(日露戦争の兵士を迎える凱旋通り(絵葉書)。鳥飼行博研究室のHPより引用。)
上の写真は日露戦争の兵士を迎える道路である。(終戦後の写真かは不明。)大国ロシアに勝ったと、終戦後は日本各地で戦勝を祝う提灯行列が行われたという。
日本政府は、このまま戦争を続けると物量で負けると察して、有利なときロシアと講和した。したがって、賠償金は奪えなかった。それに激昂した民衆が「賠償金を取れ」と日比谷焼打事件を初めとする破壊行動を起こした。
先の大戦後、2年間シベリヤに抑留されていた亡父は「ひどい目にあった」とは言ったが、「このたびの戦争は間違っていた」とは言ったことがなかった。戦争に正しいも間違いもないのだ。
最近、「戦争体験者」として80代の老人の発言が珍重されるけれども、80代の前半ならまだ少年少女で「戦争体験者」ではなく、「"敗戦"体験者」に過ぎない。そのような人たちの「戦争は2度とやってはいけない」という言葉は「"負け戦"は2度とやってはいけない」と読み替える必要がある。
その老人たちが、もし日露戦争の時代に生きていたら「戦争は2度とやってはいけない」と言うだろうか?喜色満面で提灯行列に参加したクチではないか?そのように人間とは弱くて愚かなものだ。
※今日、気にとまった短歌
歓声の0.5秒前に鳴るミットに収まる白球の音 (川崎市)十詩子
敗戦経験者だから、二度と戦争は起こすなという言葉が出ると。
私のボンクラ頭では想像もつきませんでした。
そういう人は極一部ではないのかと思いたいです。
僕の発言にはしばしば毒があり、健康な常識人にイヤな思いをさせることがあります。(だから「へんちき論」と名乗りました。)(^^;
安全な場所からなら人は何とでも言える。時と場合によって言えないこと(言ったら危険)もある、ということを言いたかったのです。
現在「戦争反対」とは誰にでも言えることです。でも、戦前には言えませんでした。(言論統制があったから戦前は暗かったと思っている人が多いですが、父や祖父の時代の人でも戦前だって別に暗くはなかった、という人もいました。)
現在80代の人も安全な場所から発言しています。それは少数派では決してなく多数派です。80代の人で本当の少数派は「自然な流れとして戦争になってしまうこともあるんだよ」とおっしゃる人で、そちらの人のほうが覚醒した人で、僕は尊敬します。
今後とも懲りずにコメントをお寄せください。m(__)m
http://blog.goo.ne.jp/nakazato-hitoshi/e/925bb1563ef4568e4de265b86df50067
ご説明をいただき、院長さんの述べたいことがわかったような気がします。(なにせ知識も思考力も足りない頭なのですみません)
戦後70年経ちもはや戦後ではない、と何かに書いてあるのをみましたが、私もそんな気持ちがします。
戦争体験の語り部がいなくなるから、次の世代に語り部を、というのには、そういうものではないだろうと思いますが。
いつも的外れのおかしなコメントを書いてしまって、申し訳なく思っています。
次の次にまた戦争について述べたいと思います。健康な常識人なら「こいつ、なに言ってんだ!」というような記事なる予定ですので、一読してみてください。(^^)