月組「1789」

2015-04-29 22:59:57 | TAKARAZUKA
う~ん、なんとも言い難い…。

良くもなく悪くもなく…。でもトータルではイマイチかな…。

生徒達は一生懸命で、個々はとても良かったんだよ。でも、脚本演出は私にはイマイチだった。

個々は衣装とか歌とか見せ場でパンチはあったんやけど、ノックダウンまでは行かんねんな…。

照明もなんか平和そうな色使いで、革命の予兆を感じないし、幕前の芝居が「ベルばら」を観てるみたいで違和感を感じたし…。せめて銀橋で芝居して、その間に場面転換した方が見易いと思う。

革命が題材なのに、革命の手前までのストーリーの印象で、「ベルばら」のバスティーユ陥落のように、クライマックスに向かっての坂道を駆け上るような高揚感がないんよね…。それは、私が勝手にイメージを膨らませていたからではあるけど、ちょっと肩透かしな面は否めない。

せっかく、トップ娘役にマリー・アントワネットをやらすなら、バスティーユ陥落から断頭台処刑までは時間があるから仕方ないとしても、せめて革命派に捕まるまでを描いて欲しかった。悲劇性が足りない。

所々、不審人物的振る舞いをされる方がいてその行動に違和感があったな~。何しに来たん?なんもせんと帰るん?そのままほっとくんや…的な人達が多かった。アルトワ伯もその1人やねんけどね…。これは脚本の詰めが悪いとしか言いようがない。普通、秘密結社(?)の印刷現場を見つけてそのまま出ていくか???

ラストも呆気ないねんな…。時間が足りないのは分かるけどもう少しストーリー性が欲しい。膨らまして欲しい。「ベルばら」のバスティーユ陥落くらいのもっと勢いのある見せ場が欲しい。あそこは最初のシーンに戻った訳やろ…。あれだけだと物足りない。

個人的に脚色するなら、惚れた腫れたの周りくどい展開はやめて、ロランとオランプは幼なじみでかつて恋人同士の設定にして運命の出会いを果たす。だが、運命が二人を翻弄させて、くっ付いたり、離れたりを繰り返す。ラストは、ロランの展開かあのままにして、マリー・アントワネットが捕らわれるシーンを加える。迫りを使うか銀橋を使って同時進行で見せる。片方は革命の成功と共に命果て、片方は革命によって囚われの身となる。

やはり、ほとんど接点や絡みのないロランとマリー・アントワネットをトップが演じるんやから、それなりの配慮も必要だったんとちゃうかな…?

ということで、結局愚痴だらけになってしまいましたが、オランプがわかばちゃん、ソレーヌがみらちゃんver.を観てきました。

贔屓発言をさせて頂くと、ミヤルリが超美味しい役だった!マギーさんと組んで(?)黒い役がめちゃ際立ってた!台詞回しがめちゃくちゃ自然で、歌もめちゃくちゃ上手くなっていて、素ン晴らしかった!フィナーレのミヤルリは、黒髪のアルトワ伯と違って金髪なので銀橋のソロも含め、光輝いていた(笑)←めちゃ贔屓発言をお許し下さい。m(__)m

私のツボは、舌打ちと、二幕始まりのロラン集団が踊ってる最中、迫り上でロラン集団を見下して見てる表情が最高だった(笑)オランプの顎をくいっと上げる仕草もエロヤバかった(笑)

わかばちゃんのオランプがあまりにも綺麗だったから、チャピには申し訳ないけど、マサオとの並びやミヤルリとの並びがめちゃ絵になるくらい美しかった。個人的にはミヤルリと組んでトップになって欲しい!

チャピがオランプでなくて、マリー・アントワネットになった理由もなんとなく想像はついたけど、確かにあの脚本ならマリー・アントワネットはチャピしか出来ない。もしこれがチョイ役扱いだったら文句も言いたくなるけど、あの歌唱力と表現力ならチャピで正解だと思う。オランプはわかばちゃんで正解だと思った。お二人ともとても目の保養になった。

あ、チャピのルーレットの衣装は必見!曲調もそうだけど、あのシーンはチャピが松田聖子さんに見えて仕方なかった(笑)←決してバカにしてませんからね…(汗)

マサオのロランは、マサオ節炸裂だったけど、台詞回しは正直苦手だけど、聞き取り易さはピカイチやな。滑舌の良さは一番かもね。そうそう、CD(「ロミジュリ」)だとあのマサオ節でも全く違和感ないのが不思議でならん。

カチャ、コマちゃん、タマキチ君は、ぶっちゃけ美味しい役ではないけど、ちゃんと存在感をアピールしてたね。階段降りからすると、カチャが二番手なのかな…?

