「フランケンシュタイン」逆ver.

2014-02-22 00:57:20 | シアターライヴ
まず初めに、

フィギュアスケート、男女共に大変素晴らしい勇姿を観させて頂きました。メダルが獲れた、獲れなかった、そんなこと全く関係なく本当に素晴らしい演技でした!

昨日の真央ちゃんのあのフリーの完璧な演技には大変感動しました!あの演技は、真央ちゃんの精神力の強さだけでなく、日本国民の心がひとつになってあの素晴らしい演技を導いたんだと思ってます。日本国民のエールの賜物だと思ってます。リアルタイムで観させてもらいましたが本当に感動しました!

ということで、今日は、仕事をサボったわけでないですが、ま、サボったに近いですが、結局こちらを優先してしまいました。

カンバーバッチの怪物ver.を観てきました。

観た直後の感想は、二通りの観方に驚きと感動がありました。

先週、ジョニーの怪物ver.を先に観たわけですが、二回目は逆ver.で二人の演者の立場から観ると、全く違った印象を二通り同時に感じました。←意味不明で申し訳ないですm(__)m

カンバーバッチ目線だと、見事な演じ分けで演技の魅力を感じました。カンバーバッチの怪物の中には全く博士の匂いがなく、全くの別人でした。演技力の高さを感じました。

どちらかというと、私はカンバーバッチの博士役の方が好きですが…。ぶっちゃけ、カンバーバッチの怪物にはジョニーの怪物の匂いがした。

で、ジョニーの博士は、めちゃくちゃ怪物の匂いがする演じ方だった。つまり、カンバーバッチほど見事な演じ分けではなかったということ。でも、怪物に関しては、ジョニーの方が数倍もカンバーバッチより素晴らしかった。

カンバーバッチの怪物はジョニーを真似ているようにしか見えなくて印象が薄い。その分、ジョニーの怪物がフラッシュバックされて、まるでジョニーの怪物と博士を同時に観ている錯覚に陥ったんですよ。

結局何が言いたいかというと、カンバーバッチの怪物ver.は、怪物×博士ではなく、まさしく博士の精神世界を描いているようにしか見えなかったということ。

つまり、怪物とは博士の妄想が創り上げた架空の人物であり、まさしく精神世界のもう一人の自分だということ。他人は理解されない、分かる人にしか理解してもらえない世界観。

宝塚ではしょっちゅう役替わりがありますが、まさか舞台作品でこんな観方できるなんて初めてです。まるで、「鑑定士と顔のない依頼人」を二回観た時のような不思議な感覚を味わってます。

で、カンバーバッチの怪物ver.を観ながら感じたことは、

ずっと、愛に飢えてるのは精神力が低い証拠。愛されるより愛することが大事!と思うようにしていたけど、実はそうじゃなくて、愛に飢えてるからこそ、本当の愛が分かるんだとカンバーバッチの怪物が教えてくれました。

愛に飢えること、愛を求めることは決して悪いことではないと気付かせてくれました。分かっているようで分かってなかった。

愛に飢えてるからこそ、人の優しさが分かる。愛を知らない人は、優しさすら分からない。だから、どこかの元首相さんみたいに、労いの言葉一つなくあんなKYな発言を堂々と言えるんだと思った。

だからこそ言いたい。

愛に飢えた人間こそ、愛も優しさも知らない人間より数倍も生きる価値があるよ!君たちこそ、本当の愛を知ってる分かる人間なんだよ!自殺なんかするな!と言いたい。

ついでに書くと、努力の苦しみを知ってる人間だからこそ、真央ちゃんを含めたくさんアスリートの悩みが分かるんじゃないの?

なんで政治関係者って、いつも肝心な時にあんな無責任発言する人が多いんだろう…?って私が言いたいよ!

本来なら、この舞台、舞台としてじゃなく映画として一人二役で演じても面白かったんだと思うけど、舞台ではそうはいかないところに、二人の役者が交互に演じる魅力や利点があることを感じました。

ジョニーの博士目線だと、ホント怪物が愛に飢えもう一人の自分にしか見えないもんな。まさに精神世界。

ぶっちゃけ、これ書きたくなかったけど、もう一つ、精神世界だと思った理由が日記の存在。まさに「DEATH NOTE」みたいな存在ですからね。分かる人に分かる内容だと思います。ぶっちゃけ、やはりイギリスはスピリチュアル先進国だと思った。こういう世界観を描けるのは、演劇界では、古い映画でもダントツでイギリスやもんな。

