「レイルウェイ~運命の旅路」

2014-04-26 00:26:29 | ニコール・キッドマン
有名な「戦場に架ける橋」を観てなくて良かったと思った、パンフレットの内容でした。間違った史実を植え付けらるとこでした。

この「レイルウェイ」は実話だけあって色んな意味でリアルでした。

日本が計画したタイからビルマ(現在のミャンマー)までを結ぶ鉄道建設のために捕虜となって働いた主人公達。この鉄道、“死の鉄道”と呼ばれていて建設中にたくさんの命が犠牲になったらしい。

主人公と数名はエンジニアとしての能力があったのでをまだ肉体的には過酷ではなかったけども、ある出来事がきっかけで戦後何十年経っても尚そのトラウマから逃れられず生活している。

主人公が背負うトラウマとなった出来事が映画的には重要なので、その内容についてはあえて書きませんが、

イジメもしかり、肉体的精神的に負った心の傷は、時間と共に忘れ去られることもあるけど、大概はふとしたきっかけで呼び戻される。もちろん、忘れ去られるなんてなかったりもする。全く癒されることなく生きていかなくてはならないことが常と言えるかもね。

人によっては、時間と共に原因が忘れ去られて、無意識のうちに原因不明のトラウマとして苛まれることもある。

主人公みたいに原因は分かっているが、どうすることも出来ない発作が起こると殻に閉じこもざるを得ない。

そんな主人公が、後の奥さんになるニコール演じる女性に出会って、運命が変わる。良くも悪くも忘れたい過去に立ち向かわなくてはならない時がくる。

その立ち向かう先に存在するのが、真田さん演じる当時の通訳のナガセってわけなんですが…。

回想シーンでこの二人の関係性がより明解になっていく。

感想レビューを読むと、日本が悪者で描かれていて不満を訴えている方が数名いたけど、ぶっちゃけ、視点を間違えていると言いたい。

確かに、映像的にも日本が行った行為は残虐である。でも、この映画は決して反日を訴えてる作品ではない。今まで映像で表現されなかった史実を映像化しているに過ぎない。

戦争に関わらず、いかなる戦いには敵が存在する。イギリス人目線からしたら日本は敵である。逆に、原爆を落とされた日本目線だとアメリカは敵である。仲良くない限り敵と味方に別れるのが戦争なんです。イジメなんです。

そうやって、“敵”や“味方”という概念を捨て去るためにどれだけ忍耐と忘却と赦しに勇気が必要になってくるか…。当事者にしか分からない。

右の頬を打たれて、左の頬を差し出せますか?ってことですよ。←なんか意味不明な展開になってきたな…m(__)m

時が解決してくれることもあるけど、いつかは立ち向かう日が来る。そして何か大事なことに気付くことだってある。

この作品は、非常にシンプルな展開なんですが、主人公の生き様に大切なものが自ずと見えてきます。

主人公を演じるコリン・ファースが、非常にリアルな演技を見せてくれるので、回想シーンの主人公とは別人なのに、コリンの演技からは回想シーンが見事にリンクする。だからウルウルしまくりでした。

ほんま、トラウマって質悪いもんな。肉体的暴力もそうだけど、言葉の暴力も、してる側は自覚が薄い。それこそ時間が経てば忘れる。でも、受けた側は一生忘れないよ。

だからといって、目には目。歯には歯。なんて間違った概念だからね。仕返ししたいなら、人間的に大きくなればそれだけで十分仕返しになるから。と私は思う。

大袈裟な話をすると、逆恨みで犯罪に手を染めることほど馬鹿げたことないし、自殺も以ての外。

と思わせる作品でもありました。

演技に関しては、コリンは文句なし。

真田さんもラストの演技は日本人代表としても素晴らしかったです。あれを素晴らしいと表現するのもいかがなものかと思うけど、ナガセはナガセで悩みはあるので、そこは丁寧に表現されていたと思います。

