トリスタンとイゾルデ

2024-03-27 18:26:30 | オペラ
いやいやいやいや、イゾルデ、トリスタンに復讐する気全くないやん!?

恋の媚薬を飲もうと飲もまいと、イゾルデはトリスタンに一目惚れしてるやん!てか、深層心理ではトリスタンの虜になってるやん!?


ということで、今年上半期のメインイベント(チケット代が高いからw)、人生初生オペラ鑑賞&新国立劇場オペラパレスに行ってきました!

新国立劇場のオペラパレスてっきり、コンサートホールがある方だと思っていたから、中ホールと同じ入口だったなんて全然知らなかった。何も知らずにコンサートホールに行っちゃたよ。藁

それにしても、めちゃくちゃ良かった!そして、

めちゃくちゃ泣けた!

幕間毎に感想をメモってましたが、ぶっちゃけまとめられなくてカオス状態ですが、感じたことを書いていきます。

ワーグナーの美しい旋律でも泣かされたけど、やはり、トリスタン役のゾルターン・ニャリとイゾルデ役のリエネ・キンチャの歌声にも泣かされました。

ワーグナーのスピリチュアルメッセージがしし座流星群の流星のごとくビンビンビンビン伝わってきてクライマックスは泣かされまくりでした。

ワーグナー、マジ、天才!!

ぶっちゃけ、音楽的才能は私にはよく分からない。でも、脚本家として捉えたら、素晴らしい!としか言いようがない。

ワーグナーもまたチェーホフ同様スピリチュアリストと言える。

最近になってワーグナーの楽劇(楽劇=オペラだと思っていた)をMETライビューで観る機会が増え、ワーグナーの哲学や思想だらけでまさかのスピリチュアル的なメッセージもあって、元々はワーグナーのパトロンのルートヴィヒ2世に興味があっただけやのに、オペラは全く興味なかったのに、これぞお導き!としか言いようがない。

トータル5時間25分の長丁場の作品なので、途中で寝てしまわないか不安がありましたが、休憩を抜いた実質の上演時間は4時間弱、作品が素晴らしかったので、睡魔は全くの皆無でした。

ワタクシは音楽ど素人なので、オペラ歌唱よりオーケストラの方が興味があるから、オペラパレスの空間を飲み込む音楽シーンに大感動した。

「トリスタンとイゾルデ」は全体的には柔らかく緩やかな曲がほとんどだけど、時折クライマックスがあるからその時のオーケストラの迫力に何度鳥肌が立ったことか!?

この日のためにYouTubeで解説動画を見まくってましたが、どれも音楽的分析ばかりで、脚本的分析がなかったので、ま、どのオペラ作品もそうなんですが…。あらすじだけでイメージを膨らませていました。全幕通し動画も゙チャレンジしましたが、毎回前奏曲から数分でアウト。最後まで集中できなかった。

また、YouTubeでトリスタン和音とか演奏方法の動画を観て勉強したけど、音楽専門家でもないし、そもそも楽譜読めないから記号を言われても理解不能。ということもあって、寝てしまわないか不安でもありましたが…、

いやいやいやいやいやいや、

あらすじの内容より、あらすじに付随していることの方がめちゃくちゃ大事やん!?と言いたくなった。

あらすじだけでは全く「トリスタンとイゾルデ」の魅力が伝わってこない。

実際に生で拝見させてもらったら、METライビューで観た「ローエングリン」「パルジファル」しかり、ただの英雄の物語でもラブストーリーでもない、人間の在るべき姿や本質、また君主たる者の在り方を説く内容にもなっており、「トリスタンとイゾルデ」もまた人間哲学を説いた、謳った作品だったと気付いたらもう感動しかなかった。

かつてオペラに対して、特にヴィジュアルに関して偏見がありまくりで、体型と役柄のイメージの不一致が気になって気になって仕方なかったワタクシではありましたが、

ワーグナー作品に出会って、ワタクシのヴィジュアル至上主義精神が完全に覆された。

主役が太っていようとなかろうと、作品のメッセージが伝えられるか否か全て、音楽専門家に言わせたら、譜面をどう解釈するかだと思うんですよ。ドラマ「さよならマエストロ」でも勉強させられました。めちゃくちゃ良いドラマだった!道島君のドイツ語が初期と最終話でめちゃくちゃ上達していてビックリしたけどね!藁

脱線、失礼しましたm(__)m

今回、メインキャストが2人とも代役でしたが、めちゃくちゃ素晴らしかったです!

体型なんて全く気にならなかった。ワーグナーの世界観、演出家の世界観をどう伝えるかが重要なので見た目なんて関係ない。

全く違和感なく世界観に浸ることができました。

「トリスタンとイゾルデ」は、たとえ媚薬がなくても愛し合っていたであろう2人の物語だと思っていたけど、ワーグナーの世界観はそれだけに非ずだった。

第一幕は、媚薬効果があったのは、トリスタンであって、イゾルデは背中を押された感があった。

イゾルデの元恋人がトリスタンに殺され、彼に復讐するチャンスがあったのに、殺さなかった。

トリスタンがイゾルデに自分を刺すようにと剣を渡したのに、なんだかんだで言い訳して刺そうとしない。

毒薬も半分はトリスタン、残り半分は自分が飲んで、始めっからトリスタンにゾッコンやん!

