電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

報告書等の簡易製本について

2005年05月17日 21時39分51秒 | コンピュータ
コンピュータを使うようになって、文房具の使用頻度が大きく変わった。
まず、各種の筆記具を使う頻度が低下した。また、消しゴムや鉛筆削り、ナイフなどの使用頻度も激減した。反面、増加したものもある。それは、カラーマーカーだったりステープラー(ホチキス)だったりするが、いずれもレーザープリンタで出力した紙を取扱うものだ。
昔は使わなかったもので、最近愛用しているものに、報告書等を簡易製本するファイルのようなものがある。たとえばコクヨのレポートメーカー"SATZ"のようなものだ。これは、20枚程度の用紙を挟み、ステープラーでとめて折り曲げると、半透明な表紙と少し厚手のクラフト紙のような裏表紙で簡易製本され、立派な報告書ができあがる、というものだ。
現在は、PopCorn/PushCornのようなツールやオンラインドキュメントなどのうち、使用頻度の高い、いくつかのマニュアルを印刷し簡易製本して利用しているが、しゃれていてたいへん便利だ。
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『クァルテットの名曲名演奏』を読む

2005年05月16日 22時05分26秒 | -ノンフィクション
昨日、ブックオフで音楽乃友社刊のONブックス、渡部 和 著『クァルテットの名曲名演奏』を見つけて購入してきた。新書判のコンパクトな本だが、中身はずいぶん濃いようだ。室内楽の案内書では、だいぶ以前に、大木正興さんの『室内楽のたのしみ』という本にお世話になった。今回は、弦楽四重奏曲に限定して、ハイドン、モーツァルトからクルターク、シュニトケまで、硬軟取り混ぜた紹介の仕方だ。今日は、ボッケリーニの弦楽四重奏曲を聴こう。2000年6月の録音で、ボルチアーニ四重奏団によるナクソス盤である。どれもこころよい音楽だが、とりわけ作品32の2番、G202 のホ短調の曲が印象的だ。
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カール・ライスターの「一番印象深かった録音」

2005年05月15日 07時51分20秒 | -協奏曲
朝、早起きしてしばらくぶりにドヴォルザークのチェロ協奏曲を聞いた。ピエール・フルニエの独奏、ジョージ・セル指揮ベルリン・フィルの演奏である。もう30年以上、LPでもCDでも、何度となく聞いてきた録音だ。何で読んだか忘れてしまったが、ベルリン・フィルのクラリネット奏者で、クーベリックとモーツァルトのクラリネット協奏曲などを録音しているカール・ライスターが、退団後「ベルリンフィル時代に一番印象深かった録音」と言っていた、その録音である。

第二次大戦後、カラヤンがベルリンフィルと初のアメリカ楽旅を行った際、反ナチのデモの洗礼を受け、だいぶ不愉快な思いをしたらしい。(オーマンディに冷たくされて決して許さないと誓い、後にザルツブルグ音楽祭やベルリン、ウィーン、両方のオーケストラから締め出したのはそのせいか。オーマンディの世評には影響したかもしれない。) これは、就職のためナチス党員になったカラヤンが、フルトヴェングラーの後任候補だったにもかかわらず、党幹部の不興をおして1/4だけユダヤ人の血が混じる女性と結婚を強行したことから、ナチスドイツ末期にはイタリアに逃げ出す羽目になる。このあたりの事情が、反カラヤンのデモにまで発展したものらしい。

そのカラヤンがジョージ・セルと親交があり、彼を尊敬していたのは事実のようだ。(このことは、『プローベ』というカラヤンの興味深い論文に明記されている。)クリーヴランド管弦楽団のヨーロッパ楽旅に際し、ベルリン・フィルとウィーン・フィル以外には原則として指揮しないと決めていたのに、クリーヴランド管弦楽団を指揮し、その音楽的能力に感嘆して、ベルリンフィルの練習のさい、いつもより不機嫌かつ執拗に細部まで文句を言ったことが記録されている。そして逆にジョージ・セルがベルリン・フィルを指揮した。ベルリンフィルの首席奏者であったカール・ライスターは、このとき自分のオーケストラの欠点を明確に悟ったと語っていた。それは、一人一人の奏者は高い技量を持ち豊かな音を出すことができるが、演奏中に互いの音を聴きあおうとしていない、ということだったという。

