院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

日本医師会がTPPに反対する訳

2011-11-15 04:05:47 | Weblog
 日本がTPPに加入すると、世界に冠たる国民皆保険制度が危うくなるというのは本当である。だから日本医師会はTPPに反対している。大資本が医療界に入ってくると、受けられる医療やサービスの格差が拡大する。今でも金持ちは入院中には特別室にしか入らず、相部屋は嫌うではないか?

 国民皆保険制度が、どんな社会主義国よりも徹底した計画経済であるということを知る人は少ない。

 国民皆保険制度に少しでも資本主義的な要素が加わると、計画経済はほころびる。計画経済が駄目になると、今度は病院や医師に(資本主義的に)ランクが付けられるようになる。

 計画経済なら、いつどこでも料金は同じだから、ランクはあまり気にしなくてよい。しかし、資本主義的になると必ずランクが付けが行われる。日本医師会はそうしたランク付けを嫌ってTPPに反対しているのである。

 計画経済の皆保険制度でもランクが付けられるのだから、そうでなくなったらランク付けは徹底されるだろう。そうなると、人気がある病院とそうでない病院との間に格差が出てくる。日本医師会はこれがイヤなのだ。(他にもイヤな理由は多数あるが。)

 ところが、このランク付けというのが実は信用できない。医者自身がその病院で2ヶ月くらい働いて、じっくりと観察しないと良い病院かそうでないかが分からない。病院の良し悪しを見極めることはそれほどに難しい。それも、自分が専門にしている科しか見破れない。

 まして、素人さんに病院や医師の良し悪しが分かることは絶対にないと言ってよい。仲間内では駄目とされている医者に異常に人気が出たり、優秀な医者が意外にも評判が悪くなるといった現象が必ず出てくる。

 このような事態よりは、今のほうがよほどマシだから、日本医師会がTPPに反対するのを私は理解できるのである。

なぜ漁民には嫁が来るのか?

2011-11-14 04:30:31 | Weblog
 農家と違って漁民には後継者がいる。嫁も来る。

 何故か?漁業者は補助金が要らないほど儲かるからだと私は睨んでいる。農民が畑を耕すようには海を耕す必要がない。なんの努力をしなくても、水産物は自然に育ってくれる。

 こんなにいい商売はない。私も漁民になりたいとは、いつぞや書いた。しかし、私は漁民になれない。そこには漁業権という「財産」がからんでいるからである。漁業権はたいてい世襲である。ヨソ者が出る幕はない。

 その漁民が先年、原油高に抗議して海上デモをやった。私はいっぺんに白けた。漁民は自ら誇りを捨てたのである。農民のように。

農家に嫁が来ないのは何故か?

2011-11-13 03:43:57 | Weblog
 農家に嫁が来ないのは、農業が3Kの仕事だからではない。補助金漬けだからだ。人様から貰ったお金で生活している家に嫁が来るはずがない。

 ・・と言ったのは私ではない。もう20年以上も前に故山本夏彦さんが言ったことである。

 とくに兼業農家が補助金の恩恵にあずかっている。不作だと言っては補助金。災害と言っては補助金。今回の原子炉事故でも補助金ということになるだろう。風評被害にまで補助金が出るらしい。

 食糧自給率が云々、食糧安保が云々というのは口実に過ぎない。小規模でも農家をやっていれば食いはぐれがないのである。みんなお上が面倒を見てくれる。だから農村は大票田になる。民主党政権になるまでは、そういう構図がまかり通っていた。政権が変わっても、その構図は変わっていない。

 TPP問題でもそうだ。農業が崩壊するというのは、つまり補助金が崩壊することに他ならない。

 全国200万人と言われるワーキングプアを見よ。彼らは給料が少ないからといって、補助金が貰えるわけではない。クビになっても補助金は出ない。

 ワーキングプアから見れば、農家は恵まれすぎている。食糧自給率40%と言ってもカロリーベースだ。金額ベースなら60%である。カロリーベースで自給率を発表している国は日本以外にはない。ためにする統計だとしか思えない。

