やはり、松っちゃんのラストの台詞が泣ける!
ということで、東京まで観てきました。
ぶっちゃけのぶっちゃけ、初演を観ているので、大阪公演も含め今回はスルーする予定でいました。東京にも来る気はありませんでした。っていうのも、7月と8月はギャツビー月間の予定だったので、ほとんどの休みはギャツビーを観るために実は8枚もチケットを取ってました。ほとんどB席ですが…。
皆さんもご存知の通りほとんどの公演が中止!
今日から再開ではありますが、ワタクシのチケットは、1回目を除き全て中止になりました!(:大粒涙;)
ということで、ワタクシのギャツビー観劇は先月1回きりで終わってしまいました。
観れなかった方がたくさんいらっしゃるので、1回でも観れたこと、恋の大和路も観れたことは運が良かったと言えるので愚痴をこぼしてはいけないね。現実的に泣きたいのは、私じゃなくて、生徒や劇団なので、国に早く五類相当にしなはれ!と言いたい。
なので、8月は予定が全滅したため、本来観る予定なかったNODA・MAP。もちろんチケットは取っていなかったので、リセール待ちで運良くチケットをゲット出来たので観てきました。
どうでもいい前置きはさておき、
あんなシーンこんなシーンは覚えているのですが、いかんせんストーリーをほとんど忘れてた。観ながら初演を思い出していました。
部分的に演出や台詞が変わっていましたが、ストーリー的にはほとんど変わっていなかったように思いました。
ただ、全体的にパワーダウンしたように思えた。俯瞰しまくりの演技のように感じた。
今回再演を観させてもらって、部分的には見せ方が異なっていた。
特徴的なのは、ニコニコ動画形式のコメント、源頼朝の風船の量も多かった。そうそう、台詞が、私は観てないが、NHKドラマ「鎌倉殿」を意識した台詞に変更されていたように思った。
ぶっちゃけのぶっちゃけ、初演に比べると勢いが薄れて落ちついるように感じた。もちろん、汗かきまくっていたけどね。全体的に俯瞰して演じられていたように思った。皆さん2回目だから、客席の反応を覗える余裕があったように思った。それくらい、初演よりパワーダウンした感じがした。
志尊くんは、初演のときはもっと我武者羅に演じたと思う。今日の志尊くんは歳をとったせいなのか、余裕(冷静)の印象。
その点、すずちゃんは、表現力が上がっていてビックリ!最近映像でお見かけしないので元気そうで良かったですが、役に入り込んでる時の表情が最高に良かった!ロミオが死んだと知った時のね。
何度も役に憑依された感があってリアルな感情表出だったので、マジもらい泣きしそうだった。
でも、一瞬で素に戻れていたのでその切り替え力にアッパレ!
役に入り込んじゃうと、そのまま役をひきずっちゃう人がいるから、そうなると私生活が大変。
すずちゃんの場合は、第二部では大人のジュリエットの面影を演じるから否応なしに俯瞰する立場になるので、ちゃんと切り替えられていて安心した。
その点、志尊くんは第一部も第二部も変わらなかったから、ジュリエットだけが恋に盲目になっていた印象。あ、決してディスっているわけではないのであしからず。
志尊くんに限らず、松っちゃんも上川さんも竹中さんも橋本さんも羽野さんも、もちろん野田さんも、小松さんは常に冷静だけど、皆さん役以外には俯瞰してる人がいた。あ、あくまで私の印象ね。
特に羽野さんと野田さんは、台詞を喋っている時はめちゃめちゃ生き生きしてるね!
松っちゃんと上川さんは、元々第一部では俯瞰する立場で、第二部は自分たちが主役になるわけですが、あんまり差を感じなかった。やはり、役の人物と俯瞰している人物が同時に存在してる感じだった。
ほんと、すずちゃんの表現者としての成長ぶりには驚きましたが、
今回特出してたのは、あ、特別出演の略じゃないです。秀でていたのは、
伊勢佳世さんとアンサンブルの森田真和さん。めちゃめちゃ声と存在感が素晴らしかった!伊勢さんは初演と変わらない安定のハイテンションぶりが素晴らしい!
いつもはパンフレットは買わないが、森田さんの名前が知りたくて買ってもうた。
森田さんは、何者?と聞きたくなるくらい年齢不詳性別不詳的唯一無二の存在感がありました!蜷川さんが生きていたら、絶対常連さんになってたはず。森田さんは、間違いなく、これから引っ張りだこになるよ!
