さまよえるオランダ人

2025-01-26 00:27:07 | オペラ
これぞ究極の、魂の救済の物語。


オランダ人の苦悩は、まさに「ポーの一族」のエドガー同様、永遠の命を与えられた者の苦悩。あ、あくまで私の解釈です。実際のところ、オランダ人の本当の苦悩は分からない。


永遠の命があれば必ずしも幸せとは限らない。数多の出会いや恋愛を繰り返せば繰り返すほど、自分以外の人間は寿命があるわけだから、たとえ永遠の愛を誓っても死に別れる運命にある。


命がけの恋をすればするほど、別れが辛くなる。永遠の命があれば、必然的に別れの数も増えていき、別れの数だけ孤独感が増すばかり。


これが最後の恋と思ったところで、孤独感と共に生き堪え忍ばないといけないない。


それがオランダ人の苦悩だと私は解釈した。


ゼンタとの出会いによって、ゼンタの命と引き換えにオランダ人の魂が救済されたと私は解釈している。


ラスト、オランダ人の魂が救済された瞬間涙が出た。


もちろん、これはただの魂の救済の物語だとも思っていない。


現実に置き換えても分かるように、運命の人が必ずしも前世で契りを交わした魂の片割れだとは限らない。運命の人と思って結婚したが離婚したり、付き合っていたが別れたケースもよくあること。


大概は、運命の人とは思ってなくても、この人と結婚するかも!ビビビと直感で実際に結婚している人は多いはず。


結局のところ、運命の相手だろうが、魂の片割れであろうが、そうでなかろうが、これから起こるであろう人生の難題を二人で乗り越えられるのか?そういう相手なのか?そこが大事だと思う。ただの一目惚れの恋愛で乗り越えられるのかいささか疑問。


運命の相手だと思うなら、何が起ころうともこの人と添い遂げる覚悟があるのか?を問うた作品だと思っている。


嫉妬や猜疑心で相手を疑いを持った時点で、些細な問題も乗り越えられないと思う。


ワーグナーの初期の大作だからか、ローエングリンやパルジファルに比べたら、ヒロインに試練やお試しがない、ワーグナーにしては、ヒロインがめちゃくちゃピュア。物語もストレートなラブストーリーに驚いた



ラストのゼンタの行動は、まさにゼンタの魂の赴くままの決断だから、私は試練とも神様のお試しだとは思わない。自分の気持ちに正直に選択した行いだと思っている。


ワーグナー作品にしては分かりやすくて、本当に本当に素晴らしい作品でした。ラストまではこんな物語だとは想像していなかったので反動で感激してしまった。


ということで、去年の「トリスタンとイゾルデ」に引き続き、2回目の新国立劇場オペラパレスに来ました。


今作品、始まって三回目?三日目?の公演ではありますが、前二回公演が主役のオランダ人役のエフゲニー・ニキティンが体調不良で降板となったので、今日も代役の方が演じられるのかと思っていたら、エフゲニーがカムバックし、運良くオリジナルキャストで拝見することができ大変ラッキーでありました。


クラッシックホールでのクラッシック演奏は過去に数回聴いたことがありますが、オペラが格別なのかは分かりませんが、前回も思いましたが、新国立劇場の音響効果がめちゃくちゃ素晴らしい!


ワーグナーの楽曲が劇場空間を支配する力に今回も酔いしれました。


映像では伝わってこない生オーケストラならではの臨場感、ミュージカルのようなスピーカー越しじゃない生の楽器の音、マイクなしの生の歌。オペラパレスの空間支配力に痺れまくりでした!


復帰したばかりのエフゲニーのバリトンがオランダ人の苦悩を上手く表現されており大変素晴らしかったです。


ゼンタ役のエリザベート・ストリッドのソロがラストに向かうにつれて感情が乗ってラストのゼンタの歌は本当に感動しました。


ゼンタに横恋慕するエリック役のジョナサン・ストートンも、ゼンタの心を掴むには粗野でねちっこいし、それだとゼンタに振られても仕方ないやん的な役どころを美しいテノールで歌い表現され、本当に素晴らしかったです。


三人の三重唱は、オペラ無知のワタクシでも鳥肌もんでした。各人違うメロディーを歌うのは本当に聞き応えがありました。「ウエスト・サイド・ストーリー」の四重唱も好きだし、太田鉄則先生もよく重唱を作品に取り入れていて好きだった。ウタコさんの「大いなる遺産」はオススメ!