 だからJAがいくらTPPに反対しても説得力はない。

受験のカリスマ・和田秀樹さん

2011-11-12 02:11:16 | Weblog
 灘高から東大理�へ行った秀才の和田秀樹さんは精神科医である。

 いまでこそ受験のカリスマで、受験に関する著書も多い。ちょっと立ち読みしてみたが、まことに当を得たことが書いてある。そして面白い。

 和田さんは実は精神医学的な本も昔は書いていたということを知る人は少ない。「シゾフレ日本人」(kkロングセラーズ、1994)がそれである。シゾフレ人間とメランコ人間という類型を取り出して、一般人に向けて書かれた日本人論だ。私は和田さんが有名になる前に読んだ。

 この本は、浅田彰さんのベストセラー「構造と力」(勁草書房、1983)と似ている。「構造と力」では浅野さんはスキゾとパラノを対立軸に置いている(*)。この本が、和田さんの「シゾフレ日本人」の売り上げを阻んだと言えるだろう。

 和田さんが医者を休業しているのは、自身の言葉によれば「文筆で得られる収入が医者の収入と同じくらいになったから」だという。

 和田さんは、とにかく勉強家だ。文筆業になってからも学会に出席している。この前、日本精神神経学会で姿を見かけた。

 (*)この概念は、木村敏のアンテフェストゥムとポストフェストゥムという対立概念を一般人に分かりやすく翻訳したものだと思う。

コンスタントに検索される用語

2011-11-11 04:07:56 | Weblog
 コンスタントに検索されている用語は次のようなものである。

 「船医」 船医は最近少なく、どういう存在か興味を持っている人が多いのだろう。

 「先天性中手骨欠損症」 外見を損なう奇形でありながら、一般に記載が少なく、調べたい人が多いのだろう。

 「正多面体が5種類しかないことの証明」 中学生や高校生が調べるのだろうか?

 「交互色彩分割法」 30年以上前に私が考案した非言語的コミュニケーションの技法である。未だに検索されることが嬉しい。そのため原著論文をPDFにして公開した。

 「被差別」 被差別がどこにあるのか、未だに知りたい人が多いのだろうか?私は知らない。

私の能楽遍歴

2011-11-10 07:19:26 | Weblog
 中学生のとき、Uちゃんというアダナの国語教師が「このクラスの中で本物の能を見たことがある者はいるか?」と問うた。一人もいなかった。高校生になってJiというアダナの古文教師が「能のバックで演奏している人たちを何と言うか?」と問うた。みな曖昧な答えしかできなかった。正解は囃し方である。

 何度も教師が能について語るので、能とは日本の古典芸能として、そんなに重要なものなのかと思って、私は水道橋の能楽堂に一人で見に行った。演目は「葵の上」というものだった。初めに説明があったから筋は分かったが、楽しめたとは言えなかった。ただ、囃し方の演奏はすごいと思った。

 家の近くに能楽堂があったので、そこにも行ってみた。その時は「袴能」と言って、面や衣装を着けない能だった。そのためか、入場料もとても安かった。席は椅子ではなく、桟敷だった。これも全然意味が分からなかった。面や衣装なしだから、余計に。

 同時に演じられた狂言は分かった。太郎冠者、次郎冠者が出てきて滑稽な劇を演じる。能よりも台詞が聞き取れるので、意味は分かったが、大笑いするほど滑稽ではなかった。

 大学生になってからも、能を今の妻とデートで見に行った。相変わらず意味が分からず、したがって面白くもなかった。でも、囃し方がすごかったので、能の「紅葉狩り」というレコードを買って、聴いていた。

 それから、20年間くらい能とは無縁の生活をしていた。ひょんなことから、妻が大鼓(おおつづみ)(その筋では大皮(おおかわ)という)をやり始めた。気に入ったらしく、もう10年以上も大鼓の練習をしている。

 私も影響されて、能管(能の笛)を2年間習った。若いころから管楽器をやっていたおかげで、能管の演奏はどんどん上達した。しかし、謡(うたい)との合わせ方が分からない。

 やっと能の基本のすべては謡にあると分かった。だから、演奏をするにも舞いをするにも、まず謡が十分にできなければなんともならないことがようやく分かった。私は謡を習う気はなかった。だから、能管も止めてしまった。

 妻は謡が分かるし、実際に謡うことができるから楽しいらしい。月に1,2回は能を見に行く。私も最初のうちは付き合ったが、とても退屈で、とうとう能からは手を引いてしまった。