奥さんを演じたニコールは、陰で主人公を支える役を、この奥さんがいたからこそのラストの展開だとも言えるので、華を添えるだけでなく、奥さんの鑑となる役を好演してました。

何かを乗り越える時って、ほんと勇気だけじゃ無理。愛もないと乗り越えられないと思う。愛は本当に国境を越えると思う。今回のニコールの役はそんな愛の象徴でしたね。

この作品、あまり人気ないと思ってましたが、意外とたくさんお客さんが入っていてました。

めちゃくちゃオススメはしませんが、当時の歴史に興味がある方は観て損はないと思います。

今日のまとめ:戦時中の話なのに、現社会に通じるものがたくさんあった。ある意味、良く出来た作品なのかもしれない。

追記:今はアメリカを拠点に大活躍の真田広之さん。

実は、私が10代の頃、真田さんのファンでした。「里見八犬伝」をきっかけに、よく映画を観にいってました。薬師丸ひろ子さん共演の「病院へ行こう」が最高に好きだった。真田さんは、シリアスな役柄が多いですが、この映画は、真田さんのコメディーセンスがピカイチだった

当時、本当にファンだったので舞台「ブロードウェイ・バウンド」を近鉄劇場で観させてもらいました。

今でも忘れなれない。カーテンコールで真田さんと目が合い(勘違いかもしれないけど)、真田さんの目には、こんな若い子が観にくるんだ…みたいな表情を読み取りました。

か、私があまりにも好き過ぎて目がハートになっていてラブラブビームを送っていたのかもしれない。キモイと思われたかもね(笑)

今思えば、テレビや映画のスターさんをリアルに拝見できる舞台の魅力にハマったきっかけになったかもしれないね。

「新版・天守物語」

2014-04-24 00:09:27 | 舞台
よく出来た話やな~。

って実は、「天守物語」を観るの今回で二回目なんですよ。一回目は、旧歌舞伎座で観た玉三郎さん×海老蔵版。

結局は人間と妖怪の恋物語なんだけども、人間の傲慢さを浮き彫りにした名作ですね。

富姫の“切腹はなりませぬ!”だったか、とにかく切腹はアカン!を訴える台詞が印象的でした。

領主の大切な鷹を逃がしてしまった罪と切腹することが同等なんてマジありえない。そもそも、自然に生きるべき鷹を所有すること自体間違っていることを主張する富姫の自然哲学。鷹狩りもしかり、動物狩りを含む自然破壊する人間の傲慢さ。ナウシカの世界観にも通じる自然哲学が盛り込まれていて、よく出来た話だと思った。

玉三郎さん×海老蔵版を観た時は、妖怪のおぞましさ、というか、美しき二人の姫の言動のギャップに度肝を抜かれた!といった印象が強く、内容はよく分かってませんでしたが、今回の祐飛さんver.では、今だからこそ分かる自然哲学を訴えた内容に非常に感銘を受けてます。

ラストは、井上ひさし氏の「日の浦姫物語」や「籔原検校」にも通じるものがあって、盲目となってもなお、富姫と図書之助のお互いを想う気持ちがより深まっていく過程に、やはり愛そして心が大事だと思わせる展開でした。結局は「日の浦姫物語」と同じラストでしたね。この作品も“光”がキーワードになってましたね。

絵図はとても綺麗なのに、やってることは妖怪沙汰な妖怪達。

天守閣で魚釣りならぬ花釣り。領主の首取り…。

前半の富姫と亀姫のやり取りが後半の富姫と図書之助の物語の伏線になっているのも作品として面白かったです。前半と後半で全く内容が違うのに、登場するアイテムが作品のカギとなるので、前半は無駄に長い前振りって訳ではないんですよね。

ということで、

祐飛さ~ん!