てっきり、トリスタンもイゾルデを深層心理で恋していたのかと思っていたが、第三幕で真相が明かされる…。

もう、2人が媚薬を飲んだシーンから号泣もんだった。

人間って、一度死にそうな経験をしたら、過去の煩わしい悩みごとがちっぽけに思えることがあると思うんよね。一度死んだと思ったら怖いものがなくなるみたいな。

トリスタンもイゾルデもそういった力が働いたんじゃないかと思った。少なくともイゾルデはそうだったと思う。

死ぬつもりで毒薬を飲んだら生きていたわけわけだからね。

そもそもイゾルデは、トリスタンに復讐を!と意気込んでいたけども、深層心理ではトリスタンに惹かれてれているから、憎みきれない。

もしトリスタンが命請いするような人間だったり、性格が悪かったら、未練がましい人間だったらひと思いに殺してたと思うんよね。

もう、まるで「河庄」の治兵衛とお春を観てる感覚やったわ。

前奏曲の一部がライトモチーフ?になっていて、トリスタンとイゾルデの会話や各々の発言のの中で何度も使われる。媚薬を飲むシーンでクライマックスを迎える音楽的アプローチがマジ最高!マジ泣けた。

第二幕ではすでに愛の死を語っていたね。

今なら、君は太陽みたいな明るい人、って感じで、太陽をプラス思考で使われることが多いのに、ワーグナーはマイナスで使っているのが斬新だった。

イゾルデは太陽が登る昼の人間。トリスタンは夜の人間という風に対照的な存在といて位置づけられている。

第二幕と第三幕は、それが顕著に描いていて、

トリスタンとイゾルデが愛を育む時は、誰もが眠りにつく夜しかない。彼らにとって、太陽が登っている昼間は、イゾルデがマルケ王の妃である時間は、幻や幻想に過ぎない。太陽が沈み、月が輝く夜こそ、トリスタンとイゾルデがが愛しあえる現実なのである。

その第二幕のキーワードがまさかのタイトル回収ともなる「トリスタンとイゾルデ」の“と”。ドイツ語のundであり、英語のand。並列を表す。

つまり、トリスタン=イゾルデなのである。片方が死ぬことはもう片方も死ぬことを意味する。

ズバリ、トリスタンとイゾルデは魂の片割れ同士のツインソウル、ツインレイということ。

やはり、普通の恋愛は、やはり普通の恋愛に過ぎない。

真実の愛とは、障害を乗り越えて勝ち得るものだと思うんよね。

恋愛にはいっぱいいっぱい障害があって当たり前。恋愛に限らず人生も。不倫関係とか、親に反対されてるとか、小児愛とか、同性愛とか、性格の不一致とか、法律とか、物理的な障害も含めて。

やはり、障害を乗り越えて得られるものこそが真実の愛だと思うんよね。

私が言うのもなんやけど、離婚したり別れたりするのは、やはり、ただの恋愛で結びついた間柄に過ぎないと思う。

ラスト、イゾルデが歌う♪愛の死♪こそ作品のテーマだと思うんよね。

なぜイゾルデが♪愛の死♪を歌うのか?

それは、トリスタンが望んだことだから。簡単に答えたら。

でも、トリスタンは、イゾルデに出会って、愛する歓びを学ぶ。愛の歓びを経験せずして愛の死はない。愛の死とは、まさに永遠の愛。魂の愛。

トリスタンは本来2回死んでる。1回目は毒薬と知って飲んだ時。2回目はラスト。1回目で死ねなかったのは、真実の愛を学ぶために神様に生かされたからと解釈した方が正しいと思う。もちろん、ワーグナーの意図ではあるけど。

2回目は、イゾルデとの魂の愛、永遠の愛を獲得した時。

ワーグナーはホンマに分かってる。世界がいかに物質主義に汚染されているかを。お金とか見た目とか法律とか、魂の世界には必要ないものに縛られている。

真実の愛こそ、生きる歓びやねん!戦争やテロなんてホンマ無意味やねん!

マルケ王の存在こそが、その物質主義の象徴だと思うんよね。マルケ王自身、真実の愛で結ばれた奥さんがいたわけやん。でも死に別れた。しばらく後嫁を取らなかったけど、奥さんとの間には跡継ぎもいないし、周りがうるさいからイゾルデと結婚したが、甥のトリスタンに寝取られたわけやん。

世間一般的な考えだと、トリスタンもイゾルデも王様の名誉を傷付けた畜生なわけやん。

でも、よく考えてや。そもそもその名誉って何なん?

その名誉と真実の愛は同じか?全然ちゃうやろ!?

王様という地位に就いたが故の名誉なわけであって、1人の人間として考えたら、名誉なんて物質主義にまとわりつくチリや埃やん。

マルケ王だって、真実の愛を分かち合った王妃がいたわけやん。ということは、マルケ王にとってイゾルデはどんな存在なん?

真実の愛を分かち合った王妃を超える存在か??

ちゃうやろ??

