電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

日曜日、今日の予定は

2007年09月16日 06時05分05秒 | クラシック音楽
本日の民放テレビの「題名のない音楽会」では、先々週に続き飯森範親指揮山形交響楽団が登場するようです。午前9時から9時半まで。

それから、村山市の東沢公園では、秋のローズ・フェスティヴァルが開かれ、われらが山形弦楽四重奏団が演奏の予定だとか。午前11時~12時と、午後1時半~2時半の計二回、予定されているようです。今月30日の定期演奏会は、ちょいとご縁のあった若い二人の結婚披露宴に招かれており、残念ながら演奏会に出席することができるかどうかあやぶまれます。その分、と言ってはなんですが、本日16日(日)の演奏会には行ってみたいと考えています。

夜は、テレビの「風林火山」で、山本勘助のしょうもない描き方に苦笑しつつ、N響アワーを見る予定。レスピーギの組曲「ローマの松」から「ジャニコロの松」と、モーツァルトの「ジュピター」交響曲だそうです。ヨーロッパで古典といえば、ギリシア・ローマ時代なんでしょうね。日本で古典といえば、『古事記』?『万葉集』?『源氏物語』?理系の日本史オンチには、見当もつきません。

写真は、先日訪れた米沢工業高専(現在の山大工学部)本館、いい雰囲気ですね。
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映画「魔笛」を見る(2)

2007年09月15日 07時07分19秒 | -オペラ・声楽
ケネス・ブラナー監督の映画「魔笛」の続きです。

タミーノ役のジョゼフ・カイザーとパミーナ役のエイミー・カーソンのコンビは、モノクロのスローモーションで表現される踊りのシーンで、息の合ったところを見せてくれますが、同時に最後の火と水の試練の場面は、御伽話だとは思いつつも、ちょいと感動的。パパゲーナ役のシルヴィア・モイは、おばあさん役での出番はけっこう多いけれど、若い可愛い子ちゃんとしての出番が少なくて、ちょいと残念です。

このオペラ、見るたびにいつ思うのですが、最初の三人の侍女の場面は、けっこう色っぽいシーンですね。今回の映画でも、従軍看護婦の服装で現れますが、美しい若者にぽーっとなった三人の侍女が、ケープだかガウン風の衣装を取り去り、胸もあらわに自分が残ると言いはってきかない場面があります。モーツァルトの時代の庶民の芝居小屋の常で、少々お色気をサービスしたのかもしれません。それにしては、この三人の侍女の歌う音楽の素晴らしいこと!

ところで、哀れなモノスタトスは、自分の肌の色と愛されない運命を嘆きますが、あの変わり身の早さと不誠実さでは、ちょいと女性の愛を得ることは難しそうです。でも、その割にはいいアリアをもらっています。モーツァルトは、たぶん書こうと思えば性格悲劇としての音楽を書くこともできたのかも。ただ、時代がそれを許さなかっただけかもしれません。ヴェルディの時代になって初めて、ムーア人のオテロとデズデモーナの悲劇が描かれることになるのでしょう。

さて、私は70年代末にイングマール・ベルイマン監督の「魔笛」も見ていますが、あちらは劇場の御伽話としての「魔笛」を忠実に再現したオペラ映画でした。今度のケネス・ブラナー監督の「魔笛」は、劇場の枠を取り外し、映画としてのスペクタクル性を徹底して追求した音楽映画だと思います。

互いに憎みあい、争い、和解にいたる過程が、光と闇の抗争の形を取って映像で描かれるとともに、音楽によっても描かれています。最後のスタッフロールで再び序曲が演奏され、三度、和音が鳴り響きますが、モーツァルトの音楽の素晴らしさを、あらためてつくづくと感じたことでした。これからご覧になる皆さん、スタッフロールで立ち上がるのはもったいないです。ぜひ、モーツァルトの音楽がぜんぶ鳴り終わってから、席を立つことをお勧めいたします(^_^)/

って、もう当地での上映は終わりか(^o^;)>poripori
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映画「魔笛」を見る(1)

2007年09月14日 06時57分41秒 | -オペラ・声楽
ケネス・ブラナー監督のオペラ映画「魔笛」、もうすぐ上映終了ということなので、平日の夜間上映で見てきました。いや、予想以上に、はるかに面白かった!