日本人キャストも本当に素晴らしく、特にゼンタパパ役の松位浩さんバスのはめちゃくちゃ低音が力強く聴き心地良かった。


舵手の伊藤達人さんのテノールも美しかった。


金子美香さんのメゾソプラノも優しい響きで素晴らしかった。


関係者さんの話によると、エフゲニーの代役だった河野鉄平さん、本番ギリギリの変更だったようで、開演20分送らせて衣装を合わせて登場するって、いくら経験があってもすぐに対応出来るって、歌舞伎役者さんもそうだけど、皆さんのプロ根性に感動してます。


ここからは再び物語に関して感じたことを書いていきたす。あくまで私が感じたことなので、プロダクションの意図とズレといること承知で書きます。


物語のあらすじは、簡潔に書くと、


船出している最中に嵐が来て嵐が静まり船員が休んでいる時、オランダ人の船に遭遇する。そこでオランダ人と船長のゼンタの父親が出会い、オランダ人の自分の財宝と引き換えに船長の娘ゼンタとの結婚の約束を交わす。ゼンタには愛を分かち合っている恋人はいるが、なぜか肖像画の謎の人物に惹かれている。肖像画の人物に出会ったら、その人物像が醸し出す苦悩をゼンタは救済したいと思っていた。


その肖像画の人物が、オランダ人に似ていた、いやその人だった。


ゼンタの使命はオランダ人の魂を救うこと。オランダ人もまたゼンタに清らかな魂に惹かれている。


ゼンタこそ、自分の苦悩を救ってくれる人物だと確信はしているが、いかんせん、ゼンタにはゼンタを心から愛しているエリックがいる。心から愛しているというよりストーカーに近い。嫉妬狂い。


オランダ人は、自分と結婚した女性は皆死ぬことをゼンタに告げ、オランダ人は身を引きゼンタを生かす決心をする。だが、ゼンタはオランダ人の魂の救済すべく、海に身を投げる。するとオランダ人も死んで幕。死ぬというよりかは魂が成仏された言った方がいいかもね。


字幕では永遠の誠と表現されていたが、ドイツ語聞き取れなかった…。まさに永遠の愛、真実の愛だと思うんよね。


オランダ人がゼンタを生かす決断をしたのは、真実の愛故にゼンタに生きてもらいたいという気持ちがあったとも解釈できる。


ゼンタこそ魂を救済してくれる女性だと確信があっても実際のところは分からない。ゼンタだけ死んで自分はこれまで同様、更に苦悩を抱えたまた生きていく可能性だってあった訳だから。


真実の愛故に、愛する人を失い自分だけ生き続けることほど苦しいことはない。


ゼンタの確信と覚悟がオランダ人の魂を救済し自由と安らぎを与え、目に見えない世界でオランダ人とゼンタは魂で結びついたとも私は願いたい。


と思ったストーリーでした。


ワーグナーが描く登場人物のキャラ設定が絶妙。分かりやすいのもいい。


晩年の作品の登場人物が複雑だっただけに本当に分かりやすいだけでなく、キャラ設定が絶妙。


拝金主義の父親なのに、ヒロインがピュアな乙女なのがいい。そんなヒロインに横恋慕するエリックがまた嫉妬狂い。それも人間らしさではある。


エリックは、ぶっちゃけ書くと、肖像画の人物(オランダ人)ほどゼンタの心を掴んでいないわけやん。端から見て、ゼンタと一緒になったとてゼンタの心を独占できるとは思わない。嫉妬でゼンタを突き倒す男にゼンタを幸せにできるのか?魔が差すはいつか必ずまた魔が差す。その時だけ魔が差すことはない。魔が差すは無意識の心の表れだから。普段言わないのに、肝心なときに余計なことを口走ったり、しない行動をしたり、それは無意識の表れだからね。普段の行いや思いが咄嗟に出ただけ。


嫉妬でゼンタを投げ飛ばすなんて、人間としてどうなん?って思う以前に、たとえゼンタと結婚しても、嫉妬以上に立ちはだかる苦難を二人で乗り越えていけるんか?っていう疑問がわく。きっと無理だと思う。そもそもゼンタの気持ち理解しようとしてないし。


