冬が来て以来家の中に置いていた鉢植えは窓越しの日光を浴び、毎日つける暖房で安定した温度にくるまっている。ピンク色の花がいつの間にか満開だった。ボタンのように角張って小さな花はつるつる滑る肉厚の葉を従えてモザイクのような文様を作り上げている。日の当たる方は色が濃く、日陰の側は色が薄いのでそろそろ鉢を回してやろうかとも考えるが、鉢を回すと飛び出た茎が通り道の邪魔になる。切ってしまえばよいのかも知れないが重さでしなるほどの数の花を咲かせているのでそうも行かない。枯れてしぼんだ花を摘んでも脇には新しい花の蕾が控えている。色褪せてはいるのだろうが濃いピンク色の変化は毎日眺めていてもごく僅かで、気がつくと梱包材のように白く色が抜けてつぼんでいる。床に落ちる前に摘み取ってしまう。そうすると新しい花の蕾が膨らんでいくらしい。こちらと花との関係は水やりの他にはそれきりだ。あまりにも花が咲いているのでどれほどの土がこの鉢植えを保っているのかを思うと、もしかしたら生き急いでいるようにも思える。よく苗を入れている黒いカップほどの土にしがみつき、肥料も混じらないただの水と日光だけが栄養のようだ。外の土に根付く草花は枯れ落ちた自らの破片が土に還ることで栄養を保つことができるが、家の土に根付く鉢植えの土には落ち葉すらない。床に落ちてはごみ箱に捨てられていくばかりだ。土に戻そうにも土になるまでの間は土を覆ってしまうので水はけが悪くなり虻蜂取らずとなる。だからといって植え替えの衝撃と日本の冬に耐えられるほど、この植物が強いのかどうかは分からない。案外やってみれば人間と同じように馴染むのかもしれないが、馴染まなかった時に元へは戻れない。人間のように他の環境を選んで咲き直すことも植物にはできない。与えられる受動態のままその場その場に根ざし、枯れないためのアラートも出さず、耐えきれない時に初めて枯れるという姿で訴える。その時は大方人間の手ですらどうにもならなくなっている時が多い。今がそうではないにせよ、一群のピンク色の温かみには枯れ草色の不安が根本へ静かに凝っている。たくさん咲いたね、きれいだね、と花を見て顔をほころばす家人に対し、根本ばかり見つめる視線は花の奥の暗がりを探して上の空に返事を返すばかりだった。
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