「良し悪し」と書いてなんと読むか?「よしわるし」ではない。正解は「よしあし」である。ところが最近、日常会話でも「よしわるし」と言う人が「よしあし」と言う人より増えてきた気がする。これは書き言葉が話し言葉を支配した一例だ。
「七味唐辛子」を「しちみとうがらし」と読む人が多くなった。もともとは「なないろとんがらし」と言った。私の子供のころは、そうだった。「なないろとんがらし」をシャレで「七味唐辛子」と書いたら、シャレにならなくて、とうとう「しちみとうがらし」と読むようになってしまった。(「とうがらし」か「とんがらし」かは、ここでは置こう。)
ついには単に「しちみ」と言うようになった。もうシャレもへったくれもない。語源が分からないほどに、書き言葉が話し言葉を凌駕してしまった。事の初まりは「なないろとんがらし」だったのである。
平成23年11月7日の朝日新聞の天声人語に「筋金が入っている」という表現があった。もっと普通に言えばよいのに・・。「筋金入り」は、それだけで一つの単語みたいなものだ。だから「筋金入りである」と言えばよい。天声人語は日本語の手本だということに一応なっている。妙な表現を導入する必要はない。保守的であれ。
「七味唐辛子」を「しちみとうがらし」と読む人が多くなった。もともとは「なないろとんがらし」と言った。私の子供のころは、そうだった。「なないろとんがらし」をシャレで「七味唐辛子」と書いたら、シャレにならなくて、とうとう「しちみとうがらし」と読むようになってしまった。(「とうがらし」か「とんがらし」かは、ここでは置こう。)
ついには単に「しちみ」と言うようになった。もうシャレもへったくれもない。語源が分からないほどに、書き言葉が話し言葉を凌駕してしまった。事の初まりは「なないろとんがらし」だったのである。
平成23年11月7日の朝日新聞の天声人語に「筋金が入っている」という表現があった。もっと普通に言えばよいのに・・。「筋金入り」は、それだけで一つの単語みたいなものだ。だから「筋金入りである」と言えばよい。天声人語は日本語の手本だということに一応なっている。妙な表現を導入する必要はない。保守的であれ。