(1)全国紙がまるで芸能紙になったかのようなSMAP独立(あるいは分裂脱退)騒動だった。よくある芸能界の事務所独立問題のひとつであるが、何しろ年商200億円以上(報道)は稼ぐといわれる人気グループSMAPの分裂脱退騒動だったので、まるで国民的関心事のように話題が波及していった。
(2)SMAPメンバーは43才2人を筆頭に40代が4人に38才が最少年令という一般社会では企業の中核を担う世代で、SMAPそのものもひとつの企業体を構成しているとみなしていい存在だ。
世間はこのSMAPを「人気アイドルグループ」(報道)という位置付けだが、40代になって人気アイドルグループというのもおかしな取り上げ方で、今回のSMAP騒動も社会、世間の時代ギャップ、錯覚認識が生んだ、つくりあげられた騒動という印象が強い。
(3)人気アイドルグループならあり得る主体事務所を巻き込んだ移籍、脱退問題かと思わせて、しかし実はもはや企業の中核を担う世代の企業の発展存続か解体倒産かの責任ある大人の判断、決断の論理の問題のはずだった、本来は。
今回の全国紙1面5名の写真入りのSMAP騒動の取り上げ方を見ていると、企業と商品と社会、世間の時代ギャップを感じて全国紙がその時代認識の錯誤感を指摘することもなく1面記事で相乗りしたところにメディアの劣化、低下を強く印象づけるものとなった。
(4)SMAPをひとつの企業体と言ったが、ひとつの商品でもある。この商品をどう宣伝して付加価値をつけて効果的に売り出すかは企業の重要な戦略(strategy)であるから、商品そのものの考え方は企業の選択、戦略が優先するものでいつまでも人気アイドルグループから逃れられない宿命を背負っても不思議ではない。
彼らは彼らなりに多分に人気アイドルグループからの脱却、成長、独立を目指して努力し、研さんし活動を続けてきたと思うけれども、企業の商品としてはコーポレート・ガバナンス(corporate governance)の選択、戦略から逃れられないうちに年令と評価のギャップにさらされることになった悲劇だ。
(5)40代の社会、企業の中核を担う世代があたらしい未来に向けて独自の戦略、展開を示すことは当然の選択であって、むしろ遅すぎたところに今回のつくられた騒動のギャップ悲劇性(tragicalness)があった。
グループはいつかは解体、解散するものという不文律はあっても、もちろんメンバーを代えてでも存続するものもあり決まったことではない。
しかしそれは年代に合った当然の変化であり、成長であり、責任であり、意識の高まりであって、SMAPの場合は40代で「人気アイドルグループ」としてのギャップの位置づけから抜けきれなかった(あくまで企業ガバナンス、戦略の問題であるが)ところに不幸、悲劇性があった。
(6)SMAPは5人でグループ活動を続ける選択をした(報道)ようだが、社会、世間は中核を担う世代に見合った大人の判断、選択にもっと理解と協力を示してもよかったのではないのか。
つまり社会、企業の中核を担う40代の独自の判断、選択の背中を押すことがあってもよかったのだ。そうしなければ変わるものも、変えたいものも変わらないことになる。
(7)政治家まで巻き込んでのSMAP騒動であったが、彼らのこれからの成長、独立を後押しすることが成長戦略そのものである。
世間がこぞって40代の人気アイドルグループのSMAPが残ったことに安堵しているのはちょっと違うのではないのか、さみしい限りだ。
(2)SMAPメンバーは43才2人を筆頭に40代が4人に38才が最少年令という一般社会では企業の中核を担う世代で、SMAPそのものもひとつの企業体を構成しているとみなしていい存在だ。
世間はこのSMAPを「人気アイドルグループ」(報道)という位置付けだが、40代になって人気アイドルグループというのもおかしな取り上げ方で、今回のSMAP騒動も社会、世間の時代ギャップ、錯覚認識が生んだ、つくりあげられた騒動という印象が強い。
(3)人気アイドルグループならあり得る主体事務所を巻き込んだ移籍、脱退問題かと思わせて、しかし実はもはや企業の中核を担う世代の企業の発展存続か解体倒産かの責任ある大人の判断、決断の論理の問題のはずだった、本来は。
今回の全国紙1面5名の写真入りのSMAP騒動の取り上げ方を見ていると、企業と商品と社会、世間の時代ギャップを感じて全国紙がその時代認識の錯誤感を指摘することもなく1面記事で相乗りしたところにメディアの劣化、低下を強く印象づけるものとなった。
(4)SMAPをひとつの企業体と言ったが、ひとつの商品でもある。この商品をどう宣伝して付加価値をつけて効果的に売り出すかは企業の重要な戦略(strategy)であるから、商品そのものの考え方は企業の選択、戦略が優先するものでいつまでも人気アイドルグループから逃れられない宿命を背負っても不思議ではない。
彼らは彼らなりに多分に人気アイドルグループからの脱却、成長、独立を目指して努力し、研さんし活動を続けてきたと思うけれども、企業の商品としてはコーポレート・ガバナンス(corporate governance)の選択、戦略から逃れられないうちに年令と評価のギャップにさらされることになった悲劇だ。
(5)40代の社会、企業の中核を担う世代があたらしい未来に向けて独自の戦略、展開を示すことは当然の選択であって、むしろ遅すぎたところに今回のつくられた騒動のギャップ悲劇性(tragicalness)があった。
グループはいつかは解体、解散するものという不文律はあっても、もちろんメンバーを代えてでも存続するものもあり決まったことではない。
しかしそれは年代に合った当然の変化であり、成長であり、責任であり、意識の高まりであって、SMAPの場合は40代で「人気アイドルグループ」としてのギャップの位置づけから抜けきれなかった(あくまで企業ガバナンス、戦略の問題であるが)ところに不幸、悲劇性があった。
(6)SMAPは5人でグループ活動を続ける選択をした(報道)ようだが、社会、世間は中核を担う世代に見合った大人の判断、選択にもっと理解と協力を示してもよかったのではないのか。
つまり社会、企業の中核を担う40代の独自の判断、選択の背中を押すことがあってもよかったのだ。そうしなければ変わるものも、変えたいものも変わらないことになる。
(7)政治家まで巻き込んでのSMAP騒動であったが、彼らのこれからの成長、独立を後押しすることが成長戦略そのものである。
世間がこぞって40代の人気アイドルグループのSMAPが残ったことに安堵しているのはちょっと違うのではないのか、さみしい限りだ。