(燃料電池の仕組み。ShowaDenko のHPより引用。)
「物理学に因果関係はない」 (2013-08-26) と聞いて、心底理解できたわけではないが少しは膝を打つところがあった。渡辺彗の『知るということ-認識学序説』(ちくま学芸文庫)にも似たようなくだりがある。
私流に解釈すれば、化学的な言辞「水素が酸素と反応すると、すごい爆発が起こる」というのは(どちらが先という)因果関係を表していない。「水素と酸素の反応」が原因で「すごい爆発」が結果ではないのだ。
「水素と酸素の反応」と「すごい爆発」は同じことを別の言い方で言っているに過ぎない。「爆発」がイコール「化学反応」そのものなのだ。科学的な言説にしてそうなのだから、私たちの日常語はトートロジー(同語反復)の洪水なのかもしれない。
(典型的なトートロジーは新聞社の「明日は休刊日に当たりますので、朝刊を休みます」である。休むから「休刊日」と名付けたのではなかったか?)
※長歌を詠んでみた
巷なる中学校の教室にイジメ意地悪多けれど情厚き子も少なからざり (豊橋市)中里ひとし
また、必ずしも文の全文を頭に浮かべてから文を書いているわけではないと思いますが、これなどは脳の無意識の領野の関与で説明がつくのかも知らないと思っているのですが、どうなのでしょうか。
ちなみに、「思わず手が出て」から怒りに襲われるような現象は普通のことだと、池谷裕二氏の『単純な脳、複雑な私』(講談社ブルーバックス)に書いてあったような覚えがあります。もっとも、同書ではもっと奇妙なことも書いてあったように思いますが、常識人?の私にはきちんと理解できなかったようなので、紹介は控えます。とにかく、面白い本でした。
純粋な前後関係と擬似的な前後関係がについて、僕は詳しく知りません。「手を出してから怒りがこみあげてくる」というのは面白い例ですね。
僕の勝手な解釈ですが「物理現象には前後関係がない」と言っちゃっていいかもしれません。
「重力によって物体どうしが引き合う」というのは言語表現の限界で、「物体どうしが引き合うから重力がある」と言っても同義のような感じがします。
ちかぢか物理学者に訊いてみます。