もし次再演があるなら、その時はオランプがトップ娘役が演じる脚本演出にした方がいいと思う。曲調は人それぞれの好みやけど(作品もやけど…)、ぶっちゃけ照明とあってないと思った。全体的に照明の工夫は必要だと思うよ。

今日のまとめ:101期生の口上とラインダンスは初々しいな~。

「遠藤周作文学全集5」

2015-04-26 16:52:02 | 
6月、帝劇の「エリザベート」で私が観たいキャストの公演チケットが取れたら、もう一つ観たかった作品が、

宇宙劇「ウレシパモシリ」でした。

いつも拝読させて頂いているブロガーさんが毎年観劇されていて、とても感動されていたので、私も一度は観てみたい!とずっと思っていたんですが、残念ながら「ウレシパモシリ」の公演日程が発表される前に「エリザベート」の私が観たい日のチケットが完売になってしまったので、今年は諦めました。「ウレシパモシリ」だけのために東京に行くのもな…m(__)m

ということで、今回は、原作となる遠藤周作さんの「おバカさん」を図書館で借りて読みました。文庫本は廃盤になっているみたいなので図書館で借りました。

解説を読んで気付かされたのが、確かに、これは遠藤周作版「白痴(ドストエフスキー著)」であること。

読み終えた後の直感は、ガスさんはイエス・キリストみたいだなとは思ったけど、まさかドストエフスキーもイエスをモチーフに「白痴」を書いたとは知らなかったので解説を読んでビックリしました。「白痴」も「カラマーゾフの兄弟」に続くmy聖書だけど、今までそんなこと考えたことなかったもんな…。

確かに「白痴」のムイシュキン公爵とガスさんは似ている。でも、ガスさんはイエスみたいな描かれ方はしてたけど、公爵がイエスと…。そこは疑問やな。ま、私自身がイエスがどんな人物なのかよく分かってないのもあるけどね。

それはさておき、

この「おバカさん」の問題提起は、

なぜ、ガスさんは日本に来たのか?

遠藤氏は何をガスさんに祈りを込めたか?

だと思うんですよ。

なぜガスさんが日本に来たのか、日本で何をしたかったのか結局は明確には提示されてないから分からない。想像するしかない。

突然フランスから船でやってきて、かぐや姫のように突然姿を消したガスさんの目的は…?

遠藤氏が、ガスさんに込めた祈りは、まさに旧約聖書の終わりのように、唯物主義の日本人の心を救ってくれる救世主をガスさんに求めたんだと私は解釈してます。

旧約聖書の基本は、救世主を待っている。それは誰か分からない。新約聖書の基本は、その待ってた救世主イエスの物語だと私は解釈してます。っていうか、授業で「城」の著者でユダヤ人でもあるカフカを取り上げた時に教わった。

今の日本もそうだけど、唯物主義の人間が増えている。いくら治安は良くても、本当にいい国かって疑問に思うね。特に政治・経済を見てたら…。ビックリするくらいの今の株価やもな。もうリーマンショックとか、バブル崩壊なんて嫌だからね。

天災も怖いけど、バブル崩壊も怖い。この今のバブル経済が、偽りでないことを願う。

は、いいとして、

ガスさんもムイシュキン公爵も、もちろんイエスもだけど、暴力とか心の貧困が嫌いなんよね。

ガスさんは、自分の本来の居場所が、隆盛・巴絵兄妹の家じゃないことを分かってるよね。ガスさんの目的は、隆盛が一番よく分かっている。この作品の登場人物もそうだし、人間だれしもそうだけど、完璧な人間じゃないんよね。