が主演のこの作品。

「唐版・滝の白糸」の時よりも祐飛さんの中性的な要素が際立った妖艶で素晴らしい富姫でした。完全に女性的でない存在感が富姫にピッタリでした。チラシの洋風な衣装ではなく、完全に和装でそれが良かった。あの洋風な衣装は、富姫のイメージじゃない。

富姫と亀姫。元男役が演じる女性と女形である男性が演じる女性の競演は不思議なオーラが漂ってましたね。

この富姫って、女性らしい女性じゃない上に、人間であって人間でないので、そういう意味でも妖怪そのものでした。あ、これ褒めてます(汗;)やはり、祐飛さんなら黒蜥蜴出来る!と思った。

で、今回は祐飛さんだけでなく、風莉さん、みーちゃんも腰元役での出演!完全に女性でした!当たり前だけど(笑)

大好きな元宙組メンバーに、花瀬みずか元月組副組長さんと初姫さあやさんも出演され、宝塚ファン目線ではプチ同窓会的な雰囲気がありました。化粧から佇まいからしっかり和のテイストに準じている姿に感動しました。結構出番が多くて嬉しかったです。

語り部の泉鏡花役に三上博史さん。私の若かりし時代のトレンディ俳優さん。といいつつも、寺山修司氏の映画にも舞台作品にも出られたことがあるので、ある意味アングラ俳優さんでもある。語り部としてだけでなく、舞台を俯瞰したり、鷹になったりと、台詞がないシーンでも要所要所で登場されてました。眼鏡をかけた姿が泉鏡花にそっくりでした。

ラストの重要人物として、ラストだけに登場する梅若六郎玄祥さん。とても美味しい役でしたね。

個人的には、狂言師の茂山逸平さんの声が大変素晴らしかった!前回の「道成寺」でもイイ声でしたが、今回はお面を被ってたのでお顔はカーテンコールまで拝見出来ませんでしたが、見事な声音で最初誰だか分かりませんでしたが、素晴らしい発声でした。

元タカラジェンヌに、歌舞伎役者、能役者、狂言師、アングラ役者(?)、文学座俳優含め一般の(?)舞台俳優が織り成す泉鏡花の世界。全くミスマッチでない統一感があって素晴らしかったです。

海老蔵の「源氏物語」と違ってこちらの方が幽玄な世界観が漂ってました。

そうそう、プログラムによると勘十郎さんが鳴り物を担当されていて、お顔が見れなくて残念でした。今回もまさかの親子共演で驚きましたね。とんちゃんの舞台を観なかったら意識することなかった玄祥さんと勘十郎さん親子。これも不思議な縁ですね。直接的な縁じゃないですけど。

今日はフェスティバルホールの三階席から観劇しましたが、本当に音響が素晴らしい!これで一階席から三階席まで網羅しましたが、本当に良く出来たホールです。マイクなしであれだけ響きけば文句なし。オペラファンならもっと大満足されることでしょう。

この公演、大阪では1回きりで、東京公演も二日間しかないんですよね?その割には豪華なセットでした。なんか勿体ないです。

もう少し小さな劇場でも良かったのでは?とも思いましたが、あの広いフェスティバルホールでも全く違和感なかったです。

今日のまとめ:東京の祐飛ファンさん、ご期待下さい!

「女海賊ビアンカ」

2014-04-21 00:07:21 | ミュージカル
児玉っちなかなかやるやん!

いや~、席が後方だったら恥ずかしげもなく涙を拭ったけど、前方だったからあからさまに手で拭うのは恥ずかしいものがあったから我慢した(笑)

最初は、劇団新感線の学芸会版みたいな雰囲気だったけど、ラストに向かうに連れて伏線効果と人生哲学ならぬメッセージ性に胸を打たれ心の中ではたくさん感動の涙をこぼしてました。

まさかの伏線というか、ちゃんと伏線が敷かれていて最後まで退屈せず観れました。

児玉先生、宝塚辞めて正解だよ!影絵といった児玉テイストも活かされていて、漫画チックな見せ方で遊び心がありつつ、海賊ものだけあって人海戦術を駆使した殺陣も見応えあったし、最初は学芸会ぽかったけど、だんだん本格的な展開になってきて存分に楽しめました。

