リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

音楽の聴き方

2016年12月01日 13時38分01秒 | 音楽系
10年程前までは、CD屋さんは恐ろしいところでした。店に入ると1時間は長居して、しかも2万円くらい(安くても1万円)は使ってしまうのですから。

それが、気が付いたらCDはほぼ100%店で購入することがなくなり、ネットで購入しています。けしからんことに、すごくいいアルバムが1円で売っていたりします。(この場合、送料が300円くらいはとりますので、そこで儲けているのでしょう)

つい最近も値段は忘れましたが、三善晃の作品集を見つけましたので早速購入いたしました。お値段は忘れましたが2枚組にしてはえらい安かったことは覚えています。

曲は交響4部作「夏の散乱」「谺(こだま)つり星」<チェロ協奏曲第2番>、「霧の果実」、「焉歌(えんか)・波摘み」です。なんか難しい漢字がいくつかありますが・・・



三善晃は2013年に亡くなりましたが、CDの録音作品は1995年~98年に書かれた作品ですので、最晩年の作といってもいいと思います。このアルバムはとても珍しく、同じ曲が異なるオーケストラで2組演奏されています。つまりCD1は東京交響楽団、CD2は大阪フィルハーモニー交響楽団、指揮者とソリストは共通でそれぞれ秋山和慶、堤剛です。

実はCDは中古で購入しましたので、中を開けてみると何やら書かれている付箋が残っていました。読んで見ますと・・・

(○の部分は読めません)
「B29の大編成が空の円盤を響かせて地上に沈○を○いている/メロディアスなのも空ろ/不幸な時代の不幸な音楽家/○く音、軋る音」

裏面には、
「大きな深い穴の傍らに佇んでいる。底は見えない。柱状摂理のひびわれ、散乱のイメージはある。電源が突然切れる。○○の○も○○にならない」

CDには作曲者自身が、ライナーノートを書いていますが、そこにはこの連作のテーマとなる戦争、原爆、死などについて書かれています。「夏の散乱」については、「・・・この曲には、二度の原爆の年月日の数列19458689による5音旋法(CDFGCACD)を用いた。・・・」とありますし、「焉歌・波摘み」の最後は「・・・しかし曲の最後、つまりこの四部作の終焉には、波は、死者たちの耳が最後に聴きとったはずの子守歌を、途切れ途切れに歌う。海は母、波は魂・・・・生者と死者の隔てなく」という文章で結んでいます。

音楽を聴く「とっかかり」として作曲者自身が語ることばを読むのはわかりますが、このCDの前オーナーは結局はライナーノートを読んだだけで、CDの音は耳に届いたけど音そのものの意味は届かなかったのではないでしょうか。といいますか、彼は(彼女かも知れません)音楽に具体的な意味とかイメージを求めるという聴き方をしていたのでないでしょうか。

音楽を聴くとき、解説をまず読まないとさっぱりわからない、とおっしゃる方は多いですが、何も考えずにただその音に身を(耳を)まかせてみてはどうでしょうか。感想をことばで言うとかまとめたりする必要はありません。音楽は文芸や美術とは異なる芸術です。文芸的に説明したり、美術的な視覚イメージを求める必要はありません。ただ音によって伝わってくる何かを感じらればそれでいいのです。そもそも文芸である小説だって感想文なんて不要ですし、ビジュアルな「君の名は。」も感想文不要、そのまま受け止めればいいのです。世の中説明が多すぎるし、人々もそれを求めすぎます。

CDのライナーノートには別の評論家による解説がありました。「ほんとうは、書かれた文章など読まずに、これらの音をそれぞれの耳で聴き、それぞれのことを受け取っていただきたい。・・・」とありました。そうです、いいことおっしゃる。自分の耳で音を充分受け取ったあとで、作曲者のことばを読むというのが本筋でしょう。