国王にとっては、物質主義を纏う新品の毛皮みたいなものやん。

そんなマルケ王もラストにはちゃんと学びを得てるから、

ワーグナー、マジ天才!!としか言いようがない。

トリスタンは、イゾルデに媚薬を飲まされた時から死を覚悟してた。だから、トリスタンにとって死はもはや恐怖なものではない。

トリスタンは、真実の愛を学び、死という永遠の愛を選んだ行為が第二幕ラストだと思うんよね。

肉体的にはイゾルデはマルケ王のものだが、トリスタンが求めているのは、イゾルデの肉体ではなく魂以外他にはないんよ。

まるで、三月花形歌舞伎を観ることが必然だったかのように、近松の心中もの同様、死後の世界、あの世で結ばれることを望む発想は世界共通だと思わせる展開なんよね。

三幕目では、かろうじて生きながらえたトリスタンだったが、自分が小さい頃に両親に先立たれたこともありイゾルデに剣を向けられた時も、毒薬を飲まされた時も、死ねるもんだと思っていたことを、死に対する恐怖心がなかったことを語る。

媚薬を飲んだことで、愛することを学ぶ。それはトリスタンにとってはよきせぬことではあったが、大きな歓びに変わった。

愛を学ぶことで、より一層イゾルデを愛おしく思うようになった。だが、あくまでイゾルデは太陽の人であり昼の人間だからトリスタンはイゾルデへの愛を完全なものとして受け止めることが出来ない。

負傷したトリスタンは、死の間際までイゾルデが舟に乗って会いにきてくれるのを待ちわびていた。そばにいた親友には見えなかったが、トリスタンは舟に乗っているイゾルデが見えている。

ちなみに、太田先生の「恋人たちの肖像」でもトリスタンとイゾルデの名前が出てくる。シメさん(紫苑ゆうさん)演じるクリストフ2世(ルートヴィヒ2世がモデル)が白城あやかさん演じるカロリーネ(エリザベートの妹がモデル)をイゾルデと呼んでいる。台詞の中でイゾルデは舟でやってくると言っていたので、「トリスタンとイゾルデ」から拝借していたことが分かった。ちなみに、太田先生も稔幸さん主演で「トリスタンとイゾルデ」をモチーフにした作品を作ってる。

またまた脱線しましたm(__)m

トリスタンは、待ち焦がれたイゾルデに一目合うなり、息を引き取る。気を失ったイゾルデが意識を取り戻して歌う♪愛の死♪は本当に涙もんでした。

ワーグナー作品って、ラスト、ヒロインが突然死ぬことが多く、本作もそういるラストなのに、まるでイゾルデが海に身を投げるのでは?的なラストシーンが実に現実味を帯びていた。これは演出効果抜群!

太陽なのか月なのか分からない、だがどちらでも解釈できるモチーフがバックの背景になっていたのも良かった。

Xにも書かれている方がいましたが、私もラースの「メランコリア」を観てる感覚になった。惑星メランコリアと地球の衝突はまさに愛の死、愛と死の輪舞だからね。

イゾルデが昼間の太陽で、トリスタンが夜の月だから、赤になったり青になったり黄色やオレンジに変化するのは、月でもあり太陽でもあると思うんよね。宇宙の愛を表現したかったんだと私は解釈してます。

音楽に関しては、それこそ「メランコリア」がきっかけで前奏曲だけは何度も何度も聞いていたので、生で聴けて本当に感動しました。

ところどころで、前奏曲のモチーフ?一部が使われていて、無条件に涙が出てくる。各幕クライマックスが使われるとこはマジ号泣もんだった。

たしか、「パルジファル」の一部も使われていたと思うんだが…。

音楽のテクニックなのかは知らないけども、モチーフを小出しにして惹きつけて、クライマックスでドカーン!と持ってくるところがマジ秀逸!

そうそう、ミュージカルだったら、素晴らしい歌唱の直後に拍手が起こることが多いのに、「トリスタンとイゾルデ」はまるでわざと拍手させまいとして音楽的な転換があったのも驚き。幕が終わるまで拍手出来ない状態だった。


YouTubeでは何度も途中で寝てたのに、やはり生の舞台は、引き込まれて各幕あっという間だった。全然眠たくならなかった。逆に、感動のあまりき幕間にワインを飲んでしまったほど。本当はドイツビールを飲みたかったのに、カウンターには日本のビールしか置いてなかった。後々、別のブースで販売していたことを知ったが、さすがにチャンポンは悪酔いするので泣く泣く諦めた。

グラスワインを飲んでも全く睡魔に襲われることはなかった。むしろ、ワーグナー哲学に酔いしれてしまったほど。

前もってX等で感想を読んでましたが、賛否両論あり、キャスト評が目立ってた。

今回、トリスタンもイゾルデも代役だったので、賛否両論ありましたが、私は賛でございます!

トリスタンは声が弱いとよく目にしましたが、いやいやいやいやいやいや、常に死を背負っているトリスタンのイメージにピッタリ。綺麗なテノールだと思った。むしろ、力強かったら “死” から遠のくので違和感しかなかったと思う。「ミス・サイゴン」のキムが力強いと、とても自殺するような人間に見えないと同じように。ニャリがトリスタン役でなかったらここまで感想は書けない。

私に言わせたら、オーケストラで歌声がかき消されて何が悪いのか私には分からない。むしろ、かき消されたときのオーケストラの空間支配はそれはそれは感動ものだった。これがオペラの醍醐味か!と思ったほど。

イゾルデも、私的には文句なし。ラストの♪愛の死♪はマジ泣けたし。

マルケ王の方、クルヴェナールの方のバスも素晴らしかった。

本当に本当に素晴らしい「トリスタンとイゾルデ」でした。

日本語字幕も本当に素晴らしかった。

ラスト、千秋楽の1日、演者の皆さん、スタッフの皆さん、頑張って下さい。

鑑賞される方は楽しんで来てください!


三月花形歌舞伎 松プログラム

2024-03-23 00:51:16 | 古典芸能
隼人氏、「河庄」でもめっちゃ出まくりやん!?てか、めちゃくちゃ美味しい役やん!?

