(1)21日昼前、WBC準決勝日本対メキシコは最終盤を迎えて4対5で日本がリードされている。と、その時TV画面に速報を知らせるチャイムが鳴り、時間帯から考えて凶悪事件というよりは大きな事故の可能性が高いなとみていると、TV画面上部に岸田首相が急きょウクライナ訪問に向かったとの知らせだった。
(2)岸田首相は20日からインドを訪問してモディ首相と首脳会談を実施していた。実は岸田首相のインド訪問が発表された時にひょっとしてインド訪問後にそのままウクライナ訪問に向かうのではないのかと一瞬脳裏を横切ったことがあった。
この時すでに岸田首相は16日に韓国尹鍚悦大統領、18日独ショルツ首相と日本で相次いで会談をしており、立て込んだ政治日程の中で翌19日にはインドに向けて出発するというあわただしさで、今急いでインド訪問をする理由がみつからなかった。
(3)国会審議中でもあった。しかし一瞬脳裏を横切った時から数日が立っており、岸田首相が19日にインドに向けて出発した時には日本のWBC準決勝の話題の前に疑問は頭の中には消えていた。
そうしての21日午前のTV速報のチャイムで岸田首相がインドから政府専用機ではなくチャーター機(大谷選手がWBCのため日本に来たチャーター機と同型ー報道)で小人数限定の随行員でポーランドに着いてそのまま列車に乗り継いで当日中にウクライナに向かうというニュースで、無事キーウに到着してゼレンスキー大統領との会談に臨む。
(4)十分に念入りに検討された岸田首相のウクライナ訪問だった。立て込んだ日程の中でのインド訪問というのは緊要課題があるわけではないのであわただしさがみえて、事実おかしいなと感じさせるものがあった。
インドは親露政策を進める国で露とは兵器供与で深いつながりがあり、モディ首相が迎えた岸田首相がウクライナに向かうことに露も妨害、強硬姿勢はとれない関係にあり、しかも露では中国習近平国家主席が20日モスクワを訪問してプーチン大統領と会談しており、こちらもこういう時に露がウクライナへの強硬な軍事行動はとれない事情があったと考えられる。
(5)実はこの一連の政治日程の「つながり」こそが自衛隊の海外での安全保障警護が規定上できない岸田首相がより安全に確実にウクライナ訪問を実施できるオブリガート(obbligato)、「欠かせない」機会であった。
岸田首相の立て込んだ政治日程の中にインド訪問のピース(piece)を入れた理由であった。