まず、戦場のモーツァルトという想定が秀逸であり、もともと荒唐無稽な筋立を、映画的に納得できるものにした、最大の要因でしょう。冒頭の序曲が鳴り響き、三度休止するとき、戦場に訪れる沈黙は、実に効果的です。
また、いくつか重要な筋立の変更も見られます。ザラストロの館は僧侶の集団が暮らす宗教施設ではなく、戦争に傷ついた人々を救う赤十字や、戦争孤児や寡婦や戦傷者のための職業施設となっており、夜の女王が支配する戦場との対比が明確になっています。
映画的に印象的な場面は、多くの言語で若者たちの氏名と18歳、19歳といった没年が書かれた碑の前にザラストロが民衆と少女たちを伴い、鎮魂の祈りを捧げる場面。カメラがパンしていくと、そこには一面の白い墓碑が広がっている----このスケール感は、劇場におけるオペラでは絶対に表現することのできない、映画ならではの表現だと思います。
この場面の印象と主張は強烈で、渡米時にどこまでも続く米軍墓地を見たときの印象とまったく同じ----ベトナム戦争による死者が太平洋戦争における死者の数を上回ったという説明に、1960年代後半から70年代にかけてアメリカをおおった厭戦のメッセージを持つ音楽や映画等の数々を鮮明に思い出した----で、英語に置き換えられたオペラの歌詞にある愛や平和のメッセージ性も、まったく同一です。

音楽のほうも、ジェイムズ・コンロン指揮するヨーロッパ室内管弦楽団の演奏は、生気あふれるはつらつとしたもので、特にザラストロ役のルネ・パーペのバスは立派ですね。鳥刺しパパゲーノが、毒ガス検知の小鳥を育てる役回りというのも納得できますし、ベン・デイヴィスが陽気で善良な性格を、うまく表現して歌っています。タンクに乗って登場する夜の女王は、リューボフ・ペトロヴァが演じますが、女王のアリアをバックに、暗闇の中をタンクが走る様子は、憎しみと破壊と暴力を象徴する場面でしょう。

さて、出勤準備です。本日はここまで。
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モーツァルト「ピアノ協奏曲第20番」ニ短調K.466を聴く

2007年09月13日 06時30分19秒 | -協奏曲
日中はまだ残暑が残るものの、朝晩はずいぶん涼しくなり、半袖スタイルから長袖スタイルに移行する準備をしなければ、と考える頃になりました。老父母は、昨日から草津温泉に出かけています。2人あわせて160歳を超え、フルムーンなどというレベルではありません。元気なものです。二人の直腸ガンや胃ガンを早期に発見し執刀していただいた先生方に感謝です。

静かな夜、自宅でモーツァルトのピアノ協奏曲を聴きました。1785年に作曲された、第20番ニ短調、K.466 です。ゲーザ・アンダのピアノと指揮、ウィーン交響楽団の演奏。DENON の My Classic Gallery Collection シリーズから、GES-9232 です。

第1楽章、アレグロ。冒頭は、まるで「ドン・ジョヴァンニ」のような暗鬱で衝撃的な始まりです。独奏ピアノが登場するときも、暗い情熱を秘めた美しさ、とでも言えばよいでしょうか。陽光が射したり翳ったりするかのように、時おり明るさを見せることもありますが。ゲーザ・アンダのピアノは、音もニュアンスも素晴らしいです。ウィーン交響楽団のバックも、ティンパニの音も、迫力があります。
第2楽章、ロマンス。とてもチャーミングでロマンティックです。前の楽章との対比が印象的な、夢見るような音楽なのに、突然入って来る、心をえぐるような旋律。私には、作曲家が、個人的な激情と音楽の形式美とを両立させようと試みた作品のように思われます。
第3楽章、ロンド:アレグロ・アッサイ。追いたてられるような焦燥感を感じさせるロンドです。それなのに、音楽は限りなく美しい。ウィーンにヴォルフガングを訪ねた父レオポルトが、「あの見事な新作の協奏曲」と評した作品だけあります。

1785年というと、コンスタンツェと結婚して数年が経過し、愛児を失い、弦楽四重奏曲のハイドンセットを完成してハイドンの称賛を受け、父レオポルトがウィーンに訪ねて来る、その時期です。もうすぐ歌劇「フィガロの結婚」に取り掛かろうとする頃にあたり、映画「アマデウス」ならば上り調子で来た運命が、そろそろ暗転しそうなきっかけを示す音楽と言えましょう。

