(アマゾンより引用。)
現代俳句が理解できない。季語はないし575でなかったりする。たとえば・・
千手観音雨はやんだようで蔵書の幾多
これの意味がわかるだろうか?自分だけわかって悦に入っているのではないか?
大学の恩師のB教授は現代俳句でこの辺では有名である。地方紙に俳句時評なども書いている。むろん、この人の俳句もわからない。
そのB教授が私の属している伝統俳句の結社誌に招かれて俳句を寄せるようになった。今度は伝統俳句(ホトトギス俳句)である。伝統俳句なら私にもわかる。
ところがB教授の伝統俳句はつまらないのだ。端的に下手である。現代俳句は伝統俳句の才能がない人が苦し紛れに逃れたジャンルなのではないかと思えてくる。
※私の俳句(秋)
熱の身に梨の水気の甘美なる