ストーリー的には辻褄が合ってるのかいささか疑問はありましたが、伝えたいメッセージ性の方がストーリー展開より優っていたので、ガラカメワールドもありつつ児玉ワールドもあって、逆に学芸会チックなのが良かったと思う。児玉先生、良い仕事されていたと思います。

実は、漫画版のビアンカ、わたくし全く存じ上げてませんでした(汗)自称ガラカメファンではございますが、漫画も持ってますが、この「女海賊ビアンカ」が載ってる巻前後だけは購入してませんでした。という事実を昨日知りました。読もうと思って探したらなかった(汗)

そうなんだよね~、この前のアメトークの“ガラスの仮面芸人”の時、偶然このビアンカが取り上げられていて、このエピソード記憶にないな~と思っていたら当たり前やわな。持ってないんだから読んでないよ!(笑)

劇団つきかげ…、

なんか、大好きなガラカメの世界がリアルな世界になって登場するっていうのは不思議でならん。

もっと早い時期に、私がもっと若かった時に立ち上げてくれていたら、間違いなくオーディション受けたのにな(笑)

主役の唯月ふうかちゃんは、お嬢様とボーイッシュな演じ分けがお見事でした。ぶっちゃけ、昆ちゃんのライバル現われたし!って思ってしまった。これからも舞台女優さんとして活躍されるはずなので将来が楽しみです。

宝塚ファンとしては、宝塚の家政婦協会のマリエッタさんこと美郷真也さんがマリエッラ役として出演されていて、いかにも児玉先生の遊び心が活かされた役名で面白かったです。

後、知ってる方は大沢逸美さんの悪役がかなり板についていて、歌も上手くて、昔の大映ドラマの不良役を思い出しました。かなり迫力があって素晴らしかったです。

ほとんどの役者さんを存じ上げないんですが、それぞれに個性があって良かったです。ビアンカの影の役の方、めちゃ美味しい役でしたね(笑)シルバーの方も良かった。人間関係の心理描写は本当に上手かったと思います。意外な人間関係が伏線になっていて、よく計算された脚本だと思いました。児玉先生ナイス!です。

誰もが人には言えない過去がある。それでも逃げずに生きていく勇気、生き抜く力や明日への希望を見失わないことを教えてくれる素晴らしいメッセージ性に溢れた作品で本当に感動してます。

ガラカメにはたくさんの劇中劇があるから、一つ一つ舞台化して欲しいですね。

「二人の王女」は絶対実現して欲しい!いや必須でしょう!?「紅天女」は難しいと思うけど、北島マヤ版と姫川亜弓版で上演したら面白いよね。っていうか、それぞれ作品に二人のver.がある方が断然見る側も楽しめると思う。

この劇団つきかげの魅力は、美内先生とコラボしてる点にあるので、リアルに漫画の世界に近い訳だから、漫画チック&学芸会チックを活かしつつ、たくさん上演して欲しい!

この作品、生きることだけでなく、愛もテーマになっているので、まさしくガラカメのメインテーマなので、これからもそれらをモチーフに劇中劇の舞台化を楽しみにしてます!頑張って下さい!次回があるならまた観に行きます!

今日のまとめ:劇場を出るとき、舞台関係者さんらしき方がたくさんいて、その内の一人、男性の方でおもむろに泣いて感動している人がいてとても微笑ましかったです。意外と男性客が多くてビックリした。

最後に、

紫のバラの人より

なかなか粋なことしますな!(笑)



「ドストエフスキーと愛に生きる」

2014-04-13 23:00:30 | 映画
こちらが本命。

ドストエフスキーの小説をドイツ語に翻訳したロシア生まれのお婆ちゃんのドキュメント作品。

邦題の“ドストエフスキー”に導かれてこれだけを観ようと映画館に行ったら、まさかのベルリンに導かれて「コーヒーをめぐる冒険」まで観てしまった訳です。

で、この作品もドイツ映画なので、昨日はドストエフスキーとドイツに導かれた…って感じやね。

ちなみに、原題は英語で“The woman with the five elephants(五頭の象と生きる女)”といって、この五頭の象がドストエフスキーの五大長編小説の「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」「白痴」「未成年」「悪霊」を意味してるんですよ。ちなみに、わたくし、ドストエフスキー好きを主張してますが、実は未だに「未成年」と「悪霊」は読んでません(汗)読むタイミングを逃したからあんな小さい文字で埋め尽くされた文章もう読めない(涙)カラマーゾフにはまって一気に他の文庫も読んだけど、この二作だけ手付かずだった。当時は「未成年」の文庫はなかったんだけどね…。

