リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

バフがけついで

2005年06月30日 05時48分39秒 | 日記
最近の猛暑で、新しいバロック・リュートのリブ(裏板)の塗装が柔らかくなり、服の布地のあとがついたりしています。セラックニスが充分に乾いていないのが原因でして、ずっと前デュルビーの楽器を買ったときも、完全に乾ききるまで1年くらいかかったのを覚えています。

布地のあとがついても放っておけば、平らになってほとんど目立たなくなるんですけど、せっかく前回モーリスのところに行ったときに、

「日本に帰る前に一度来てね。きれいにバフがけして磨いてあげるから」

と言ってくれたので、今日また彼のところに行くことに。

彼のところに行くのもついに今回が最後になりそうです。最後のせいかどうかわかりませんが、今までにない気象イベントが。遠くに雷鳴がしたと思ったら見る見る雷雲が近づき、雨がぽつぽつ降り始めた瞬間に彼の車が駅にお出迎え、乗り込んで1分もたたないうちに土砂降りになりました。かろうじてセーフ。今まで何回も来ていますが、そういや全て快晴でした。

モーリスの家に着いて、まずはコーヒーでも飲みながら雑談。そのあと下の工房で磨いてくるから、その間このギターでも弾いて待っていてと、新作の2台のギターを置いて行きました。

「まだ誰もさわったことのない、完全ヴァージン・ギターだよ」
「おー、ではさっそく・・・」

ではまずアルハンブラから・・・(笑)覚えている曲を次々に弾いていきましたが、なんせモダン・ギターを弾くのってほんとに久しぶりなので、途中で記憶が途絶えていたりします。ジュリアーニのソナタの第一楽章の展開部を経て、再現部に入るころに、モーリスが今度はルネサンス・リュートを持ってきました。フランスのナントカさんから修理依頼されている楽器だそうで、早速そっちにチェンジ。
その楽器はこぶりな楽器(弦長57センチでボディも小さめ)ですが、本当に伸びやかに高音が出る楽器で、その愛らしくパーソナルなキャラがすっかり気に入ってしまいました・・・で、何と注文してしまいました。(笑)衝動注文ってヤツです。でも1時間くらいじっくり弾いていたので、ある意味では衝動ではないかも。完成は来年の夏だそうですから、何とかお金は貯まるでしょう、ええ。

帰りはさっきの雷雨のせいか、電車が遅れまくり。ベルンで20数分遅れの接続列車に乗れず、しようがないのでローカル列車でとりあえずオルテンまで行くことにしました。田舎の駅に次から次に止まる列車はなかなかいいものでした。(毎回ですといやになるんですけどね)オルテンでバーゼル行きに乗るんですが、これもまた遅れて来たうえに、混みまくり。5時前にモーリスの家を出たのに、結局バーゼルに着いたのは8時半を過ぎていました。最後の訪問だけに、いろいろなイベントが花を添えてくれました。突発注文もあったし。(笑)

バーゼルと音楽

2005年06月29日 07時49分25秒 | 日記
市内を歩いていると楽器を持って歩いている人をよく見かけます。日本の街ではあまり見ないチェロやヴァイオリンもよく見かけますし、管楽器、ギターはもちろんコントラバスを滑車をつけて引きずっている人を見るときもあります。ごくたまにですけど小さい子がリュートを持って歩いているのを見ることも。
ファスナハト(謝肉祭)のときは、ピッコロや金管楽器、打楽器で街が溢れかえりますし、本当にバーゼルには楽器を弾く人が多いようです。人口が17万人あまりの街で年間のコンサート総数が1000回は下らないだろうと言われているのも、そういった基盤があってのことでしょう。

バーゼルはドイツ・フランスの国境に位置しているので、スイスの中でも国際的な街と言えるでしょう。そのせいもあってか、禁欲的で音楽を余り重視しないカルヴァン派の教義があまり徹底されてなかった、だから音楽が盛んなのだという説をどっかで聞いたことがあるんですけど、カルヴァンは若い頃バーゼルに住んでいたらしいんですよね。でもまだそのころは影響力があまりなかったのかも。
宗教と音楽がどう関連し合っているかはよく分かりませんが、街のあちこちにある古い教会が音楽の重要な場であることだけは確かです。

渡欧 (5)