 けっきょく能を楽しむことは、私にはできなかったけれども、能に関する知識だけは付いてしまった。心から能を楽しめる妻が羨ましい。

七味唐辛子、筋金入り

2011-11-09 00:14:39 | Weblog
 「良し悪し」と書いてなんと読むか?「よしわるし」ではない。正解は「よしあし」である。ところが最近、日常会話でも「よしわるし」と言う人が「よしあし」と言う人より増えてきた気がする。これは書き言葉が話し言葉を支配した一例だ。

 「七味唐辛子」を「しちみとうがらし」と読む人が多くなった。もともとは「なないろとんがらし」と言った。私の子供のころは、そうだった。「なないろとんがらし」をシャレで「七味唐辛子」と書いたら、シャレにならなくて、とうとう「しちみとうがらし」と読むようになってしまった。(「とうがらし」か「とんがらし」かは、ここでは置こう。)

 ついには単に「しちみ」と言うようになった。もうシャレもへったくれもない。語源が分からないほどに、書き言葉が話し言葉を凌駕してしまった。事の初まりは「なないろとんがらし」だったのである。

 平成23年11月7日の朝日新聞の天声人語に「筋金が入っている」という表現があった。もっと普通に言えばよいのに・・。「筋金入り」は、それだけで一つの単語みたいなものだ。だから「筋金入りである」と言えばよい。天声人語は日本語の手本だということに一応なっている。妙な表現を導入する必要はない。保守的であれ。

TPPとシャッター通り

2011-11-08 00:11:39 | Weblog
 シャッター通りはアメリカが造ったと、いつぞや書いた。アメリカとの協定で街の様子がこれだけ変わってしまうという、これは好例である。

 シャッター通りには美点も弱点もある。ある消費者にとっては郊外の大型店に車で乗り付けるのが便利だろう。反対に高齢者は駅前商店街がなくなって、買い物に不便をする。駅前商店街がなくなると、情緒的に寂しいという損得なしの意見もある。

 いずれにせよアメリカと協定を結べば、日本の風景は変わるのだ。TPPに参加すると、また変わるだろう。どのように変わるか分からないが大幅に変わるはずである。農業の問題なぞ一部のそのまた一部に過ぎない。

 TPPは多国間の協定と言うけれども、日本とアメリカだけで全貿易の90%を占めるというから、事実上、日本とアメリカとのFTAみたいなものになるはずである。

 日本の風景が大幅に変わることを十分念頭に置いて、TPPを考えていかなくてはならないだろう。

EBM(証拠に基づく医療)

2011-11-07 00:49:48 | Weblog
 鉄道員がよく「指差し点呼」のようなことをしている。指を差して「○○よしっ!」というアレだ。

 この動作の名称は、鉄道会社によって違っており、JRでは「指差し喚呼」と呼ぶ。「指差し確認呼唱」と呼ぶ鉄道会社もある。

 鉄道会社としては、むろん安全のためにやっている。しかしながら、本当に安全に役に立っているのかは、科学的には立証されていない。

 つまり、やらないよりも、やったほうが安全だろうという推測でもって、長年やられてきているのである。そう、あくまでも「推測」なのだ。

 同様の「推測」は医療でも行われている。傷口はばい菌が付くから赤チンで消毒してから乾かしたほうが安全だろうと、昔は「推測」されており、一般人のみならず医者もそうした。

 ところが最近の研究では、「赤チン消毒は意味なし」、「傷口は乾かしてはいけない」と「推測」されるようになった。傷口は洗うだけでよく、漿液で濡れたままのほうが自然の理にかなっていて治りも早いという。

 医療は経験だけでは駄目で、科学的に(効くか効かないか)立証しなくてはいけない、という厳密な一派が台頭してきた。彼らが掲げる立場をEBM(Evidence Based Medicine ・証拠に基づく医療)という。

 彼らがもっとも信頼するのはRCT(Randamized Controled Trial ・無作為抽出試験)である。

 上の「指差し喚呼」が本当に科学的に安全かを語るためには、RCTを行わなくてはならない。つまり、「指差し喚呼」する群としない群に分けて、どちらの群が統計的に有意に安全かを確かめなくてはならない。