その後、セルは古巣であるヨーロッパに毎年夏になると出かけて指揮をするようになる。コンセルトヘボウやロンドン響、ウィーン・フィルとの録音などは、こうして生まれたものだ。1961年に録音されたこの演奏は、ピエール・フルニエがCBSに録音する見返りにジョージ・セルがベルリンフィルを振る、ということで契約が成立したものらしい。言ってみればバーター取引で生まれたものだが、実に素晴らしい演奏になっている。ソリストならもっと存分に歌わせたいと思われるところも、速めのテンポでオーケストラが力強く雄渾な調べを聞かせると、フルニエも気迫のこもった演奏を行い、両者が高い集中力を示し、緊密に響きあう音楽を構築しているように思う。

参考までに、手元にあるCDの演奏時間を記す。この録音の特質がよくあらわれているように思う。
■ フルニエ(Vc) セル指揮ベルリン・フィル
I=14'44" II=11'25" III=12'20" total=38'29"
■ リン・ハレル(Vc) レヴァイン指揮ロンドン交響楽団
I=14'50" II=13'35" III=13'24" total=41'49"
■ デュ・プレ(Vc) バレンボイム指揮シカゴ交響楽団
I=15'21" II=13'11" III=13'28" total=42'00"

【追記】
録音年は1962年としていましたが、望 岳人さんより1961年であると指摘をいただいた(*)ので、訂正をしました。ありがとうございます。

(*):ドヴォルザークのチェロ協奏曲 フルニエ、セル、BPO~「日々雑録 または 魔法の竪琴」より

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早大のオープンコースウェアでTexという誤記を発見

2005年05月14日 20時45分54秒 | コンピュータ
先日、しばらくぶりにLinux雑誌を購入してきた。IDGジャパン発行の『月刊LinuxWorld』6月号である。アスキー社のLinuxMagazineが廃刊になって以来、しばらくLinux雑誌を購入していなかったが、今月の同誌の付録が"VineLinux3.1ディレクトリ・マップ"というもので、参考までに購入してみたものだ。
私の現在の環境も、VineLinux3.1を中心にしているものだから、このディレクトリはどんな役割なのだろうと興味を持っていたが、へぇ~と少しばかり知識が増えた。もちろん、だからすぐに何かが変わるわけではないけれど、妙なディレクトリにファイルを置いたりしないようになるだけでも進歩かな、と思っている。
また、今日はちょっと出かける前に apt-get update と apt-get upgrade して行ったので、帰ったら終わっていた。VineLinux2.5 のあたりから可能になっていたと思ったが、apt-get コマンドが使えるようになったのはたいへんありがたい。

ところで、今日のスラッシュドットジャパンの記事で、国内の大学のオープンコースウェアを紹介していたので、いくつかの大学をのぞいてみた。東大や京大などは、専門的な内容らしく、とても読みこなせる内容ではなかったが、早稲田大学の2003年の『IT入門』の"Study Materials"の『文書作成ツール 講義と演習』のうち、"TexとHTMLとグラフィックス" という表記が気になった。タイトルだけでなく、本文(*)も同じ誤りが統一的に見られる。開発者のD.Knuth教授は、正確な表記ができない場合はTeXと表記することを求めている。天下の早稲田大学の学生向けの入門的な教育で、初歩的すぎる間違い。たぶん、本稿の執筆者はふだんWindows中心で、Unix系やTeX/LaTeXなどはあまり知らないのかもしれない。
(*)Texという誤記が見られるページの例
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検診結果が来た

2005年05月14日 10時03分56秒 | 散歩外出ドライブ
今年の検診結果が届いた。全く何の異常もない、とのこと。「異常無し」は、職場でわずかに二人だけだという。「五十代では希少価値ですよ」とも言われた。幸いなことである。
今朝は、ごみ収集日。早朝からごみ袋をぶら下げて、区のごみステーションまで運んだ。田んぼに水が入り、もうすぐ田植えが始まるようだ。リンゴの花つみが終わり、写真のように間引かれて数は寂しくなったが、薄く色づいたリンゴの花が美しい。自宅に戻ると、万歩計は1000歩を越えていた。朝食のあと、自家製ヨーグルトにバナナを入れて食べた。食後のコーヒーがおいしい。朝の音楽は、テレマンのヴィオラ協奏曲とリコーダー組曲など。エトリンガー指揮のカペラ・イストロポリターナの演奏するナクソス盤。親しみやすく、何度聞いても印象的な音楽だ。

