まじ泣けるストーリーや!?
前評判を読んでいたので、全く期待せず、ただただ、
とんちゃんが大阪に来る!
兵芸よりも大きい梅芸に来る!!
ただただ、とんちゃんさえ拝めれば、それだけで充分!と思っていたら、
前評判を覆すくらい良かったよ!私はね。
ソンドハイムの作曲やねんから歌が難しくて当たり前やん!?
今でこそ、ピアフが乗り移ったかのように歌えるしのぶさんも、宮本亜門版スウィニー・トッドの初演の時は酷かったよ。武田真治君もね。城田君も厳しかった。ソニンちゃんは、めちゃ裏声を駆使していたね。市村さんは地声で歌ってた。
そもそも、日本語と欧米言語は言葉の作りがちゃうやん。
日本語は1音に必ず母音があるから、一音符に一文字しかあてられないねん。
欧米言語は音やから、一音符に一単語入れることができるねん。
ソンドハイムみたいな音階がゴチャゴチャしてるような楽曲だと、日本語の母音が邪魔して滑らかに歌えない。ちゃんと母音を発音しないと意味が伝わらない言語だから。
欧米言語は、音とリズムだからアクセントが重要になってくる。一音符にアクセントがある一単語で表現していく楽曲。
欧米言語でも難しい楽曲だと思うよ。
翻訳した日本語を楽曲に合わせようと奮闘するより、一層のこと新しい歌詞を作る方がよっぽど楽なんだよ。
日本語訳詞さん、マジ大変な作業。全体の意味を伝えないといけないからね。。
歌が上手い下手に関係なく、ソンドハイムの曲は難しいの!
少しは大目に見てあげて!と言いたい。
そもそも、ダイモンみたいに歌える人ばっかりだったら、ただのミュージカルやん!
本来の物語が持つメッセージ性。森を深層心理や無意識の世界、心の闇の象徴として描き、その住民たちが自分達の過ちに気付き、どう前向きに生きていくか?学びと成長を描いた作品やん。
私が演出家なら、歌える人間より、ちゃんと脚本を解釈できる人を選ぶわ!
ということで、熊林さんの初ミュージカルにして大作作品を観てきました。
メリル・ストリープの映画版も宮本亜門さんの舞台版も観たことないので、完全なる初見での感想になりますが、間違いなく問題発言連発致しますので、ご了承下さいませ。
パンフレットを買っていないので、熊林さんの意図や狙いは正直分かりませんが、
私には、精神疾患ミュージカルだと解釈しました。
スウィニー・トッドにも通じるものがありますが、というか、スウィニー・トッドでも描かれていましたが、
人間って、この時世は特に、誰もが心に闇を抱えた精神疾患者だと思うんですよ。もちろん、私も含め。
コロナ禍で益々人生の歯車が狂って、予期せぬ出来事に対処出来なくて、他人の芝が益々キレイに澄み切った青色に見えてくることがあると思うんですよ。
昨今のニュースを読んでいると、
なんで私ばかりこんなに不幸なの!?
こんなに頑張ってのに報われないの!?
と思うことが多くなってると思うんですよ。
このミュージカルに関して言えば、子供が授からない、大切な仲間(牛)を手放さなくてはならない、大好きなお婆ちゃんが死んだ、奥さんが死んだ、お母さんが殺された、旦那が殺された、男に騙された、娘に振り向いてもらえない、浮気をされた…、
ありとあらゆる不幸の雨が降り注ぐ中で、
気付きと学びを得て前進していく作品だと解釈してます。
森という心の闇で、1つの目的を達成するために、知らず知らずのうちに誰かを不幸にしていく。
おとぎ話の主人公は、確かにハッピーエンディングを迎えるが、そのハッピーへと導くために誰が何が犠牲なったかは読者は関心ない。
このミュージカルでは、1幕では、おとぎ話の主人公たちは、努力の末、自ら望んだハッピーな人生を手に入れて幕。
そして、2幕では、ハッピーな人生を迎えた主人公たちに、予期せぬ出来事が訪れて不幸の底へと堕ちていく。
その不幸の底で露わになる、心の深い深い深層心理の闇。
自分自身の闇と向き合わざるを得ない現実。いっそのこと消えてしまった方が楽になると思いたくなるのも無理もない現実を突きつけられる。
今の不幸は、家を破壊した巨人の妻や天災のせいにしたところで、ハッピーになる訳ではない。
元はと言えば、巨人を殺したジャックが悪かったりするわけですが、
ジャックの大切な牛を豆と引き換えに騙し取ったパン屋夫婦が悪くもあり、
パン屋夫婦に子供ができないように魔法をかけた魔女が悪かったり、
魔女を騙したパン屋の夫の父親が悪かったり、
負の連鎖が止まらない。誰かのせいでもあったり、誰のせいでもなかったりする。
結果的には、大切な身内を亡くしたおとぎ話の主人公達が、同じ闇を抱えた者達が、協力して、知恵を振り絞って、
私の好きな英単語の“alternative”、別の方法で前進する術を見つけて生きていくことが大事だということをこのミュージカルは教えてくれていると解釈しました。
ま、自分に都合がいいように解釈しているに過ぎませんが…。
実際問題、今ある地位や財産、幸せは、誰かの犠牲の上で成り立っていると思うんですよ。
私には、地位も財産もありませんが、幸せはある。
人は1人では生きていけないから、誰かの助けを借りなくてはならない。その助けに感謝することが、幸せの第一歩だと思うんですよ。
今ある幸せは当たり前にあるんじゃない。
千秋楽まで舞台に立てるのは自分1人だけの努力だけではない。
当たり前じゃない幸せを素直に幸せだと思える気持ち。誰かの協力や犠牲の上で成り立っていることの感謝の気持ちを忘れないこと。
そして、人間誰しも過ちを侵す。間違いだと気づいたら間違いじゃないようにしていけばいい。
過ちを侵した者だけが悪いわけではない。その過ちへと導いた因果もある。原因を追求しても切りがない。全てが連鎖の結果なのだから。
だからこそ、知恵を振り絞って負の連鎖を今こそ断ち切るしかない。
誰のせいなのか原因追求も大事だけど、同じくらい、いや、それ以上に、良くしていく方法を見つけることも大事。
過去にはもう戻れないのだから。
いやー、めっちゃ語らせるミュージカルやったわ!