日本はまだまだ、スピリチュアル発展途上国だと思った。あ、アニメや漫画界ではダントツで日本ですm(__)m

それから、やはり、演劇は素晴らしい!と思った。こういう演劇を観るとつくづくヨーロッパで生まれたかったと思ってしまう。


全くストーリーに関係ないことばかり書いてますが、今回この映画に導いて下さったのも、いつも拝読しているブロガーさんのお蔭です。恥ずかしいので直接コメント出来ませんが、いつも素晴らしい作品に出会わせてくれて感謝してます!ありがとうございますm(__)m

この作品、また上映されるんですよね~。今日知りましたが、ぶっちゃけ、もっと前に知ってたら今日は仕事優先にしてました。でも、今日はこれを優先して大正解でした!正直に書くと、それくらい、私の中の、もう一人の自分、忘れていた懐かしい自分との再会が出来たから。なんか色々思い出されてついつい涙しました。←病気だと思って頂いて構いません…。

今日のまとめ:またイギリスに行きたくなった。ホンマ、演劇は素晴らしい!

次は「コリオレーナス」やな。それにしても、TOHOシネマさん、素晴らしい企画ありがとうございます。日本でイギリス演劇が観れるなんて演劇好きには堪りましぇん!出来れば、シェイクスピア作品だけでなく、「戦火の馬」も上映して頂きたいですm(__)m


「障子の国のティンカーベル」

2014-02-17 23:41:31 | 舞台
マーラーの♪アダージェット♪、あれは反則やで。あれは無条件で涙が出る…。

ということで、Blog始めてから二回目の東京に行ってきました。

ストーリー的には、とんちゃん演じるティンカーベルこと(?)ホームレスの女の子が妄想で日常生活から逃避行しているような話に感じました。

とんちゃんは、ティンカーベルになったり、ピーターパンになったり、人形使いをしたり、歌ったり、プチ踊ったり…と、かなり体力を消耗する役柄でした。ぶっちゃけ書くと、大変なのは承知ですが、歌は全部ナマ歌で聴きたかった…m(__)mでも、念願のナマ歌が聴けて嬉しかった!

これまたぶっちゃけ書くと、最初、ティンカーベルが何を話しているのかさっぱり分からなくて唖然としましたが、ピーターパンに替わってからは本筋が見えてきて安心しました。とても切ない話でした。

若い頃の野田戯曲だけあってめちゃ毒づいた台詞が多かった。でも、その毒を飲まないことには(この場合は吐いているけど…)、人間って素直になれないんじゃないのかな…と思った。

アンドロギュヌス…、そうなんや~、野田さんは既にうん十年も前にこの単語を知ってたんや…。私は「MIWA」の配役発表で初めて知った。

内容的には、「MIWA」にも通ずるものがあった。というか、この「障子の国のティンカーベル」の延長上に「MIWA」があり、そして「半神」があったんだと思ったら、なんか納得するものがあった。野田さんの戯曲はまさに野田さん自身の自分探しであったように思えてならない。野田さんの中の本当の自分探し。この作品が原点だったのかなと思った。もちろん、私の勝手な想像ですが…。

そして、とんちゃんがこの戯曲にこだわった理由もなんとなく分かったような気がする。

とんちゃん自身がティンカーベルでもあり、ピーターパンだったんだと思う。my戯曲に出会ったんだと思った。

“人でなしの恋”…。

確かに人でない恋でした。私なんてしょっちゅうですよ(笑)

でも、世の中の大半の人が“人でなしの恋”をして、アンドロギュヌスになりたいと思ったことがあるんじゃないかな…?

まさに叶わぬ恋と同じで、甘酸っぱくもあり、それでいてほろ苦い恋…。

あの「フランケンシュタイン」も言ってみれば、“人でなしの恋”をしてる。そして、失って初めて恋が愛に変わる。みんな、愛に飢えた宇宙人やもんな。一体、どれだけの人が本当の愛に出会うんだろうね…。

と思わせる内容でした。

障子の国が舞台だけあって、浄瑠璃・浪曲を取り入れていて面白かった。

深っちゃんの「春琴」みたいに、人形使いのシーンがあるんですが、「春琴」同様人間より人形に目が行ってしまうくらい、人形の使い方や見せ方が上手かった。

影絵が非常に幻想的に使われていて、ラストはヤバかった。ダークファンタジーで切なすぎ。でも良かった。

普通なら“冗談でなく”と言うとこを、“冗談で”と言うとこがミソですね。冗談でないと思われたことが実は冗談で、冗談だと言ってることが実は冗談でない。照れ隠しに似た言葉のからくり。嘘か本当か分からないこの曖昧さ。ひねくれた心の中に真実が見え隠れする。不思議な言葉遊びでした。