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レコード音楽の集め方がどう変わったか

2005年05月14日 08時57分57秒 | クラシック音楽
学生時代、といってももう30年以上も前の話だが、好きな音楽のLPレコードを集めはじめた。はじめは廉価盤中心で、後に就職してからはレギュラー盤も購入できるようになった。このあたりは、単純に財布の中身の問題で、わかりやすい話だ。
で、集めた曲目はどう変化していったか。最初は、特に傾向らしいものはなく、その時々で興味を持ったものや、話題になったものを少しずつ購入し、聞いていった。モーツァルト、メンデルスゾーン、ベートーヴェン、ドヴォルザーク、シューベルト、バッハ、マーラー、プロコフィエフ、という具合だ。少しずついろいろな作曲家の音楽を知り、自分の好みを作っていった時期だろう。
この頃、よく聞いたLPには、コロムビア・ダイヤモンド1000シリーズでブレンデル(Pf)のベートーヴェンのピアノソナタや、グラモフォンの廉価盤でフルニエ(Vc)とジョージ・セル指揮ベルリンフィルによるドヴォルザークのチェロ協奏曲、コンサートホールのシューリヒト指揮によるバッハのブランデンブルグ協奏曲などがある。
その後、ある程度ゆとりができると、少しずつテーマをきめて収集するようになった。ジョージ・セルの録音を意識して集めるようになったのは、この頃からだろう。セル指揮クリーヴランド管弦楽団によるモーツァルトの交響曲や協奏曲の愉悦感、ベートーヴェンやブラームスの交響曲や協奏曲の気宇の大きさとほのかなロマンの香り、ヘンデルやコレルリの豪華な音響美、リヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲の精緻な輝かしさ、コダーイ、プロコフィエフなどの現代曲の明快さなど、今でも手にするとそれぞれの時代が懐かしく楽しい。
大半はCDで再び入手できたが、中にはLPでしか聞けないものもあり、LPもまとめて捨てられない。このあたりは、中年の「もったいない」症候群だろうか。

現在のCD収集は、多くを聞く時間的なゆとりもなく、また収納場所の問題もあり、ある程度厳選するようにしている。LPとCDそれぞれ数百枚程度の、自分で記憶しておける規模で、くりかえし聞きなじんでいく楽しみはまた格別である。
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花が終わるとミツバチは

2005年05月13日 22時15分58秒 | 週末農業・定年農業
サクランボの花の時期が過ぎ、今はリンゴの花の季節だ。果樹園はまだ花盛りだが、そろそろミツバチもいっぱい蜜がたまったことだろう。うっかりすると女王バチが家出して分蜂しかねない。そこで、写真のような巣箱を設置していた養蜂業者がやってきて、巣箱ごと持っていく。果樹農家は受粉の手間が省けて受粉率が向上し、養蜂業者はたくさん蜜が集まる、という利点がある。そんなわけで、もうすぐ蜜蜂の巣箱は撤去され、今度はいよいよ実が成長する時期になる。
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ドヴォルザーク「弦楽四重奏曲第12番《アメリカ》」

2005年05月12日 21時17分07秒 | -室内楽
ドヴォルザークの弦楽四重奏曲第12番《アメリカ》を聞く。多くの室内楽曲の中でも、大好きな曲の一つだ。
我が家にあるのは、ほとんどスメタナ四重奏団の演奏ばかり。一つは昭和46年に購入した日本コロムビアのヒストリカル・レコーディング1000シリーズの一つで、HR-1002-S(-Sはスプラフォン原盤を表す) というモノラル録音。もう1つは、PCM録音のLPで、1978年の11月に、岐阜市民会館でのコンサート・ライブを録音したもの(OX-7152-ND)だ。これと同じ音源で、CDになっているものをブックオフで見つけ、購入したものが GES-9244 というCD。
モノラルのヒストリカル・レコーディングのほうは、大宮真琴さんがわかりやすい解説をつけている。それによれば、スメタナ四重奏団は1942年にプラハで結成され、1945年から公開の活動を始めたという。当初はチェコフィルの傘下にあったが1949年に独立したとあるから、ステレオ録音が始まるのが50年代後期と考えると、この録音は1950年代前半までに録音されたと考えるのが自然だろう。スメタナ四重奏団には、たしか1960年代にもアナログ録音で同曲の録音があるはずだが、あいにくこれは持っていない。
1978年、岐阜市民会館でのライブ録音は、演奏の終わりに拍手が入るが、堂々としたいい演奏だ。モノラルの旧録音と比較すると、第1楽章のテンポが少しだけゆっくりとしており、あとはほぼ同じくらいである。モノラルの旧録音LPは、冒頭のはつらつとしたテンポがこころよいが、録音が古く、せっかくの弦楽器の音としての魅力が、かなりそがれている。それに対し、1978年の演奏は、スメタナ四重奏団には珍しいコンサートライブで、デジタル録音初期のものでありながら、落ち着いた雰囲気の中で集中力に満ちた演奏を朗々と聞かせてくれる。第1楽章のテンポの違いは、このコンサートライブという条件から由来するものかもしれない。