この曲は、残念ながらカサドシュとセル+クリーヴランド管とのCDには見当たらず、ふだんはゲーザ・アンダ盤とナクソスのイェネ・ヤンドー盤を聴いていますが、今日はアンダ盤を取り出した次第。なに、この曲ならば、実はだれの演奏でも充分に満足感を味わうことができます。演奏の多少の相違を超えて、この曲の素晴らしさのほうを強く感じてしまうからです。

■ゲーザ・アンダ(指揮・Pf)、ウィーン交響楽団
I=13'47" II=9'28" III=6'27" total=29'42"
■イェネ・ヤンドー(Pf)、アンドラーシュ・リゲティ指揮コンツェントゥス・ハンガリクス
I=14'04" II=9'01" III=7'35" total=30'40"
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米沢市で、上杉と直江の史跡を歩く

2007年09月12日 06時29分29秒 | 散歩外出ドライブ
先日、米沢市に出かけ、上杉家と直江兼続の史跡を歩いて来ました。上杉鷹山については、以前も記念館で見たことがありましたが、今回は上杉景勝と直江兼続を中心とした探訪です。
今回歩いたところは、
(1)上杉神社、同稽照殿
(2)上杉記念館
(3)上杉廟所
(4)春日山林泉寺
(5)旧山形工業高等専門学校本館
です。

まず、上杉神社です。



同神社の宝物館である、稽照殿です。内部はけっこう見ごたえがあります。じっくりと見学しました。



ここで一休みして、うこぎソフトを食べました。暑い中、お店で働いているお嬢さんに「ちょっと撮らせてください」とたのんで、デジカメで撮影。Thanks!



続いて、上杉博物館。上杉家文書の展示は、興味深いものがありました。シアターのドラマの出来は、ちょいと不満が残ります。15分程度で収めるには、無理なのかもしれません。



そこから車で少し移動して、上杉廟所を見学。この写真の突きあたりが、廟所です。



こちらは、不識院殿こと上杉謙信の廟。長尾姓が上杉姓にかわりましたので、長尾系上杉の初代になります。



謙信の廟の左右に、歴代藩主の廟が並びます。左手が二代目の景勝以下の偶数代藩主で、左端から二番目が鷹山公のもの。屋根の形が違うのは、火葬と土葬との違いによるものだそうです。ちなみに、謙信公はミイラ状態だそうです。



さらに移動して、春日山林泉寺に行きました。これが林泉寺の山門ですが、ちょっと寺院の山門風ではない。これは、もともとの山門が失われたときに、鷹山公の時代の家老の竹俣当綱が、屋敷の門を寄進したのだそうです。いかにも米沢藩らしいです。



今回初めて見学した春日山林泉寺は、謙信直筆の「第一義」の懸額など、見どころが多く、収穫でした。写真は、林泉寺にある直江兼続夫妻の墓所です。





こちらは、主君・景勝公の正室、甲州夫人菊姫の墓です。なぜ夫人が夫と一緒に上杉廟所ではないのかというと、初代謙信が独身であったために、二代目以降が夫婦で墓に入るのを遠慮した、ということらしい。決して現代のように、夫と一緒の墓に入るのを妻がいやがった、ということではないようです。





林泉寺には、他にも武田信玄の六男・武田信清の墓もあります。なぜライバル信玄の息子が上杉家ゆかりの墓所に、と不思議でしたが、武田勝頼滅亡の後、甲越同盟を結んでいた上杉家を頼って来たらしいのです。このあたりの歴史も、川中島合戦だけではない、趣きがあります。

最後は、林泉寺のすぐ隣と言って良い、旧山形工業高等専門学校本館です。ここも、たいへん見ごたえがありました。そういえば、米沢はNECの初代98ノート誕生の地でもあります。PC8001mkIIやシャープのMZ-80B、富士通のmicro8の実機展示など、思わず足を止めて見入ってしまいました。





最後に、米沢ラーメン大盛りを。米沢市街東部、米沢四中の近くにある「かど久」だか「かど万」だか、そんな名前のラーメン屋さんでした。美味しかった。


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R.シュトラウス「ツァラトゥストラはこう語った」を聴く

2007年09月11日 06時05分04秒 | -オーケストラ
オーケストラ音楽を大音量で聴くのは、一種の快感です。特に、少しずつ涼しくなる頃には、過ごしやすさから、大規模なオーケストラ音楽を聴いてみようという気分にもなります。このところ、通勤の音楽でずっと流していた、R.シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」を、自室のステレオ装置で聴きました。やっぱり快感です。