完璧な人間じゃないからこそ、足りない物を補う最善の物は心なんよね。決してお金や目に見える物じゃない。思いやりの心。私も欠けているけど…。

隆盛がガスさんをフォローすることで視えてくる、遠藤氏が描きたかった救世主イエス像。ガスさんの行動は、今の世の中じゃ理想像でしかないけど、せめて少しでも一片でも、ガスさんような清い心を持って心を豊かに生きていけたらと思う。そしてそれを願う。

「ウレシパモシリ」の舞台ってめちゃくちゃ登場人物が多いし、タイトルもなぜか原作に関係ないアイヌ語だし、舞台がどんななのかめちゃくちゃ興味あるけど、今年は諦めますが、お導きがあれば必ず拝見するので再演し続けて下さいね!ネクストシアター同様、本当は関西に来て欲しいけど…。

もし、図書館でこの「遠藤周作文学全集5」を読まれる方は解説も読んでね。山口洋子さんの詩も素晴らしいから。

今日のまとめ:実は、初めて遠藤周作氏の作品を読みました。矢代静一氏もそうだけど、遠藤氏も純粋なキリスト教信者なのがよく分かる。

純粋なキリスト教信者は世界中にたくさんいるのに、どうして戦争が起こるのか本当に不思議でならない。

そもそも、悪魔とは何か?そこから議論すべきだと私は思うよ。

では、では、今から投票に行ってます。


追記:密林で中古の文庫本を注文したら、なんと矢代氏が解説を書いてた!!!

「マジック・イン・ムーンライト」

2015-04-26 01:21:54 | 映画
なんというか…、

笑いを期待してたんやけど、思ったほどは面白くなかった。ロマンチック要素はあるにはあるけど、なんだかな~って感じ。

早くに観なくて正解だった。

相変わらずのウディ・シニカル要素炸裂だったけど、ぶっちゃけ笑えない。

ロマンチック要素がほとんど活かされてない。これは本当にロマンチック・コメディなのか???

南仏の風景とクラシックカーが見事に調和してて背景となる景色は最高に美しかった。

これ、ネタバレしたらめちゃくちゃつまらない作品になるので、これからご覧になられる方のために書きませんが、でもあえて言える範囲で言うと、

あのオチで、あの持ち上げ方はアカン!

落とすなら、「カイロの紫のバラ」くらい落とさないと、逆にウディらしくないと思う。あそこであんな持ち上げ方して、私が納得すると思うか?←オマエは何様や!?m(__)m

あのオチ以降はいらん。逆に理にかなってないと思う。いくら“恋はマジック”だと言いたくてもあのオチからのあの展開はないで。。「ブルー・ジャスミン」並みに落としてくれる方が逆にスッキリするかな…。

なんかさ、スピ好きにもそうでない人にも受けがいいような持ち上げ方だったから、ぶっちゃけ、そのやらしさは頂けない。

夢から醒めたのに、また夢を見てる展開が本当にウディらしくない。

本当の本当は、ただ笑いたかっただけなんだよ。スピ好き人間をいくらでも皮肉ってもいいから、笑わせて欲しかった。か、現実に戻してくれてもいいからもっとロマンチック要素に浸らせて欲しかった。ウディにしては珍しくどちらも中途半端だった。無理矢理笑いの要素を探していてしんどくなった。今回ばかりは感情移入出来なかったのが本当に残念でした。

霊能者役のエマ・ストーンの形容詞が私と同じだったのは愉快だった。霊能者ぶりはなかなか良かった。まさに劇的な表現でした(笑)

コリン・ファース演じる皮肉屋のマジシャンが主役だったからかもしれないけど、ファースの演技は悪くないけど、皮肉屋を主人公にしたらアカンわと思った。そう考えると「ミッドナイト~」は改めて良く出来た作品だと分かる。

ジャッキー・ウィーヴァーが最高に可愛かった!

この作品、ムーンライトよりメンタル・ヴァイブレーションの方がキーワードやね。この単語好き(笑)

今日のまとめ:昨日の二作品を観た後なだけに、違う意味で現実に戻れたのは良かった。ぶっちゃけ、あの感想消そうか迷っている(笑)


「セッション」

2015-04-25 10:22:01 | 映画
これは良かった、内容と演技が!

