えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・幸先アクセル

2019年01月01日 | コラム
 初詣の夜空はシリウスが完璧に輝いていた。何年も前に雷が落ちたかで枯れたケヤキの太い幹が残る境内には、どんと焼きの火が絶え間なく燃えさかっていた。火の粉が別のケヤキの枝の間まで飛び跳ねる。破魔矢の飛び出した紙袋を放り入れると、熾火になりかけた火が炎を上げて周囲が明るくなる。どんと焼きの前では保存会の半纏を着た壮年の男たちが福銭とおとそを配っていた。去年と変わらない。歳が新しくなった直後の時間の初詣は年々寒さに負けて脱落者が増えつつも、空を眺めながら列の動きを待つ一時は年を重ねるごとに代えがたくなる。
 ただまあ、それは仕方なく人間だからこそだろう、そんなわずかな時間にも遠慮なくなにかと騒ぎは起こるもので、初詣へ向かう車に乗った時点でおおよその予想はついていたのだが案の定、運転手と免許持ちがコインパーキングのどこへ車を入れるかでもめ始め、運転手は車庫入れを放棄してスマートフォンから伸びたイヤホンに自分を引きこもらせる始末となり、新年開始40分程度から家内安全の願いが切実なものとなった。オリオン座が社殿の屋根に隠れようとしている。腰の三つ星まですっきりと晴れて澄んだ夜空の下では亜音速で冷え切る空気が漂っている。いただいたおとそが腹の底で立てるころころとした音を聞きながら、真ん中の鐘を鳴らして参拝した。お賽銭は去年の福銭の五円玉にして、今年をお願いすることとしてお御籤をひき眠い目で帰宅した。

 二〇一九年がとうとう始まりました。文字どころかあっさりと、そこに人がいても簡単に人との接続を切ってしまう機械を皆々手に持ちながら、アプリケーションの文字に一挙一動する人間は過去の人から見ればそれなりに可笑しい風景かもしれません。
 人間の言葉が人間から放たれることが、おそらくこれからも言葉のツールを使い続ける人にとっては大切な設問になりつつある時代、前時代的なことばへとしばしお付き合いいただければ幸いです。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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