私の記憶は不確かですが、「将門」、右近君ver.と振り付けや演出が全然違いますよね???

ラストの演出だけ違うと思ったら、トータルでも違う演出だった、はず。

同じ「将門」なのに、全然違う作品を観てる感覚だった。

ということで、松プログラムを観てきました。前回観た時の「女殺油地獄」があまりにも素晴らしかったので、実は桜プログラムも観てきました。

これで、運良くコースター3種コンプリートゲット!藁

は、さておき、

まずは「河庄」。

ワタクシ、「心中天の網島」のストーリーを全く知らなかったので、てっきりラストは主役2人が心中するもんだと思ってた。誰も死なないまま終わったから「天の網島」とは違う作品なのかと思ったら、まだ続きがあったんやね。

「女殺油地獄」「曽根崎心中」「恋飛脚大和往来」の近松ものだから悲劇要素が強いと思って心構えしていたので、めちゃくちゃユーモアに溢れていてビックリした!

先に観た「女殺油地獄」とのギャップ、特に右近君と隼人氏のユーモアセンスと2人の掛け合いにめちゃくちゃ楽しませてもらった。

「女殺油地獄」が完全に隼人氏と壱太郎君の見せ場オンパレードだったから、「河庄」は右近君と壱太郎君の見せ場オンパレードだと思ったら、どっちかというと右近君と隼人氏のオンパレードだったね。壱太郎君は、ひたすら耐える役だったね。

右近君の治兵衛は、ダメ夫、あかんたれ。妻子がいるのに遊女?お春にゾッコン。心中を誓い合った2人だったが、治兵衛はお春に裏切られる。お春に対する怒りが煮えたぎっていながらも未練がましさ120%。この120%を右近君が見事にユーモアを交えて演じられていてめちゃくちゃ素晴らしかった!

そうそう、右近君の治兵衛が花道から登場する時、壱太郎君のお父さんの鴈治郎さんじゃなくお祖父ちゃんの坂田藤十郎さんに見える時があった。藤十郎さんの治兵衛は観たことないのに…。

治兵衛の兄で、2人の心中を思い留まらせる役を隼人氏が演じていて、実はお侍じゃないのに身割れしないために変装してお春の真意を探ろうとする役どころ。

隼人氏も、似非侍のぎこちなさをユーモアを交えて演じられていて、与兵衛と180度違う役柄とのギャップが凄かった!

ぶっちゃけ、隼人氏が治兵衛を演じてもピッタリであろう絵図が浮かんできて、孫右衛門もまたあかんたれ要素があるじゃないか?的な人物像だった。

あ、決して隼人氏があかんたれと言いたいのではないので悪しからず。

右近君の治兵衛と隼人氏の兄・孫右衛門の兄弟の似た者同士的な関係性が上手く表現されていてめちゃくちゃ良かったし、2人の掛け合いもめちゃくちゃ息がピッタリで楽しませてもらった。

一方、壱太郎君演じるお春は、実は治兵衛に対して心変わりしたのではなく、治兵衛の妻おさんから手紙をもらい、おさんの人柄に触れ、治兵衛との心中を諦め、おさんに治兵衛を返そうと決心すしたのである。

一度決心はしたものの、やはり治兵衛を思い切ることが出来ない悲しさ、治兵衛に会った時の束の間の喜び、本心や真実を打ち明けることが出来ない切なさを壱太郎君は丁寧に演じられていました。

治兵衛の、お春の裏切りに対する怒りと未練ダラダラな想い。お春の、治兵衛に対して本心が言えない、言ってはいけないと自制している辛い気持ち…。

表面上では、2人の間では深い溝ができているが、深層心理ではお互いを求めあってる様が、ユーモア要素に反比例してなんとも言えない切なさがある。

治兵衛の兄の孫右衛門は、2人の間を割って入って引き裂く役割なんだけど、2人の深層心理が分かっているだけに心を鬼にして2人を引き離そうとする辛い気持ちを、ユーモア要素に反比例して隼人氏も巧く表現していた。

右近君も゙壱太郎君も隼人氏も役になり切っていたからか、感情の揺らぎがリアルに伝わってきた。リアルに涙が出てたよね?あれ、汗だったか???

表面的な言葉の中に隠れた真実の想いが伝わってくる演技、深層心理が伝わる演技が本当に素晴らしかった!

右近君と隼人氏のキャラ的にはコメディーリリーフ的存在で、会話や表現にユーモアが溢れていた。一方、壱太郎君はひたすら耐え忍ぶまさに悲劇のヒロイン的な存在で、作品としても悲劇性と喜劇性が表裏一体になっていているので脚本的にもめちゃくちゃよく出来てる!

「河庄」だけピックアップすると誰も死なないハッピーエンドものと解釈できるけども、「心中天の網島」自体はまだ続きがあり、ユーモアに溢れた前半から、悲劇の後半、道行デスロードに向かうんだと思ったら、このメンバーで続きが観たくなった!

っていうか、通しでやって!!

決して悲劇的な結末じゃない「河庄」と悲劇要素満載の「女殺油地獄」とのギャップ。同じキャストなのに全く趣向が違うキャラクターとのギャップ。

いやー、マジ作品選びが秀逸だった。

隼人氏光圀ver.の「将門」は、最初にも書いたように、右近君ver.と似て非なる「将門」だった。

振り付けも蛙の登場も、滝夜叉姫の捌け方も、ラストの屋根に登場するのはネットの記事の写真で見て知っていた…、一部同じ演出だったけども、最初から最後までほとんど違う印象しかない。

それにしても、隼人氏のぼんぼん役は新境地を開いた感があったが、光圀のような漢役は今まで数多く演じてきただけあって本当カッコ良い!

