えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・一緒にいてもゲーム

2019年01月12日 | コラム
 親族がいちどきに集まる正月三が日、久しぶりにいとこの息子の顔を見た。ニンテンドー3DSに顔をうずめ、「あけましておめでとう」と声をかけても返事一つしない。ビールで顔を真っ赤にした父親であるいとこが挨拶をうながすが、子どもはおざなりに目だけをあげて首を軽く曲げた。横の弟が苛立ちを押えた気配がした。

 私たちの一家が集まったところで伯父が声をかけ、一族が声を揃えて「明けましておめでとうございます」と床に座る者は手をついて、椅子に座る者も腰を曲げて深々と互いに礼を尽くす。いとこの子どもはゲーム画面へ埋まるように身体を丸めた。視線は変わらずにディスプレイへ注がれている。父親は取り上げもせずに口先だけでほら、あけましておめでとうございます、だよ、と語り掛けているが子どもは無言で彼を避けた。

 食事をしている間はさすがにゲームは取り上げられていたものの、それは私たちが同じテーブルについていたからで、彼の周りに父親しかいない時はおそらく可能性として、ゲームをしながら食事をしていたのではないだろうか。と、駅伝を映すテレビの前に置かれた袋をいとこが漁り、チキンラーメンの袋を取り出した。机の上には伯母手づからの煮しめやてんぷら、漬物が並び、先ほど伯父が蕎麦を茹でに台所へ姿を消したばかりである。「誰が食べるの」「ああ、こいつ。そば食べるかわからないから」袋には子ども用のお菓子や食べ物が詰まっていた。

 数年前からその子の偏食ぶりを正月に確認させられてきた身としては、制止のひとことでもかけるほうが親切だろう。兄代わりに私たち兄弟を一番かまってくれたいとこでもある。だが私たちの誰もが悪者になる親切を侵すほど義理堅くはなかった。子どもの母親は二人目の赤ん坊の世話で家にいるのだという。確か彼女がいた時は神妙にしていたような記憶もあるが、目を離せばこの有様を知っていながらどうにもできないものなのか、と、他人事ながら首をひねる。

 蕎麦の盛られたざるをからっぽにしてふと気づくと、子どもはいつの間にか父親のスマートフォンを取り出しておそらくはニンテンドウのマリオらしきゲームを遊んでいる。その隣であぐらをかいている弟の横顔は、苦々しさを押し殺すような無表情だった。
コメント
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