アンドロギュヌスか…。「MIWA」とはまた違う喩え方で上手かったです。そりゃ、引き裂かれたらくっ付きたくなるよね…。一つになりたいと思うよね…。やらしい意味じゃなくてね(汗)。

とんちゃんが、最後の挨拶で若い方に演じて欲しいと言ってました。余程愛した戯曲なんだと思います。大丈夫、野田戯曲は寺山戯曲と同じで腐らないから!

今日のまとめ:先日までの大雪で、一度は行くの諦めて新幹線も夜行バスもキャンセルしました。だって、自然が、今回はお前は東京に行くな!と言ってると思ったから。でも後悔したくなかったから、高くついたけど日帰りで新幹線で行ってきました。

実際はキャンセルしなくても良かったくらい、当日は運休もなく晴天でした(涙)これはなんのお試しだったのだろう…。ただの早とちり?

実は今日は、帰る前に、新しい歌舞伎座に行って、幕見席で一幕だけ歌舞伎を観てきました。

いや~新しい歌舞伎座は広い!場面転換でセリが使われるんですが、幅が広い分、場面が丸ごと替わる!宝塚のセリと違ってスケールが半端ない!でも、私はあんな広い歌舞伎座より、松竹座や南座のこじんまりした方が好き。

そうそう、今日観た「白浪五人男」にあんな前振りとなるストーリーがあるとは知らなかった。明日が仕事じゃなかったら最後まで観たかった。なんてたって、亀三郎さんが五人衆の一人でめちゃかっこいいねん!やっぱエエ声や(笑)主役は菊之助丈やけど…(汗)

追記:「~ティンカーベル」観劇から数日経ちましたが、仕事中も♪アダージェット♪が頭の中でヘビロテしてます。あの影絵の美しくも残酷なシーンがハートを蝕みます。久々の胸キュン状態です。見終えた時より、家に着いてからの方が衝撃が大きい。切なさがリアルに胸に突き刺します。

観劇直後には、ぶっちゃけ感じなかったことですが、今は言えます。大雪で私より何倍も何倍も大変な方がいらっしゃいますが、やっぱり、東京まで観に行って良かった!と。ありがとうございました。

追記2:「野田秀樹シンドローム」取り寄せて、戯曲を読みました。ぶっちゃけ、舞台の方が切なさが半端じゃなかった。あと、“冗談だよ”…、ちゃんと意味の説明があった。舞台で、カフカの件(くだり)ありましたったけ?聴きそびれただけかな…?

影絵は、戯曲のト書きにはない舞台版のみの演出だったんですね。素晴らしいアイデアでした。

戯曲を読んで思ったこと…、これって女性が演じる作品でなくて、むしろ男性用ですよね…?これ、男性が演じるとまた違う解釈になりそうですね。まさに「MIWA」の世界観かも…。

「フランケンシュタイン」

2014-02-15 02:07:47 | シアターライヴ
いや~、やはり、日本と違ってジェスチャー文化圏の役者さんの表現力は流石やな!

身振り手振りに表情と声音であれだけの怪物を演じるなんてマジ凄い!

日本人は妖怪止まりの人が多いけど、欧米人はマジ怪物の域まで達する人が多いもんな…。

と唖然と感心の眼差しで観てました(笑)

演出も、ロンドンオリンピックの開会式を演出したダニー・ボイルだけあって、とても斬新な演出したね。「ライオンキング」のように盆が回りながらセリ上がったり、巨大シャンデリアカーテン(?)のような無数のライトを使った演出も斬新だった。隙間のある空間は、やはり役者の存在感と底力で埋め尽くされてましたね。

今回博士を演じたベネディクト・カンバーバッチの怪物役の方が凄いらしいけど、ジョニー・リー・ミラーも十分見応えあったよ。もう本物の怪物にしか見えない。

リハーサル風景で、役作りに赤ちゃんを参考にした…みたいなこと言ってましたが、まさに赤ちゃんが頑張って二本足で立ち上がって歩くかのように、この世に生まれ出た怪物の本能を感じさせるプロローグ(?)は観ていて怖いものがあった。