2005年06月28日 06時02分24秒 | 随想
 佐藤氏宅には3週間近くも居候させて頂いたか。その間、ロンドン、ブリュッセル、アムステルダムに行って楽譜を探しに行ったり、楽器製作家に会いに行った以外は、ずっとデン・ハーグにいた。時期的にコンサートもなく、学校も休み、もちろん講習会などない。することと言えば、日本から持ってきた加納木魂氏作のバロックリュートを弾いたり楽譜を書き写すくらいだ。疲れたら近所のスヘヴェ・ニンゲンの海岸に行ったり、たまに氏の留守番をしたり、夜は氏と食事をしながらリュート談義という、ある意味では単調な、しかし充実した日々を過ごした。デン・ハーグでは当時まだ学生だった今村氏とも会うことができた。彼とはすでに名古屋で一度会っていて、初対面ではなかった。彼の下宿に行き夜を徹して(といっても暗くなるのは4時間くらいだったと思うが)話をしたが、その時彼は真剣な顔でデン・ハーグからバーゼルに学校を変わるかも知れないと言っていたのが印象に残っている。

噂はめぐる

2005年06月27日 19時55分10秒 | 日記
先日今村さんの所にいったら開口一番、

「中川さん、バッハの新発見のリュート曲、どうなった?」

「え?あ、あれね。あれはエイプリルフール」

なんと、4月1日発信、めぐりめぐって、6月になって今村家にたどり着いたようです。常々、今村さんの奥さんは、「うちはなんでも最後に情報が届くのよ」っておっしゃってますので、今度もまさしくそうでしょう。

なんでも彼の知り合いから、バッハの新発見のリュート曲のことを聞いたらしく、詳しいことは私が知っているとのことだったので、早速私に尋ねたわけです。
彼はマジで、早く私にその所在を教えてもらって、早く録音しないといけないと思っていたそうです。(笑)

あとでネタを明かして大笑いでした。それにしても長持ちしてますね。
でも、今村家にその情報を回した人とはまだそのことを信じているかも。いや、それとも単に今村さんを担いだだけかな?

来年はこの手はもう使えないので、また新手口を考えないといけませんね。


渡欧 (4)

2005年06月26日 19時52分36秒 | 随想
 東京からソウルの金浦空港まで2時間、そこで待つこと6時間、そしてアンカレッジまで8時間、パリのオルリー空港まで10時間余り、シャルル・ドゴール空港までバスで1時間、アムステルダムのスキポール空港まで1時間、そしてデン・ハーグまでバスで小一時間、今ならその半分もかからないだろうが、やっとの思いで私はデン・ハーグの駅前に立った。そこからタクシーに乗り、佐藤氏宅に向かった。初めて会う佐藤氏は、初対面にもかかわらず気さくに迎えてくれた。氏は当時デン・ハーグ音楽院の教授に就任して間もないころで、いわば飛ぶ鳥を落とす勢いの演奏家、当時の私にとっては雲の上の人だった。

いよいよ

2005年06月25日 21時14分53秒 | 日記
早いものです。昨年の12月にこのブログを始めて、毎日せっせと欠かさず書き続けて210回を数えています。我ながらよく続いているものだと思います。(笑)
当ブログを読んでいただいている方には心から感謝申し上げます。少し前に書きましたように、7月5日にこちらを出まして、7日朝に帰国致します。シンガポール経由なので、足かけ3日もかかるんですね。日本に帰ったらもう「バーゼルの風」が書けなくなるのでとても残念です。「バーゼルの風」改め「桑名の風」では誰も読んでくれそうもないですよね。(笑)(桑名は私の故郷です)

今のところ出発の日の朝まで書こうかなと思っていますので、残すところあと10回です。もっともそれまでに電話を切られてしまって書けなくなるかもしれませんが。
ご存じのようにこの「バーゼルの風」は日記編と随想編に分かれていまして、現在進行形の内容と過去の回想が同時進行して、ついには過去の回想が現在につながる・・・なんてカッコいいことを構想していました。でもいざ書き始めると日記部分がグーンと膨らんでしまって、随想が小さくなってしまいました。

随想編では、一応28年も教師をしていたので、教育問題も一つの大きな柱に扱い、「苦悩する教師」から「リュート奏者」へ、なんてストーリーで行こうかと(最近よくあるようなナントカ先生の話みたいな)思っていたんですが、よく考えると元々脳天気で大して苦悩していませんでしたので、書くことがないことに気づいてきました。それにもし書いたとしたら、いろいろ差し障りのあることにも触れなくてはならず、いろんな人に迷惑がかかることが予想されました。従って途中から方向転換し、随想編は自分の音楽関係で関わってきたことや人のことを書くことにし、ごく一部を除いて学校のことに触れないようにしました。随想編は今書き始めている「渡欧」シリーズで終わりです。たぶん、こちらで全て書けると思いますが、もしできなければ日本に帰ってから少し書き足そうかと思います。