ゼンタ自信も拝金主義者の娘だから同類と思われる可能性だってある。フィクショだからどうにでも書けるし、 親子でも関係ない、ではなく、


疑わしい要素がある中で真実の愛を求めたり、信じることは、現実社会でも難しい。


ゼンタとの出会いは、運命の出会いというよりかは、財宝との取引、言うなれば政略結婚みたいなもんだったわけだから、そこに真実の愛があるかは、オランダ人からしても確信は持てないはず。


それでも、ゼンタにはオランダ人の苦悩を安らぎに変えられる確信があり、また覚悟もあってのラストの決断だと思うから、真実の愛を分かち合った相手かどうかは、正直死なないと分からないことだけども、自分の第六感を信じることも大事だと思うし、勘違いだったとしても嘆かない覚悟も必要だと思わせてくれる力強いメッセージ性がある作品だと思った。


今まで観た作品が、ヒロインに試練をあたえたり、猜疑心植え付けることで、本来の人間のあるべき姿であったり、君主としての理想像であったり、宇宙の愛を表現したりと難しい作品ばかりでしたが、


ワーグナーの初期作品だっただけにワーグナーのピュアさを実感できる作品であった
ことが嬉しかった。


あまりにも感動してブロマイド買ってしまった!「トリスタンとイゾルデ」も買えば良かったと後悔…。


本当に新国立劇場オペラパレス、中ホールも大好きですが、オペラパレスも最高!オーケストラの空間支配力はマジで溜まらん!


調べたら毎年ワーグナー作品を上演されているので、次年度は何を上演してくれるのか楽しみです。


いつかローエングリンお願いします!

↑おそらくキャスト陣のサイン

トリスタンとイゾルデ

2024-03-27 18:26:30 | オペラ
いやいやいやいや、イゾルデ、トリスタンに復讐する気全くないやん!?

恋の媚薬を飲もうと飲もまいと、イゾルデはトリスタンに一目惚れしてるやん!てか、深層心理ではトリスタンの虜になってるやん!?


ということで、今年上半期のメインイベント(チケット代が高いからw)、人生初生オペラ鑑賞&新国立劇場オペラパレスに行ってきました!

新国立劇場のオペラパレスてっきり、コンサートホールがある方だと思っていたから、中ホールと同じ入口だったなんて全然知らなかった。何も知らずにコンサートホールに行っちゃたよ。藁

それにしても、めちゃくちゃ良かった!そして、

めちゃくちゃ泣けた!

幕間毎に感想をメモってましたが、ぶっちゃけまとめられなくてカオス状態ですが、感じたことを書いていきます。

ワーグナーの美しい旋律でも泣かされたけど、やはり、トリスタン役のゾルターン・ニャリとイゾルデ役のリエネ・キンチャの歌声にも泣かされました。

ワーグナーのスピリチュアルメッセージがしし座流星群の流星のごとくビンビンビンビン伝わってきてクライマックスは泣かされまくりでした。

ワーグナー、マジ、天才!!

ぶっちゃけ、音楽的才能は私にはよく分からない。でも、脚本家として捉えたら、素晴らしい!としか言いようがない。

ワーグナーもまたチェーホフ同様スピリチュアリストと言える。

最近になってワーグナーの楽劇(楽劇=オペラだと思っていた)をMETライビューで観る機会が増え、ワーグナーの哲学や思想だらけでまさかのスピリチュアル的なメッセージもあって、元々はワーグナーのパトロンのルートヴィヒ2世に興味があっただけやのに、オペラは全く興味なかったのに、これぞお導き!としか言いようがない。

トータル5時間25分の長丁場の作品なので、途中で寝てしまわないか不安がありましたが、休憩を抜いた実質の上演時間は4時間弱、作品が素晴らしかったので、睡魔は全くの皆無でした。

ワタクシは音楽ど素人なので、オペラ歌唱よりオーケストラの方が興味があるから、オペラパレスの空間を飲み込む音楽シーンに大感動した。

「トリスタンとイゾルデ」は全体的には柔らかく緩やかな曲がほとんどだけど、時折クライマックスがあるからその時のオーケストラの迫力に何度鳥肌が立ったことか!?