ストーリーは…、まさに、てめぇ無責任に生んでんじゃねぇよっ!って言わんばかりの内容で、怪物が愛を求める様は非常に切ないものがありました。

産んでくれなんて頼んでないのに、てめぇの都合で勝手に生みやがって…、だったら最後まで責任取れよ!って言わんばかりの内容で、怪物を見ながら、親を恨んでいた若い頃の自分と重ねてました。

ただ隣の子と同じように、自由に好きなように生きたいだけのに、片輪ものに生みやがって!といった恨みを爆発させて、特に父親に対しての反抗心というか復讐心はぶっちゃけ生半可ではなかったな。まさに怪物と同じ心境です。

ただ生きてるだけで、周りから拒絶されるこのやるせなさ…。当時は神様を恨みまくったよ。なんで自分だけこんな苦しみを味あわないといけないねん!…ってね。若い頃は自分しか見えてないから余計怒りしか生まれなかったんよね…。死にたくても死ぬ勇気ないし、好きなように生きようとしたら、見えない誰かや何か(実は、無意識の私)に足を引っ張られるし…。本当、人生は思い通りにはいかない。

いくら親のせいにしても、上手くいかないものは何をしても上手くいかないし…。いくら憎んでも決して幸せは訪れてはくれない。諦めることでしか生きられないこの悲しさと現実をただ目の当たりにするばかりだった…。

いつも同じ壁にぶち当たっては、乗り越えることなく、ただ引き返してぐるぐる同じ所を回るだけだった…。

それでも、物事は考えようで、人生ってホント不思議なこともある。人生のどん底に落ちた時に出会ったのが、何度も書きますが、「カラマーゾフの兄弟」だったんですよ。この本に出会ってなかったら今の私はいません。人生観を180度変えてくれた本でした。

それまでは怪物のように愛を求めてましたが、求めるから余計苦しい…ということを学んでからは、本当の愛とは何ぞや?を学ぶ旅が始まったように思う。100%ではないけど、昔よりは分かるようになったと思う。

お芝居で怪物が語る愛はちと違うんよね…。情熱的に表現してたけど、あれはまさに恋(又は性欲)だと思う。愛はsexではない。一つの表現ではあるけどね。

そういう意味でも、この「フランケンシュタイン」には、生・愛・命・死を哲学的に表現しているとこもあったし、旧約聖書の創世記をイメージするものもあった。精神世界も描かれていた。時折、怪物が博士の妄想にも思えたし、「翼ある人びと」のように博士の影でもあり、もう一人の私でもあったと思う。

生きることとは愛することである…と思うし、人によっては、愛を探す旅でもあると思うんよね。そんな結末でもあったかな…と思った。

来週、カンバーバッチの怪物ver.を観る予定ですが、仕事で観れないかもしれない(涙)

今日のまとめ:この作品、前衛的な演出だったけど、1960年代に既に前衛作品を世に送り出していた寺山修司氏は天才だと改めて思った。

そうそう、演出家が映画「トレイン・スポッティング」の監督だけあって、音楽担当がUnderworldやった!めちゃ好きやねん(笑)



宙組「翼ある人びと」

2014-02-12 20:32:26 | TAKARAZUKA
なんというか…、宝塚であって宝塚でないような、まさに演劇を観させて貰った感覚です。

かつての太田先生の作品を観てるような、耽美な世界観に酔しれました。宝塚であって宝塚でない世界観…。キタロウ君が演じて魅せた狂気の世界を今の宝塚で観れる日が来るなんて…。

とっても良かったです!

ぶっちゃけ書くと、ワタクシあまりブラームス、シューベルト、リストの曲を知らないし、実際舞台で使用された曲ほとんど知らなかった…(汗)、人物像なんて更に知らないし、ぶっちゃけ興味なかったけど…、そんな私でも感動するくらい脚本・演出・演技が大変素晴らしかったです。

私は知らない曲だったけど、使い方も上手かったし、シンプルなセットだったけど情緒たっぷりだったし、隙間のある空間は演技力で埋め尽くされいたし、精神世界も描かれていたし、単純に不倫モノだと思っていたら、もっと崇高な世界観だったし、何より言葉が美しい!