私なら主演のマイルズ・テラーに賞をあげる。っていうか、オスカーノミネートされていない理由が分からん。

J・K・シモンズが助演でオスカーか…。ノートン以外他のノミネート者の作品観てないからなんとも言えないけど、私は、シモンズよりテラーに賞を上げたい。作品賞も、「バードマン」よりこっちやし、「アメリカン・スナイパー」の方がオスカー妥当だったと思う。

ということで、「バードマン」の前にこれを観ました。

本当は、シモンズがオスカーを獲ったからといって観たかった作品でもなく、そもそもドラムに全く興味がないから観たいとも思わなかった。

でも、でも、「ソロモンの偽証」を観た時の予告編で、この顔まさか!?と思ったら…、

そう、マイルズ・テラーは、ニコールの「ラビット・ホール」に出てた男の子役だったんですよ!めちゃビックリした!ニコール繋がりで俄然興味が湧き観てきた訳であります。

っていうか、本当の本当は、昨日は、「バードマン」かウディの新作を観るために映画館に行ったんですが、待ち時間的に早く観れるのがこっちだったので最初に観たんです。「バードマン」は、たまたま千円で観れる日だったから、自然な流れでついでに観てしまった訳です。この二つが見事にドラムでセッションしていて、「バードマン」のオープニングタイトルを観た時、本当に上映ブースを間違えたかと思った。それくらい、ドラムの響きが強烈に印象に残る作品だった。

「ラビット・ホール」ではイモな男の子だったテラーが、この作品では立派な青年になっていて、ついつい親心で観てしまいましたが、結果的には、テラーの役作りとドラムのテクニックがめちゃくちゃ素晴らしかった!

ぶっちゃけ、シモンズ演じる鬼コーチの教授が言うテンポの速いか遅いかなんて、私には全く理解不能で、生徒たちはこの鬼コーチのテンポに振り回される。それはまぁ~、見事なまでのシモンズの鬼コーチぶりで、まるで蜷川さんの噂の演出を見てる感じでした。

実際は蜷川さんがどんな演出をするのか見たことないですが、映画「Wの悲劇」の蜷川さんと役者さんの証言から想像しましたm(__)mでも、シモンズも蜷川さんもオーラも雰囲気もめちゃ似てた。

この作品の良さは、テラーのドラムのテクニックや教授のスパルタぶりだけじゃない、役を通して見えてくる熱い情熱なんよね。

名ドラマーになりたいテラー演じるアンドリューと、名ドラマーを生み出したい鬼コーチの情熱が、七転八倒を経て到達した先で終わっちゃうんだけど、本当に良く出来た作品。

今の教育現場なんて、子供の親の言いたい放題になってるやん。いわば甘やかしの現場になってる。私の学生の頃は体罰はありました。部活ではビンタされ、授業中は黒板からチョークが飛んでくることも当たり前だった。あの頃も、先生の体罰が問題視されている昨今と変わらず、先生のヒステリーもあったとは思うけど、ちゃんと生徒へのフォローもあったから、先生の家にも遊びに行ったりもしてた。

教育現場に限らず、どこの社会でもそうだけど、人間関係と信頼関係がちゃんと構築されていたら、ある程度の体罰は必要だと思ってます。叩いたり蹴ったりして教えてるのはアカンけど、ちゃんと言葉で説明して叱ることは大事だと思う。怒ると叱るは全く意味が異なるからね。←これは美輪さんの名言の1つ。

ぶっちゃけ書くと、教授も言葉が足りないとは思った。でも、結果的には伝えることは伝えている。ただ受けとめる側がどう感じるかが問題になってくる。何が何でも1から10まで説明すればいいという訳じゃないんよね。自分で考える力も必要。

教授にはちゃんとした教授なりの教育ヴィジョンがあるねんな。あれは勘違いされて当然やけど…。

これは演劇の世界にも通じるけど、上手くコントロールして役者の隠れた才能を引き出す演出家や監督って現実にいるんよね。まさに蜷川さんがそうだし、小池先生もそうだし、映画監督なら園子温監督がそうやね。さすがに小池先生はスパルタ派ではないと思うけど、上手く才能を引き出すよね。

