知れませんが、当時はそこそこ名の通った作曲家で、私が高校生の頃の音楽の教科書に「地球は悪いところじゃない」という歌曲が載っていました。終わりの頃に急に遠い調の和音を使うしゃれた曲でした。

当時ギターの専門誌「現代ギター」は「現代リュート」といわれるくらいリュート関連の記事を沢山掲載していました。真鍋はその推進者のひとり?だったように思われます。

その当時はヴァイスの研究がまだ進んでおらず、作品の整理番号がありませんでした。音楽学者ダグラス・オールトン・スミスの博士論文「THE LATE SONATAS OF SILVIUS LEOPOLD WEISS」が発表されたのが1977年です。

ソナタ95番は写本のP.31,32,34,36,37にあると全音版には記されていますが、番号が飛んでいるところはブランクなのかは情報がないのでわかりません。まだ研究が本格化していない当時としては、こういったことがきちんと書かれていないのはいたしかたないことなのかもしれません。