全曲が通して演奏されますので、組曲のような曲の番号はありませんが、以下、便宜的に第◯曲といった表記をすることにします。また、各曲のタイトルは、ブロムシュテット盤の翻訳を表示しています。
第1曲、導入部。オーディオ・チェックなどで冒頭部だけが耳タコ状態な、ある意味で不幸な曲です。映画「2001年宇宙の旅」に使われて有名になりました。
第2曲、「後の世の人々について」。冒頭部とは違い、大迫力というわけではありません。でも「運命」第2楽章と同じく、ここから聴きはじめてもじゅうぶんに魅力的です。
第3曲、「大いなる喜びについて」。短いです。あっという間に第4曲へ。
第4曲、「歓喜と情熱について」。これも短くて、あっという間に第5曲へ。
第5曲、「埋葬について」。標題の通り、しだいに沈潜するような音楽です。たぶん、オーディオ・チェックでは、長くてもこのへんまでしか聴け(か)ない。
第6曲、「科学について」。音楽の標題に科学という語が登場するのも珍しいのではないでしょうか。なんとなく、否定的なものとして描かれることが多いのではないかと予想できますが。
第7曲、「病より癒えゆく者」。トロンボーンと低弦によるフーガが、なんとも迫力があります。
第8曲、「舞踏の歌」。ヴァイオリンがワルツを奏します。ここはたいへん魅力的な部分です。全曲中もっとも長く、リヒャルト・シュトラウスの音楽のうち、「ばらの騎士」に通じる軽妙な魅力を充分に味わえるところと言ってよいのでは。
第9曲、「夜のさすらい人の歌」。これもいい音楽ですね。最後のところでは、長く長く引きのばされた陶酔的なヴァイオリンの調べの中に、曲は終わります。

CDで音楽を聴くメリットとして、任意のトラックを簡単に呼び出すことができることがあげられます。たとえば「舞踏の歌」を聴きたいとき、ぱっと呼び出せます。LPの場合はこうはいきません。およその時間と音溝のうねり具合から判別し、そっと針をおろすテクニックが必要でした。CDでも、たとえばメータ盤のように、トラック分けがなされていないものもありますが、数は少ないと思います。

本作品のきっかけとなった、ニーチェの同名の書については、若い頃に読んだはずですが、皆目記憶にありません。同じ著者の『悲劇の誕生』については、たいへん面白く読んだ記憶がありますので、超人を目指す同書の思索と箴言は、当時の私の思考と感性にはフィットしなかったのでしょう。おそらく、今ならもっとフィットしないでしょう(^o^)/
でも不思議なもので、標題となった書物の思想とは別に、近代管弦楽の精華とも言えるシュトラウスの音楽を楽しむことは可能です。このへんが、音楽の抽象性のありがたいところかもしれません。

■ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレ
I=1'48" II=3'33" III=1'53" IV=1'54" V=2'49" VI=4'57" VII=5'09" VIII=7'21" IX=4'36" total=34'00"
■チャールズ・マッケラス指揮ロイヤル・フィルハーモニック
I=1'51" II=3'24" III=1'50" IV=1'57" V=2'34" VI=4'24" VII=5'08" VIII=7'39" IX=4'55" total=33'42"
■ズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック
total=31'23"
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草花に夏の終わりを感じます

2007年09月10日 06時58分43秒 | 季節と行事
多彩に咲いていた夏の草花が、やがて花を落とし、秋の色に変わって来る頃になりました。草花に、夏の終わりを感じます。
まず、先端部にわずかに咲き残ったラベンダー。先頃のデジカメ講座で覚えたマクロ撮影で、花にピントが合い、背景がいい具合にぼけて、雰囲気のある写真になりました。
同じくラベンダー。こちらは、縦構図です。



咲き残った最後のグラジオラスです。



草花ではありませんが、南天の花も咲きました。これから秋が深まるごとに、赤い実をたくさんつけて楽しませてくれます。



ただいま、火坂雅志著『天地人』を読んでおります。藤沢周平の『密謀』、童門冬二の『直江兼続』と同じ、直江兼続を主人公とした物語。再来年の大河ドラマの原作だそうです。
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草花の名前を知る方法

2007年09月09日 05時50分18秒 | Weblog
草花の名前を知るのは、けっこう難しいものです。名前がわかっている草花の場合は、インターネットで検索すれば、たいていなにかしらヒットしますが、名前がわからない場合はこの方法も使えません。

ところが、岐阜県多治見市立陶都中学校の「身近な植物」というページから、身近な草花の名前を知ることができます。たとえばこの青い花の名前は?

