目標を立てて達成するというサイクルを十五分おきに繰り返すよう『俺の屍を越えてゆけ』は構成されている。ユーザーフレンドリーをゲームがまだ実現出来ない時代だからこその設計だと思う。今から見れば、たとえば迷宮を攻略している最中に中断することが出来ないことなど、ユーザーのしたいことがゲームに制限されることに抵抗を覚えるかも知れない。一度迷宮に入れば制限時間いっぱいを使って冒険するか、引き返すかのどちらかしか選択肢はない。冒険を中断することは出来ないのだ。オートセーブでは無いだけましかも知れないが、案内役のキャラクターからそれとなくリセットをしないよう求められて知らず知らず気が引けるようにデザインされている。失敗も含めてプレイヤーそれぞれのプレイングの結果を綴っていくゲームと叙情的に書いてしまえばそれまでだが、その面倒な心の運び方をプレイヤーが行えるように物語そのものはシンプルに出来ている。語られることは世界観やプレイヤーが操作する「一族」に秘められた謎といった外堀と、「一族」が倒さなければならない敵について時々刺激される程度だ。プレイングそのものが物語となる二次の想像をプレイヤーが行わなければいけない点が、長く愛好されていた理由の一つかもしれない。
一応本作には続編が存在するものの、ある意味ではゲームクリエイターがプレイヤーにさせたい行動を強制するシステム自体は完成されているが、そのシステムが残念ながらプレイヤーの望んでいた方向性とは大きくかけ離れてしまったために一騒ぎを起こしてしまった。ゲーム性自体は前作と変わりなく、代を重ねながらランダム数値に一喜一憂し、そのときユーザーが取ったリソースで状況を打開しなければならない。だが肝心の物語を形作るための要素がいろいろといけなかったらしい。少なくとも情報のかけらを視る限りでは、「一族」が物語の主軸ではない物語はいただけないだろうと思う。
一回のプレイに時間がかかるため周回は難しいものの、コツを覚えダンジョンを覚え何度も挑戦したくなる点はローグライクゲームに似ているかもしれない。ケースまで購入した病が膏肓から抜け出る日は来るのだろうか。古い人間だけに離れがたい。
一応本作には続編が存在するものの、ある意味ではゲームクリエイターがプレイヤーにさせたい行動を強制するシステム自体は完成されているが、そのシステムが残念ながらプレイヤーの望んでいた方向性とは大きくかけ離れてしまったために一騒ぎを起こしてしまった。ゲーム性自体は前作と変わりなく、代を重ねながらランダム数値に一喜一憂し、そのときユーザーが取ったリソースで状況を打開しなければならない。だが肝心の物語を形作るための要素がいろいろといけなかったらしい。少なくとも情報のかけらを視る限りでは、「一族」が物語の主軸ではない物語はいただけないだろうと思う。
一回のプレイに時間がかかるため周回は難しいものの、コツを覚えダンジョンを覚え何度も挑戦したくなる点はローグライクゲームに似ているかもしれない。ケースまで購入した病が膏肓から抜け出る日は来るのだろうか。古い人間だけに離れがたい。