えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

:『聖ロザリンド』わたなべまさこ 初出1957年 2017年加筆・再販版 宝島社

2018年06月17日 | コラム
・仕掛けて仕損じなし

 漫画棚のてっぺんに『聖ロザリンド』を置いていたコンビニの前に教会があったのは、たまたまのことにしても高度な皮肉と業の深さを思った。
 『聖(セイント)ロザリンド』は単行本、文庫本、本書と細く長く手に取られ続けているわたなべまさこの少女漫画だ。2017年次で八十七歳を迎えたわたなべまさこは、本版の出版に当たり前日譚の10ページを描き下ろすファイトを見せ、カラーページには連載当時の原画を数枚載せるサービスも完備された完全版だ。薄紫色のバラを背景に、くまのぬいぐるみを後ろ手に抱きしめた金髪碧眼のキラキラした女の子の愛らしさに比して濃い中身だ。丸っこいタイトルフォントも可愛らしさを強調している。だが肝心の漫画のテーマは「殺人」だ。厳密には違うかもしれない。
「善悪もまだ理解できないであろう幼な子が、何気なく犯してしまう最悪な罪」と前書きで著者は書いている。少し違和感を覚えるかもしれない。次々に人の命をためらいなく奪う、八つのロザリンド・ハサウェイを、著者は400ページ近くを費やし描いたことだけが、誰の目にも確実にわかることだ。

 話を大別すると、ロザリンドの転地療養のために訪れたギリシアの別荘を舞台にした一部、イギリスに帰国して入れられた修道院から自宅のロンドンへ帰宅する二部に分かれる。冒頭、父方のおばの葬式で形見に渡された金の時計を抱えたロザリンドの、小首をかしげた笑顔はふわりとした髪に包まれ、微かに開く唇はつつきたくなるほどぷっくりと愛らしい。その隣のページではざくろのように脳天の割れたおば様の死にっぷりが描かれている。ロザリンドが罠を仕掛けておばさまを葬った事を知ってから読み返すと素直にこの見開きは怖い。
一部ではロザリンドが殺人を決める過程と理由、心象に重きが置かれており、そこにはロザリンドの確固たる殺人のルールがあると繰り返し訴えられている。そして彼女はルールに則り殺人を手段として使いこなす。その意思が最後の最後までほぼブレないからこそ、ロザリンドの殺人と無垢で優しい性格が矛盾せずに共存できている。

「欲しいと思ったものを手に入れる」「嘘を吐く人はバツを受けなければならない」金科玉条にロザリンドは忠実に従う。特に後者は最愛の母親から受けた戒めとして、自らも嘘はつかず、殺人を犯したかと問われればロザリンドは素直に全てを話す。しかし八つの、愛らしい少女の外見から伝えられる事実は誰も信じない。「ロザリンドのルール」を序盤は徹底的に描き、二部はロザリンドが元の住まいのロンドンへ帰宅する手段として殺人を犯す様がオムニバス式に描かれる。たとえばヒッチハイクの道中に、彼女の面倒を見て服やら何やら買い与えた有閑マダムを、ロザリンドは藤枝梅安の使いそうな罠でさっくり殺害する。理由は一つ、マダムの小物入れが欲しかったからだ。ただし物を欲しがる時はわがままを使わず、相手の生前に「死んだらロザリンドに渡す」といった約束を取り交わしてからでなければ殺さない。マダムはロザリンドが「欲しい」と言ったとき、冗談めかして遺言書にそれを譲ると書いてしまったために殺されたともいえる。もしかしたら「欲しい」と言われたときにすぐあげてしまえば助かったかもしれない。後の祭りだが。

 ちなみに彼女と関わったせいで亡くなった人数は第一部で10名、第二部で27名、直接手に掛けたのは合計34名と壮観だ。ロザリンドの恐ろしいところは、ナイフや銃といった使いやすい凶器を使わず、その場の環境に合わせた最効率の手段を即座に判断して使うことだ。個人的には二部の足が不自由で毎日「死にたい」と愚痴を言うおばあさんの言葉を親身に受け取り殺害を企てる話が素晴らしく怖かった。最初は枕で窒息させようとするも失敗し、「殺される」と家族に訴えるも普段の言動で信じてもらえず、一人きりにされて怯えるおばあさんの部屋の、釘づけされたドアの釘が一本ずつ外から抜かれてゆくコマは、ドアの向こうで見えないロザリンドの姿に緊張感を掻き立てられる。

 それが悪いことだとは全く思わず、しかしそれが目的に変わることもなく、ロザリンドは最後まで母親を求めて帰宅するために殺人を使う。凝った手段や美学などへったくれもなく、爽快なほど人の命を奪う。ロザリンドの起こした事件が元で自ら命を絶った母の死を、知らないがゆえに帰宅を邪魔するすべてを排除する一面は「サイコ」に見えるかもしれない。しかし普通の善行の延長と、小さな子どもらしいわがままを満たすためのロザリンドの殺人は少し違うように思える。ロザリンドは殺人という行為、言葉の意味を分かっていない。それだからこそ余計に、彼女が魅力的に見えてしまう瞬間がある。
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