(JOCのホームページより。)
近代オリンピックに聖火が用いられるようになったのは、第1回のギリシャ大会(1896年)からではなく、1928年のアムステルダム大会からである。さらに聖火リレーが行われるようななったのは1936年のベルリン大会からである。
人は歴史や伝統に従うのが好きだから、古代オリンピックのように聖火が導入されたのだろう。
なるべく伝統にのっとるために、採火式はわざわざギリシャのヘラー神殿跡で凹面鏡を用いて行われる。それも非公開でである。そのほうが神秘性が増すからだ。(本番の採火式は写真にも残されない。上の画像はリハーサルのものである。)それによってオリンピックは、数多くの国際体育大会の中で特権的な地位を占めることができた。
わが国では、多くの戦が天皇を奉じて行われた。にわかに台頭してきた豪族には天皇家という歴史と伝統が必要だった。徳川家康でさえ後陽成天皇から征夷大将軍を拝命したのであって、権力はともかく格としては天皇の上をいく存在ではなかった。
歴史と伝統は、それだけで正当性をもっている。だから、人々を惹きつける。歴史と伝統とは関係がなさそうな、今流行のファッションに身を包んだ茶髪ギャルでさえ京都奈良・伊勢に詣でたがるのは、そのためである。