いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

塩瀬ゼミ ー(1)

2009-08-29 14:02:12 | 日記
 8月28日に名古屋で元東海ラジオディレクターの塩瀬さんが、日本を代表する
シンガーソングライターの井上陽水、財津和夫さんとの出会い、その後の音楽、仕
事上の付き合いについて語る、セミナー(ミュージックカフェ)に参加した。

 会場は、オープンスペースのカフェで、参加者にはコーヒーとケーキのセットが用意
されている。14時30分セミナー開始前に、講師の塩瀬さんがカフェの窓ガラスを背
にした講師卓のテーブルに着いて、陽水のアルバムをかけている。窓ガラスからは
、ビル群と夏空、過ぎゆく夏雲が映える。14時30分にセミナーは始まる。

 井上陽水、財津和夫との交流を通じて、話をしてきたこと、経験したことを彼らの音楽
を聞きながら話したい。出会いとか、交流を通じた話をしていくので、普通の紹介話とは
違います。セミナー参加者の中には、熱心に大学ノートに記録する人も複数いる。

 まず、井上陽水編です。
 レコード会社からテスト盤が各種送られてくる。発売の1か月前から、1週間前というの
もある。それらをレコード室で聞いて、ラジオに流す曲を選ぶのはディレクターの楽しみだっ
た。その中に、アンドレカンドレが歌う「カンドレマンドレ」という曲があって、奇妙なタイトル
にひかれて聞いてみた。(この辺の詳しいことは、本ブログの「サンクス・ギビング、塩瀬さ
ん」参照)
 所属するホリプロに交渉して、本人に名古屋に来てもらった。交通費と、いかばかりかの
ギャラも用意した。
 「カンドレマンドレ」を聞く。(多重録音、テープを変速するところは、ビートルズの録音技法
そのもの)

 アンドレカンドレとしては3曲をつくったけれど、自分のつくった曲もなんだかわからなくて、
制作会社からは、作曲には能力がないからシンガーに専念しろとまで言われた。
 その後、ポリドールのディレクターに認められて、1年後に井上陽水で再デヴュー、自分の
両親のことを歌った「人生が二度あれば」は地味な曲だったので、ロック調の派手なB面の
「断絶」を積極的に深夜放送でかけた。
 「断絶」を聞く。

 1973年の3月に3枚目のシングルとして「夢の中へ」を出す。この曲は、栗田ひろみ主演
の映画の主題歌として発表された。ポリドールの宣伝部では、ボクが陽水を好きだと知って
いたので話があって、それじゃ名古屋で試写会をやろうということになって、陽水を呼んでそ
のステージで歌うことにした。深夜放送のファンが大勢駆けつけて満員になったが、みんな
映画より陽水の歌に酔って帰った。
 「夢の中へ」聞く。

 当時、陽水が名古屋に来てタクシーに乗ったときにラジオから自分の歌が聞こえてきて、
初めてのことなのでうれしかったと言った。今はビッグアーティストでも、そんな時代がある。
 1973年「心もよう」という曲を出し、全国的なヒットとなり、その年の12月にイギリスでレ
コーディングをしたアルバム「氷の世界」を発表し、これが1か月で30万枚売れて翌年度に
は日本で初めてのミリオンセラーを記録した。
 「氷の世界」を聞く。

 今年、全国ツアーを5月8日から始めている。その前の5月2日に忌野清志郎が亡くなって、
このステージのオープニングで清志郎にささげる曲として、泣きながら共作の「帰れない二人」
を歌った。
 「帰れない二人」を聞く。

 この歌は、アルバム「氷の世界」にも入っていて、清志郎は当時のまずしい時代に、この印
税で生活することができたと言っていた。

 今年、名古屋のコンサートで陽水はお孫さん3人を連れてきて、これが陽水の膝にまとわり
ついて、娘の子だと言っていた。

 



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