「最初は迷いましたよ。ん?タイの人かなって」
ご朱印帖に書かれたメニューをめくりながら、外国人かどうかを迷う相手のことばを何とはなしに聞いていた。そんなに間違われるの、と、隣の老人が目をむいて驚く反応が新鮮だった。
同じ区画を何度も行き来して、目印の「みずほ銀行」の看板が街路樹と絶妙な下り坂で死角となっていたことに気づいたのは一時間ほど後だった。まだ夜は蒸し暑く背中のシャツがじっとり汗で重い。案内されたカウンター席の三つ隣では、色黒の細身の男がカウンター越しに作務衣姿の男と手慣れた英語でやりとりを交わしている。たった今私が勘違いされかけたタイの出身のような色黒の男は、相槌を打っては笑い、長い手足をカウンターへうまく折り曲げて収納しつつ大仰な身振りで歓談している。私の右側のカウンターの端には、一つ席を空けて開店から老人が座っていた。後ろのテーブル席からこぼれるかしましい会話と英語を耳にするともなく黙って酒を口に運ぶ。私と老人の話し相手になっていた坊さんは注文を受けて、軽快にシェイカーを振った。私はよく外国人に間違われる身の上話を老人に向けて続けることにした。
四谷三丁目の「VOWZ BAL」は現役の僧侶が経営する酒場で、世界中からのつっこみ「僧侶が酒を売っていいのか」を追い風に物珍しさから多くの国から客が訪れるそうだ。私が行った日も色黒の東洋人を始め、白人の若い女性の二人連れにドレッドヘアを頭のてっぺんで結んだ黒人男の二人組と、時間が経つごとに外国人の客が増えて行った。「国際色豊かですね」「ええ、海外からいらっしゃるお客さん多いんですよ」シェイカーを振っていたお坊さんの宗派を尋ねると予想通り浄土真宗だった。総本山のある京都には市内をちょっと歩けば一般家屋に紛れて「〇×寺」といった表札を掲げる在野のお寺に出くわすほど馴染んでいる宗派も、関東から東北にかけては寺院が少なくそれが悩みの種だそうだ。
「お寺が少ないんですよね、こっちは」「いや、あれだけ関西にお寺があるんですから十分では」「それはそうなのですが」さわやかな笑顔の含みは見なかったことにして、私は酒をすすった。隣の老人は勘定を済ませ、ありがとね、とニカッと笑うと階段を降りて帰って行った。八時頃だった。
アパートの一室を改装した酒場は細長く、大通りに面した窓辺と出入り口側に一つずつ黒塗りの仏壇が祀られている。営業時間中に二度「おつとめ」があるそうだが、仏壇同士がカウンターとテーブル席を行き来する動線の対角線となるかたちで向かい合わせにされているため、ないはずの視線を感じて落ち着かない。後ろの四人掛けの席では初老の女性三人が若い男の語りにうっとりと耳を澄ませている。いつの間にか推奨の数珠を幾重にも両手首に巻いた、目の光が目立つ男が私の隣に座る。夜が更けるにつれて、空気は澱のような渦を巻いて床へと沈んでゆくようだった。
私が会計を終えて時計を見ると、あと三分で説法が始まるところだった。「御朱印もあるんだね」「朱印帖、持ってくればよかったな」と明るく交わされる女性二人の声を後にして、秋めいて涼しくなった街路には、お稲荷さんのお社が街頭にぼうっと照らされていた。勘定は安かった。
ご朱印帖に書かれたメニューをめくりながら、外国人かどうかを迷う相手のことばを何とはなしに聞いていた。そんなに間違われるの、と、隣の老人が目をむいて驚く反応が新鮮だった。
同じ区画を何度も行き来して、目印の「みずほ銀行」の看板が街路樹と絶妙な下り坂で死角となっていたことに気づいたのは一時間ほど後だった。まだ夜は蒸し暑く背中のシャツがじっとり汗で重い。案内されたカウンター席の三つ隣では、色黒の細身の男がカウンター越しに作務衣姿の男と手慣れた英語でやりとりを交わしている。たった今私が勘違いされかけたタイの出身のような色黒の男は、相槌を打っては笑い、長い手足をカウンターへうまく折り曲げて収納しつつ大仰な身振りで歓談している。私の右側のカウンターの端には、一つ席を空けて開店から老人が座っていた。後ろのテーブル席からこぼれるかしましい会話と英語を耳にするともなく黙って酒を口に運ぶ。私と老人の話し相手になっていた坊さんは注文を受けて、軽快にシェイカーを振った。私はよく外国人に間違われる身の上話を老人に向けて続けることにした。
四谷三丁目の「VOWZ BAL」は現役の僧侶が経営する酒場で、世界中からのつっこみ「僧侶が酒を売っていいのか」を追い風に物珍しさから多くの国から客が訪れるそうだ。私が行った日も色黒の東洋人を始め、白人の若い女性の二人連れにドレッドヘアを頭のてっぺんで結んだ黒人男の二人組と、時間が経つごとに外国人の客が増えて行った。「国際色豊かですね」「ええ、海外からいらっしゃるお客さん多いんですよ」シェイカーを振っていたお坊さんの宗派を尋ねると予想通り浄土真宗だった。総本山のある京都には市内をちょっと歩けば一般家屋に紛れて「〇×寺」といった表札を掲げる在野のお寺に出くわすほど馴染んでいる宗派も、関東から東北にかけては寺院が少なくそれが悩みの種だそうだ。
「お寺が少ないんですよね、こっちは」「いや、あれだけ関西にお寺があるんですから十分では」「それはそうなのですが」さわやかな笑顔の含みは見なかったことにして、私は酒をすすった。隣の老人は勘定を済ませ、ありがとね、とニカッと笑うと階段を降りて帰って行った。八時頃だった。
アパートの一室を改装した酒場は細長く、大通りに面した窓辺と出入り口側に一つずつ黒塗りの仏壇が祀られている。営業時間中に二度「おつとめ」があるそうだが、仏壇同士がカウンターとテーブル席を行き来する動線の対角線となるかたちで向かい合わせにされているため、ないはずの視線を感じて落ち着かない。後ろの四人掛けの席では初老の女性三人が若い男の語りにうっとりと耳を澄ませている。いつの間にか推奨の数珠を幾重にも両手首に巻いた、目の光が目立つ男が私の隣に座る。夜が更けるにつれて、空気は澱のような渦を巻いて床へと沈んでゆくようだった。
私が会計を終えて時計を見ると、あと三分で説法が始まるところだった。「御朱印もあるんだね」「朱印帖、持ってくればよかったな」と明るく交わされる女性二人の声を後にして、秋めいて涼しくなった街路には、お稲荷さんのお社が街頭にぼうっと照らされていた。勘定は安かった。