いやー、まさか、二回目でロイ・コーンに強く共感するとは思わなかった。ジョーに対するアドバイスは間違ってないよ、第一部「ミレニアム迫る」ではね。
ということで、兵庫公演が観れかどうか分からなかったので、せっかくの2連休、コロナワクチン接種日を変更し東京一泊して、丸1日エンジェルス、丸1日歌舞伎を観てきました。
結局、6月は兵庫公演も豊橋公演も仕事で行けないので観に行って正解でした。
まさか前回観たあと、キュンキュンではないが数日余韻を引きずってしまい、こういう時はもう1回観るに限るので予定を変更してチケットを取り、夜行バスで帰ろうと手配していました。そしたら、まさかの例の報道で東京に一泊して歌舞伎を観てきたわけであります。
結果的には、コロナワクチン接種日変更して大正解だった。
ワクチン接種した次の日は勤務しないといけない状況でしたが、副反応の発熱は薬で大分マシになったが倦怠感が酷かった…。
ということで、
第一部を観る限りでは、
ロイ・コーンは、天使と悪魔が渾然一体となる象徴人物に感じた。
天使(守護天使=導き屋)と悪魔(超自己中と権力魔)のどちらも素であるところがロイ・コーンの最大の魅力だと思った。
決して偽善者ではない。善を売り物にしていない。性格が真っ直ぐなだけ。発言もド直球だしね。
前回観た時は、ロイ・コーンは、アメリカ社会の象徴的人物(権力を傘に人を支配する)だと思っていたが、実はアメリカの腐った社会を変えようとしていた人物だったのでは?と善人に見えてきた。
彼は、共和党のレーガン大統領を支持していたか?
いや、違う。
ゲイ差別をするレイシストか?
いや、違う。
本当に悪い人間なのか?
決して違う!
彼こそ本当の意味でのリベラリズムの人間だったのかもしれない。
絶対悪の象徴の人物だと見せかけておいて、実は、当時のアメリカの共和党一辺倒の風潮を変えて、それこそ多様性の社会作りをしようとしていたのではないか?といい人物に見えた。第一部ではね←ここ強調!
彼は、間違いなく同性間(愛とは書かないよ)のセックスでAIDSを発症した。
彼の言い分は、男同士でセックスしたからといって、それがホモセクシャルとイコールではないと主張。
これは、私の解釈だが、同性とセックスしようが、異性とセックスしようが、LGBT枠にはめるな!と言いたかったんだと思った。それこそ偏見なんだよ。
ロイ・コーンにとって同性とのセックスはお酒を飲むのと感覚的に変わらないんだよ。今日はワイン、明日はスコッチみたいな…。
だが一方では、彼は、エセル・ローゼンバーグを強引に死刑へと導いた冷血漢。それは、彼女がユダヤ人なのに共産主義者のスパイだったから。冷戦当時では、ソ連はアメリカの敵である。
エセルを強引に死刑へと導いた。それは、ロイ・コーンが権力思考が高いというより、自分が法律だと思っているような人間だから。
彼が決めたことは絶対。NOは言わせない。
ロイ・コーンは、ああいう物言いのきつい人物ではあるが、特にジョーに対する発言は、私には正論にしか聞こえてこなかった。
そうなんだよ!
たとえ夫婦間といえど、夫婦間だからこそ自己犠牲はつきものなのかもしれないが、自分はどう生きていきたいか?が重要だと思う。
ジョーとハーパーはお互い問題を抱えているから、どんなに話し合いをしても結局平行線を辿る一方だけどね。
ロイ・コーンの言ってることは一理ある。私もロイ・コーンなら同じこと言うね。
君には君の人生がある。選択する権力がある。奥さんにも奥さんの人生を選択する権利がある。お前の本心はどうしたい?魂がワクワクする方を選択しろ!