 そんなこと実際にはできっこない。医療の分野でも「実際にはRCTができない」医療手技も実は多いのである。

世界で初めてのネット句会

2011-11-06 04:44:43 | Weblog
 ネットで句会を始めて18年になる。初めはパソコン通信でやっていた。インターネットが普及してからは、インターネットに句会の場所を移した。

 この句会がたぶん世界最初のネット句会だと思う。ネット句会は今は複数あって、それぞれに特徴のある活動をしている。

 みなさんご存じないかも知れないが、俳句人口はもうだいぶ前から、日本人よりも外国人のほうが多いのである。

 HAIKUと呼ばれて、いろんな言語で全世界で行われている。それらはむろん五七五ではない。季語もないことが多い。共通するのは3行で書くということである。別名、3行詩とも呼ばれている。

 私も英語俳句をやってみたいと随分前は思った。でも、日本語でも難しいのだもの、外国語で俳句という詩が作れるはずがないと思って諦めた。

 このブログの左サイドに、私が参加しているQLD句会というネット句会への勧誘を書いておいたけれども、それを見てQLD句会に参加した人は一人もいない。

 他のネット句会と較べてQLD句会の凄いところは、自分で言うのもナンだが、「資料室」や「道具箱」が優れているところだ。(他のネット句会には、このような「別室」がない。)

 俳句入門や句会の歴史の記事が、そこには収められている。また1993年の第一回のネット句会からの俳句が全部、保存してある。

 自動俳句生成プログラムも「道具箱」にある。

 一度、覗いてみてほしい。

http://homepage3.nifty.com/qldkukai2/

イルミネーションが好きでない

2011-11-05 03:48:30 | Weblog
 イルミネーションがそこここで光り始めた。クリスマスの前触れである。

 私はイルミネーションに感動しないとは、いつぞや書いた。感動したのは幼稚園までで、あとは美しいとも何とも思わなかった。

 それを美しいとか華やかだとかテレビで報道している。どこが美しいのか私には分からない。美しいどころか、いかにも人工的な感じがして、極端に言えば嫌悪感さえ覚える。

 自分の家を電飾で飾り立てている人がいるが、気持ちが分からない。ちょっと洋服に凝ってみるというような乗りなのだろうか?

 洋服なら洗練されているけれども、イルミネーションは洋服ほどの歴史がないから、洗練されているとは言いがたい。

 お城やタワーのライトアップは、まだ美しいと思う。たぶんプロがやっているからだろう。でも、樹木のライトアップは感心しない。樹木は生き物で、光に思いも寄らない反応を起こす。

 電照菊がいい例である。あれは光で菊を騙して狂い咲きさせるのである。樹木のライトアップが樹木に何の影響も及ぼさないとは考えにくい。

 以前に同様のことを、ここに書いたとき、神戸のルミナリエを批判した。そのときは、あのイルミネーションが、阪神大震災の慰霊として造られたとは知らなかった。ただ派手なだけでなく、別の意味合いがあるのなら、あながち批判ばかりもできない。

 でも、私はイルミネーションが好きではない。

日本の音曲

2011-11-04 05:20:21 | Weblog
 NHKテレビの「日本の伝統芸能」というような番組を見ていたら、知らないことをたくさん言っていた。

 その回は「清元」の紹介だった。清元の名前くらいは知っていたが、どういうものかは知らなかった。どうも「常磐津」から派生してきたものらしい。

 清元は高音を使い、義太夫にあるような「語り」がない。清元某という何代目かの家元が歌ったが、その絶妙な節回しに舌を巻いた。

 私の子供のころには「旦那芸」として、素人も習っていたように記憶する。今はどんな人が清元を習うのだろう?

 常磐津は義太夫の流れを汲むらしい。清元が繊細なのに対して常磐津は豪壮だというが、私にはその違いがよく分からない。

 浄瑠璃というのは、義太夫、常磐津、清元などを含めて、そう呼ぶらしい。

 一方、長唄というのがある。これには「語り」がない。(清元にもない。)長唄は歌舞伎のバックに使用される。義太夫も使用されるのではないか?清元は使用されるか知らない。

 小唄、端唄、俗曲は私の子供のころラジオで流れたが、今はどこに残っているのだろうか?歌舞伎では使用されることがあるのだろうか?

