佐村河内守作曲の交響曲第1番を聴きました。最近NHKのドキュメンタリーなどで話題になっている作曲家の作品です。最初はこの作曲家の名前の読み方が分からず、「さむら・かわちのかみ」?なんて読んでました。(笑)
何度か聴いてみて思ったことは、
とても優れた作品である。
この曲は純音楽である。
ということです。
曲は、第1楽章が始まって少したったところで出てくる、半音階的な要素を含む主題(動機)が様々な形に変形されて、全楽章を貫く循環主題となっていて、とてもしっかりした構成力を感じます。副題にHiroshimaなんてついていますが、多分売らんかなの周りの人がつけてしまったのかも。
このCDを聴く前に、同氏著書「交響曲第一番」も読んでみました。佐村河内守氏は耳が聞こえない作曲家で、単に聞こえないだけではなく猛烈な耳鳴りに悩まされているそうです。その苦悩の境遇の中で作り上げたのがこの交響曲で・・・NHKのドキュメンタリーではお涙頂戴ストーリーが展開されていました。
それに影響というか感銘を受けた善良な聴衆がコンサートに沢山押し寄せて、涙する。実に美しい話です。
CDの解説もすごいです。このメロディは苦悩の表現なのだといった式の感情的な解説が満載。音楽は音楽でのみ理解されるべきです。
でもこの曲はそんなお涙頂戴話を何もつけなくてもとても立派な作品です。ヒロシマと関連づけなくても、苦悩の姿と結びつけなくても、純粋な音楽として聴くべきです。そもそも音楽なんて作曲家の人生と作品は本質的に関係ありません。性格の悪い作曲家が作ったとてもいい作品があるでしょうし、下ネタが大好きな作曲家が作ったとても純粋可憐な音楽もあるでしょう。
このCDは10万枚も売れたといいますから、クラシックでは異例の売れ行きです。売れないより売れた方がもちろんいいですし、コンサートも人が沢山入った方がいいに決まってます。でもこの交響曲はそんな単純な造りではないし、そんなに分かりやすい曲ではないと思います。もちろん現代音楽としては、メロディが沢山聞こえるし分かりやすい方でしょう。少なくとも、松平則あたりの作品よりはすんなり聴けるでしょう。
でもこの曲が受け入れられるのでしたら、例えば矢代秋雄の交響曲なんて曲ももっと広く聴かれてもいいと思います。黛敏郎のオーケストラ作品だってもっと知られてもいいと思います。でもそれらは全然。極端すぎます。
まあ有り体に言えば、お涙頂戴のストーリーに乗せられた善良な聴衆が、大きな音のメロディックな部分に反応しているといったところでしょう。でも全ての部分をよく聴いてください。とてもしっかりした造りのいい曲ですから。え?ちゃんと聴いてるって?こりゃまた失礼!
以前お涙頂戴ストーリーに包まれて登場した某演奏家がいました。今もコンサートは人が沢山入るらしく、周りで一杯カネを儲けている人がいるんでしょうけど、この演奏家は全然うまくありません。ナンジャコレ?って感じです。この作曲家に関しても、どうせまた同じ感じだろうと「期待」してCDを聴いたんですが、いい意味で期待はずれでした。なんのかんのいってもこの曲が世に広まらないよりは広まった方がいいですから、まずはめでたいことだと思います。そしてさらに現代に作曲された音楽にも目が向くともっといいと思います。でも、これが難しい・・・
何度か聴いてみて思ったことは、
とても優れた作品である。
この曲は純音楽である。
ということです。
曲は、第1楽章が始まって少したったところで出てくる、半音階的な要素を含む主題(動機)が様々な形に変形されて、全楽章を貫く循環主題となっていて、とてもしっかりした構成力を感じます。副題にHiroshimaなんてついていますが、多分売らんかなの周りの人がつけてしまったのかも。
このCDを聴く前に、同氏著書「交響曲第一番」も読んでみました。佐村河内守氏は耳が聞こえない作曲家で、単に聞こえないだけではなく猛烈な耳鳴りに悩まされているそうです。その苦悩の境遇の中で作り上げたのがこの交響曲で・・・NHKのドキュメンタリーではお涙頂戴ストーリーが展開されていました。
それに影響というか感銘を受けた善良な聴衆がコンサートに沢山押し寄せて、涙する。実に美しい話です。
CDの解説もすごいです。このメロディは苦悩の表現なのだといった式の感情的な解説が満載。音楽は音楽でのみ理解されるべきです。
でもこの曲はそんなお涙頂戴話を何もつけなくてもとても立派な作品です。ヒロシマと関連づけなくても、苦悩の姿と結びつけなくても、純粋な音楽として聴くべきです。そもそも音楽なんて作曲家の人生と作品は本質的に関係ありません。性格の悪い作曲家が作ったとてもいい作品があるでしょうし、下ネタが大好きな作曲家が作ったとても純粋可憐な音楽もあるでしょう。
このCDは10万枚も売れたといいますから、クラシックでは異例の売れ行きです。売れないより売れた方がもちろんいいですし、コンサートも人が沢山入った方がいいに決まってます。でもこの交響曲はそんな単純な造りではないし、そんなに分かりやすい曲ではないと思います。もちろん現代音楽としては、メロディが沢山聞こえるし分かりやすい方でしょう。少なくとも、松平則あたりの作品よりはすんなり聴けるでしょう。
でもこの曲が受け入れられるのでしたら、例えば矢代秋雄の交響曲なんて曲ももっと広く聴かれてもいいと思います。黛敏郎のオーケストラ作品だってもっと知られてもいいと思います。でもそれらは全然。極端すぎます。
まあ有り体に言えば、お涙頂戴のストーリーに乗せられた善良な聴衆が、大きな音のメロディックな部分に反応しているといったところでしょう。でも全ての部分をよく聴いてください。とてもしっかりした造りのいい曲ですから。え?ちゃんと聴いてるって?こりゃまた失礼!
以前お涙頂戴ストーリーに包まれて登場した某演奏家がいました。今もコンサートは人が沢山入るらしく、周りで一杯カネを儲けている人がいるんでしょうけど、この演奏家は全然うまくありません。ナンジャコレ?って感じです。この作曲家に関しても、どうせまた同じ感じだろうと「期待」してCDを聴いたんですが、いい意味で期待はずれでした。なんのかんのいってもこの曲が世に広まらないよりは広まった方がいいですから、まずはめでたいことだと思います。そしてさらに現代に作曲された音楽にも目が向くともっといいと思います。でも、これが難しい・・・