家族が引っ越すことになった。仕事の都合で通うには遠く、それに前々から早く家を出たいと希望していたのだから当然のことだ。それがコロナウィルスの流行で延び延びになり、ようやく落ち着いて物件の内覧に行くことができるようになったので今月中には家を出ることが決まった。今日は家の外で家を出る家族に頼まれたきょうだいが電気のこぎりを振るい何かの部品であった金属製のパイプを切っては不燃ごみの袋に詰めている。去年の工事のように大きな音が鳴り響き、微熱で横たわっている頭に振動が地面を伝わって響くのは堪えた。それ以上に家族が出ていって年末年始も家に戻らないという返事を聞いてから、自由に生きられる余裕のある相手が羨ましく、また二度と戻らないという発言に見捨てられたかのような寂しさを覚え、飛び立てない自分がより浅ましく惨めに見えている。
年が離れているのでお互いに思い出は薄い。けれども家具のように今までそこにあったものがなくなるということに私は動揺している。家から誰かがいなくなるのは何度か過ごして来た。生きているのに永遠の別れを宣告されるのは、特に家族の誰かがということではなく、家族という全体が厭わしくなったのだと思う。独立した人間としては至極まっとうな成長なので何もいえない。送り出す日に用事ができて私が一日中家にいない日であることを望むばかりだ。いないことに慣れようと顔を合わさないよう過ごしている自分の依存心の深さが今はとにかくおぞましい。年々人は変化するごとに人になるか人以外の生き物になるかを選択している。私は化け物になりかけている。
年が離れているのでお互いに思い出は薄い。けれども家具のように今までそこにあったものがなくなるということに私は動揺している。家から誰かがいなくなるのは何度か過ごして来た。生きているのに永遠の別れを宣告されるのは、特に家族の誰かがということではなく、家族という全体が厭わしくなったのだと思う。独立した人間としては至極まっとうな成長なので何もいえない。送り出す日に用事ができて私が一日中家にいない日であることを望むばかりだ。いないことに慣れようと顔を合わさないよう過ごしている自分の依存心の深さが今はとにかくおぞましい。年々人は変化するごとに人になるか人以外の生き物になるかを選択している。私は化け物になりかけている。