(1)10年間務めた黒田日銀総裁が10日に最後の金融政策決定会合に臨み、日銀金利政策が招いた円安物価高、日銀の国債保有割合が初めて50%を超える異次元の大規模金融緩和策を置き土産に退任する。
10年間言い続けてきた2%物価安定目標は一度も達成できずに、それでも大規模金融緩和策は「成功だった」(報道)と総括してみせた。
(2)日本の良質の文化論には「飛ぶ鳥、跡を濁さず」というのがあるが、黒田金融論は円安物価高、高い国債保有率、超低金利と任命した安倍元首相との約束なのか、核心問題を残したまま課題、問題山積のまま退任する。
黒田日銀総裁は当初の大胆な金融緩和策でアベノミクスを支え円安株高効果を生んで大企業、富裕層に大きな利益をもたらしたが、賃上げ効果が物価上昇率に追いつかない国民生活には利益は回らずに次第に金利差円安が進み、この頃に黒田日銀総裁として金融政策の変更修正の機会でもあった。
(3)しかしあくまで2%物価目標達成にこだわり、国債を大量に買い支えて安倍元首相からは日銀は「政府の子会社」とまでいわれてその安倍元首相もいまはおらずに、後に残ったのは国債保有率50%超えの太り過ぎで身動きのできない日銀であり、後を託された植田日銀新総裁による金融大手術が待ち受ける。
(4)金融大手術では日銀同様、内部留保が過去最大の数百億円にふくれあがった大企業、富裕層に負担、協力してもらわなければならない。
岸田政権も資産所得倍増プランを打ち出しているのだから、金利を上げて銀行預金をプラスに向かわせてもらいたい。
(5)黒田日銀総裁の10年は当時の安倍首相の意向を反映して政治、政府と日銀のつながり、関係が深く、国民にも日銀の金融政策への関心を高める意味、作用、効果はあった。日銀の金融、金利政策が物価の動向と結びつくことが多く、政府の経済、物価対策以上に黒田日銀の金融政策決定に国民の関心が集まった時代でもあった。
(6)これまで以上に黒田日銀総裁の露出が増えて、その判断、発言が注目された。130円台に突入した急激な円安傾向(その後一気に150円台)に安倍元首相がこれぐらいの円安は問題ないと発言して容認したり、大胆な金融緩和策を後押して劇場型政治とともに本来冷静な判断が求められるち密で専門型金融政策も黒田総裁の判断が「サプライズ」といわれて興味本位で評価されたのは、日銀金融政策の独自性、本質論からズレたところだった。
(7)黒田日銀総裁の10年間は長すぎたのではないのかの思いはある。