(1)花で調べる
(2)花の色:青色、花の形:ロート形
(3)写真から「アメリカン・ブルー」と判明。
(4)さらにクリックすると、大きな写真と解説が出てきます。この植物は、理科で「花粉管の観察」に適しているのだとか。これも、初めて知りました。

こんなふうに、中学校の(おそらくは理科の)教頭先生の労作が、その学校の生徒の学習以外に、植物検索の専門家ではない一般社会人にも役立つのですから、ありがたいものです。貴重なサイトだと思います。

(*):草花の名前を調べる(2)~電網郊外散歩道
(*2):岐阜県多治見市立陶都中学校のホームページ
(*3):身近な植物~ここから検索開始
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飯嶋和一『雷電本紀』を読む

2007年09月08日 09時55分26秒 | 読書
小学館文庫で、飯嶋和一著『雷電本紀』を読みました。著者は同郷・同世代、共感するところも多く、たいへん楽しみました。

本書は、江戸時代、序と蒼竜篇、朱雀篇、白虎篇、玄武篇の五篇からなる物語です。
1.序では、鍵屋助五郎が、大火の後に赤子や稚児の病魔祓いをしている大男を見かけます。それが江戸の勧進大相撲において圧倒的な強さを見せる雷電為右衛門でした。小野川との対戦のあと、鍵屋が贈った魔獣の化粧まわしの礼に、雷電本人がやってきて、助五郎と麻吉と意気が通じます。
2.蒼竜篇、信州浅間山の噴火と、圧政により爆発した打ち毀しには、草相撲で抜群の素質を持つ太郎吉が目標の一人とした日盛が参加していました。日盛は侍たちに切られ、槍で突かれて死にます。江戸の相撲部屋の年寄・浦風林右衛門は太郎吉の素質を忘れられず、ダメもとで太郎吉の父親に、たった一人の息子を弟子にと願い出ます。意外にも承諾した父親の思いは、深いものがありました(*)。
3.朱雀篇、師匠の林右衛門は、当時最高の大関であった谷風の下で、太郎吉を鍛えます。やがて雷電の存在が、拵え相撲で汚れた相撲界に激震を走らせます。また、助五郎と麻吉かの過去も語られます。大火で親と店とを失った助五郎は、麻吉と二人で鉄物商鍵屋を起こします。鍵屋助五郎と麻吉の男気は、人目を忍ぶ打ち毀しの頭目の娘さよを遊廓から身請する話や、孤児の真吉を店に置くことになった経緯にもあらわれます。雷電の痛めた腰が真吉の紹介した医者の治療によって快癒し、千曲川という力士もまた、恵船先生の診立てに助けられ、助五郎との縁が深まります。
4.白虎篇、雲州抱え雷電王朝の全盛時代、実力による激しい相撲が人気を沸騰させ、雷電が勝つのは当り前、負ければ初めてニュースになるほどです。しかし、雷電の真価はそこにはありません。希望を失った村に、弟子とともに「疫病退治」に出かけ、村人や売られた娘たちに生きる望みを鼓舞するのです。そして歳月が流れ、そんな雷電も引退を決意する時が来ます。
5.玄武篇、雷電の引退は、後に残された力士に重い負担となります。人気力士も、体をこわせばお払い箱となり、不遇な末路が待っています。雷電が発願した吊鐘の新造は、これらの力士たちの供養のためでしたが、幕府内の権力争いにより、罪に落とされ、世情は騒然となります。さて、この結末は・・・

中学生の頃、子ども向けの雷電の伝記を読んだことがありました。鐘の新造の話は全く理解できませんでしたが、この年齢になり本書を読み、ようやくその意味を知りました。相撲の取組の描写は、まるでスローモーションのビデオを見ているようで、打ち毀しの場面も緊迫感があり、実に読みごたえのある物語です。堪能しました。

(*):飯嶋和一『雷電本紀』を読んでいます~「電網郊外散歩道」より
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台風が来ているせいで

