価値観とは自分を別のものの中から見出すことで、モノを選ぶことはまさに
そのものずばりなのだということを読んだ時は素直にうなずいた。今はすこしずつ
深まる考えがうなずきをとどめようとする。それでも、自分が選んでいるものは
まちがいなく今の自分のあり方や、ものの見方と深く結びついていて、あるいは、
意図しないところでぎくっとする事象やことばに出くわして、やはり自分から逃れ
られないということを確認しては、気味が悪くなるいっぽうで安定した居心地の良さを
感じる。それがまた気味が悪くなる。
比肩して自分に押し込めないで、その人はそのままありのままに受け取りながら、
またその人のあり方に自分を見るような、二重のものさしが、モノにおぼれないためには
どうしても必要なありように思える。自分に帰ることがかえって足かせになっている
今の読書、どうしたものかと思う。
幼稚園のころに戻って、字と文をありのままに受け止める練習をもう一度するべきより、
誰かの選択に身を全てゆだねてみるのが早道なのだということはわかっている「のだが」
わがままに落ちる。
本の傍らにいるのに飽きているのか、本の傍らにいる自分に呆れているのかはよくわからない。
そのものずばりなのだということを読んだ時は素直にうなずいた。今はすこしずつ
深まる考えがうなずきをとどめようとする。それでも、自分が選んでいるものは
まちがいなく今の自分のあり方や、ものの見方と深く結びついていて、あるいは、
意図しないところでぎくっとする事象やことばに出くわして、やはり自分から逃れ
られないということを確認しては、気味が悪くなるいっぽうで安定した居心地の良さを
感じる。それがまた気味が悪くなる。
比肩して自分に押し込めないで、その人はそのままありのままに受け取りながら、
またその人のあり方に自分を見るような、二重のものさしが、モノにおぼれないためには
どうしても必要なありように思える。自分に帰ることがかえって足かせになっている
今の読書、どうしたものかと思う。
幼稚園のころに戻って、字と文をありのままに受け止める練習をもう一度するべきより、
誰かの選択に身を全てゆだねてみるのが早道なのだということはわかっている「のだが」
わがままに落ちる。
本の傍らにいるのに飽きているのか、本の傍らにいる自分に呆れているのかはよくわからない。