院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

江の島の思い出

2013-10-31 06:04:28 | レジャー
 私が幼いころ、大きなレジャーの一つに江の島観光があった。当時住んでいた東京都心からバスで2時間ほどの、大人も子供も楽しめる観光スポットだった。


(Wikipediaより「江の島」。中央に建っているのが展望台の鉄塔。)

 町内で貸し切りバスを1台仕立てて、日帰りで行った。当時から江の島には展望台のタワーが建っていたが、上の写真ほど立派ではなく、むき出しの鉄塔だった。(江の島のタワーのほうが東京タワーより前からあったのだ。)タワーにはエレベーターがないから階段で登った。手すりがあるだけで、風防がないので、登るのはスリル満点だった。木の板一枚の床には節穴があって、節穴から下界が見えた。

 江の島へは橋がかかっていて有料だった。橋を渡るのにお金を取るのかと、幼い私は世間の世知辛さを初めて知った。(のちに陸地と島の間に砂州ができて、橋を使わなくても江の島に行けるようになった。私は有料の橋に対して「ざま見ろ」と思った。)

 橋の手前にも島にもテント造りの土産物屋がたくさんあって、サンゴのようなものを売っていた。すべての店が同じ品物を売っているので、不思議に思った。

 江ノ電は今ほど有名ではなく、バスで行ったせいもあって、江ノ電に乗ることはなかった。

 貸し切りバスにはバスガイドがいて、道程の各所に伝わる「伝説」(孝行息子がここで金を掘り当てた類の話だ)をしきりに話した。その「伝説」が本物なのかどうか、今となっては分からない。

 東京タワーが着工されたころ、デパートではエスカレーターを導入し始めた。なんと江の島にもエスカレーターができた。長大なエスカレーターで、振り向いて今来た下の方向を見ると怖かった。

 クーラーや冷蔵庫はデパートにさえなかった。風呂は薪で炊いた。都市ガスはあったが、風呂はガス代がかかるからか、薪だった。庶民はクーラー冷蔵庫よりも、エスカレーターのほうを先に体験していたのだ。

 やがて東京タワーが完成し、日本は高度経済成長時代へと突入していった。


毎日JPより。1958年、建設中の東京タワー。周囲にビルがない!)

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