ストーリー的には、一見輪廻転生ものと思いきや、実はタイムスリップものだけど、やはり現代(第二次世界大戦に限らず戦争が勃発している時代)に転生した登場人物の物語と私は解釈した。
過去の過ちやこれから起こる戦争のこと、何がきっかけで悲劇が起こるのか分かっているから、未来からタイムスリップしてくい止めようとするも、運命の歯車は狂うことなく順行してしまう。
これは、タイムスリップ云々関係なく、この世のありとあらゆる出来事は必然。あの時あれをしていたら、今頃は…といったif節は存在しない。たとえあの時別の選択肢をしていても、結局今に戻ってくる。
理由、過去の自分は、今の自分とは全然違うのだから、何をしても結局同じ方向に行くだけ。過去の過ちや後悔があるから今がある。
過去に、その過ちや後悔をしない選択をしたとしても、学びがないから結局その過ちと後悔をすることになる。
全ては必然。
だから未来は、同じ過ち、同じ後悔しないように生きるしかない!
過ちだと思わない、後悔だとも思わない、悪いことだと思わない、だから同じことを繰り返す。
これが歴史です。
野田さんがどう思ってはこの戯曲を書いたのかは分からない。分かる必要はない。
ただ私は、野田作品を観て、私自身が何を感じるのかを知りたいだけです。どんな言葉が降りてくるのかが知りたいだけ。それは、野田作品に限らず宝塚もしかり、ミュージカルや演劇やライヴ、美術、どれもそう。
もちろん、○○さんが出てるから観たい!行きたい!といったミーハー心で観ることもある!藁
結局のところ、全て感じたことをそのままこのブログに書いているだけ。
実際、言葉が降りてこなかった作品もある。雪組の「ODYSSEY」。ごめんなさいm(_ _;)m
野田作品は、唐戯曲と同じで起承転結がある戯曲じゃないから、文字だけでは意味不明。身体を伴って初めて言葉が息(生き)始める。呼吸する。
だから面白いねん!
今回は、戦争だけでなくネット社会の言葉の暴力にもフィーチャーした演出になっていたし、
愛の言葉を、文字で残せなった者たちや歴史上の名もなき者たちの魂の声を野田戯曲で代弁し、これは、「フェイクスピア」が秀逸!
ロミオの魂の声を松ちゃんがあの白紙の手紙で代弁。マジ泣ける!
またまただとは思うが、知床遊覧船沈没事故を想像するラストの演出にも声なき声が聞こえてくるようだった。
言葉が言葉通り意味を発しているとは限らない、その発した言葉の裏には魂の叫び声が呻きうごめいている。無意識にSOSを発信していたり、愛の告白をしていたり、
言葉にも魂があることをあの白紙の手紙には、
決して書かれていない。
読み手がどう感じるかに委ねられているだけ。
ぶっちゃけ、言葉の暴力を発するひとは、めちゃめちゃ孤独で(私みたいな好きで孤独を選んでる人ではない)、さびしがりやで、この人自身も世間に疎まれ、また世間の不条理さに納得してない、周囲に交われない孤独人間だと思んよ。
私は、この人たちこそ、俺を私を助けてくれ!とSOSを発信しているように思えてならない。
私みたいな好きで孤独人間は、実は他人に興味ない。構ってくれとは思わない。
私が興味があるのは、目に見えない世界。それは、神様とか守護霊というより、今は無意識の世界。ぶっちゃけ、他人には興味はないが、他人の無意識には興味あり。無意識に発する言葉や思考。
会話の中には、無意識に発せらる言葉がある。思い遣りがある優しい言葉だと思って聞いていたら、実は、無意識に、私にも気を使ってや!の意味が含まれていたりする。気を使って言葉を選んで喋っているようで見下していたり。
これは無意識ではないが、私の本音に気付いて!という気持ちから遠回しに(オブラートに包む表現)発言する人もいるけど、これは、全然面白くない。むしろ、そういう人は、大概気付かれないと思う。オブラートに包んで喋らないといけない間柄ということは、お互いその人間性に興味を持っていないから伝わらないんだと思うよ。つまり、愛がないからと言える。この、愛がないが無意識。
会話には無意識が潜んでいるからそれを探るのが好き。
今、私が書いている言葉の中にも無意識が潜んでいるから、何年後か経って読むと面白い(笑)
また、自分のことばかり書いてますが、
野田戯曲の楽しさは、野田さんの無意識を探すこと。
だから、最近の野田さんの変化に驚きっぱなしになる。
愛の言葉が、めちゃストレート!
昔は変化球どころかワイルドピッチだったのにね。変化球でも相手(キャッチャー)が受け止めてくれたら問題ないけど、ワイルドピッチは相手に伝わらない。
めちゃ失礼な奴やな。
すみません。
m(__)m
ま、誰も読まないとから書きたい放題
(笑)