ってね。
ジョーの気持ちも二回目にしてめちゃくちゃ共感してしまった。あ、ゲイのカミングアウトではないですよ(汗)
あ、ちなみに、私の場合、パートナーが男性であれ女性であれ、誰に惚れるかが重要なので性別は全く関係ない。最近流行りの人間愛者ですわ(笑)ま、少なくとも面倒くさい相手はお断りだけどね。
あ、相手にも選ぶ権利あるね(汗)
ま、このブログを始めてから誰とも付き合ってないけど…。っていうか、どうやって付き合うのか、付き合いの始め方を忘れたわ…(汗)
それはさておき、
私も、母親が新興宗教信者だったから、いい子になりなさいと躾けられてきた。
それこそ悪いことをしたら地獄に行くと教えられてきた。
自殺したら成仏できず地を這い回るとも言われ続けてきた。
人に良いことをすれば、得を積めば天国に行けると言われてきた。
偽善者になれ!とは教育されてないが、たとえ偽善であったとしても、自分の本心を隠して人に尽くすことは正義だと思っていた。
ジョーと同じで、良いことをすれば罪悪感や罪が軽くなる、いや消えると思っていた。
それは、本心の善行ではないから、当たり前だけど良いことが起こるわけじゃなく、むしろ輪をかけて悪いことが続くことがある。
それこそ、一昔は、こんなに人のために自己犠牲してるのになんで悪いことばかりおこるねん!とそれこそ神様全否定していた時期もあった。
そう、押し付けがましかったね。そりゃ神様も嫌うよ。
でも、今は、何事も必然。起こるべくして起こり、過去の因果によって導かれた結果が今である。与えられた試練に対してどう乗り越えていくかが本当のお試しなんだよ。結局のところ、社会でもそこの対応力を問われるんだけどね。
それこそ、一昔だったら思い通りにいかなかったらブチキレることがあった。やっぱ親父の血を引いてるなーとつくつくづく思うし、今なら親父の気持ちもよく分かる。
だからね、何事も焦っても仕方ない。過去には戻れないのだから。最善策を見つけて前進するしかない。
職場でも、一昔は、困っていたら積極的に助けてきた。ここで助けないと辞められては困るという下心があったから。あ、スケベ心じゃないからね!(汗)
今は、必要最低限の助けしかしない。
助けることとお節介は別ものだから。
何でもかんでも助けてしまったら、その子は成長しない。
自分で困難を乗り越える術を学ばないといけない。
その子の人生は私の人生じゃない。もちろん私の子供でもない。もし、退職を希望したならばその意志は尊重するしかない。
本心は、誰かを救いたいんじゃない。結局は、職場のため。
本当の救済は、自分が自分を救済することから始まる。
魂の救済は、神様が行うんじゃない。自分なのである。
誰かを救いたいなら、自己犠牲の救済ではなく、自分自身を救済してからである。
自分自身を救う術が分からないのに、どうして他人を救える?
本当の自由とは、自由意志で生きていくこと。たとえそれが法を冒す行為であったとしても、自分の意志を自分自身が尊重すべきなのである。
その象徴がロイ・コーンだったのではないかと思った。
ジョーに言う、2つくらい冒せる法律を見つけろ!的な台詞がめちゃくちゃ私の心に響いた。ちゃんとした台詞は忘れたけど…。
何でもかんでも、親の言いなり、社会の言いなりになるな!と言いたかったんだと思うよ。
しきたりやルールに縛られずに生きていくこと。もちろん法律を冒したら犯罪になってしまうが、そうじゃないなら、自由意志で生きていくことが魂の救済に繋がると思った。
極悪人になるならなるで覚悟を決めろ!結果を恐れず、自分が良いと思ったことは、他人の意見に左右されず覚悟して実行しろ!の象徴人物だと思うよ。
彼は、自分の責任で悪事を行ってきたと同時に、信頼できる相手は出世させようと彼なりに愛情を注いできたと思うんよ。特にジョーに対しては、同性愛ではなく、父性愛で接していたと思う。
と思うと、ロイ・コーンがめちゃくちゃ愛おしい人物になった。
と第一部「ミレニアム迫る」では思ったんだけどね…。
でも、
第二部「ペレストロイカ」では、やはりロイ・コーンは酷い人間だと思った。ジョーの出世の口利きは自分の味方を増やしだけ。不正の代行に利用したかっただけ。
もちろん、父親のいないジョーの精神的な面において…?経済面において…?仕事面において…?父親になりたかったのは事実だと思うけどね。ロイ・コーンにとってジョーは息子みたいな存在だったと思うよ。
