:史記世家 全三巻
:史記列伝 1~2 岩波文庫 小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳
ここまで読んでからしまった!と思ったのは、岩波文庫版では「本紀」が出ていないので
王朝の流れや事件の流れが非常に断片的になってしまったことです。
いわずと知れた司馬遷によって、BC91年武帝のころ書かれた「史記」は、中国で初めて
紀伝体のスタイルをとった歴史書でした。
全ての出来事を年代別に記してゆく編年体の「春秋」がそれまでのスタンダードだったの
ですが、司馬遷はあえて個々の国や人間にスポットをあて、書き連ねてゆく紀伝体を選び
ました。そのおかげで、うっかりすると年代に埋もれてしまいそうな人、国、そうした
ものの誕生から終わりまでを私たちは濃密に読むことが出来るのです。
紀伝体はいくつかの章に分かれています。まず「本紀」があり、天文・歴史・作法などを
つづった「書」、そして「世家」「列伝」。他にもあるかもしれませんがまずはこれまで。
細かいところを知るには全て読むに限りますが、大本を押さえるには「本紀」に限ります。
なぜか。
それは、「本紀」には天下を治めた王朝の歴史が描かれるからです。
何より、天下を治めた天下人たちの伝奇がここにあるからです。武王、始皇帝、項羽、劉邦、
バトンを引き継ぐように変わる国と人の伝統の根幹は「本紀」に詰まっています。
まずは是を読まなくては始まらないのですが、それでも「列伝」に惹かれるのは司馬遷の筆致です。
彼の筆致は、列伝になると俄然精気を帯びます。
たとえば、第26巻の刺客列伝の、始皇帝を暗殺しようとした荊カ(くるまへん+可)が
暗殺に失敗し、兵に取り囲まれたときを司馬選はこう描きます。
「……荊カは成功できぬとさとり、柱によりかかってからからと笑い、両足をなげだして
どっかとすわり、吐き捨てるように言った。」
原文は未読ですが、読点の打ち方にわずかながらリズムが残っていると思います。きっと
馬を走らせるように筆をたたきつけながら書き上げたのでしょう、動脈を切ったような
勢いほとばしる筆致です。
ただ出来事を描くだけならば、くやしがったり、笑ったりする描写はいりません。
竹の板を重ねることになっても、これだけの人の動きを司馬選は書きました。
「離騒」で知られる詩の名手屈原が、讒言にあい王の機嫌に触れ、僻地に流された時も
司馬遷の筆には墨以外の何かがのっています。
「屈原は長江の岸辺に来た。髪をふりみだして沼沢地をあるきつつ苦しみの声をもらし、
顔色はやつれ、すがたも枯れたようになっていた。」
「髪をふりみだして」や「苦しみの声」、「あるきつつ」。諫言がききいれられず、
世の中、人を諦めきった屈原の気が狂いそうな悲しみと苦しみを、司馬遷はたしかに
感じ取っています。自身も讒言を受け、死刑とひきかえの宮刑――男性としての機能を
失う刑――の屈辱を舐めても「史記」を完成させるために生きている身と引き比べて
いる。だからこそか、司馬遷は成功してつつがなく生涯を送った人よりも、正義を貫こうと
世に問いかけて去っていった人々の苦しみを描く時に筆が冴えてゆくのかもしれません。
でも、単に自分の苦しみを文にこめるだけではひとりよがりです。司馬遷の文は、資料の
深い読解に裏打ちされているものだからこそ、さらりと描く苦しみが引き立つのだと
思います。
どういう経緯で、かれはこんな行動を取ったのか。どんなことばが、王にどう受け取られたのか、
歴史書としてこそ書き残しませんでしたが、司馬遷の描く人物の動き方や台詞回しは
そんな思考の積み重ねの一部に過ぎないのでしょう。
この辺、「漢書」と読み比べてみたいところです。
:史記列伝 1~2 岩波文庫 小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳
ここまで読んでからしまった!と思ったのは、岩波文庫版では「本紀」が出ていないので
王朝の流れや事件の流れが非常に断片的になってしまったことです。
いわずと知れた司馬遷によって、BC91年武帝のころ書かれた「史記」は、中国で初めて
紀伝体のスタイルをとった歴史書でした。
全ての出来事を年代別に記してゆく編年体の「春秋」がそれまでのスタンダードだったの
ですが、司馬遷はあえて個々の国や人間にスポットをあて、書き連ねてゆく紀伝体を選び
ました。そのおかげで、うっかりすると年代に埋もれてしまいそうな人、国、そうした
ものの誕生から終わりまでを私たちは濃密に読むことが出来るのです。
紀伝体はいくつかの章に分かれています。まず「本紀」があり、天文・歴史・作法などを
つづった「書」、そして「世家」「列伝」。他にもあるかもしれませんがまずはこれまで。
細かいところを知るには全て読むに限りますが、大本を押さえるには「本紀」に限ります。
なぜか。
それは、「本紀」には天下を治めた王朝の歴史が描かれるからです。
何より、天下を治めた天下人たちの伝奇がここにあるからです。武王、始皇帝、項羽、劉邦、
バトンを引き継ぐように変わる国と人の伝統の根幹は「本紀」に詰まっています。
まずは是を読まなくては始まらないのですが、それでも「列伝」に惹かれるのは司馬遷の筆致です。
彼の筆致は、列伝になると俄然精気を帯びます。
たとえば、第26巻の刺客列伝の、始皇帝を暗殺しようとした荊カ(くるまへん+可)が
暗殺に失敗し、兵に取り囲まれたときを司馬選はこう描きます。
「……荊カは成功できぬとさとり、柱によりかかってからからと笑い、両足をなげだして
どっかとすわり、吐き捨てるように言った。」
原文は未読ですが、読点の打ち方にわずかながらリズムが残っていると思います。きっと
馬を走らせるように筆をたたきつけながら書き上げたのでしょう、動脈を切ったような
勢いほとばしる筆致です。
ただ出来事を描くだけならば、くやしがったり、笑ったりする描写はいりません。
竹の板を重ねることになっても、これだけの人の動きを司馬選は書きました。
「離騒」で知られる詩の名手屈原が、讒言にあい王の機嫌に触れ、僻地に流された時も
司馬遷の筆には墨以外の何かがのっています。
「屈原は長江の岸辺に来た。髪をふりみだして沼沢地をあるきつつ苦しみの声をもらし、
顔色はやつれ、すがたも枯れたようになっていた。」
「髪をふりみだして」や「苦しみの声」、「あるきつつ」。諫言がききいれられず、
世の中、人を諦めきった屈原の気が狂いそうな悲しみと苦しみを、司馬遷はたしかに
感じ取っています。自身も讒言を受け、死刑とひきかえの宮刑――男性としての機能を
失う刑――の屈辱を舐めても「史記」を完成させるために生きている身と引き比べて
いる。だからこそか、司馬遷は成功してつつがなく生涯を送った人よりも、正義を貫こうと
世に問いかけて去っていった人々の苦しみを描く時に筆が冴えてゆくのかもしれません。
でも、単に自分の苦しみを文にこめるだけではひとりよがりです。司馬遷の文は、資料の
深い読解に裏打ちされているものだからこそ、さらりと描く苦しみが引き立つのだと
思います。
どういう経緯で、かれはこんな行動を取ったのか。どんなことばが、王にどう受け取られたのか、
歴史書としてこそ書き残しませんでしたが、司馬遷の描く人物の動き方や台詞回しは
そんな思考の積み重ねの一部に過ぎないのでしょう。
この辺、「漢書」と読み比べてみたいところです。