ちなみに、各楽章の演奏時間の比較は次の通り。

■1950年代のモノラル録音
I=6'40"/II=8'05"/III=3'40"/IV=5'40" total=24'05"
■1978年のデジタル録音
I=7'09"/II=8'09"/III=3'39"/IV=5'32" total=24'29"

スメタナ四重奏団の「アメリカ」は、第1楽章の速いテンポが特徴的だと思うのだが、この楽章の相違を除けば、演奏時間の共通性は驚くほどだ。テンポが基本的な解釈の思想を表すとすれば、スメタナ四重奏団は基本的な解釈を30年間保ち続けた、といってよいのだろうか。
もう一枚、エマーソン弦楽四重奏団のCD(POCG-7074)があるのを忘れていた。ちなみに、同曲の演奏時間は次の通り。
■1984年のエマーソン弦楽四重奏団
I=9'02"/II=7'42"/III=3'36"/IV=5'12" total=25'32"

音の響きとしての魅力に乏しいヒストリカル・レコーディングは、こうしたことを考えさせるきっかけとなる。
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宮城谷昌光『青雲はるかに』を読む

2005年05月11日 20時46分20秒 | -宮城谷昌光
集英社文庫で、宮城谷昌光の『青雲はるかに』を読んだ。大望を抱いた貧しい男・范雎(はんしょ)は、学問を基に諸国を巡るが仕官の道を得られず、空しく故郷に帰ってくる。故国でただ一人理解し待っていてくれた友人の妹の病を救うべく、意に沿わない仕事に就くが、そこで冷酷な魏の宰相・魏斉により無実の罪に落とされる。無残に鞭打たれ、厠室に投げ込まれて蛆虫の餌食になるところを、死の寸前で救われた范雎は、じっと身を潜めて気力と健康の回復を待つ。彼を救ったのは、不幸にも魏斉の妾とされていた最愛の女性・原声と、楚の貴族の娘でありながらひたむきに范雎を愛する女性・南芷らであった。やがて、友人らの奔走で魏を脱出することができ、張禄と名を変えて秦の昭襄王の知遇を得、徐々に秦の政治を変えていく。一つ、また一つと魏の領地を少しずつ蚕食するように削り取る秦の背景には、范雎のたぐいまれな戦略眼があった。ついに秦の宰相となり、仇敵・魏斉の手から最愛の女性・原声を奪い返し、魏斉を倒し復讐を果たす物語である。

いろいろな復讐の物語があるが、デュマの『モンテ・クリスト伯』の復讐は後半かなり陰惨な色を帯びてくる。物語の描き方は、そこまでするか、という気がするときもある。ただ、克明に描かれてはいないが、実際には『青雲はるかに』における復讐のほうが、多くの戦役を経て実現されているわけで、死傷者の人数はずっと多いのだろう。白起将軍の残虐行為などは、目をおおいたくなるほどだ。本書は、読後の爽快感があるだけに、そのことを見失いやすいように思われる。

写真は、九龍側から見た香港島の夜景。
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プルーンの花が咲いた

2005年05月10日 20時59分26秒 | 週末農業・定年農業
十数年前に植えたプルーンの苗木が、今は結構な大きさの樹に成長し、今が花盛りの季節を迎えた。あの真っ黒なプルーンが、こんな可憐な花から育つものだとはとても思えない。ちなみに、プルーン・ジャムの作り方を書いておこう。

