リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

緑のシャコンヌ

2012年12月11日 20時29分13秒 | 音楽系
来年5月18日のリサイタルのためにベルリン在住の作曲家久保摩耶子さんに曲を委嘱してあるのですが、今日久保さんにウチへ来ていただきました。いえ、別にベルリンから呼びつけたわけではないんですけどね。

ベルリンではマイナス10度とのことですが、こちらに来て雪が降っていたのでびっくりしたとおっしゃっていました。

作品は、緑のシャコンヌ(仮題)という10分ちょいの曲です。すでに少し前に私のところに送られてきているのですが、作曲者がいらっしゃるというので昨日は一日中曲をさらっていました。

曲の中のいろいろな特殊奏法などをどう弾くかを教えて頂きました。また、あまりリュート的な動きをしておらず弾きにくいところの「代案」を出しましたら割とすんなりと受け入れて頂きました。なんせ技術的にめちゃくちゃ難しい曲なので、ありがたいです。

まだ時間は沢山あるのでがんばってさらわないと。曲の雰囲気としてはいわゆるバリバリの現代曲(まぁ例えば12音で書いてあるような)とは異なり、リュートのキャラにマッチしたすごく叙情的な感じがする曲です。とは言ってもいわゆるメロディの曲とは少し異なるところも多いのですが・・・シューベルトの「美しき水車小屋の娘」の第12曲「休息」第13曲「緑色のリュートのリボンをもって」の歌詞をもとにして曲を作ったそうです。

この二つの歌曲の中にリュートという楽器が出てきて娘に恋をした青年の心情描写に潤いとか憂いを与えている感じがします。よくフランドルの絵画に愛とか堕落などの象徴にリュートが描かれているのとよく似た感じがします。

シューベルトの晩年はまだバロック・リュートが残っていたと考えられますが、この2つの曲の歌詞はまるで滅び行くリュートへの別れの歌、そして将来の復活への希望の歌みたいなものをリュート弾きとしては感じます。


ぼくはリュートを壁にかけ
それに緑のリボンを巻いた
・・・・・・・・・・・
いとしいリュートよ、今はそこに休んでおいで
そよ風がおまえの弦をかすめ
蜂の羽がおまえに触れるとき、
ぼくの心は不安にふるえる


別にリュートの滅亡を描いた詩ではないですけど、なんとなく消えゆくリュートのことをいっているような感じがします。最後のリュート奏者とされるクリスティアン・ゴットリープ・シャイトラーは1816年以降に没とものの本にはあります。(エルンスト・ポールマン著リュート、テオルボ、キタローネ)美しき水車小屋の娘が書かれた1823年のウィーンをはじめもうその頃のヨーロッパにはリュート奏者は誰もいなかったと考えられますが、まだなんとなく「リュートの空気感」みたいなのは残っていてそれが下敷きになって水車小屋の歌詞になったなんて妄想をしてしまいます。

さて久保さんの仮題「緑のシャコンヌ」ですが、ベルリンの出版社から出版されるそうです。その出版物にはタブラチュアもつけていただくことになりますので、がんばってタブになおさないといけません。5月の本番までにはなんとか出版を間に合わせたいところです。