この日のためにYouTubeで解説動画を見まくってましたが、どれも音楽的分析ばかりで、脚本的分析がなかったので、ま、どのオペラ作品もそうなんですが…。あらすじだけでイメージを膨らませていました。全幕通し動画も゙チャレンジしましたが、毎回前奏曲から数分でアウト。最後まで集中できなかった。

また、YouTubeでトリスタン和音とか演奏方法の動画を観て勉強したけど、音楽専門家でもないし、そもそも楽譜読めないから記号を言われても理解不能。ということもあって、寝てしまわないか不安でもありましたが…、

いやいやいやいやいやいや、

あらすじの内容より、あらすじに付随していることの方がめちゃくちゃ大事やん!?と言いたくなった。

あらすじだけでは全く「トリスタンとイゾルデ」の魅力が伝わってこない。

実際に生で拝見させてもらったら、METライビューで観た「ローエングリン」「パルジファル」しかり、ただの英雄の物語でもラブストーリーでもない、人間の在るべき姿や本質、また君主たる者の在り方を説く内容にもなっており、「トリスタンとイゾルデ」もまた人間哲学を説いた、謳った作品だったと気付いたらもう感動しかなかった。

かつてオペラに対して、特にヴィジュアルに関して偏見がありまくりで、体型と役柄のイメージの不一致が気になって気になって仕方なかったワタクシではありましたが、

ワーグナー作品に出会って、ワタクシのヴィジュアル至上主義精神が完全に覆された。

主役が太っていようとなかろうと、作品のメッセージが伝えられるか否か全て、音楽専門家に言わせたら、譜面をどう解釈するかだと思うんですよ。ドラマ「さよならマエストロ」でも勉強させられました。めちゃくちゃ良いドラマだった!道島君のドイツ語が初期と最終話でめちゃくちゃ上達していてビックリしたけどね!藁

脱線、失礼しましたm(__)m

今回、メインキャストが2人とも代役でしたが、めちゃくちゃ素晴らしかったです!

体型なんて全く気にならなかった。ワーグナーの世界観、演出家の世界観をどう伝えるかが重要なので見た目なんて関係ない。

全く違和感なく世界観に浸ることができました。

「トリスタンとイゾルデ」は、たとえ媚薬がなくても愛し合っていたであろう2人の物語だと思っていたけど、ワーグナーの世界観はそれだけに非ずだった。

第一幕は、媚薬効果があったのは、トリスタンであって、イゾルデは背中を押された感があった。

イゾルデの元恋人がトリスタンに殺され、彼に復讐するチャンスがあったのに、殺さなかった。

トリスタンがイゾルデに自分を刺すようにと剣を渡したのに、なんだかんだで言い訳して刺そうとしない。

毒薬も半分はトリスタン、残り半分は自分が飲んで、始めっからトリスタンにゾッコンやん!

てっきり、トリスタンもイゾルデを深層心理で恋していたのかと思っていたが、第三幕で真相が明かされる…。

もう、2人が媚薬を飲んだシーンから号泣もんだった。

人間って、一度死にそうな経験をしたら、過去の煩わしい悩みごとがちっぽけに思えることがあると思うんよね。一度死んだと思ったら怖いものがなくなるみたいな。

トリスタンもイゾルデもそういった力が働いたんじゃないかと思った。少なくともイゾルデはそうだったと思う。

死ぬつもりで毒薬を飲んだら生きていたわけわけだからね。

そもそもイゾルデは、トリスタンに復讐を!と意気込んでいたけども、深層心理ではトリスタンに惹かれてれているから、憎みきれない。

もしトリスタンが命請いするような人間だったり、性格が悪かったら、未練がましい人間だったらひと思いに殺してたと思うんよね。

もう、まるで「河庄」の治兵衛とお春を観てる感覚やったわ。

前奏曲の一部がライトモチーフ?になっていて、トリスタンとイゾルデの会話や各々の発言のの中で何度も使われる。媚薬を飲むシーンでクライマックスを迎える音楽的アプローチがマジ最高!マジ泣けた。

第二幕ではすでに愛の死を語っていたね。

今なら、君は太陽みたいな明るい人、って感じで、太陽をプラス思考で使われることが多いのに、ワーグナーはマイナスで使っているのが斬新だった。

イゾルデは太陽が登る昼の人間。トリスタンは夜の人間という風に対照的な存在といて位置づけられている。

第二幕と第三幕は、それが顕著に描いていて、

トリスタンとイゾルデが愛を育む時は、誰もが眠りにつく夜しかない。彼らにとって、太陽が登っている昼間は、イゾルデがマルケ王の妃である時間は、幻や幻想に過ぎない。太陽が沈み、月が輝く夜こそ、トリスタンとイゾルデがが愛しあえる現実なのである。