は、いいとして、映像を見たら分かりますが、この本がめちゃくちゃ分厚い!日本語翻訳版は分冊されているけど、ドイツでは一冊になっていて、日本の文庫は小さいけど、向こうはもっと大きいから本当に象みたいな厚みと大きさがあるんですよ。

わたくし、ドイツ語を勉強してましたが、ドイツ文学をドイツ語で読んだことありません(汗)好きな小説であるカフカの「城」だけドイツ語版を持ってるくらい。一応文庫だけど単行本並みの厚みがある。これ、頑張って読もうとしたんだけど、辞書引くの面倒くさいから途中で頓挫しました…。私のドイツ語力は、所詮旅行会話程度です…(汗)

も、さておき、

この作品、タイトルの中のドストエフスキーのに惹かれて観たんですが、ぶっちゃけ書くと、あまりドストエフスキー本人に関係ない。

確かに五頭の象はドストエフスキーの作品だし、映像の中で主人公の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーが翻訳している作品もまさにドストエフスキーの「賭博者」(←パンフの年譜と登場人物の名前から推察)なんだけど、ドストエフスキーの精神哲学に触れている形跡がない。ただ単に五頭の象=ドストエフスキーに過ぎず、この作品におけるドストエフスキーの存在はロシア文学の象徴に過ぎなかったのが残念だった。

でも、それ以外は観て良かったです。

翻訳家スヴェトラーナ女史の人生。彼女が何故ドイツ語の翻訳家になったのか?

彼女の日常から、その答えが紐解かれていく。

まさに神様に生かされたと言っても過言でない数奇な人生と導き。

彼女の人生にはナチ政権と大きな関わりがある。反ナチ政権を題材にした作品はあまたあるけど、逆の作品はなかったかもね。決してナチ政権を正当化する内容ではないけど、ナチ政権によって生されたことは間違いない。

だからこそ、彼女がロシア文学をドイツ語に翻訳することに大きな意味がある。

具体的なことは書きませんが、彼女が生きる理由に胸を打たれました。まさしく、スヴェトラーナ自身がドストエフスキーのような人生哲学を持っていて、ドストエフスキーの言葉ではない彼女自身の言葉に大きな言霊を感じました。

そこはちゃんとパンフにも掲載されていて、ナイスチョイス!でした。

ただ単に、ロシア文学をドイツ語に直訳として翻訳するのではなく、どれだけ作者の魂に近づけるか?魂の仕事をされている…、もう亡くなられたので、魂の仕事をされた方でした。

パンフによると、偶然、生まれ故郷のキエフにドイツに移住してから約60年ぶりに行くことが出来た事実に驚き。これも神様の導きだね。行こうと思えばいつでも行けた。ただ行く理由がなかったから行かなかっただけ。でも今回は講義の依頼でキエフに行くことになった。亡くなる前にお父さんのお墓参りできるなんて、神様のお導き以外のなにものでもない。

今気付いたけど、邦題「ドストエフスキーと愛に生きる」、間違ってないね。確かにドストエフスキー(作品)と一緒に愛に生きた一人の女性の物語でした。最初は、ドストエフスキーに愛を捧げた女性の話かと思った。ま、その解釈も間違ってはないけど、ドストエフスキーと一緒に…の方がしっくりきた。

そうそう、息子さんに対する愛も切ないものがありました。

本当、愛に生きるって時に幸せなことでもあるけど、時に残酷な時もありますね。

この作品、2009年に製作されました。何故5年後の2014年に日本で上映したんでしょう?不思議…。

このパンフ、非常にお買い得でした。日本で活躍するたくさん翻訳家さんのインタビューや、作家さんのコメントが掲載されてます。なんと言っても、スヴェトラーナ女史の印象的な言葉が掲載されていることが素晴らしい!