プルーン・ジャムの作り方

(1)プルーンを割って、タネを取ります。
(2)水などは入れずに、砂糖を重さで7割くらい入れ、厚手の鍋で沸騰させながら煮ます。
(3)翌日、またコトコト煮つめます。
(4)ペクチンが多く、何もしないでもジャム状になります。また、ラム酒を入れると、腐りません。

見た目は黒いですが、プレーン・ヨーグルトなどに添えると、おいしく食べられます。

実は、LaTeXソースをそのまま copy and paste してみたのだが、この goo のブログでは、エスケープ文字とみなされてしまうのか、見事に円記号が消えてしまう。したがって、ここでは LaTeX ソースをそのまま掲載することはできない、ということになる。
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魔法使いの弟子はどこを間違えたか

2005年05月09日 22時28分09秒 | コンピュータ
デュカスの「魔法使いの弟子」という音楽がある。ディズニーの「ファンタジア」で記憶している方も多いことだろう。魔法使いの弟子は、まだ未熟なくせに、師匠に禁じられていた魔法を使ってホーキに水汲みをさせるが、止めさせ方を知らないため家中が水浸しになり、それでも止まらず・・・というお話。
これを、プログラミング初心者にたとえると面白い。たぶん、弟子が使ったのは

10 井戸に行き
20 水を汲み
30 部屋まで運び
40 水桶にあけ
50 goto 10

というものだったのだろう。これでは、無限ループになってしまっている。
条件付ループ文でなくてはならないのに、単純ループ文にした誤りである。

while (水桶の深さ > 水位) do { 井戸に行き
水を汲み
部屋まで運び
水桶にあけ }
end 止める

多分、魔法使いの師匠は、goto 文を多用する BASIC プログラマであるか、又は while~end~ 文や repeat~until~ 文、あるいは for~next 文などをまだ教えていなかったのだろう。
for~next 文は、何回運ぶといっぱいになるか、経験的にわかってさえいればすぐにできたはずだが、while 文の場合、ホーキには目がないから、「いっぱいになったら」という条件を何でキャッチするかが問題かもしれない。
いずれにしろ、魔法使いの弟子が悪いのは事実だが、この魔法使いの師匠も、goto 文を無批判に教えているようなので、弟子の教育の仕方から見る限りあまり有能なプログラマだとは思えない、などと思ってしまうのは、音楽を聴く正しい態度とはいえないかもしれない(^_^;)>poripori
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よく利用する便利なWEBサイト

2005年05月08日 21時03分04秒 | コンピュータ
よく利用する便利なWEBサイトといっても、人によりさまざまであろうが、私の場合はこれらである。

(1)Wikipedia フリー百科事典プロジェクト 平凡社の百科事典も持っているが、毎日持ち歩くわけにもいかず、全てのパソコンで使えるわけでもない。結局、ネット上で調べることになる。ネット上にある玉石混淆の情報に溺れる前に、ある程度信頼性のある記述が得られる。
http://ja.wikipedia.org/
(2)NHK番組表 テレビやラジオの放送番組の内容予告を見たり、録画した番組の内容を調べてラベルを作成したり、何かと便利。特に、毎週日曜夜の教育テレビ、N響アワーを楽しみに調べている。
http://www.nhk.or.jp/hensei/
(3)Mapion 地図を調べるとき。地名や住所から事前にルートや行先の周辺を知りたいときに便利。
http://www.mapion.co.jp/
(4)スラッシュドット・ジャパン 便利と言うのとは少し違うが、サイエンスや技術関連で、どんなトピックがあり、どんな見方がなされているのか、よくわかる。「2ちゃんねる」とは違い、Linux/BSD/MacOSなどUnix技術系らしい多少落ち着いた雰囲気があり、率直な意見は参考になる面がある。
http://slashdot.jp/
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新田次郎『アラスカ物語』を読む