2007年09月07日 06時04分09秒 | 季節と行事
台風のせいか、昨日は猛烈な湿度と暑さで、不快指数も高く、寝苦しい一夜でした。飯嶋和一『雷電本紀』を読み終え、余韻にひたっております。この週末、なんとか記事にできればよいのですが。
首都圏では、台風の上陸のため、通勤客の足がストップしたようです。私の記憶では、当地はたしか台風の進路にあたったことがありません。それでも、進路予想を見ると今日の午後には影響が出てくる可能性が高く、ちょうど収穫期にあたる桃や、りんご「つがる」、あるいはもうすぐ収穫期に入るプルーンなどに、影響が出そうです。
台風が過ぎれば、一段と秋色が増し、小中学校の運動会のシーズンとなります。なんとか大きな被害が出ないで、台風が通過してくれるように祈りましょう。

【追記】
台風は、中心が昼前後に山形市付近を通過していったもようです。朝の出勤時はだいぶ吹き荒れましたが、昼時にはパタリとおさまり、異様に蒸し暑く、台風の目と感じました。その後、吹きかえしが若干来ましたが、朝ほどではなく、しだいにおさまりました。
果樹園の被害は、だいぶあるようです。リンゴや梨は落ちたものの、桃は収穫完了していましたので、不幸中の幸いでした。写真は、ぽっきり折れたプルーンの枝です。

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最近の通勤の音楽

2007年09月06日 22時26分05秒 | -オーケストラ
最近の通勤の音楽は、R.シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう語った」です。この曲は、オルガンの重低音が響く出だしが映画「2001年宇宙の旅」に用いられ、有名になりました。一時期、オーディオ機器の再生力テストに用いられましたが、途中でカットされて全曲を聴くことは少なかったように思います。やはり、出だしだけ耳タコな、不幸な曲かもしれません。
カーステレオではどうせ限界がありますので、冒頭の第1曲は思い切ってカットし、第2曲から再生しながら通勤しております。これはこれで、なかなか面白いものです。映画「2001年宇宙の旅」のイメージをひきずらない、「ツァラトゥストラはこう語った」の聴き方かもしれません。
演奏は、サー・チャールズ・マッケラス指揮ロイヤル・フィルハーモニック。例のロイヤル・フィル300円盤の中の1枚ですが、なかなか聴きごたえがあります。
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サルビアの赤い花、季節の果物

2007年09月05日 06時39分55秒 | 週末農業・定年農業
8月の終わりから9月の始め頃になると、いろいろな花が咲き終わり、サルビアの赤い花がやけに目につきます。季節の変わり目なのでしょう。先日、出勤前にちょいと撮影しました。季節はちょうど桃の「川中島」の収穫時期です。



また、プルーンが成長し、もう少しすると収穫時期となります。今年もびっしりと鈴なりです。




今年はスモモもたくさんとれました。りんごももうすぐです。



80代の老父母が、楽しみに作っている果樹園や菜園を見ていると、年を取ってからの農業はいいものだなぁと思います。二人とも先年ガンの手術を経験しているわけですが、来年はこれを植えようと、希望を持っています。希望が持てるということは、大切なことですね。
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アホ猫とは言わせませんわ。

2007年09月04日 06時24分34秒 | アホ猫やんちゃ猫
あたしのご主人は、このあたしを、よりによってアホ猫なんて言うのよ。失礼しちゃうわ。あたしは人間と違って、不機嫌などになりません。だいたい、人間は礼儀知らずです。人間は、自分の大事な体を、無理強いしてこわす人が多いっていうじゃありませんか。それって、自分の体に対して、礼儀をしらないからです。あたしたちは、眠たいときには寝て、起きているときはちゃんと運動もしますし働きます。だから、あたしたちネコは、不機嫌にはならないのよ。難儀をしてつかまえた獲物を、見せにも来るのですもの、キャーなんて言わないで、ほめてほしいものだわ。

なにを言ってるんだい、それはアランの『幸福論』だろ。クシャミ先生のところに入りびたるから、理屈ばかりうまくなりおって。エサくれ~と早朝から起こしに来るのは、いい加減にしてほしいもんだね。ほら、つかまえてきたツグミを捨てたのを、そんなにすねてないで。部屋中に羽毛を散らかすんじゃないよ。こっちにおいで。
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耳タコなほど聴きなれた曲目を再び楽しむ法

2007年09月03日 05時51分42秒 | -オーケストラ
何度も繰り返すうちにタコができてくると言いますが、クラシック音楽でも同じことが言えます。たとえばベートーヴェンの交響曲第五番。「ジャジャジャジャーン!」は小学生でも知っている、「運命」の出だしです。この出だしを聞いただけで、気分はもうおなかいっぱい、耳タコだよ、という方も少なくないことでしょう。

