いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

メディアの投資と責任(最近のテレビはね・・)

2009-04-10 13:34:31 | 日記
 テレビというのは、最近ではほとんどニュースしか見ない。見ないというか、アナログ・BSもふくめて、随分と放送局もできて番組も新聞の2ページも占める大きさだけど、見たいという番組、ないね。
 まず、企画力がなくなった。フラッシュのつもりでチャンネル回すと、いつか見た過去の映像を繰り返し、また景勝・観光地を紹介し訪ねて、画面のひとだけがなにやらおいしいものとかを不自然に興味ありげに食べている。これをゴールデンタイムといわれる時間帯に長時間やっているから見るほうは大変じゃないのか。イメージとしてこのテーマなら多分あの画面だろうなとか、おいしいのはあなただけなんでしょうよ、という気が付いたらこちらの了見の狭さだけが思い知らされている始末です。ひとつの事例ですが。
 早朝から深夜まで興味を引くことなく連なる番組表を見ていると、放送局が時間を持て余しているのが透けて見える。不特定多数を対象にしたメディアが主義主張を押し付けるのもどうかということでしょうか、番組編成に一本とおったものがないよ。
 米国ではもう随分前から、ニュースしかやらない局(もちろん、日本のメディアにもありますが)とか、メディア(ここではテレビ)が細分化されて特徴があり、編成方針が視聴者の選択欲を満足させている。
 しかし、米国も含めてのこのメディアの貧弱な氾濫を見ると、ついつい、エネルギーの費用対効果についての心配が走るね。

 昨今の景気悪化で、デパートの営業時間、休日の見直しも出てきているように、メディアも放送時間の見直しとせめてゴールデンタイムでのそれぞれの局として筋のとおった番組編成で効果的なメディア価値を示してもらいたいが。予算も苦しいんだろうな。このままだと、もっと苦しむよ。だからこそ、苦しんで考えて、価値のあるもの(番組編成)に投資ですよ。
 メディアというのは、その持つ効果(ちから)からも、もっと社会に対してそれに合わせただけのソースを提供する責任を感じているはずじゃないのか。
 メディアは、表現に価値を与えよ。相応の投資をしてね。

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