2005年05月08日 10時19分17秒 | 読書
香港のホテルで、ラジオをつけたら、1局だけ英語でクラシック音楽を流している局があった。どうやらBBC系統の放送らしい。ドヴォルザークの交響曲第8番だった。写真は、ホテル脇の海岸から見た香港島の風景。横になり、持参した新田次郎著『アラスカ物語』を読み始めた。
明治初年に宮城県石巻市に生まれた安田恭輔は、早く両親を失い相思の女性との愛も認められず、外国航路の見習船員となる。北極海における鯨の密漁を取り締まる米国沿岸警備船ベアー号に乗り組み、氷に閉じ込められてしまう。食料不足と人種偏見から来る私刑を予想した彼は、救援を求めてアラスカの氷原を踏破し、エスキモーに助けられる。やがて、進歩的な考えを持つエスキモー娘ネビロと結婚し、彼らの中にとけこんだフランク安田は、密漁により鯨が激減し滅亡の危機に陥ったエスキモー集団の希望の星となる。アラスカの金鉱探しにやってきたアメリカ人鉱山師カーターの依頼により、妻と若いエスキモーの協力者とともにユーコン河上流部で金鉱山を発見、これを資金として海岸エスキモーを内陸部に移住させ、新しい村を建設する。アメリカ・インディアンと共存し、妻たちとともに古いエスキモーの習慣と文化を徐々に変えていきながらも、彼の胸には望郷の思いが去来する。
以前、たしか北大路欣也の主演で映画化されたことがあり、このときはネビロが狼の群れの襲撃の中で娘を出産するシーンがずいぶん大きく描かれていた。ただ、ドラマとして見ると劇的な「絵になる」場面かもしれないが、物語の中ではそれほど大きな意味を持つ場面とは思えない。原作となった本書を改めて読み返してみると、免疫を持たないエスキモー集落に麻疹が持ち込まれた際の惨状や、花粉や樹木の香りに苦しむ海岸部エスキモーがしだいに適応していく様子など、多面的で丹念な描写に驚かされる。
機会を見て、宮城県石巻市を訪れ、彼のゆかりの地を歩いてみたい。
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ちびっ子たちを引率する香港の先生

2005年05月07日 20時38分38秒 | 散歩外出ドライブ
日本でも五月は快適な遠足の季節だが、日中の気温が連日30度近い香港でも、小学生らしい遠足の集団と出会った。写真のように、健康そうな子どもたちを引率する香港の先生の表情はやわらかい。先生と手をつないだ子は、きっと気の弱い甘えん坊な性格なのだろう。驚いたのは、香港文化中心というビルの入口付近に、かわいいシートが整然と並び、子どもたちのリュックが無造作に置いてあること。誰も留守番などいない。ふと、感動してしまった。自分たちも子どもの頃はきっとこんなふうだったにちがいない。遠足のリュックが狙われることなど考えなかった。貴重品は持ってこないこと、くらいは指導されているのだろうが、それにしても庶民のくらしの中に根付いた共通のモラルがある。たぶん、難しいことではないのだ。ふだん守られているから、自分も守るようになるのだろう。信義とはそういうものではないか。
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小心地滑~滑るぞ注意!

2005年05月07日 13時28分08秒 | 散歩外出ドライブ
ようやく香港から戻った。ちょっと心配した5月4日も、何ごともなかった。写真は、オープントップのバスから見た香港島のビル街。ビクトリア・ピークからの香港の夜景がきれいだとガイドブックには書いてあるが、待ち時間の長さと人の多さだけが目立った。むしろ、九龍側のホテルわきから見た香港島の夜景が親しみ深かった。(チャールズ河畔から見る古いボストンの夜景や、隅田川の屋形船から見た東京の夜景だって、充分にきれいだと思う。)
香港で良かったのは、料理の美味しさ。毎食のように中華料理を食べた。庶民的な店からけっこう高級そうな店まで、変わらず美味しかった。亀の甲羅から取ったという真っ黒なコーヒーゼリーみたいなのもあった。最後の夜に食べた中華料理のコースのフカヒレスープや北京ダックなどよりも、一番美味しいと思ったのは、毎朝のお粥だった。白身魚やピータンなどが入ってスープの味がする粥で、これは飽きずに毎朝のように食べられた。各種中華粥の作り方はぜひ研究して、食卓のメニューに加えたいと思っている。

表題は、香港の通路で見た標識の表現の面白さ。日本では「小心」は否定的な表現だが、注意深いことを表すのだということを面白いと思った。「小心者」と注意深さとはメダルの裏表だ。そこつ者と大胆さは共通するものがある。ただ、過度の注意深さが目立つと小心者と呼ばれ、何ごとにも大胆に過ぎると粗忽者と呼ばれるのだろう。
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