それこそ、コメディーリリーフ的な孫右衛門と対照的な光圀でもあったので、そのギャップも堪らん!

作品選びがホンマ秀逸過ぎる!

壱太郎君の滝夜叉姫も、右近君ver.も直近で観てたのに、しおらしいお春とのギャップがあり過ぎて、怪し美しさと力強さがめちゃくちゃ強調されている印象を受けた。

声の出し方も良かった。

6月、ヅカ友さんと「ヤマトタケル」を観る約束をしたので、壱太郎君の兄・弟橘媛が楽しみ!

新橋演舞場では米吉君だったから、まさか松竹座が壱太郎君だとはね!だから新橋演舞場に行ったんだけどね…。隼人氏のヤマトタケルも新橋演舞場だけだったし。

そうそう、「将門」ではお香が焚かれてたね。

滝夜叉姫が、蝋燭の灯し火に導かれて花道を歩く様は、まさに幽玄の世界に誘われている感があって、お香だけでなく演出が凝っていて素晴らしい!

桜プログラムも松プログラムもどちらも見応えあるのに、空席があるのは実にもったいない!

あと2日しかないけど、どちらもマジおすすめ!!

追記:御本人様もブログで書かれていますが、この日、笑三郎さんが観劇されてました。幕間のロビーですれ違いました。マスクを着けられていましたが、笑三郎さんだとすぐに分かりました。

思った以上に背が高くてビックリ。更に
顔も小さい。

ずっと、笑也さんより歳上だと思ってた…m(__)m

っていうか、笑也さんが還暦越えていたことの方がビックリ!

三月花形歌舞伎 桜プログラム

2024-03-13 23:47:00 | 古典芸能
隼人氏、凄いっ!!!

ガラかめWorld炸裂!!

めちゃくちゃええやんかいさーっ!!!

いやいやいやいやいやいや、

まさか、隼人氏のお芝居でガラかめWorldを味わえるなんて、全く予想もしてなかったよ!

隼人氏の舞台は、去年から数作品しか観てないので偉そうなことは書けませんが、

今年の切られ与三は、まあまあだったし、

2月のヤマトタケルは作品が…。

「女殺油地獄」も、ぶっちゃけ期待せずに観たら、

めちゃくちゃ良かった!!見終えたあと、めちゃくちゃ興奮が冷めやらぬ状態だった。いい意味で、次の演目「将門」で冷静になれた。

ぼんぼん役は隼人氏にピッタリやな〜、隼人氏なら「恋飛脚大和往来」の忠兵衛もさぞかしピッタリなんやろな〜と思って観てたら、

終盤の名場面である女殺のシーンでの、天使と悪魔が脳内で葛藤し、まるで殺人鬼の霊魂が与兵衛に憑依したかのような殺気に満ちた狂気さや佇まい、ふと我に返る軟弱さの表現が秀逸で、まさにガラかめWorldを観ているようで、

まじアッパレじゃ!!!

とてもとても、ほぼ出ずっぱりのヤマトタケルをやり終えてから1週間で作り上げたとは思えないくらい素晴らしい与兵衛でした!

私は、NHKの放送で仁左衛門さんの与兵衛を観ましたが、隼人氏の与兵衛はまるで仁左衛門さんが隼人氏に乗り移ったかのようだった。何度も仁左衛門さんに見えた。

隼人氏、恐ろしい子!(久々の月影先生登場!)


ということで、歌舞伎を観たいと言っていたヅカ友さんと一緒に南座に行ってきました。

まさかこんなに興奮させられるお芝居を観させてもらえるなんて全く想像してませんでした。

歌舞伎お初のヅカ友さんも大変感動していたし、隣の席に座られていた見ず知らずの方とも感動を分かち合ってしまうくらい本当に素晴らしかった!

「女殺油地獄」は、歌舞伎より五社英雄監督作品が最初の出会いでした。そこから数年経ってNHKで観させてもらって、当時はまだ若かったので、物語自体はあまり興味がなかったのですが、歌舞伎の舞台であのタイトルシーンがどのように演出されるのかだけに興味を持っていました。

NHKで観させてもらった時の、仁左衛門さんの与兵衛と孝太郎さんのお吉の、本当に油まみれ(油に模している)の地獄絵図に度肝を抜かれました。

そして今回、隼人氏の与兵衛と壱太郎君のお吉を生の舞台で観させてもらったら、私も歳をとったせいか、歌舞伎作品ではなくリアルな人間ドラマを観ているような感覚になりました。

隼人氏の与兵衛だけでなく、壱太郎君のお吉もめちゃくちゃ素晴らしく、若手の演技だとも初役とも思えないくらい、2人とも迫真で鬼気迫る演技が本当に圧巻でした。

隼人氏の間抜けな放蕩息子っぷりの表現から、魂を悪魔に売ったかのような鬼気迫る演技。からの素に戻る演技はまじアッパレ!リアル北島マヤだったよ!

