衝撃的事実発覚!

いやービックリ!開演時間19時やん!?朝?昼?から何も食べずスバイラルホールの階段でひたすら並んだ記憶はあるが、まさかこんな遅い公演だったとは!
野田さん作の一人芝居「売り言葉」を同じスパイラルホールで上演したことを本人が今日の今日まで覚えていなかったなんて!
あんなに21年ぶりの一人芝居と宣伝しまくっていたのに!!
(笑)
ということで、その21年前に同ホールで当日券の列を並んで立ち見で観た者としては、いくら西宮でも上演があると分かっていても、ま、80%はブログネタのためですが…、
思い出のスパイラルホールでの上演。しかもゲストとのアフタートーク付き!ひょっとしたら、舞台終わりで野田さんが…、と期待を膨らませてチケットを取ったら…←この時点でめちゃくちゃ失礼な奴 m(__)m
司会経験豊富で(「トリヴィアの泉」の司会が有名)めちゃくちゃトーク力がある、←ここでフォローさせて頂いてます。←めちゃ取ってつけた感丸出し! の八嶋智人さんがゲストで、めちゃくちゃ楽しいアフタートークでした。
野田さんだったら、間違いなくさんまさんの名前は出てこなかったね。八嶋さんだからさんまさんと野田さんの両鬼門の名前が出たんだろうね。あ、両鬼門と書いてしまってスミマセンm(__)m
しかも、参加費が2万5千円もする(←さんまさんがいつもネタにしている)しのぶさんの還暦パーティのネタもあってめちゃくちゃ笑った!
まさかの、しのぶさんの独断で客席から質疑応答するという展開になり…めちゃくちゃサービス満載で、めちゃくちゃ笑わせてもらいました。
そのアフタートークの中で、しのぶさんの初一人芝居をした会場を覚えていなかったという事実が発覚し、それが1番の衝撃的事実やったわ!(笑)
あ、話がアフタートークだけになってた!
m(__)m
ということで、長い前置きはさておき、
21年ぶりにスパイラルホールでしのぶさんの一人芝居を観てきました。
Twitterで既に観劇された方の感想にガラスの仮面というキーワードを書かれていて、俄然興味倍増で東京まできましたが、
これ、1時間6分もあったの?←八嶋さんが時間を計測されてました。体感時間30分もあったかな?と思ったくらいあっという間に終わった。
しのぶさん演じるヴィクトリアは、実際に誰かと会話しているのか?場所は家の寝室なのか?
一人芝居を逆手に取って、落語形式みたいに会話劇をしているのか妄想劇をしているのか、どちらとも取れる演出で話が進む。
途中から録音されたヴィクトリアの日記から真実が見えてくるわけだが、ぶっちゃけ、その録音は不要だったように思ってしまった。
現実なのか虚構なのか分からないままラストを迎えた方が一人芝居の醍醐味として面白かったように思えた。
途中から、あ、これは「欲望という名の電車」のブランチの前日譚でもあり後日談でもあるような内容とも感じられ、実際はテネシー・ウィリアムとは関係ないが、私にはそういう世界観が視えてくる内容だった。
スイスの象徴のマッターホルンの単語から状況設定が視えてきたが、日記の内容が全ての状況設定を物語る説明になっているので、なんとか台詞にして状況を曖昧に出来なかったものかとついつい思ってしまった。
アフタートークで明らかになったが、赤い瑪瑙石の存在こそこの作品の核になっている。
瑪瑙石はパワーストーンとして有名でいろんな色もあって縞模様が魅力な石だけど、どこでも採掘出来るから値段的にはめちゃくちゃ安い。
たとえ市場的には安い石でも、パワーストーンには変わりない。大地の力だけでなく、誰かの祈りや想いも込められればお守りになる。たかが石だけども、勇気の源、生きる源、命の源、そして希望の源として、ヴィクトリアの生命源になっていると解釈出来る。
ぶっちゃけ書くと、精神を病むということは、いつでも死ぬ可能性がある。危険性でなくてあえて可能性と書くけどね。もし、それを魂(あえて本人とは書かない)が希望したら危険性じゃないからね。周りの人間が危険性と思うだけだから。
精神を病むということは常に死と隣り合わせなのである。なんでもない音や声が悪魔の囁やきに聞こえることがある。これは、精神を病んだ経験がないと理解されないことだけど。
だから、ヴィクトリアが生きていることは、たとえベルイマンが創造した架空の女性であったとしても、現実問題としてというか、私の感覚では奇跡に近い。どんなに小さくても希望があれば生きる力になる。
特別に何かを成し遂げようと躍起にならなくていい。じっと、ぼんやり、ダラダラ、ただご飯を食べるだけでいい。食欲も希望だからね。
ヴィクトリアにとっての瑪瑙石こそ生きる理由だと思う。その石の温もりこそ彼女の支えなのだから。
そもそも、人間って貪欲すぎるねん。こんなに物余りの時代なのに全然心は満たされない。求めて求めて求め続けても1番ほしいものは手に入らない。だからその代用として人や物で満たそうとするが、本当に必要なものじゃないからずっと満たされない。
貴方にとって1番ほしいものは何ですか?
