(全国チェーンの不動産屋。LIFULL HOME'SのHPより引用)。
土地の優良物件とは、南道路、正方形に近いものを言う。角地なら申し分ない。しかしながら、そのような優良物件は万に一つもない。もし、そのような物件があれば、市場に出る前にコネがある人に売られてしまう。
南道路でも南側の間口が狭く、南北に細長い土地だったりする。そういう物件なら市場に存在する。
住居にするなら南側の道路は幹線であってはいけない。車の音がうるさいからだ。暴走族が通るかもしれない。また、店舗が開けるような幹線道路だと地価が高い。
ここまで来て考えてしまう。そもそも土地とは個人の所有になじむのだろうか?空間や川や海のように、おおやけのものではないのか? 少なくとも石器時代はそうだった。人々はどこの土地にでも住めたし移動することもできた。土地を「所有」するという考え方は、紀元前の古代ローマ帝国時代以来、いやそれより前の農耕文明による定住化時代から出現したようだ。
個人レベルなら、隣家との境界線争いをしている人を複数知っている。国家レベルでも尖閣諸島や北方領土問題がある。
土地の個人所有を認めないと共産主義的だと言われそうである。だが、共産主義国家でさえも領土拡張の野心がある。
自由主義である以上、土地の個人所有を認めなくてはならないのだろうか?個人所有とは欲望と表裏である。強欲な人ほど所有したがる。
人間とはイヤなものだなぁ、と慨嘆するしかないのだろうか?
※私の俳句(秋)
瀬の音に消されさうなる虫の声