ワタクシめちゃくちゃ大好物な世界観でした!(笑)

ベートーヴェンの使い方も上手かったし、一幕ラストのリフレインは洒落た演出だったし、山の頂きを臨みその先に見えるもの、シューマンとその妻のクララから貰った翼でまさにその山の頂から今、自由を求めて飛びたたんとするブラームスを耽美に描いていて…、

上田先生って、三島由紀夫の再来かと思ったくらい(←スミマセン、ちと大袈裟でした…)、本当に選択する言葉が綺麗!

私は観てないですが、前回大評判だった「月雲の皇子」で、どんな演出をされる方なのか非常に興味あっての今回の観劇だったのですが、私の想像を遥かに越える素晴らしい世界観をお持ちの方です。

上田先生の脚本演出もさることながら、マー君率いる宙組メンバーの演技力と見せ方の確かさに圧倒されっぱなしでした。

スカーレット効果か、マー君の男役としての表情がとても柔和になっていて、演技力だけでなくダンスでも、生真面目な青年ブラームスを見事に演じて魅せたくれました。

うららちゃんのクララ・シューマンも確かな演技力とその美貌に酔しれた。もっと歌に声量さえあれば、エリザベートも見たいし、黒蜥蜴も見たい!と思わせたくらい、マー君と二人めちゃ絵になる美しさがあって、この二人で「明智小五郎の事件簿」が観たくなった。ぶっちゃけ、うららちゃんが若い頃の美輪さんに見えた!←これ、めちゃ褒めてます。

この二人を引き立てたかのように、それでいて二人に引き立てられたかのように存在していたシューマン・キタロウ君がめちゃ良かった!

まさかキタロウ君で本意気の狂気の演技が見れるなんて思ってもいなかったので、その演技力に助演男優賞を差し上げたいくらい。キタロウ君がいてこその「翼ある人びと」だったと断言しても過言ではない。キタロウファン必見!

この三人だけでなく、脇を固めたセイコさんに、れーれ、澄輝君、凛城君、愛月君がまた素晴らしい演技と存在感で作品を引き立ててました。

凛きら君のベートーヴェンがまた素晴らしい!このベートーヴェンはまさにブラームスとシューマンの精神世界の王様的存在なんですが、めちゃ説得力のある演技でした。

プロローグのれーれの老けた時の役作りで完全に上田先生ワールドに引き込まれました。私には弱い演技に見えましたが、それもアリかと思わせる演出でした。れーれも歌が課題やな。

今日のトークショーによると近々愛月リストが頑張って芸術的なピアノ演奏を見せてくれるようなので、これからご覧になる方は、愛月君のリストにもご注目を!そうそう、素の愛月君は役と違ってめちゃお茶目でした。リストは見事な役作りでした。

“翼ある人びと”もいいけど、“秋のソナタ”でもぴったりなくらい、秋をイメージしたダンスや衣装、そして美術も良かったです。

宙組ファンだけでなく、クラシックファン、演劇ファンも唸らせるくらいの完成度の高さがあります。私は超オススメします!あと、夢を追いかけている若者にも観て欲しい!

今日のまとめ:この作品、ホント名台詞&名言オンパレードです!あ~この作品の脚本が欲しい!!!

あ、私もクララの台詞“貸衣装です”に一票! ←キタロウ君のお気に入りの台詞(笑)


「メイジーの瞳」

2014-02-12 02:01:44 | 映画
なんとまぁ、自己チューな親なんだ!あり得ないけど、あり得る!この両親を見たら、まだ私は両親からたくさん愛をもらってたほうだと再確認出来た(笑)

最初から最後まで六歳のメイジー目線で描かれているのは良かったけど、ぶっちゃけ、こんな子供おるか?と思ったくらい、ある意味大人な対応が出来る子だったので違和感アリアリでした。

始終、私が小さかった頃の記憶がフラッシュバックされたので、メイジーを見ながら自分と比べてました。

私ならあんな大人な対応&振舞いできん!(笑)

私の両親もメイジーの両親のように、しょっちゅう喧嘩していて、何度も離婚話になっては、小さかった私は泣いて、別れないで!と訴えてました。ま、高校生になったら、さっさとこんなジジィと別れろや!と母親に言ってましたけど…(汗)結局、私の両親はメイジーの両親みたいに離婚することなかったです。

メイジーは、私と違って泣くこともなく、大人の身勝手な事情に振り回されながらも健気な態度をとるんですよ。私自身と比較するとマジあり得ない精神状態。

あんなにタライ回しにされて、しかも全く血のつながっていない他人さんに面倒を押し付けられても尚無邪気でいるなんて考えられない。私ならめちゃくちゃ泣きまくって親の愛情を確かめます。