役者は演出家の意のままに操られ名演技をする。そして有名人となり大きく羽ばたく。めちゃ理想のステップアップやな。

この映画は、教授の教育ぶりが素晴らしいだけじゃなく、アンドリューの成長過程がめちゃくちゃ大事になってくるねん。そのために教授は教授現場から離れることになった訳だけど、結果的にはそれも才能を引き出す一環になってくるから良く描けてた。

アンドリューの成長過程で必要だったのは、教授の意のままに操られる人形になるんじゃなくて、私生活においても充実することなんよね。精神状態を安定させることやんな。ストイックに技術を磨くだけじゃアカンねん。人間性や精神性を高めることも大事やねん。そこをちゃんと描けているから本当に素晴らしい!めちゃウルウル眼で観てました。

めちゃくちゃ極端な展開が重なるけど、挫折も経験しないと周りも自分も見えない。何が大事なのか、自分を見失ったらアカンねん。いつ何時いかなる試練やお試しが訪れようとも、たとえ感情が先走ることがあっても、ちゃんと理性で見つめ直して向き合うことも大事やねんな。

過去には狂気を演じたら右に出る者がいないくらい名優さんがいましたが、その方も結果的には自分の狂気に溺れて亡くなられました。それじゃアカンねん!ちゃんと自分を観察出来るもう一人の自分がいないとアカンねん。無我夢中にもちゃんと自分でここまでと線が引ける心の余白を持ってないとアカンねん。自分の演技に溺れたら先はない。

四苦八苦と無我夢中は似たような狂気を伴うけど、まだ四苦八苦の方が理性を感じる。無我夢中より悪戦苦闘の方が左脳も右脳も両方使うと思う。片っ方だけじゃアカンねん。理性と感情の両方をバランスを上手く使いこなすことが大事やねん。それは健康管理と同じやねんな…。ま、無我夢中と集中力はまた意味が違うけどね…。そうそう、モーツァルトになったらアカンねん。「白い巨塔」の財前になったらアカンねん。

って、神様が私に書かせます(笑)

またもや、病気発言しますが、神様は私に自分の心の声を聞け!って言ってくるんやけど、私自身が頑なに拒絶してるんです。「セッション」は間違いなく神様に導かれた~と思ってます(笑)

この作品が実話だったらより一層リアリティーを観客に印象づけられたのに、なんか、テラーのテクニックや、シモンズの演技力だけが観客の脳裏にインプットされそうで残念です。

私は「バードマン」より「セッション」をオススメします!

今日のまとめ:いつ、ウディの新作観ようかな…。

明日は選挙です。皆さん選挙に行きましょう!


「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」

2015-04-25 01:02:25 | 映画
良かった、早くに観なくて…(笑)やはり想像してた世界観が描かれてた…。

ぶっちゃけ書くと、私にはイマイチだった。作品賞でオスカーは、う~ん???って感じ。理由はただ1つ、「ブラック・スワン」のブロードウェイ版だったから。「ブラック~」はバレエ界、「バードマン」は演劇界を描いている違いだけで、内容はほとんど変わらない。どちらも精神世界(精神病)がテーマになっている。「バードマン」の方が哲学的って感じやね。

どの感想を読んでもロングショットが話題に上がっていたけど、確かに斬新な見せ方ではあるけど、今の時代、CGやVFXが当たり前だから、CG処理もVFX処理も可能だからぶっちゃけ珍しいわけではない。私に言わせれば、製作された年代背景を考えると「2001年宇宙の旅」や「ドッグヴィル」の方が断然画期的かつ斬新な表現方法だと思う。でも、でも、劇場の裏側が見れたのは良かった!

「ブラック~」も「バードマン」も“スーパーリアリズム”を表現している点でも同じやな。私生活でも夫婦が役の上でも夫婦を演じるリアリズムではなく、スーパーが付くリアリズム。私が一番怖いリアリズム。

まさしく、一作一魂を込めた命懸けの表現方法。一時、演劇界では“シュール・リアリズム”が流行った時があったね。この“スーパーリアリズム”の表現方法は、一作一度限りだから本当に怖い精神状態やねん。役者さんの中には、本当に役の魂が乗り移ったくらい迫真な演技をされる方がいるから、死を扱ってる作品だと観てると本当に怖くなることがある。

元々、私は狂気の演技は大好きだけど、私生活にまで影響を及ぼしそうなくらいリアルだったらそれはそれで怖い。「エリザベート」のルドルフなんてまさにそんな役やし、ナショナル・シアター版「欲望という名の電車」のブランチを演じた女優さんなんて、本当に私生活を心配したくらい魂を売った演技だったもんね。演劇に関わらず、表現に魂を売ると、憑依型という名の一種の精神病から抜け出せなくなるから、切り替えは本当に本当に大事!