さて、今日は天気予報の通り、雷雨で少し涼しくなってきました。まとまった練習ができそうです。西の雲は切れていますので、西日が差し込む前にひと練習です。

暑い・・・

2005年06月24日 04時37分06秒 | 日記
ここ4日くらい30度を超える暑さです。バーゼルの建物には普通エアコンはありませんし、たぶん扇風機すら普通の家にはないことが多いと思います。ウチにもそんな上等なものはありません。団扇すらない・・・
7時頃に西日があたるので、家の中の温度は一番高くなり、楽器の練習どころではありません。
今日のボブのレッスンは臨時休講になりましたので、昼すぎにスコラに資料を探しにでかけました。暑いので短パン+ランニングシャツ+サンダルで出かけようと思いまして、財布や鍵を小さなショルダーバッグに入れていざ出発・・・と、ちらっと写った我が身はそのスタイルで外を歩くのを躊躇させるのに充分でした・・・もう20代ではなかったんですね。少し勘違いしてたかも。(笑)で、結局サンダル履き以外はいつもと大体同じスタイルに。
外は空気が生暖かく、湿度も意外とありそう。おまけに頭の毛が伸び放題でうっとうしいことこの上有りません。何せ、去年の9月から床屋に行っていませんから。昔吉田拓郎の歌に、「僕のカミ~ィが、肩まで伸びて、キミと同じになったらケッコンしよ~ヨ」(だったかな?(笑))というのがありましたけど、まさにその状態。結婚はもうしちゃいましたが。この暑さで長い髪はうっとうしいですけど、世の同世代の方の中にはそもそもほとんど毛がない方やあってもほとんど真っ白な方が多い中、黒度95%の髪(少しは白いのがあるんですよね~)が肩まであってうっとうしいと文句を言うのは贅沢というものでありましょう。
スコラから帰ってくると、もう暑くて暖かい夕食を食べる気がしません。昨日作ったベーコン野菜炒めを冷たいままパンといっしょに食べました。こう暑くてはもうシャワーしかありません。早速地下室へ。シャワーの水は意外と冷たく、ちょっと一発で体にかけるを躊躇しました。最初は生ぬるく徐々に温度を下げて・・・おーリフレッシング!!
天気予報によると来週の月曜日は華氏93度!!(摂氏34度)ホンマかいな。でもその日をピークに週末にかけては華氏70度台まで下がるらしいです。でも涼しくなった頃が日本に帰る頃になるかもしれません。ちょっとタイミングが悪いです。(7月7日に帰国します)日本に帰ればまた灼熱の夏が待ち受けています。そっちはスイスの夏みたいに生やさしいものではないということはよく分かっていますが、2年ぶりなので耐えられるかな。

渡欧 (3)

2005年06月23日 05時50分46秒 | 随想
 ヨーロッパにおける滞在先は、オランダ・デン・ハーグの佐藤豊彦氏宅だ。当時まだ面識はなかったが、手紙のやりとりをしたりテープを送って演奏を聴いてもらったりしていたので、3週間ほどご厚意にあずかることになった。今思うと、いくら手紙でのやりとりなどがあったとはいえ、面識のない人のところによく厚かましくも押し掛けたものだと思うが、世間知らずのなせるわざか。本当はせっかくヨーロッパに行くのなら、講習会に参加した方がよかったのだろうが、7月の終わりはそういうものが開かれない時期だ。当時の私はとにかくヨーロッパの空気を吸ってみたい、佐藤氏に会って当時最先端のリュート研究に触れてみたいの一心だった。

ラスト・コンサーツ

2005年06月22日 07時51分02秒 | 日記
今日は一日に2つのコンサートに出ました。それもバロック・リュートとルネサンス・リュートという異なる楽器を使いました。あまりこのパターンはやりたくなかったんですけど、結果的にこうなってしましました。(笑)

一つ目は、最後のクラッセンでのミニ「リサイタル」です。まぁ内輪のコンサートですけど、聴衆は全員リュートを弾くという、ある意味怖い聴衆ばかりです。うれしいことにホピーの生徒がほぼ全員来てくれました。普段のクラッセンでは滅多にないことです。