ぶっちゃけ、思わず、メイジーが大人になった時の精神状態を想像してしまいましたが、普通なら、メイジーのオカンみたいに統合失調症になるよ。

一見平和そうなラストに思えるかもしれないけど、私には不幸の畳み掛けにしか思えない。メイジーはあの両親から本当の愛を貰えるのか心配や。たとえ貰わなくても、ちゃんと精神的に自立した女性になれるのか心配でならん。

ジュリアン・ムーア演じるオカンは、最後に、メイジーがかつて自分と同じ境遇にあることを思い出すシーンがあるんですが、結局仕事を選んだやん(←今後は分からない。凄く反省したかもしれないし…)。面倒を見てくれたカップルにはお礼も言うことなくさ。だから余計、メイジーの未来は前途多難に思えてならない。そういう意味ではリアルさがある。

オヤジも超自己チューで、新しいお嫁さんに合鍵を渡さないなんてマジあり得ん!

似た者同士はよく喧嘩するというけど、マジそんな二人。ユリちゃんのドラマの台詞を借りると、一度は愛しあったわけやん。そしてメイジーが産まれたわけやん。なのにどうして、あそこまで子供をないがしろに出来るのか…、フィクションと言えども、極端な設定だけど、でも何故か不思議にリアリティーを感じた。

この両親からメイジーみたいな子供が育つことが逆にそこは信じられない。マリア様みたいに泣いている女性にそっと手を差し伸べるシーンがあるんですが、普通は逆だろ!?と思った。そういう意味でも、将来のメイジーの精神状態が非常に心配になる。大人の事情がトラウマにならないか心配。

私の場合、小さい頃は泣けば必ず誰かが助けてくれてたから、今も生きてるわけなんですが、小さい頃の私は計画的(当時は無意識的やね)迷子常習犯でしたね、今思えば(笑)

じっとしていられない性分で、待つことが出来なかったから、どこに連れて行かれてもすぐその場から逃げだして、迷子になっては泣いて誰かに保護されて親に迷惑掛けてました。大概、そうすると家に帰る流れになるから、今思うと、子供ながらに迷子になることで親の愛情を確かめていたんだと思う。もし、これが、メイジーの両親だったら、間違いなく今の私は存在してません。人間不信に陥って一切口も利かず、もっとひねくれた子供になってたと思う。

なんだかんだで、産んでくれとは頼んでない親だけど、この両親だからこそ今の自分が存在することは確かだから、本当、育ててくれたことには感謝です。まだまだ産んでくれてありがとうとは心からは思えないけどね。

作品的には、アメリカと日本の文化の違いをまざまざと感じる内容と展開で、いくら子供目線とは言えども、メイジーの知らないとこでの登場人物の会話は一切カットなので、居場所を知らせる等の状況説明が省かれていて、映画作品としては単調な見せ方になったのが残念だった。あくまでメイジーが見たままの状況が描いているだけなので、辻褄にいささか疑問が湧くんですよね…。「もうひとりの息子」や「そして父になる」とは全く異なるアプローチなので、映画としては今一つパンチが足らん。

メイジーを演じた女の子の演技は超自然体で、設定はあり得ないけど、存在感は素晴らしかった。

ジュリアン・ムーアのエキセントリックなロックシンガーの母親役は超新鮮でした。あまりの最低ぶりに私の苛立ち度MAXでした。この人も役で表情や雰囲気を変えられる女優さんなので演技は良かったです。

ラースの「メランコリア」では超イケメンだったアレキサンダー・スカルスガルドの養父役は、今回は超頼りなげな役柄で、なんとなくジム・キャリーと存在感が被る。今回はイケメンが台無しでしたが、そのギャップが良かったです。細かい演技に、父親のステラン・スカルスガルドの血を感じたので、父親同様、狂気が似合う怪物俳優だと睨んでます。今後が楽しみです。

そうそう、この作品も美奈さんの日本語訳でした。めちゃ不思議な縁を感じる。

今日のまとめ:幼少期のお子さんのいる親子関係や夫婦関係って、めちゃくちゃ大事だと思う。結婚して子供を産んで初めて親の有り難さが分かると言うけど、同じように、子供時代の自分も思い出して欲しい。

「ストレイト・ストーリー」のように過去を忘れることも時には大事だけど、教訓として過去を記憶することも大事だと思う。