と問いかけられているよう。
しのぶさんが演じるヴィクトリアは、もちろん精神は病んでいるが、千恵子みたいな狂気ではない。あの時ほどの衝撃もないし、それを期待すると肩透かしをくらうかも。ま、NHKで放送されたけど知らない人の方が多いかも。←何気にマウントをとる奴
アフタートークの会話から察すると、長い年月の1ページ1ページを剥ぎ取って凝縮し、その時代その時代に引き戻されてる感じ。ラストのヴィクトリアこそが今なのかもしれない。
ついこの間まで、ステージママでまるで関西のおばちゃんやん!的な役柄を演じたばかりなのに、しのぶさんが演じるヴィクトリア像は、ネットで上がってる写真からも分かるように淑女という言葉似合うくらい若々しくて美しい。同じ人物が演じているとは思えないくらい別人。そういう意味ではまさしくガラスの仮面やね。
今思えば、一人芝居が二回目だとは思えないくらい、それだけ月日が流れたということやね。
いやー、それにしても、21年前のしのぶさん演じる千恵子は凄かった!千恵子の精神が崩壊する過程が分かりやすく丁寧で、しのぶさんの狂気の演技が凄まじかった。と同じくらい野田さんの演出が神ががっていて、神業ならぬ紙業に唸りまくった。
実は、当時、ワタクシ、この作品が観たくて東京に行ったわけではありませんでした。
当時は、ヴィッテルスバッハ症候群
(勝手に命名。ルートヴィヒ2世のように引きこもり。かと思えば窮屈感に嫌気がさすとエリザベートのように放浪したくなる性格。後々オットーのように精神を病む)で、その時は放浪したくて家から飛び出し、なんの目的もなく夜行バスで東京に行きました。あまりにも退屈だったので公演情報をチェックしたら「売り言葉」を演ってたわけですよ。当日券情報がのっていて、即スバイラルホールに行って当日券の列に並んで、立ち見で観たわけですよ。
今思えば凄いお導き!たまたま東京に行ったら観れるものではない。
当時はさ、久々にお芝居の醍醐味を味わったので、私ももう一度舞台に立ちたいと思って、たまたま募集していた地域住民対象のオーディション受けたんですよ!
案の定落ちたよ!(汗)
演出家さんと宝塚の話題で盛り上がったのにダメだった。
ちなみにその演出家さんは、わかぎゑふさん。全く歳を取らない今でも素敵な演出家さん。
わかぎゑふさんが、オーディション終わりに皆に言ってくれた言葉が今も私の言葉になってる。
落ちたら、それは才能がないんじゃなくて縁がなかっただけ。落ちてもまた頑張って下さい、と。
今なら分かるけど、元々既存の脚本作品だから、演出家としては役に合った人や可能性がある人が欲しいわけやん。
確かに落ちた時めちゃくちゃショックだったよ。気に入られたと思ったったからね。←めちゃくちゃ自意識過剰の自惚れ屋!(笑)
でも、後々になって、ゑふさんが仰った縁という言葉にめちゃくちゃ救われたし、今も違う場面でも救われてる。
だって縁がないんだから仕方ないこと沢山あるやん!!1789が観れなかったこともしかりね←チケットかい!?(笑)
縁がないことは、自分の存在を全否定しているわけじゃない。縁と存在価値は同じじゃない。出雲の神様の縁結びみたいなものやん。微妙に違うか…。
縁がないことで素直に諦めて方向転換出来ることも多々ある。だと思わない??
なんてことを思いだした。
そうそう、それこそ20年経って、令和になってチョイ役でも舞台に立つ機会がありましたが、いやいやいやいや、後で映像を見させてもらいましたが、めちゃくちゃヘタ過ぎて驚いたわ!
でも、チョイ役だったけど、やっぱ舞台は役作りが1番楽しい!完璧な役作り!と思っても観客に伝わらないなら、やはり自惚れと自己満足にほかならないんだけどね。
昔はさ、映像を見た時に、この人めちゃくちゃ上手いやん!と感心した相手が実は自分だったという自惚れエピソードがあったがために、自分が自意識過剰だとは思わず、自信に満ち溢れてオーディション受けては落ちまくってた時期があった。
今思えばホンマ自惚れでしかない!
でもね、当時はその自惚れが生きる糧になっていたことも事実。落ちても縁がなかったと思えば良かったから。
今は只々恥ずかしいだけ!(笑)
今は何もかもがおバカで楽しい思い出。
21年前の思い出:

いやービックリ!開演時間19時やん!?朝?昼?から何も食べずスバイラルホールの階段でひたすら並んだ記憶はあるが、まさかこんな遅い公演だったとは!
よく我慢したな(笑)
本当は、「売り言葉」の小パンフレットも写メしようと探したが見つからず、ヴィクトリアと共に写メ。