 こう見てくると、歌舞伎がどれだけ、いろんなジャンルの音楽を自らに取り入れたかが分かる。歌舞伎の笛は能のそれと、ほとんど一緒である。

 義太夫、常磐津、清元、長唄にはそれぞれ専属の三味線がある。中には人間国宝になっている三味線方もいる。歌と三味線の絡み合いがどのような理屈でなされているのか、西洋音楽で育った私には分からない。

 江戸期にはさまざまな音曲があったのだと改めてと感心させられる。いまでも化石のように残っている。いつかは断絶するのではないかと思うが、残そうと思う人も多いだろう。

 人形浄瑠璃は亡き祖母に連れられて、一度だけ見たことがある。歌舞伎も一度だけ見た。私は幼かった。歌舞伎は重箱に弁当を詰めて、食べながら見た。幼児には退屈だった。

混血美女の系譜

2011-11-03 20:27:47 | Weblog
 ハーフ美女の嚆矢は鰐淵晴子さんだろう。アイノコという蔑称がまだ残っていた時代のタレントである。

 後に山本リンダさん、アン・ルイスさんが出てきた。山本さんは「ウララ、ウララ・・」で変身して、人気を博した。アン・ルイスさんは本格的なロックシンガーとして有名になった。

 山本さんは、もともと少女雑誌の表紙出身。アン・ルイスさんも名前は知られていなかったが、10代半ばから実はカメラの広告に出ていた。シンガーとして大成する前は、2人とも無名のモデルだったのである。

 現在のハーフ美女3人組というと、ベッキーさん、シェリーさん、BENIさんだろうか?みな苗字がないのが特徴である。いずれもNHKと親和性があるのも共通している。

 BENIさんは7年ほどまえから、無名の広告モデル(乳業)だった。最近、やっとメジャーになったが、旬は過ぎて、年齢的にもうアイドルにはなれないだろう。歌を歌い始めたけれども、アン・ルイスさんのように成功するかどうか?

 シェリーさんには姉が2人いる。そのうちの1人はハワイで所帯を持っている。テレビで見たが、ハーフ女性がすべて美女ではないことがよく分かる。

 ついでながら、このブログでは「松たか子姉、吉永小百合姉」という検索が非常に多い。

東日本大震災での「学童疎開」

2011-11-02 04:00:29 | Weblog
 東日本大震災の報道では、学童が放射線被害から逃れるために他の地域へ避難したことを「疎開」と表現していたメディアがあった。

 戦争でもないのに、なぜ「疎開」なのだろうかと思った。それに、すでに「疎開」という用語を知らない世代の方が人口が多いのではないか?

 太平洋戦争中、攻撃されやすい都市部から田舎へ学童を避難させることを「学童疎開」といった。

 「疎開」とは元来、軍事用語である。敵に向かって進軍するときに敵が火器で攻撃してきた場合には、集団隊形は危険である。いったん、集団をバラバラにするのが兵法の常套手段で、これを「疎開隊形」と呼んだ。隊形を疎に開くという意味である。

 戦時中、学童を田舎に避難させるときに、軍部は「避難」という用語を嫌った。「逃げる」というニュアンスがあるからである。そこで「疎開」という軍事用語を用いたというわけである。

 以上のことは、戦争体験がある母も知らなかった。

秋田美人

2011-11-01 00:09:39 | Weblog
 学会で一度だけ秋田に行ったことがある。秋田と言えば秋田美人がよく知られている。

 歌手の藤あや子さんやタレントの佐々木希さんは、秋田出身の美人である。秋田では、そんな美人が普通に八百屋のおカミさんをやっていたりする、という話は昔から聞いていた。

 秋田在住の友人が、秋田美人を見せてやると言った。そこで、友人に付いて秋田市の街を歩いた。

 「あの女性が秋田美人か?」と私。友人は「あの程度では秋田美人とは言わない」と。

 2時間ほど歩いたが、とうとう秋田美人は見つからなかった。「いつもは、もっといるんだがなあ」と友人。「ま、今回は運が悪かったと思ってくれ」だと。

 ほかに静岡と京都が美人の産地だと私は思う。名古屋はブスの名産地だ。ちなみに妻は名古屋生まれの名古屋育ちである。