第二部ペレストロイカにおけるロイ・コーンは、AIDSに効果があるかもしれない治験薬(だったはず)をたくさん貰っておきながら結局亡くなってしまったというアイロニーの対象人物になってしまったけどね…。
そして、第二部のテーマは、預言者、変化、そして生きる
プライアーは預言者となって、夢または妄想でVISIONが視えて、面白いのは、ハーパーの夢または妄想の世界でお互いが出会ってしまうこと。プライアーが預言者であると同時にハーパーも実は預言者になっている。VISIONが視えているから。
私流に言えば、2人とも妄想というパラレルワールドで生きることを選択する。妄想の中で、変化を留まらせようとする(=死へと導く)天使と闘い、妄想の世界に現実逃避することをやめ、プライアーは自由意志と自由選択で生きることを望み選択し、ハーパーはジョーと決別し新しい世界で生きていくことを選択する。
2人とも、誰かに与えられた自由選択では生きるのではなく、自分で進む道を決める。
前回は、ジョーが全然救われていなくて、あんなにも自分の殻を破って前進しようとしているのに、全く報われなくて…。正直、数日経っても余韻を引きずっていて、二回目を観る決心をして東京まで来たわけですが、
二回目は、まさかのジョーに若い頃の自分と重なる部分があることを発見し、というか思い出し、ジョーはジョーで未熟ながらも愛を学んでいるし、そりゃ以前は自分を抑圧した愛情を注ぎ、その愛情は、善人になるための振る舞いであって、俯瞰した上で相手を想ってのことではなかった。それは完全に自己満足の救済に過ぎない。
自己犠牲と無償の愛は、似て非なるものである。
自己犠牲は、やっぱり犠牲なんだよ。やっぱり苦しくて辛いんだよ。
無償の愛は、最初から見返りを求めていないから、覚悟も出来ているし、相手の喜びが純粋に自分の喜びになる。
自己犠牲は、やはりどこかで見返りを求めている。無意識にね。
幽霊のロイ・コーンがジョーに何を学んだのか聞いてキスするシーンが印象的で、前回は、えっロイ・コーンとキスするの!?とは思ったが、
今回は、おはようの挨拶のキスでも、肉欲のキスでもなく、ジョーはジョーなりに苦しんで苦しんで苦しみ抜いた果てに、習慣でも私利私欲でもなく、相手を想う優しさ学んだキスに感じた。
前回は可哀想な人だと思ったが、ジョーは長年蓄積してきた分厚い殻を破りやっと自己開放することが出来た。次は、自己犠牲の愛ではなく思い遣りをもって誰かを愛することができるだろうな~と希望を持って見届けることができたよ。
そう、ジョーよりルイスの方が酷かったね。ルイスが二番目に自己中だね。
少なからずとも人間はルイスのように、臭いものに蓋をし、見たくないものは見ない都合のよい人間がほとんどなんだよ。
第二部のタイトルがなぜ旧ソ連のペレストロイカだったのか?
そう、旧ソ連もまた、ゴルバチョフ政権時代にペレストロイカ政策を打ち出し、結果、社会主義国家が崩壊し、資本主義とは言えないが、新しい国家に変化した。ドイツもベルリンの壁が崩れ資本主義の国家統一を果たした。
変化するということは、間違いなく前進している証。
踏みとどまることも平和なら時には大事だし、変化することで新たな争いを生むのも事実。
そして、経済成長を果たすことで、チェルノブイリの原発事故や地震による福島の原発事故のように取り返しがつかない大惨事も起こりうる。
国家にとって変化することは、政治家の私利私欲や私腹を肥やすためではなく、国民が平和に幸せに生きていけるために必要な変化でなけはならない。
旧ソ連はなんのために崩壊したのだろか?再びソ連復活しようとする現状が嘆かわしい。
今、「エンジェルス・イン・アメリカ」を上演する意味が、世界情勢からもコロナの感染面からも、そして精神面からも大いにあったね。
性格云々さておき、生きてだけでそれだけで素晴らしいんだよ。
だから、もっと人を大事にしろ!自分を大事にしろ!
私なら、
干渉しすぎるな!相手にも人生があるのだから。
と付け加えるが…。
本当にいい作品だった。
最後に、
素晴らしい作品を上演して下さりありがとうございました!
第一部第二部通し日は、役者さんもスタッフさんも大変でしょうが、全然退屈感なく観させていただきましました。
明日で東京千秋楽。長期間本当にお疲れ様でした。
次は、豊橋と西宮で通し上演。頑張って下さい!
演劇ファンは必見ですぞ!