仁左衛門さんの教えに誠実に演じられていたのが伝わる演技でもあり、何度も仁左衛門さんに見えることがあった。ぶっちゃけ、テレビよりも生の舞台の方が凄かったね。

壱太郎君の年増風の表現も最高!子供のためにも死にたくない思いをリアルに表現されていたのが良かった。

なんせ、一歩間違えたら、段取りが狂ったら大怪我になりかねない、2人とも生傷が絶えないであろうあの油地獄絵図は本当にアッパレとしか言いようがない。

テレビで観た時は、地獄絵図シーンだけが印象に残って、それ以外のシーンの記憶がなかったのですが、

今回、生の舞台を観させもらって、与兵衛の母おさわ役の上村吉弥さん、与兵衛の血の繋がらない父親の徳兵衛役の嵐橘三郎さんの、一度は勘当した息子に対する親の優しさに泣けた。

与兵衛は放蕩息子並びに親に暴力を振るうろくでなし。

おさわは実母だけど、徳兵衛はおさわの後妻ならぬ後夫。徳兵衛は、与兵衛の実父に対して義理堅く、放蕩三昧の与兵衛には立派な跡継ぎになってもらいたいと思っている。

おさわもまた与兵衛を勘当しておきながらも大事な可愛い息子に変わらない。

おさわと徳兵衛はそれぞれ、壱太郎君演じるお吉に、与兵衛がお金を無心しに来たら、親からではなくお吉の志として渡してもらうようにとお金を預ける。おさわと徳兵衛の与兵衛に対する愛情がマジ秀逸…

与兵衛は3人の会話を立ち聞きしており、義父徳兵衛のためにも足を洗いもう一から出直そうと心に決める。

だが、多額の借金があり、両親がお吉に渡した額よりも全然足りないので、結局お吉に無心する。お吉は、与兵衛の言葉を信じていないので、おさわと徳兵衛のお金だけ持って出ていくように追い払おうとする。

与兵衛はどうしても借金を全て返済してやり直そうと思っている。それを信じようとしないお吉との問答の末が女殺油地獄絵図の破滅へと向かっていく。

ホント、歌舞伎じゃなくて人間ドラマを観ているようでしっかり人間ドラマが描いていて作品としても本当に素晴らしく見ごたえがあった。

若手御三方の努力だけでなく、上村吉弥さん筆頭にベテランの方々の力添えあってこその人間ドラマと言えるでしょう。

宝塚もそうだけど、やはり専科やベテランの存在は大きい。

「女殺油地獄」は、隼人氏ファンは言うまでもなく、東京からでも観る価値あり!

「女殺油地獄」ともう一つの演目「将門」。

「将門」は、いっちゃんこと一路真輝さんの宝塚トップ時代を知っている方ならピンとくるであろう演目。

はい、「雪之丞変化」のプロローグの歌舞伎の劇中劇の大元がコレである。

当時は、屋台崩しの演出を宝塚大劇場でどう演出するか苦労したと演出家の柴田先生が仰っていた?雑誌歌劇に記載されていた?記憶があります。歌舞伎好きの柴田先生ならではの演出でしたね。

宝塚は家屋のセットが崩れる演出でしたが、歌舞伎は迫りを使って迫り下がることで家屋が壊れるを表現。

いっちゃんが演じた滝夜叉姫を壱太郎君が演じ、滝夜叉姫を退治する大宅太郎光圀を桜プログラムでは尾上右近君が演じていました。

ラストのスッポンから迫り上がり、蝋燭の火に照らされながら花道を歩く壱太郎君の傾城如月実も幽玄な世界観があり美しかった。

「女殺油地獄」では、右近君は大きな役ではないし出番も少なかったので、「将門」では妖怪退治に対する勇ましさがありとても格好良かったです。

右近君は、菊様同様、立役も女形も両方違和感なく出来る貴重な人材。今回は松プログラムでも立役に徹しており、「河庄」も楽しみです。

今日は演目開始前に右近君の口上があり、客席を歩き回ったりと、元気いっぱいで愛嬌たっぷりでサービス精神旺盛で楽しかった。

今回は、ヅカ友さんと一緒だったので桜プログラムしか観てませんが、次は松プログラムを観てきます。

それにしても空席がもったいない!





♪Relay〜杜の詩♪ 作詞:桑田佳祐

2024-03-11 20:57:00 | 日記
今年というか、去年ですが、いい曲がないな〜、今年の選曲をどうしよかと困っていた時に、たまたまTVerでドラマを観ていた時にユニクロのCMでこの曲が流れてました。

正直、歌詞は頭に入ってこなかったんですが、なんせ桑田さんにしては珍しく優しい歌声と、プロコム・ハルムの♪青い影♪に似たメロディーラインにビビビッときたので、タイトルと歌詞を調べたら、

めちゃくちゃ良い歌詞だった。

まさにまさに、♪瑠璃色の地球♪の桑田さんver.のような歌詞だったので、すぐにレコチョクでダウンロードしました。

人間の都合で自然が破壊されつづけている一方で、人間のために造られたレジャー施設や温泉施設の廃墟が増えている。「すずめの戸締り」の如く決して緑や自然に戻ることなく。

ここ数年は大丈夫ですが、あと50年経ったら、少子化の煽りで住宅が廃墟化していくのが明らか。少子化に関しては私も原因の1人なので偉そうなことは言えませんが…。

あと数年経ったらリニア中央新幹線が運行開始される。通常の新幹線の線路を使うわけじゃなく、自然を壊して穴を開けて新たに線路を設ける。

ぶっちゃけ、必要ですか?少子化の時代に?ますます過疎化が進み、廃線も進む。自然に還ることなく廃墟化するのみなのに。

一体日本は何を目指してるの?若い世代に責任を押し付けることばかりして。って思う。

桑田さんの歌詞には、自然破壊に限らず、未来の日本の憂いがひしひしと伝わってくる。

素晴らしい歌詞でもあり曲でもあるので、興味があればご検索を!