その第二幕のキーワードがまさかのタイトル回収ともなる「トリスタンとイゾルデ」の“と”。ドイツ語のundであり、英語のand。並列を表す。

つまり、トリスタン=イゾルデなのである。片方が死ぬことはもう片方も死ぬことを意味する。

ズバリ、トリスタンとイゾルデは魂の片割れ同士のツインソウル、ツインレイということ。

やはり、普通の恋愛は、やはり普通の恋愛に過ぎない。

真実の愛とは、障害を乗り越えて勝ち得るものだと思うんよね。

恋愛にはいっぱいいっぱい障害があって当たり前。恋愛に限らず人生も。不倫関係とか、親に反対されてるとか、小児愛とか、同性愛とか、性格の不一致とか、法律とか、物理的な障害も含めて。

やはり、障害を乗り越えて得られるものこそが真実の愛だと思うんよね。

私が言うのもなんやけど、離婚したり別れたりするのは、やはり、ただの恋愛で結びついた間柄に過ぎないと思う。

ラスト、イゾルデが歌う♪愛の死♪こそ作品のテーマだと思うんよね。

なぜイゾルデが♪愛の死♪を歌うのか?

それは、トリスタンが望んだことだから。簡単に答えたら。

でも、トリスタンは、イゾルデに出会って、愛する歓びを学ぶ。愛の歓びを経験せずして愛の死はない。愛の死とは、まさに永遠の愛。魂の愛。

トリスタンは本来2回死んでる。1回目は毒薬と知って飲んだ時。2回目はラスト。1回目で死ねなかったのは、真実の愛を学ぶために神様に生かされたからと解釈した方が正しいと思う。もちろん、ワーグナーの意図ではあるけど。

2回目は、イゾルデとの魂の愛、永遠の愛を獲得した時。

ワーグナーはホンマに分かってる。世界がいかに物質主義に汚染されているかを。お金とか見た目とか法律とか、魂の世界には必要ないものに縛られている。

真実の愛こそ、生きる歓びやねん!戦争やテロなんてホンマ無意味やねん!

マルケ王の存在こそが、その物質主義の象徴だと思うんよね。マルケ王自身、真実の愛で結ばれた奥さんがいたわけやん。でも死に別れた。しばらく後嫁を取らなかったけど、奥さんとの間には跡継ぎもいないし、周りがうるさいからイゾルデと結婚したが、甥のトリスタンに寝取られたわけやん。

世間一般的な考えだと、トリスタンもイゾルデも王様の名誉を傷付けた畜生なわけやん。

でも、よく考えてや。そもそもその名誉って何なん?

その名誉と真実の愛は同じか?全然ちゃうやろ!?

王様という地位に就いたが故の名誉なわけであって、1人の人間として考えたら、名誉なんて物質主義にまとわりつくチリや埃やん。

マルケ王だって、真実の愛を分かち合った王妃がいたわけやん。ということは、マルケ王にとってイゾルデはどんな存在なん?

真実の愛を分かち合った王妃を超える存在か??

ちゃうやろ??

国王にとっては、物質主義を纏う新品の毛皮みたいなものやん。

そんなマルケ王もラストにはちゃんと学びを得てるから、

ワーグナー、マジ天才!!としか言いようがない。

トリスタンは、イゾルデに媚薬を飲まされた時から死を覚悟してた。だから、トリスタンにとって死はもはや恐怖なものではない。

トリスタンは、真実の愛を学び、死という永遠の愛を選んだ行為が第二幕ラストだと思うんよね。

肉体的にはイゾルデはマルケ王のものだが、トリスタンが求めているのは、イゾルデの肉体ではなく魂以外他にはないんよ。

まるで、三月花形歌舞伎を観ることが必然だったかのように、近松の心中もの同様、死後の世界、あの世で結ばれることを望む発想は世界共通だと思わせる展開なんよね。

三幕目では、かろうじて生きながらえたトリスタンだったが、自分が小さい頃に両親に先立たれたこともありイゾルデに剣を向けられた時も、毒薬を飲まされた時も、死ねるもんだと思っていたことを、死に対する恐怖心がなかったことを語る。

媚薬を飲んだことで、愛することを学ぶ。それはトリスタンにとってはよきせぬことではあったが、大きな歓びに変わった。

愛を学ぶことで、より一層イゾルデを愛おしく思うようになった。だが、あくまでイゾルデは太陽の人であり昼の人間だからトリスタンはイゾルデへの愛を完全なものとして受け止めることが出来ない。

