えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

後夜祭:再開のうた

2010年03月02日 | 雑記
観はじめてから、ロビーでの拍手まで、胸にずっと何かが燠火のように
残り続けています。

それがなんなのかは、残念ながら、うまくことばにできないのですが、いい夢をみたあと、
目が覚めて夢の外にいることを感じていながらも、夢の残した香りがまだ消えずに
漂っている、離れてもなお余計にきつく香るにおいに酔っている、といった感じです。

たいがい好きで好きでしょうがないか、よかった、と思えば思うほど、ことばがなくなります。


大森博史も小日向文世も串田和美も吉田日出子も笹野高史も、みんなみんなとにかく素敵でした。
笹野高史はバンドマスターとして指揮を振るう手が何よりも格好良かったです。
串田和美は楽器を持っていないとき、一人になったときに舞台に重みを与えてくれました。
大森博史の立ち姿は真摯で心をひかれます。
小日向文世、素直になれない男の意地と見栄がよいです。
楽器を手にした後の誰もが、そのままの自分で吹いていた音楽の勢いはすばらしかった。

そして、吉田日出子の声はやっぱり、芝居全体の脊髄となって流れていました。
彼女の声があってこそ、この劇をもう一度やろうと言ってやれたのだと思います。
からだが衰え、音こそ低めでしたが、悲しいことも辛いことも受け入れてくれるような
やさしさがあるくせにどこか距離を置くような色っぽさは、戦争に巻き込まれた人々を
描いたある部分では重々しい舞台を包み込んでいました。

ああこの声に惹かれて私はあそこに行ったのだ、上海バンスキングに行ったのだ!
観れてほんとうにほんとうによかったです。

観劇を共にしてくれた友達、吉田日出子の歌を教えてくれた叔父、
何より吉田日出子が好きだった祖父に、今日はありがとうございました。
コメント
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