今日はとてつもなく暑い日で、楽器2台と衣装を持って歩く気にはなれず(それに楽器の温度も急上昇しますので楽器によくありません)久々にトラムに乗りました。トラムを降りてからも日陰を選んで歩きましたが、会場の413ルームで楽器をケースから取り出したら、それでもほんのりと暖かくなっていました。本当に日のあたるところを歩かなくてよかったです。(今までもあまり日のあたるところを歩いていませんが(笑))

プログラムはフレンチとバッハを50分くらいで組んでみました。休みなしで50分ですから結構な分量と言えば分量です。部屋が暑くて指先が汗で弦にくっついたりして困るときもありましたが、モーリスの新しい楽器はそんなことはささいなことだと言わんばかりによく歌ってくれました。全体を4つのセクションに分けて簡単に曲紹介をしながらすすめましたが、何かことばに表せないくらい落ち着いたいい雰囲気ですすめることができました。最後は嬉しいことに拍手鳴りやまず、アンコールにムートンのトンボーを弾きました。

終わったら、簡単な茶話会があったんですが、次のコンサートに行かなければならないので、ワインを2杯軽くひっかけて、次の会場のクライナーザールへ。何か最近日本で飲酒国会議員がいたと騒いでいたようですが、リュート弾きは別にちょっとやそっとの飲酒では騒がれることはありません。(笑)

実は一緒に演奏することになっていたエルナンがドタキャン、急遽バリトンのマークと一緒に演奏することになりました。でも、ここだけのナイショの話し、マークの方がずっと上手いからドタキャンでマークに変更と連絡を受けたときはラッキーと思ったものでした。マークは日本では全く無名の存在でしょうけど、彼くらい上手くリュートソングが歌える人はちょっといないと思います。(パーセルでもバッハでも上手いですよ)英語はネイティブなので完璧だし。

去年エジンバラでのコンサートで、マークと「流れよ我が涙」(ダウランド)を演奏していますので、今回は全くリハーサルも打ち合わせもなしのぶっつけ本番です。(というかやる時間が取れなかった)私の右手もバロック・リュートのタッチからぶっつけ本番でルネサンス・リュートタッチです。

ぶっつけにも関わらず、歌詞の「Flow」のワンシラブルの部分だけで相手をつかむことができました。上手い人とやるときはこれだからたまりません。この演奏がたぶんバーゼルでは最後になると思いますが、本当に気持ちよくいい演奏ができたと思いました。マークに感謝です。演奏終了後の拍手もひときわ大きく長かった、ように思ったんですけど勝手な思いこみかな。(笑)他のにぎやかな曲に比べてひときわ静かなリュートソングが一曲だけ、それも今日の演奏曲目の中では一番知られた曲です。そういえば、始まる前に話をしたおじいさんも「流れよ我が涙」を今日は聞きに来たんだ、っていってましたね。いい曲を最高のパートナーと演奏させてもらいました。本当に有難うございました。

ぞうさん

2005年06月21日 03時31分53秒 | 日記
ウチのすぐ近所に芝生の生えた公園があります。そこを通って林の小径を登って行くと、丘の上にビニンゲンの広大な(日本人には広大に見える)畑が開けています。そのあたりは私の散歩コースのひとつなんですが、先日その小径のそばに生えていた木が何本か切られているのを見つけました。なんか妙にすかすかした感じになっていました。そのときは木が枯れていたので切ったんだろうと思っていましたら、実は違いました。
下の公園の一角に「ぞうさん」が新しく作られて子供たちの遊び場になっていましたが、そこに上から切ってきたと思われる木が転がって(というかちゃんと配置したんでしょうけど)いました。地面は木のチップが敷き詰められてクッションたっぷりで気持ちがいいです。子供を遊びに連れてきたお父さんがそのチップの上に寝転がっていました。
ちょっとそこから木を切ってきて作った・・・という感じですね。材料は現地調達という訳です。これって経費がかからずいい方法ですね。木自体は安くてもそれを運ぶ経費がすごくかかるでしょうから。ひょっとして、人力で坂道を公園まで滑らせてきて加工したのかな。
私の新しいリュートの表面板もモーリスの住んでいるところからそう遠くない山から切ってきた木だそうです。自分の住んでいるところの近くで取れた材料で物を作り、近所で取れたり作ったりした食物を食べる、これって省エネルギー、エコロジーを考える上で非常に大切なことですね。物流異動のための余分なエネルギーを使わないので安くなり、より安全!多分。