意味不明なことばかり書いてますが、今の気持ちを書いておかないとすぐに忘れちゃうんでね。
ということで、
熊林さん、とんちゃんを起用してくださってありがとうございます!
しかも、何気に出番が多い!
とんちゃんのドレス姿と裾捌き、カーテンコールの宝塚娘役的お辞儀に、改めて宝塚の杵柄を感じざるを得ませんでした。
とんちゃん演じる継母、本妻、お婆ちゃん、そして、闇の中の声音の中に令嬢ジュリーや弥々がいてそれだけで大満足です。
関西弁を使ったり、廣瀬君をいじって自滅して台詞を間違えたり、めちゃくちゃ楽しませてもらいました!
熊林さん、ありがとうございますと言いたい!
ダイモンありきのこの作品ではありましたが、あまりにも女優さんの演技でビックリしました。歌もさることながら、魔女としてのコメディエンヌぶり、母親に戻ってのラプンツェルとの関係性があまりにも切なすぎて、そのギャップが素晴らしかったです。
もう、羽野晶紀さんが巧すぎる!新感線の舞台を観てるようなキャラ作りに感動しました!
赤ずきんにしては年齢が…と思わせつつ、羽野さんが演じると、大人になりきれない大人トラウマを抱えたまま大人になってしまったアダルトチルドレンにみえてきて、羽野さんの起用も大正解だと思いました。
古川琴音ちゃんの台詞回しに、声は弱いけど、ミュージカルのセンスを感じた。声優さんみたいだった。
ジャックの福士君の知恵遅れぶりな役柄も上手かった。福士君で「二十日鼠と人間」が観たくなった。
その母親役のあめくみちこさんは、確かに歌が厳しかったですが、これはソンドハイムの曲が難し過ぎる!スウィニー・トッドのしのぶさんも辛そうだった。お二人とも演技がピカイチなので、成金になってもジャックを想う母親の気持ちに揺らぎがない様がもう素晴らしかった。あ、あめくさんね。
ラプンツェルの鈴木玲奈さんの、お姫様?とそうでない時の演技のギャップが上手かった!この役は、まさにスウィニー・トッドのソニンちゃんが演じたトッドの娘役と被りますね。
パン屋夫婦の渡辺大知君と瀧内公美さんは、2幕目が良かった。1幕目は地味な存在でしたが、2幕目になると闇が深すぎてその演技とギャップが良かった!
王子様兄弟の廣瀬友裕君と渡辺大輔君は歌が良かった。廣瀬君は、狼役も兼ねていたので、やらしさと怖さを振りまく狼役と天然な王子様とのギャップが上手かった。
ストーリーテーラーの福井貴一さんの声が良すぎる!ただのストーリーテーラーではなかったですが。
執事の花王おさむさんのご主人様第一主義的な役柄がピッタリでした。
そして、継姉のわたるさんとコムちゃんの使われ方が非常にもったいなかった。というか、さすがに大先輩のとんちゃんがお母さん役だと出しゃばり辛かったかな…。
コムちゃん、ご結婚おめでとうございます!末永くお幸せに!
この作品、何気に雪組率が高いね。声だけのターコさん、コムちゃん、ダイモンは雪組のトップスター。とんちゃんは、ターコさんと退団同期。則松亜海ちゃんも雪組出身。
カリンチョさんの雪組で宝塚の沼にハマった者としては感慨深いものがありました。
このコロナ禍、公演中止が多い中、大千秋楽を迎えられて本当に良かった!
私も観劇できて良かったです!
本当に素晴らしい哲学ミュージカルでした!