では、ここから本題。

東日本大震災から今年で13年が経ちました。

去年は、念願の仙台に行き、目的は金華山黄金山神社に参拝すること、鹽竈神社や金蛇水神社にも参拝してきました。仙台までは飛行機を使いましたが、それ以外は電車移動だったので、宮城県の海側だけですが、復興している姿を見てきました。地元の方のお話しも聞くこともできて、完全にではないですが、日常が戻っていることに安心しました。

安心したのも束の間、今年元旦早々に能登半島地震が起こり、職場からボランティアに行ったスタッフもいました。

働き手が被災したり、金沢の方に避難して人手が足りない、手が回らない状態だと聞きました。

被災された方々に1日も早く日常がもどることを祈ってます。


こんなこと書いたら非常識と思われること承知で書きますが、世界中で自然が警告を出してるのに、

人間って争いは絶えないし、私利私欲に走るわで、人を大事にしないよね?

自然を大事にすることは、人間を大事にすることに繋がるのに、利権争いが絶えないし、私腹を肥やしたり…。

国家にとって人間って一体何なんだろうね?国家にとって人間の価値は何なんだろう?

世界中で、人間が将棋の駒扱いされているように思えてならない。

ま、文句言ったところで、何も変わらないですが…。

世界はもう進むべき方向に一歩一歩進んでいる。

今以上に人間が無駄死にする時代に突入する足音が聞こえてくるようで本当に嘆かわしい。








テラヤマ・キャバレー

2024-03-10 00:48:00 | 舞台
パンフレットを購入していないので、脚本家や演出家デヴィット・ルボォーの意図は分からず、私の勝手な想像で感じたことを書いているので悪しからず。いつもの如く意味不明文章なのですみませんm(__)m

まるで、寺山修司氏が天に召されるまでの数時間、深い眠りの中で一体何を夢見ていたのかをテーマにしたかのような作品。

寺山氏は、何を夢見たか?

きっと新作の稽古をしたかったであろうし、会って話したい人もいただろうし、感謝の言葉を伝えたい人もいただろう。もっと世間に訴えたいこともあっただろう。

もっともっと聞きたいこと知りたいことがあったのではなかろうか?

そして、もっとも、会って話をしたかったのかは、間違いなく生みのお母さんだったのではなかろうか?

過去と未来を行き来することで、もし今2024年に寺山氏が生きていたら嘆いたであろうことも描かれていて、

ラストの、慎吾ちゃん演じるテラヤマのメッセージにウルッときた。



ということで、今年、寺山氏没40年の追悼公演。

1月には三上博史さんの舞台があり、2月に「テラヤマ・キャバレー」の日生劇場公演が始まり、新国立の小劇場でも公演があった。東京ではまだまだ寺山氏の作品が上演される予定である。

今年に限らず、劇団万有引力やProjectNyxのようにほぼ毎年、寺山氏の作品を中心に上演している劇団やユニットがある。悲しいことに関西で観られるのは稀。

寺山氏の作品は、基本、小ホール上演が多い中で、なんと日生劇場や梅芸のような大ホールでの上演ということで、しかもカチャが宝塚以外の外部出演。これまで寺山氏作品は、美輪さんの「毛皮のマリー」、蜷川さんや池の下事務所?の「身毒丸」、「レミング」「血は立ったまま眠っている」、ProjectNyx公演作品、映像では天井桟敷の「身毒丸」、三上博史さん出演の「青ひげ公の城」、美輪さんの「青森県のせむし男」などを観ており、寺山氏のアングラ好きには堪らん公演なので観てきました。

カチャが出るくらいだから綺麗な世界が描かれていると思ったら、

がっつりアングラで驚いた。

脚本、音楽、美術、演出、何もかもアングラテイストだったのでアングラ好きには堪らなかった。

キャバレーという名の音楽劇。寺山氏が作詞した曲を歌い継いでいく。

元々名前がなくテラヤマによって新たな名前がつけられた登場人物たちが、テラヤマがタイムスリップした場所で、恐山のイタコの憑依と同じように、憑依した登場人物として話をする。

描かれている世界は、まさにアングラ。寺山ワールド炸裂。わけワカメ状態。

だが、たしかにそこには、テラヤマの血が通っている。テラヤマの血が注ぎ込まれている。

最初に書いたテーマを軸に、テラヤマを通じて今伝えたいメッセージが描かれていて、ラストは本当にウルッときた。

日本も、過去には美しい言葉があったが、今現在、年々流行語のように新しい言葉が創造され、数年には死語になる。

寺山氏や三島氏が愛した言葉は廃れ、手紙を書く習慣が今はメールやLINEに取って代わり、(携帯)電話があればすぐコミュニケーションが取れる時代になっている。

そんな時代にメスを入れるような作品でもあったように思えた。

文字は残るが、言葉は、1秒1秒発する度に消えていく。形すらないから、あの世にも持っていけない。

寺山氏のビュアな言葉たちを、この言葉が乱れた時代にどう受け継いでいくことが出来るのか?