この「バードマン」に関して言えば、宝塚の「風共」のスカーレットⅠ・Ⅱみたいに、もう一人の自分と最後一つになるねんけど、それはそれで一つのハッピーエンドではあるけど、ここでいう“無知がもたらす予期せぬ奇跡”とは、無意識に死を選択し、死なずに生きていたこと。そして、生きている間に欲しかった名声ともう1つ欲しかった力を手に入れたんだと私は解釈してます。

もう一つの力とは、それは“バードマン”を象徴とする力。決して飛ぶことではないよ。人間には、奇跡を起こす力があることをこの作品では訴えたかったんだと思ってる。そういう点では「ブラック・スワン」とはラストが違う。

マイケル・キートン演じる主人公は、かつての私と同じで、妄想と現実の境目が分かってなかったんだと思う。一見超能力者みたいに見えるけど、あれは妄想だと思ってる。超能力が本当にあるなら、プレビュー公演なんて必要ないし、舞台を成功に導けることも可能だし、批評家に悩まされることもないはずやん。裸で街を走る必要なんもなかった訳やん。

名声も奇跡も、死んでから得ても何の意味もない。生きてこそ味わえる喜びや力は、生きてなきゃ意味がないんだよ。

それから、精神疾患で、一番質が悪いのが、鬱状態より躁状態やからね。テンションが無意識に高い時の方がアップダウンの差が激しくなるから本当に要注意!役者なら冷静な状態を維持しつつテンションを上げられないと、ちょっとした失敗でも誰かに八つ当たりしたり、自分を傷つけたりしかねないから本当に要注意!他人も自分も巻き込んだらアカン!

この作品は、どさくさ紛れに批評家に対して批判したり、観客をも批判したり、もちろん演劇界や映画界を批判していて、私自身も含め当事者には痛い言葉が多々あったね。

登場人物の私生活と劇中劇が被る脚本になっていて、嫌なことから目を逸らしたらイカンのだよ!自分とも、周りともちゃんと向き合わないとイカンのだよ!的なメッセージはまさにその通り!だから良かったと思う。

キャストに関しては、エマ・ストーンの大きな目や可愛らしさとギャップのあるハスキーな声が好き!(笑)今上映中のウディの新作が楽しみ!

ナオミ・ワッツのブロードウェイ初舞台に懸ける意気込みはリアルで良かった。

代役のエドワード・ノートンの脱ぎっぷりに脱帽(笑)あ、マイケルもやな。ノートン演じる欠陥だらけだけど憎めない人物像を体当たりで演じて素晴らしかった!ノートンが不良行為に走るエマに掛ける台詞が良かった!

バードマン役の声も好き。歩道(?)で台詞を喋ってる方の声も舞台の発声だったから好き。

劇中劇の登場人物達は、マイクがないと客席後方まで届かないであろう発声だったもんな。これは明らかに映画俳優に対する皮肉だと解釈した。もっと腹から声出せよ!と言いたくなる時があるもんな…。

実は今日は(もう昨日)、この作品の前に「セッション」を観ました。千円で観れる日だったから、続けて観ちゃいました。

「セッション」を観た後だけに、「バードマン」のオープニングタイトルで、一瞬、上映ブースを間違えた!「セッション」の上映ブースに来たかも!?と勘違いしたくらいドラムSongからの始まりで、途中もドラムが鳴り響いていて、

「セッション」を観て、なぜ邦題を“セッション”にしたのか最後まで違和感がありましたが、あれをセッションっていうのかな???「バードマン」を観て納得しました。「セッション」も精神疾患を扱っていたので、上手く内容と音楽でセッションしてましたね!

今日のまとめ:「セッション」の感想は後ほど…。