負傷したトリスタンは、死の間際までイゾルデが舟に乗って会いにきてくれるのを待ちわびていた。そばにいた親友には見えなかったが、トリスタンは舟に乗っているイゾルデが見えている。

ちなみに、太田先生の「恋人たちの肖像」でもトリスタンとイゾルデの名前が出てくる。シメさん(紫苑ゆうさん)演じるクリストフ2世(ルートヴィヒ2世がモデル)が白城あやかさん演じるカロリーネ(エリザベートの妹がモデル)をイゾルデと呼んでいる。台詞の中でイゾルデは舟でやってくると言っていたので、「トリスタンとイゾルデ」から拝借していたことが分かった。ちなみに、太田先生も稔幸さん主演で「トリスタンとイゾルデ」をモチーフにした作品を作ってる。

またまた脱線しましたm(__)m

トリスタンは、待ち焦がれたイゾルデに一目合うなり、息を引き取る。気を失ったイゾルデが意識を取り戻して歌う♪愛の死♪は本当に涙もんでした。

ワーグナー作品って、ラスト、ヒロインが突然死ぬことが多く、本作もそういるラストなのに、まるでイゾルデが海に身を投げるのでは?的なラストシーンが実に現実味を帯びていた。これは演出効果抜群!

太陽なのか月なのか分からない、だがどちらでも解釈できるモチーフがバックの背景になっていたのも良かった。

Xにも書かれている方がいましたが、私もラースの「メランコリア」を観てる感覚になった。惑星メランコリアと地球の衝突はまさに愛の死、愛と死の輪舞だからね。

イゾルデが昼間の太陽で、トリスタンが夜の月だから、赤になったり青になったり黄色やオレンジに変化するのは、月でもあり太陽でもあると思うんよね。宇宙の愛を表現したかったんだと私は解釈してます。

音楽に関しては、それこそ「メランコリア」がきっかけで前奏曲だけは何度も何度も聞いていたので、生で聴けて本当に感動しました。

ところどころで、前奏曲のモチーフ?一部が使われていて、無条件に涙が出てくる。各幕クライマックスが使われるとこはマジ号泣もんだった。

たしか、「パルジファル」の一部も使われていたと思うんだが…。

音楽のテクニックなのかは知らないけども、モチーフを小出しにして惹きつけて、クライマックスでドカーン!と持ってくるところがマジ秀逸!

そうそう、ミュージカルだったら、素晴らしい歌唱の直後に拍手が起こることが多いのに、「トリスタンとイゾルデ」はまるでわざと拍手させまいとして音楽的な転換があったのも驚き。幕が終わるまで拍手出来ない状態だった。


YouTubeでは何度も途中で寝てたのに、やはり生の舞台は、引き込まれて各幕あっという間だった。全然眠たくならなかった。逆に、感動のあまりき幕間にワインを飲んでしまったほど。本当はドイツビールを飲みたかったのに、カウンターには日本のビールしか置いてなかった。後々、別のブースで販売していたことを知ったが、さすがにチャンポンは悪酔いするので泣く泣く諦めた。

グラスワインを飲んでも全く睡魔に襲われることはなかった。むしろ、ワーグナー哲学に酔いしれてしまったほど。

前もってX等で感想を読んでましたが、賛否両論あり、キャスト評が目立ってた。

今回、トリスタンもイゾルデも代役だったので、賛否両論ありましたが、私は賛でございます!

トリスタンは声が弱いとよく目にしましたが、いやいやいやいやいやいや、常に死を背負っているトリスタンのイメージにピッタリ。綺麗なテノールだと思った。むしろ、力強かったら “死” から遠のくので違和感しかなかったと思う。「ミス・サイゴン」のキムが力強いと、とても自殺するような人間に見えないと同じように。ニャリがトリスタン役でなかったらここまで感想は書けない。

私に言わせたら、オーケストラで歌声がかき消されて何が悪いのか私には分からない。むしろ、かき消されたときのオーケストラの空間支配はそれはそれは感動ものだった。これがオペラの醍醐味か!と思ったほど。

イゾルデも、私的には文句なし。ラストの♪愛の死♪はマジ泣けたし。

マルケ王の方、クルヴェナールの方のバスも素晴らしかった。

本当に本当に素晴らしい「トリスタンとイゾルデ」でした。

日本語字幕も本当に素晴らしかった。

ラスト、千秋楽の1日、演者の皆さん、スタッフの皆さん、頑張って下さい。

鑑賞される方は楽しんで来てください!