私も、この出だしの自己主張の強烈さには、その意義と価値を充分に認めつつも、ちょいと押しつけがましさに辟易することが少なくありません。それは、演奏家によりませんから、たぶん作曲者であるベートーヴェンの責任。でも、とくに第2楽章の魅力は、つい手が伸びます。いつからか、第1楽章は脳内だけで鳴らし、第2楽章以降を実際の音で聞くことが多くなりました。

第1楽章、アレグロ・コン・ブリオ。脳内で演奏しますので、どんなに難しいパッセージでも大丈夫(^o^)/
第2楽章、伸びやかで堂々たるアンダンテ・コン・モト。かなり手のこんだ、力の入った変奏曲です。実際に音として聴くと、ほんとに素晴らしい音楽だと思います。
第3楽章、アレグロ。低弦に導かれて登場するホルンが、例の主題を奏するあたりから、あたかも「ただいま巨人達が会議中」といった雰囲気。しだいに緊迫感が増して来ます。
そしてアタッカで突入する第4楽章、朗々とした高揚感があります。この楽章だけ、なんとなく響きが違うなぁと思っていたら、楽器編成に追加されるものがあるのだそうです。ピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンがそれで、音に厚みと華やかさが加わっているように感じられ、このへんが解放感につながっているのかな、と思います。

以前、「現存する最古の自筆楽譜」という記事(*)を書いたことがありますが、この中に、ちらりと「第1楽章すっとばし第2楽章から」聴くことが多い、と書きました。最初から聴くときには、その圧倒的な迫力に打たれますが、やっぱり次は最初の楽章はパスして…と気おくれしてしまいます。きっと、人間が軟弱にできているのでせう(^_^;)>poripori

演奏の違いよりも、ベートーヴェンの強烈な音楽に圧倒される要素のほうが強いのですが、しいて言うならば、特に第3楽章から第4楽章への強烈な緊張感の点で、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏はすごい演奏だと思います。たとえ、ホルンで裏打ちしていると言われる、炸裂するトランペットの響きに、若干の保留を残したとしても。スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレ盤は、体調や気分の関係でセルの厳しい表情とは別の演奏を聴きたいときに、安心して音楽に身を委ねることができる、そういう演奏です。

■ジョージ・セル指揮クリーヴランド管
I=7'31 II=10'01" III=5'30" IV=8'32" total=31'34"
■スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレ
I=7'20" II=9'38" III+IV=19'28" total=37'28"

(*):現存する最古の自筆楽譜
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題名のない音楽会

2007年09月02日 10時15分08秒 | Weblog
日曜の午前、ウォーキングの後に、私には珍しく民放のテレビを見ました。お目あては、飯森範親さんが指揮で、山形交響楽団がバックをつとめ、徳永英明さんと中孝介さんが歌うという内容。どんな曲目になるのか、まったくわからずに、久しぶりの朝の民放テレビです。司会が、久保田直子アナウンサーと錦織健さん。

「壊れかけのRadio」を歌った徳永英明さんは、もう20年くらい前に、「Birds」というCDで知りました。中孝介さんの歌「花」は、今回初めて聴きました。島歌ふうの、なかなかいい歌ですね。二人の歌ったカバー曲の中では、「桃色吐息」の男声二重唱が良かった。

バックをつとめる山響メンバーの皆さんが民放テレビに写る様子は、ちょいと華やかで、よかったです。しかし、カラオケでなく、生のオケ伴で歌う歌手の皆さんは、気持ちいいでしょうね。再来週も山響が「題名のない音楽会」に登場するとのこと、見逃せません。

昔話ついでに、岩崎宏美さんが日本フィルをバックにコンサートを開き、「シンフォニー」というLPになっていますが、念願がかなったと喜んでいました。長丁場になるほど歌唱力を問われ、こわい面があるのでしょうが、当時の若いアイドルの中では珍しく歌唱力があったので、日フィルとのコンサートが成り立ったのでしょう。

当時、関東在住で、ときどき読響や都響なども聴けたのですが、残念ながら今ほどには各オーケストラを親しく感じてはいなかったように思います。やっぱり地元にオーケストラがあるということは、素晴らしいことですね(^o^)/

写真は、ちょうど収穫作業中の、北限に実るわが家の桃「川中島」です。
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