今日のまとめ:これも何度も書きますが「カラマーゾフの兄弟」で私の人生観は変わった。ドミートリーが私の分身に思えてならなかったから。あのまま本能のまま荒んだ生活を送っていたら、きっとドミートリーみたいに人殺ししてないのに信用されず犯人にされる人生を送ったかもしれない。ぶっちゃけ、孤独より信用されないことの方が私には辛い。わたくし、若い頃はグレる代わりにやりたい放題生きてた。あまりの不平等さに納得いかなかったから。ほんま、若気の至りは後悔の至りに繋がるから要注意!

この本のお蔭で少しは人間らしい生活を送れてます。多分(笑)本当に今は感謝でしかない。

何をしても思い通りにならない。人間、落ちるとこまで落ちたら、必ず一筋の光が道を照らしてくれる。決してその光に目を背けず、その光(ある種、閃きみたいなもの)に導かれると、自ずと新しい自分に出会える。それでもたくさんの試練はあるけどね。でも、ひと昔に比べたらかなり精神的に生きやすくなった。


「コーヒーをめぐる冒険」

2014-04-12 23:57:39 | 映画
ドイツ映画です。

本当はこれを観るために映画館に行ったわけじゃないねんけど、本命を観るまでに時間があったからというより、どんな作品があるのか?たまたまポスターを見ていたらキャッチコピーの“ベルリンでじっくり味わう”のベルリンにビビビ!ときて、観てきました(笑)ポスターを見るまでこの作品の存在自体知らなかったよ。

ということで、主人公のプータロウ君の不運な24時間を描いた作品で、白黒映画で、フランソワ・トリュフォーの「大人は判ってくれない」をイメージさせる登場人物と雰囲気があった。

ぶっちゃけ書くと、これがドイツのアカデミー賞主要部門総ナメするにはいささか疑問が…。そんなに素晴らしい作品だとは思わなかったけどm(__)m

不運(ドイツ語で“Pechペヒ”)続きのプータロー君というよりニート君が、ちょっぴり情緒不安定な登場人物たちと出会って何かを学ぶというストーリーなんですが、その何かは具体的には語られてません。多分何かを学んだと、ただ私がそう思っただけ(汗)

この主人公の青年、本当にPechだらけ。運転免許証は情緒不安定と判断されて免許取り消しになるわ、コーヒーを飲むのに小銭が足りず、キャッシュカードはATM機に吸い取られてしまってお金を引き出すことが出来ない。親に黙って大学を中退したことも結局は親父さんにバレていて、仕送りも差し止めされるわ…。他にもPechが続く。

結局は、自分より情緒不安定で過去のトラウマや現在の不遇に苛められた人々と出会うことで、少しは自分の力で生きて行こうと前向きに…なれたかな…?っていう流れです。多分…(汗)

人生には、本当にツイてない不運続きの日々があったりする。誰もがきっと、なんでこうなるの!?と思う出来事に続け様に遭遇したことがあるはず。一回きりじゃなくて、連続で。結局は、自分にとっては大きな出来事でも他人の目から見たら些細なことだったりする。で、実は本当に些細なことであったりする。