それは、歌舞伎のように、上演していく、語り継いでいくしかないと思うんよね。

思い出を、忘却から思い出すのではなく、忘れないことが大事になる。

テラヤマが伝えたかったメッセージは、

テラヤマが望む世界は、想像の世界では不可能はないということ。舞台はいくらでも想像を舞台にできる。想像力を豊かにして創造していけば、そこから人生を豊かにし、日が昇る明日に向かって生きていくことが出来ると伝えたかったと思うんよね。

想像力さえあれば、テラヤマは永遠に生き続けることが出来る。

死ぬの怖かったテラヤマも、思いを言葉にすることで死を受け入れることが出来るようになったと思うんよね。

テラヤマにとって死は、無になることではなく明日を生きるための前進だと言いたかったと思うんよね。次のステップ的な。

そして、テラヤマにとって、寺山氏にとってお母さんの存在は、寺山作品においても切っても切れない重要な位置を占めた関係でもある。

「身毒丸」では実母は死んでおり、身毒丸は継母に恋慕する。「毛皮のマリー」でも欣也の母は死んでいる。男娼のマリーが欣也を育て親。マリーが実父かどうかが解釈の醍醐味。「青森県のせむし男」では母親は息子を殺す。

寺山氏の母親に対する執着の度合いは、この3作品からも見て明らか。父親の存在は彼の世界では皆無。

「テラヤマ・キャバレー」では生みの母親が、テラヤマの作品では何度も殺されていることを嘆いていたけど、テラヤマは会話していると言っていたが、まさにこれこそ意思伝達だと思うね。忘れたいけど忘れられない。愛して欲しかった想いが作品に如実に表れている。

寺山氏の母親に対する執着は、やはり幼な心の寂しさに帰依すると思うから、何歳になっても見た目はオッサンになっても、心は少年時代と変わらないんだと思う。

寺山氏の場合は、マザコン要素をカモフラージュするためのアングラ演出だったんだと思うね。

昔、友達が寺山氏の詩を勧めてくれて、それが
「てがみ」だった。

つきよのうみに いちまいの
てがみをながして やりました
つきのひかりに てらされて
てがみはあおく なるでしょう
ひとがさかなと よぶものは
みんな だれかの てがみです

まず三島氏には書けないであろうめちゃくちゃロマンチックで、唐十郎さんや鈴木忠志さん、佐藤信さんを含むアングラ四天王の1人とは思えないピュアな詩。

詩の世界ではピュア度数が高いのに、天井桟敷の舞台になるとエログロナンセンス度がアップする。

寺山氏は、ずっとお母さんの愛に飢えた人で、心はピュアな少年のまま大人になった人だから、よけい世の女性にとっては母性本能をくすぐるタイプの方だったと想像する。奥さんだった九條今日子さんも離婚しても寺山氏とは縁は切れなかったんだと思う。

「テラヤマ・キャバレー」と関係ないことばかり書いてますが…、

ミュージカル「オーシャンズ11」以来の慎吾ちゃんの舞台。

完全にテラヤマになりきってましたね。テラヤマの孤独と不安と希望を感情豊かに演じられていて、ラストは本当にウルッときました。

単調な歌い方が逆に味があってめちゃくちゃ良かった。

伊礼君は、毛皮のマリーをイメージした役だったのか、オネエ演技がピカ一だった。

唐十郎さんの成河君は、シンバルの落とし方がやけに上手い!落とす度に足を怪我しないか心配になった。身体能力が高いからか、コントロールも上手いんだろね。それにしても、唐十郎さんってあんなキャラだったけ?藁

唐さんの紅テントによる天井桟敷への乱闘沙汰は有名エピソードだから、唐さん登場は外せないね。台詞の中だけだが、野田さんも登場させるとは!

カチャの死は、まさにトート閣下のような化粧とヴィジュアルだったね。テラヤマに死への猶予?を条件付きで与える存在。慎吾ちゃんもそうだったけど、ずっと出ずっぱり。水分補給大丈夫?と心配になった。カチャのトートも全然アリアリ!

テラヤマの母親役の村川絵梨さんがめちゃくちゃ良かった。テレビや映画の女優さんのイメージしかなかったからめちゃくちゃ歌が上手くてビックリした。Wikipediaを見たら結構ミュージカルに出ていて更に驚いた。そりゃあれだけ歌えたら文句なし。

テラヤマの元奥さまの九條今日子さん役の、ミュージカル女優で清楚なイメージしかない福田えりさんも完全にキャラ変していてその心意気が良かった。歌はさすがです。

三島由紀夫役の平間壮一君は、めちゃくちゃデフォルメしていたけど、見た目はザ三島だったね。身体能力が高くブレイクダンスが凄かった。

三島氏も純度が高い文章を書かれるけど、三島氏は、どちらかというと年齢不詳で読書好きの乙女のような純粋さで、寺山氏は、子供のように想像力豊かな純粋さのイメージ。2人とも見た目は完全にオッサンだけどね。m(__)m

え、近松門左衛門役のあのおじいちゃん、花王おさむさんやったん?てっきり若い俳優さんがおじいちゃんに扮していると思ったよ。背筋がピンとしてる!

喋ると咳が止まらない、歌えば咳が止まる少女?トランスジェンダー?女装子?役が、リアル男の子だったとは!キャスト調べてビックリした。てっきり本当のトランスジェンダーの方だと思った。横山賀三君、若いのにめちゃくちゃ舞台経験者で驚いた。声の出し方や歌の表現も素晴らしかった。

アンサンブルの方々もテラヤマワールドの住人としてキャラ立ちしていて素晴らしかった。