えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・安定して主役になれない(宮城谷昌光『三國志』七巻くらい~十二巻)

2023年01月21日 | コラム
『レッドクリフ』が公開された当時の書店の本棚を振り返るとたまに美化が激しい曹操の再評価の作品に混じって多く見かけた本が、孫権を主人公とした作品だったりビジネス書だったりした記憶がある。一応三国鼎立や三国時代という言葉の通り、曹家の魏と劉備の蜀と共に中国の香港辺りを支配していた鼎の足が孫権の呉で、それぞれ全員「皇帝」を名乗っていたので「三国時代」と呼ばれるわけだが、皇帝は追号されたもののその下地を作った時代の英雄曹操と、彼に徹底して反発することで自分を生きていった劉備の二人と孫権は年齢的にも二十歳ほど世代が違うことも相まってか影は薄めだ。むしろ三国時代になってからが孫権の活躍の本番であるはずなのにそれは書かれない。理由は彼の人生をきちんと追えば追うほど「うわあ」と声が出そうなほど彼がめんどうくさい人間であるためだ。

 宮城谷昌光の『三國志』にも当然時代の重鎮の一角として孫権は登場するが、面白いことに(面白がってはいけないかもしれないが)登場するたび何かしらちくりと棘のある文章が挟まれる。たとえば文庫版七巻で曹操に対抗するため呉との関係を結びに来た劉備に
「もったいぶったところのある孫権の内側の非情さ」「あえていえば欺瞞」
 と代弁させている。また孫権といえばその酒乱が有名だがこれも隙あらば
「孫権にはしつこさがある。酒を呑むと、それが顕著になる。」
 などと何事もなかったかのように併記される。「歴史に爽涼の風を吹かせた」と書かせた曹操の風格に及ぶところは正直ない。とどめとばかりに「相手は酒好きではあるがそれに耽溺しているわけではない満寵」などといった関節技のような言葉の極め方で彼は定義されていく。悪党でもなく善人でもなく、尖ったところのない奇妙な人格の塊として。ついでに呉を滅ぼした実原因の孫晧の性格についても「孫権の影響」と言われる程度に最後の最後まで何かちくっと言われ続けている。宮城谷昌光にここまで言わせる人間性は一周してあっぱれだろう。

 とにかく性格が悪い。ひねくれている。策を好むが程度は悪巧みで、董卓や李傕のような徹底した悪事から生まれる面白みもなければ英雄としての勇ましさもなく、また執政はまともな重臣の言うことを聞く耳がある時期に限定されてましなもので、それを聴けなくなってからの老年時代は陰険さが表面化してその結果、後の滅びの原因はどうあがいても彼にあることを理解せざるを得ない。知れば知るほど嫌味とえぐ味が増してゆくが何分中途半端で悪人として書くことすら至難かも知れない。宮城谷昌光は幾つか読んだが、ここまでちまちまと手間暇かけて痛罵されているのは孫権くらいだろう。曹操と劉備の存在の大きさを差っ引いても本人のどうしようもない性格は変わりようがない。これも中途半端に歴史書へ悪事が記載されてしまっただけに劉備のような創作の余地を入れようがないのも転じて面白い。

 本人が出撃して指揮を取った戦争では尽く負け、老いて思考が頑なになってからは自分に都合の良い人間の言うことしか聞かずにまともな人間を「いじめ殺す」といった表現で追い詰め、その最期の病床では陰謀の果ての殺人事件が起きてしまったりと総じてろくなことがない。それもまた人間だろうと語るための材料としてはちょっと手を止めざるを得ない中途半端さはどうあがいても魅力には変え難い。もしかしたら当時の呉という風土にまともな感性を持った人間(周瑜・呂蒙・魯粛・孫登その他大勢)はいられない呪いでもかかっていたのかもしれない。そう思わざるを得ないほど長生きの孫権は孤立して国を壊す。その姿には哀愁よりも老いて自分を見失う恐怖だけが映る。
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