不運は向こうから勝手にやってくるんじゃなくて、実はほとんどの出来事が自分で呼び込んでいる、ということに気付くまでにめちゃくちゃ時間がかかる。

自分の気持ちの持ち方次第で運が変わる、という考えに納得出来る方は何が本当の幸せで不幸かが分かっている人だと断言出来る。

自分ってめちゃくちゃ恵まれた人間やん!?たくさんの人に助けられてるわ!と気付くことが出来れば間違いなく未来は明るい。

傍から見ると不幸に見える人でも、実は本人は幸せだったりする。綺麗ごとで書いている部分もありますが、現実は自分の心の持ち様で本当にバラ色に変わる。

今の現実にどうしても耐えられないと言うなら逃げればいい。一時の逃避はアリだと思っている。もし、命に関わることなら、なおさら逃げるべき。本当は何処に行っても自分が変わらない限り逃げられないんだけどね。それに気付くまではトコトン逃げればいい。実際、私がそうだから。

いくら逃げてもお金と時間の無駄だと分かったら、その場で頑張るしかない。結局は、その頑張れる場所が実は本当の自分の居場所だったりするから、結局は無駄なことは何もない。ただ気付くのが遅いか早いかだけ。

この作品の主人公を見ていたら、ドイツも日本も変わらない。世界は言葉が違うだけで、人間の本質は同じだと思う。

社会のストレスで苦しんでいるのは日本人だけじゃない。自殺大国は日本だけじゃない。だから余計生きることに希望が持てないからといって死を選ぶんじゃなくて、死を選ぶなら自分が楽しくなることをしてからにしろ!と言いたい。それでも不運が続くなら単純に間違っていることをしているというだけのこと。今の自分の器に合わないことをしているだけのこと。

ぶっちゃけ書くと、理性で物事が判断出来るというのは、自分の器がどれだけの大きさなのか自分の分を分かっているということ。

分かってないのに、高みばかり見て、足元や正面を見てないと失敗するのは当たり前。

夢や希望がないのは正にそれが原因だと思う。自分を過小評価しているのも原因の一つだと思うから、大きな失敗にならない程度に冒険することも大事だと思う。想像力があれば大きな失敗には繋がらない。ということはある程度の知識と経験も必要。

理性・想像力、そして、ひとかけらの勇気さえあれば、どんな困難も乗り越えられるはず!

この映画の主人公もきっと、他人を通して自分がいかに恵まれた人間なのかに気付けたから、きっと、24時間後にやっとコーヒーが飲めたんだと思う。きっと彼にとってはめちゃくちゃ美味しいコーヒーだと思う。常連さんにはただのコーヒーでもね。

自分の分に合わない大きなことはしなくていい。少しずつ自分の足元も見ながら高みを目指せはいい。

人生は一度きり。自分だけの人生なんだから、結局は楽しんだ者勝ち。でも、分相応にね!を、お忘れなく。

って思った内容でした。


今日のまとめ:新しくなった大阪駅を見るといつもベルリンの近代的な中央駅を思い出します。ひと昔はいかにも旧東ドイツのボロボロな駅だったのに、見事に様変わりしていてビックリした。

ベルリンのテレビ塔も、フリードリヒ通り駅も懐かしかった。

私にとってベルリンの思い出は、2006年のドイツ・サッカー・ワールドカップの決勝戦をイタリアが優勝した試合をブランデンブルグ門前の特設特大スクリーンで観たこと。ジダンの頭突きが懐かしい(笑)

あと、ベルリンはラブパレードが有名。超真夏日のテクノ・トランスサウンドは狂気沙汰やった。あまりの人口密度と熱気が重なって、さっさとベルリンから逃げました(笑)泊まる場所なかったしね。あ~懐かしい。あ、ラブパレード、もうベルリンではやってないらいしい。死者が出たら仕方ないね。

ベルリンは、旧西ドイツと旧東ドイツで顔が違うから、ひと昔はそれが魅力的だったけど、2006年の時は近代的になっていてちと淋しかった。でも、ちょっと中心から離れれば昔の殺風景な面影あり。今は知らないけどね。

あと、人。ベルリンは北欧に違いから体型もそうだけど、体型に比例して顔もめちゃくちゃ大きい!ドイツの南側は小さいんだよ。マジ、ビックリした!を思い出した(笑)←めちゃ失礼やな!m(__)m

映画に映るベルリンの市街地を見ながら、旅行した時を思い出しました。本当に懐かしかった。