えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・『雨月物語』『現代百物語』シリーズ 雑感

2020年08月01日 | コラム
 岩井志麻子の『雨月物語』は、上田秋成の原作の筋書きを大事に抱きつつ、全ての小説を時には元の小説には登場しない女たちに語らせることで元の怪談を俯瞰する仕組みが秀逸だ。赤裸々で生ぐさい女くささを前面に打ち出すのは性別を問わず誰でもたやすい作業だが、梅雨の湿気のように絡みつく情念を素直に嫌みなく書き出すのはむつかしい。岩井志麻子本人の抱える真摯な多情の温度が、語り部の女たちを一人一人際立たせているため、『雨月物語』へ新たに現れた彼女たちは「女」のステロタイプを逃れて女でいられる。中でも『現代百物語』の幾つかで作家が好きな話だと挙げている「吉備津の窯」の語り部が、人物としても怪異のひとつとしても、女としても一つ頭抜けていると思う。

「吉備津の窯」は、美しく心正しい娘の磯良と遊び人の正太郎が互いの家の都合により神事の示す凶兆に逆らって結婚するも、やがて予想通りの破局が訪れ、遊女を連れて逃げた正太郎を恨み死にした磯良はかれをとりころす。唯一残された血に濡れたもとどりの与える余韻は、太陽と見まがうほど光り輝く『牡丹灯籠』の月のように冴え冴えとした凄惨だ。それを、口元に笑みすら浮かべながら語るのは、磯良の母である。

 彼女はかつては美しくなければならない。彼女の今はささやかに不幸せでなければならない。彼女の元にはかつての彼女を想起させる娘が生まれなければならない。娘は素直で明るく、清楚に美しく育たなければならない。母親は瞋恚の焔へ薪を常にくべながら笑みを絶やさず、娘の幸せを願いながらその先に待ち受ける不幸を確信し、娘を嫁がせる。原作では凶兆を示した釜鳴の神託の解釈を神主の父親が迷うところで、結婚への背中を押すという小さくも重要な役割にとどまるがため、彼女が娘に抱く嫉妬のこわさは原作のこわさにうまくまたがる形で機能している。母親に比べれば、化け物や幽霊になった女たちはまだ恋する娘の可愛げが見えて微笑ましい。

 その女たちのとうとうとした語り口や、平然とつく嘘やごまかしの原石の一部が詰まっているのが『現代百物語』だ。全10冊のシリーズで、一冊に約100話を収録する。章立てこそ百物語を完成させないために99話で留めているが、あとがきが最後の一話の体をなしていることが少なくないので約100話と言いたい。本書の白眉はハナシのすべてが岩井志麻子が他人から聞いたもの、あるいは自分自身で体験したなど、現実に紐づいていることだ。ハナシそのものは不確かであっても、岩井志麻子がそのハナシを手に入れる過程には実在の人物や場所が確実にかかわっている。西原理恵子が寄せた「岩井志麻子はき〇がいの誘蛾灯」そのままに2009年から年1冊刊行され、2018年に10冊を数えるまでハナシは尽きることがない。その多様性を貫いているテーマが、「嘘のこわさ」だ。

 私生活や仕事面で岩井志麻子を苦しめたとある「嘘つき女」をはじめ、比率では風俗業の女性が圧倒だが「嘘をつく人間」がシリーズには大量に登場する。そもそもインタビュー相手が出所した殺人犯であったり、訳ありの世界の方であったりと怪談とはべつの怖さも十二分に蔵しているものの、己の胸のうちだけの理由にのっとって嘘をつく人々のうそ寒い怖さは、巻を重ねるほど増してゆく。実際に出くわしてハナシを聞いた女たちが嘘で隠そうとする暗いものを、岩井志麻子は引きずり出して文章に整え本にまとめる。彼女たちの機微がそのまま小説の「語り」とはならないものの、岩井志麻子の作る「こわさ」の味わいを深めるためには『現代百物語』の通読はそれなりに必須の作業ではないか、と思う。
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